二〇二四、イヴに届けて

翠雪

二〇二四、イヴに届けて

「Can we assume it's a gift?」


 総柄の包装紙が、細身の直方体へと巻き付けられていく。数枚のシールの協力を得て、すっかり姿を隠したプレゼントは、きっと、君の唇に似合うはずだ。


—————


 ヨーロッパ北西部に浮かぶ島国、イギリス。その首都であるロンドンに降り立った時、この地に冬が深まりつつあることが、頬を撫でる風の冷たさで分かった。人々から発される、爽やかな熱がなければ、すぐに指先を赤くしていたことだろう。広い公道は、常よりも背伸びした日常を味わう国民と、外国から訪れた観光客とで溢れかえっている。夕暮れから点灯される七色のイルミネーション、ハイド・パークの巨大な移動遊園地、軒並み赤い屋根で統一された出張店舗——クリスマスマーケットの季節に、浮かれた空まで晴れている。


 遊園地から響く歓喜の絶叫をBGMに、スパイシーな香りが鼻腔をくすぐる、マルドワインを口に含んだ。砂糖や蜂蜜よりも多く香辛料が混ぜられた配合は、シナモンを好む自分にとっては好ましい。盃を乾かすための掛け声なしに飲み干した、透明なプラスチックの容器を分別通りに廃棄して、駆ける幼子をギリギリ避ける。怪我をさせずに済んだという安堵の息をつくと、ショーウィンドウを挟んで、小さなジンジャーブレッドマンと視線が合った。


 十六世紀の本国にて、西欧諸国と同様に大流行したペストの予防にと生姜を推奨し、今なお姿を変えて親しまれ続けるヘンリー八世。六度もの結婚を敢行した「率直王」に着想を得たクッキーの頭上へは、歴史と伝統ある王冠の代わりとして、オーナメントに加工するための穴が開けられている。彼がもみの木に居を移す日も近いだろう。


「食用に買われなければ、の話だけどな」


 指紋がつかないよう、爪だけで窓を軽く突く。穴が開いたクッキーは、文句一つ言うことなく、ひたすらに姿勢を正していた。


 街行く老若男女の合間を縫い、ブロンプトン・ロードの老舗百貨店であるハロッズを正面から見上げる。道路に沿ってでんと構えた、宮殿の一角かとも見紛う、堂々たるいでたち。赤みがかったブラウンの壁と、爽やかなグリーンの屋根は、ミントを飾った紅茶のよう。とぷんと潜った紅茶の内側には、兵隊や警官などに扮装した、愛らしいテディベアが点々と飾られている。それはお目当ての店においても例外ではなく、国旗柄のセーターを着た熊が、ディスプレイに行儀良く鎮座していた。それらのぬいぐるみを横目に、碧眼の店員と何往復か言葉を交わす。念入りな包装を経てようやく、蓋を開ければ弾丸にも似る、シャーロット・ティルブリーの口紅を受け取った。


—————


 ハロッズを辞すと同時に、エリザベスタワーが本日十八回目の正時を告げる。プレゼント入りの紙袋を片手に、真っ赤な公衆電話ボックスへと避難すると、街中に響く鐘の音が少しだけ和らぐ。受話器を持ち上げ、幅の狭い切れ目へ硬貨を押しこみ、整列する数字を淀みなくタイプした。


 トゥルルルルル。トゥルルルルル。トゥルルル——


 三回目のコールが終わろうとした瞬間に、先方との通信が許可される。


『はい、もしもし?』

「Hi, my dear」

『……お父様に聞かれたら、私が叱られます』

「声が聞けて嬉しい」


 彼女は、俳優にはあまり向いてなさそうだ。呆れたような声を出そうと努めているけれど、こちらには、子どもが拗ねたようにしか聞こえない。たしなめるような口ぶりでも、本心から怒っていないことは明白だった。


「君への贈り物を探しに、ヨーロッパまで足を伸ばしてみたんだ。いくつか似合いそうなものがあったから、イヴに届けさせるよ」

『もうっ、また散財して。次の小暑に、私の部屋を埋め尽くすおつもりですね』


 土地の風情を優先し、個人の端末ではなく公衆電話から連絡を入れたのは、失策だったかもしれない。楽しげに忍び笑いをする彼女の顔を、この目で見たくてたまらない。音のない溜め息をつきながら、狭いボックスに肩を預ける。モーガンのオープンカーが、脇の道路を駆け抜けた。


「他にご要望は」

『デザインの参考にしたいので、ワンピースを何着かお願いします。色は、アイビーグリーンだと嬉しいです』

「アイ……何だって?」

『アイビーグリーン。貴方の周りに蔦があるなら、それの色ですよ』


 格子状のガラス窓から、言われた通りに緑を探す。すると、路地裏へと続く赤煉瓦の壁面に、植物らしきものが這っていることに気がついた。目を皿にしてみれば、建物の細かなひびを補うようにして、細いつるが伸びている。


『イングリッシュアイビー。見つかりました?』

「ああ。冬でも枯れないんだな」

『氷点下が続いたら、さすがに枯れるはずですが』

「倦怠期の夫婦みたいに?」

『急に切りたくなってきました』

「へえ、糸をね」

『……スコットランドの東部に行って、アンガス牛の勉強でもしてきて下さい。勤勉な私を見習って』

「はいはい。お姫様の仰せのままに」

『はいは一回!』


 返事の代わりにリップを弾き、重い受話器をフックに戻す。多めに入れたはずの硬貨は、戻ってくる気配がない。あらかじめ決められた時を忘れて、ついつい話しこんでいたのだろう。これは、想い合う二人が揃った時にだけ表出する、厄介な悪癖だ。


「当日は、ちょっとの延長もできないんだけどな」


 七月七日、七夕。お互いに夢中になりすぎた夫婦が、年に一度だけ逢瀬を許される日。その日を最良のものにするべく、彦星は、織姫への贈り物を探している。


 もちろん、仕事はきっかりこなすとも。


「ワンピースを見繕ってから、牛の見物に行きますかねえ」


 電話ボックスを出ると、棒つきの渦巻き飴を携えた少年が、丸い目でこちらを見上げている。ぱちんとウインクを決め、目元から本当に小さな星が散る様子を見せてやる。まだ幼い英国紳士が、元から大きな瞳をさらに大きく見開いて驚くのが、なんとも可愛らしかった。

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二〇二四、イヴに届けて 翠雪 @suisetu

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