第15話 亡き人のぬくもりに、導かれた先では
「大丈夫かな」
「ありがとうございます。サンダース卿」
二人は示し合わせた訳でもないのに、同じ方向へ歩き出す。交わす言葉もなく、マクシミリアンとの距離は開くばかりだ。
ここへの立入も叶わないだろう予感から、ウルスラは母の遺言を手提げ袋に忍ばせていた。それを手放すまいと、きつく握りしめて、彼女は埃だらけの階を降りて行った。
降りる途上でウルスラは、マクシミリアンと視線がかち合う。直後、彼の肩越しに映る扉が、不意に破られた。
制服のボタンの形状から、第一騎士団の従卒たちだろうか。彼らの行く手を遮ろうと、マクシミリアンは両腕を伸ばした。
「ウルスラ=ザーリア嬢。皇帝陛下の命で、召喚状が出ている」
召喚状を読むまでもない。まだ見ぬ敵は、なりふり構っていられないのだろう。
おおよその事態を察して、ウルスラはマクシミリアンの隣に立った。
「待ってくれ」
今にも帯剣に手をかけそうな、殺気立つ彼を制して、ウルスラは真っ直ぐ相手を見据える。
「これは……」
「お承り致しましょう」
ウルスラは優美な笑みを浮かべて、淑女の礼を執る。誰かに促されるまでも無く、彼女は相手の意向に従った。
切なげな雄叫びを背にして、ウルスラはふり向くことなく、彼らの用意した馬車に乗り込んだ。
「まあ、なんて念入りだこと」
身分のある咎人を乗せる馬車だけあって、窓は厳重に目張りがされている。ご丁寧なことに、『封印魔法』を施した上で。
――でも、変なのよね……。
透視魔法を用いて、外の様子を伺う。馬車は明らかに、宮殿とは違う方向に走っている。ウルスラの記憶違いでなければ、騎士団長は宮殿への連行を宣言したはずだが。
閉ざされた空間内で、暇を持て余す彼女の口から、か細い息がこぼれた。
――太陽の位置と川沿いの景色から察して、向かうは……。
馬車は帝都の中心地から離れて、共同墓地へ向かおうとしている。どうやら、彼らの目的はウルスラの『抹殺』にあるらしい。
「さてと……」
みすみす、殺されてたまるものかと。彼女の胸奥で、反骨精神が頭をもたげる。
「マクシミリアン? 聞こえるかしら」
相手の思念に向けて、ウルスラは語り始める。
魔力操作に慣れない相手に対して、思念通話など無駄だったのか。
意識を解くすんでのところで、
『ウルスラ』
マクシミリアンの心の声が、ウルスラの脳内に届いた。
「今から、転移魔法でここを脱出を試みようかと……」
『え……大丈夫なのか』
「まあ、なんとかなるかしら」
不幸中の幸いと言うべきなのか。馬車に施された結界は、ウルスラから見てさほど強固ではない。
「念のため、身代わりは残すわ。貴方は、お母様のところで待っていて欲しいの」
『……わかった。気をつけてくれ』
「ありがとう」
手提げから鋏を取り出して、肩口から一房だけ髪を切り取る。
――お気に入りのストールだけど、仕方ないわね。
ストールに包んだ髪に向かい、ウルスラは魔力を注ぐ。これらが、彼女の形代となるように。
「転移先だけど」
すでに、伯爵家への家宅捜査の手がおよんでいると見なせば、行き先から外さなければならない。思い出したかのように、ウルスラは再び手提げ袋の中をあさった。
「カードに書いてある所在地だけど、無人だったような……」
座席の下からの突き上げが、徐々に増している。彼らが目的の場所に到着する前に、転移しなければならない。
迷っている間に、馬たちの足並みがゆったりとリズムを刻み始める。カードを握りしめて、ウルスラは『転移魔法』の呪文を唱えた。
転移魔法の展開中、ものの十秒もせずに目的地に降り立つはずが、ウルスラの見上げた先で、青白い光の弧が幾重にもゆらめいている。
『あら、迷子なの』
声のする方に視線を向ければ、顔の見えない女性がこちらに近づいて来た。
『さあ、参りましょう』
この世の存在ではなかろうと、一目で理解出来た。しかし、何故か恐怖や警戒と言った感情が、一切、わき起こらない。相手から差し出された手を疑うことなく、ウルスラはしっかりと握り返した。
『あなた、アップルパイはお好き?』
優しげな声に思わず、ウルスラは隣の女性の顔を覗き込んだ。
「あの……」
己と同じ髪と瞳の色の女性が、軽やかに笑い出す。同時に、光の渦が消え去り、ウルスラはゆっくりと目を開いた。
日の光になれるまでの間、柔らかな風を両頬にそよがれながら。辺りを見渡せば、人気のない庭で佇んでいた。
「ご当主不在にもかかわらず、想像より荒れていないわね」
出発直前、メイド長から託されたカードに書かれた所在地。それは、アランデル公爵家のタウンハウスだった。
煉瓦を敷き詰めたポーチを歩きまわり、ようやく正面の扉口を見つける。つい、普段通りに呼鈴に手をかけた時だった。
「お帰りなさいませ」
「あ……セバスチャン?」
「はい」
館の外観からして、ここはザーリア伯爵家のタウンハウスではない。伯爵家にいるはずのセバスチャンは、ウルスラの到着を待ち構えたように、慣れた所作でウルスラを招き入れた。
「お嬢様。お待ちしておりました」
「エルザも?」
「はい」
メイド長までもいつもと同じく、黒い裾裳を広げてウルスラを出迎える。
「状況の説明だけど」
「はい」
「お願い出来るかしら」
ウルスラの、ぎこちない問いかけに対して、
「ご帰還のほど、お待ちしておりました。ウルスラ・マルグレーテ様」
エルザの声は、今までないほどに低く抑えられている。
「私たち親子の、真の主人はアランデル公爵閣下にございます。お嬢様」
セバスチャンの見上げた先。ロビーの壁には、あの女性の肖像画が掲げられていた。
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わたしたちはまだ、言祝ぎの鐘を鳴らさずにいる 赤羽 倫果 @TN6751SK
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