秘密そして君

「――陽月ひずき……?」


 彼女が、僕の名前を呼んだ気がする。でも、僕が望んでいる気持ちが強いだけで、それはきっと幻なのだろう。もう聞こえない。何も残らない。


 ――ただ、懐かしい感触が、僕の肩に触れた。


「……高水?」


「もう、どうしてここまで来たのに、逃げちゃうの」


「……えっ?」


 いや、違った。高水が僕の元に走ってきたのだ。もちろんこの世界でだ。そして彼女は少し呆れた様子で言ってきたのだ。逃げちゃうのと。


「まだわからないかな、じゃあこっち来て」


 彼女はこの世界に溶けるような、透き通った声で確かにそう言った。彼女が手招きする方に僕は移動する。彼女はトンネルの中に入っていった。久しぶりに入るこのトンネル。トンネルには僕らが描いた落書きが今なお残っている。この空間で感じる、懐かしくそして不思議な空気。もう一度吸い込みたかったこの空気。


「これでも、まだ気づかないの?」


 トンネルに入って彼女がそう言ってきたが、僕には全くわからない。ただ、暗いトンネルの辺りを見回しているだけだ。


「ほら、じゃあ、はい」


 彼女は小さくため息をついた後、手の中に何かを握りしめて僕の目の前に差し出した。


 ――その手には、紙が握られていた。


『約束。次もし会うときは、あの秘密基地で会おう』


 これは――僕の字。そう、僕の字で、次会うときはここで会おうって自らの手で書いてあったのだ。


「もー、忘れてたでしょ? まあ、君のことだから会うことしか頭になくて忘れてたんだろうけど」


 記憶を探し出す。沢山の記憶の中から。そしたら見つけた。その日の記憶を。


「……確かに、そんなことをした気が……。じゃあ、高水の家で受け取ったあの紙の意味ってそういうことだったのか!」


「ん? 何か勘違いでもしてたの?」


 僕の大げさな表情が面白かったのか、彼女は少し笑った。僕も彼女につられて笑ってしまう。僕の勘違いじゃないか。大きな勘違い。あんなこと、考える必要なんてなかったんだ。無駄な心配だったのだ。


「……いや、なんでもない。とりあえず、会えて良かった」


「ああ、すぐごまかそうとするー! 君の悪いとこだぞ! でも、私も会えて良かった」


 彼女の顔をこんなに間近で見たのは久しぶりだ。僕のいない間に大人っぽくなってやがる。妹とはもう言えないかもしれない。お互い、顔を見て優しくほほ笑む。懐かしい。これが一番懐かしい。2人で少しの間この空間を笑いという温かいもので包みこんだ。


 ただ、彼女は少し身震いしたのだ。確かに、雪が更に勢いをまし気温もそれに比例するかのように下がっている。北海道の生活に慣れているとはいえ、何時間もここにいて冷たい刃が刺さるのは当たり前だろう。


「高水、寒いのか?」


「ちょっとね」


「あ、そうだ。高水にこれ、プレゼント。よかったら、これであたたまってよ」


 僕はそういえばと思い、手土産である思い出を振り返られるような品――マフラーを彼女にプレゼントした。彼女は子供のように嬉しそうな顔をしたあと、早速僕のマフラーを巻いて、あたたかいと素直に感想を言ってくれた。


「たしか、お別れの時にもマフラーをくれたよね。その時は形がちょっといびつだったけど、これはお店で売っててもおかしくない出来だよ!」


「はは、あの時のマフラーは使い物にならないぐらいだったもんな。でも、僕だって成長するんだぞ!」


 思い出を振り返える――僕らのお別れの時の思い出を。僕の成長に少しでも安心してもらえればいい。そんなことを考えながら編んだ。もちろん、彼女に喜んでもらいたいという思いも込めて。彼女にだけ伝わるマフラーを。


「これ、一生大事にする! なんかこれを巻いていると、陽月に温められてるみたい」


 彼女はそう言いながらそのマフラーを顔にこすった。彼女と僕が一体になった、そう感じるのはおそらく僕だけだろう。


「恥ずかしいこというなよー。大げさな―。じゃあ、雪が強くなる前に帰ろう」


 彼女は全く恥ずかしがってないのに、僕が恥ずかしがってしまうとは少し情けないなと思いつつもやはり嬉しさが勝ってしまう。


「うん、帰ろう」

 

 彼女は大きく頷いてから、僕がさっき踏んだ足跡を頼りに2人で進んでいった。財布をなくしたという話をしたら彼女はまるでお母さんかのように怒っていた。ただ、彼女がしょうがないと言いつつ今回は貸してくれるようだった。僕は大人になったら2倍にして返すと約束した。今度の約束はちゃんとメモっておこう。


 こうやって会えた僕らはもう、きっと大丈夫だろう。


 手を繋いで帰る……そのことは全く恥ずかしくなかった。ただ、雪の中、誰にも見られない世界の中でする初めてのキスはなんだか恥ずかしかった。そのキスの意味はお互いが分かっているから余計に恥ずかしかった。


 ある意味で僕らの関係は消え、新しく創られたのかもしれない。


 これからの未来がどんなものであっても、僕たちはキスしたあの瞬間を忘れないだろう。どんな雪の日も、どんな季節も、一緒に乗り越えて行けることを信じながら。





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会えない君 友川創希 @20060629

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