最終話

******



「ほーら、理沙りさ。しいかわ買ってきたよー」


「わー! パパだーいすき!」


 仕事が終わって帰宅すると、理沙が玄関口に出迎えにやってきてくれた。

 自分の娘は本当に可愛いもので、ついついおみやげを買ってきてしまう。

 飛びついてきた理沙を抱っこしながら居間に戻ると、優香ゆうかさんが苦笑していた。


 理沙のことは、娘、と意識するようになってから、ちゃん付けで呼ぶのはやめた。それから、しかるときには叱らないといけないので、厳しいところも見せないといけないのだが……やっぱり甘やかしてしまう。

 けれど、理沙とは打って変わって、優香さんへの態度は結婚してからもあんまり変化がなかった。えっちのときはだいぶ呼び捨てにしているのに、普段になると、どうしてさんをつけてしまうのだろうか。自己分析が必要なのかもしれない。


「あなたったら、いつも理沙にばっかりおみやげ。もう、理沙とでも結婚したら?」


「ねーねー、ママ怒ったの?」


「あれはね、やきもちっていうんだよ」


 優香さんがいてくれるなんて珍しいことだ。ちょっと理沙を溺愛できあいしすぎたかな。


 ……タイミングとしては、そろそろか。

 わたしは、スーツの内ポケットを探った。


「今日は、優香さんにもおみやげありますよ。だから、怒らないでください」


「あら、何かしら。別に、怒ってるとかじゃなかったのに……。でも、ふふっ、お菓子をもらっても太っちゃいそうねぇ」


 優香さん、顔をほころばせてわたしにすり寄ってくる。口ではそう言いつつ、何をあげても喜んでくれそうだ。……理沙にばかり物をあげすぎていたから、久しぶりのおみやげに優香さんもご機嫌だ。今度からは、忘れずに二人分にしよう。


 優香さんが眼前にまで迫ってきたところで、わたしはひざまずく。ずっと温めてきたものだ。今か今か、とタイミングをうかがう日々だった。

 ようやく、渡せる。


 わたしは、ふところから小箱を取り出して蓋を開け――差し出す。


「遅くなってすみません。オーダーメイドだったので、思ったよりも時間がかかってしまいました」


「えっ……」


 優香さん、驚きすぎて、口を手でおおったまま硬直してしまう。

 そういう反応は見たかったけど――優香さん、フリーズしすぎ。呼吸すら忘れてるんじゃないかってくらい、動かないぞ。驚愕きょうがくのあまり気絶したんじゃないか心配になるレベルだ。


「ママー、何もらったの? あ! 指輪だ、いいないいなぁ~」


 優香さんの時を動かしたのは、理沙だ。女の子は、小さい頃から光り物が大好き。指輪をうらやましがった理沙は、箱に手を伸ばそうとする。

 そこで、優香さんが慌てて指輪をかばった。まるで、自分の宝物を守る幼女かのように、優香さんは指輪の箱を胸に抱き寄せる。理沙と優香さんの年齢が逆転しているようにさえ見えた。


「ま、待って香菜江さん。これ……すごく高いものじゃないの……?」


「え。まあ、相場くらいですよ。受け取ってもらえませんか?」


「相場って……香菜江さん、無理、してない? だって、私なんかが指輪って……」


 なるほど。優香さん、高価な物をおいそれと受け取れない性格のようだ。多少奮発ふんぱつしたのは確かだが、それはわたしの気持ちを表現するため。お金で価値を計るのもどうかなとは思うが、それで見せつけられる覚悟もある。


「わたしたち、結婚したんですよ。指輪、しっかりした物を贈りたかったんです。無理したわけではないですけど、覚悟と気持ちを示したつもりです。なので、黙って受け取ってください」


「そういう言い方は、ずるいわ……。私、香菜江さんにもらいっぱなし。でも……私のために、ありがとう。嬉しいわ、あなた……」


 優香さん、指輪の箱を受け取ってくれた。わたしが薬指にはめてあげようかな、と思っていると、優香さんがわたしの胸に寄り添ってきた。

 感極まって、理沙の前なのも忘れて抱きつきたくなったらしい。甲斐性かいしょう、見せることができたようだ。よかった。


「わたしだって、優香さんから色々もらってますから。お互い様です」


「私、何かあげたかしらね……」


 優香さん、不思議そうに呟く。

 思い当たる限り、ファーストキスとか処女とか、愛とか……って口に出したら、叩かれそうだから、やめておこう。理沙の前じゃなければ、言ってたかもだけど。


「ママー、指輪ずるいー! お礼にパパにちゅーでもしてあげなよー」


 理沙が優香さんのエプロンを引っ張ると、優香さんははっとして背筋を伸ばした。理沙がそばで見ていること、頭から抜け落ちていたらしい。すぐそこにいたのに。娘に気が付かないなんて、よっぽど喜んでくれたみたいだ。


「指輪は今度プチキュアのやつ買ってあげるから、それで我慢してね、理沙」


 優香さんは理沙にぶっきらぼうに言うと、照れ隠しにわたしからぱっと離れる。その際、わたしの耳元でぼそっとささやいてくれた。


「香菜江さん、お礼のちゅーは、後でね」


 はぁ……幸せ。

 今夜は、普通の家庭ならばえっちが盛り上がるんだろうなあ。

 でも、理沙の寝てる隣ではできないし。二人っきりになれるまでえっち我慢するしかないの、つらすぎる……。幸せなのに辛いって、わけのわからない感情だ。

 



******



「いってきます、優香、理沙」


 朝から暑い。玄関を開けると、陽光が照りつけてくる。去年までのわたしなら、午後の暑さを想定して、会社に行きたくない、ってわめいていたに違いない。

 けど、今は違う。


 結婚生活も順風じゅんぷう満帆まんぱん。わたしの背中を押してくれる妻がいる。娘もいる。仕事、頑張れる。


「待って、香菜江さん。お弁当は持った? 水筒も、忘れてない?」


「大丈夫ですよ。はぁ、理沙はいいなあ。もうすぐ夏休みでしょ?」


 夏も本番を迎えそうだ。

 幼稚園のバスが来るのはもうちょっと先なので、理沙はリビングでテレビを見ている。理沙とお揃いのしいかわ水筒は、しっかり鞄に入っているのを確認した。


「あなたは? 夏の休暇とか、ないの?」


「お盆休みくらいはありますよ。どこか旅行でも行きますか? 新婚旅行、してないですしね……」


「旅行、いいわね。今度、理沙とどこがいいか話し合いましょ?」


「そうしましょう。では、いってきます」


 優香は、挙動不審に首をキョロキョロと巡らせる。理沙がテレビに夢中なのを確認すると、急いでほっぺにちゅーをしてくれた。

 いってらっしゃいのキスは理沙のすきをつかないといけないので、もらえる日は運がいい。今日は良き一日になりそうだ。


「ほら、理沙も幼稚園の準備しなさいー。パパいっちゃうわよー」


「はーい! パパいってらっしゃーい」


 リビングからの返事なので、わたしと優香は同時に苦笑する。

 

 さて、家族のために今日も仕事にはげむぞ!

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子持ちのお姉さんに恋したら実は◯◯だった百合の話 百合chu- @natutuki01

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