第14話 母は何を思い、この手紙をしたためたのだろうか

 ザーリア伯爵家のタウンハウスを出てから、かれこれ十分ほど経過しただろうか。晴天のおかげもあって、馬車は滞りなく進む。


 対面に座す相手と、何を話すべきなのか。暇を持て余し気味のウルスラは、車窓の流れに目を向けた。



 近年、まれに見る天候不順により、領地経営に行き詰まる貴族も少なくないため、大通りに面する上位貴族のタウンハウスも、徐々に数をへらしている。


 物価の安い所領に家族を残して、皇宮に奉職する当主や跡取りのみが、帝都に仮住まいを構えるのも当たり前になりつつある。さらに、社交シーズンのみ帝都のホテルに滞在する貴婦人や令嬢も、今や珍しくなかった。



「もうそろそろだ」

 


 マクシミリアンは銀細工を施した懐中時計を、制服の内ポケットにしまい込む。 


 ――一表蓋の紋章だけど、当家と同じく見えたような?


 ウルスラが疑問を尋ねる間もなく、車輪が速度をゆるめる。嗎が反響する中で、車輪は完全に止まった。




「お足元、気をつけて下さいませ」



 こちらを気遣う馭者の開けた扉の向こうには、件の侯爵家の正門がウルスラの目に入る。扉の先にある、ロビーに向かい、二人は歩き出した。



 人の往来を阻もうと、太い紐が大階段の手前に張られていた。中途半端な位置の紐に悪戦苦闘しつつも、ウルスラは身を屈めてすり抜ける。


 若夫婦の住まいにしては、壁の装飾も乏しく、何処となくもの悲しさが漂っていた。



「随分と、薄気味悪いな」



 騎士らしくない、マクシミリアンのつぶやきに、ウルスラの背筋に嫌な汗がしたたる。気を紛らわせようと、彼女が二階の回廊を見た時だった。


 左から右、水色のレースが風と共に翻る。残像から察すれば、十に満たない少女の後ろ姿が過ぎ去った。



「ここ、子供はいないわよね」

「当然だろう」



 何かに導かれるように、ウルスラは大階段に足をかける。


「上に何かあるのか」


 数段上がった先で、マクシミリアンが後から続いた。



「多分」



 消えた影を追いかける内に、壁際の大時計が鐘を打つ。


「あの時計だけど、隠し小部屋に続く通路口を塞いでいるわ」


 ウルスラは当てずっぽうで、頭に浮かんだ言葉をつむいだ。


「何だと」


 前もって、マクシミリアンが手に入れた、ここの絵図面にそのような記載はない。眉をひそめて、マクシミリアンは時計を改めた。



「君の透視には驚いたよ」



 時計内の仕掛けに気づいて、マクシミリアンが振り子を止める。


「ええ、まあ」


 単なる山勘で言い当てただけ。などと言えるはずがなく、ウルスラは曖昧に微笑んだ。


 身を屈めた二人が、前に進むこと数メートル余り。隠し小部屋らしい空間に躍り出る。



「侯爵家は、娘夫婦の子供のために用意させたのだろうな」

「そのようね」



 セピア色に灼けた布の下には、子供用の玩具が朽ちかけている。木馬にチェス盤、無造作に置かれた玩具の数々からしても、侯爵家は跡取りの男児の誕生を願っていたようだ。



「あら」



 木馬の鞍の上に、小さな木箱が安置されている。


「オルゴールかしら」


 取っ手の造りから、表蓋の飾り彫りの意匠から察するに、これだけは女児用にと誰かが用意させたのだろうか。



 ウルスラは惹かれるように、蓋を開け放つ。

「子供宛なのかしら」

 マクシミリアンは力任せに、封蝋を破った。




『親愛なる我が子へ』


 そのような書き出しに、二人は顔を見合わせる。


『この手紙は、あなたが齢十五を過ぎてから、目に出来るよう魔法を施したものです』


 侯爵家の悲劇を予想した内容に、ウルスラは喉を詰まらせた。


『わたしは、あなたのお父様と結婚する前、さる公爵家に嫁いでいました。と申しますのも、その方はわたしにとって、初恋の殿方だったからです』



 衝撃的な内容だったが、マクシミリアンは先を読み進める。



『しかし、その方には別に愛する方がいて、わたしは『白い結婚』をしいられました。結局、最初の婚姻は呆気なく破綻してしまい、二年が過ぎた頃でしたか。とある夜会でわたしは、あなたのお父様に見初められました。わたしはお父様より三つも年上、お互いが幼い頃は、姉と弟のような間柄だったため、婚姻を望まれる事態などあり得ないと、高をくくっていました。

あの夜会で再会したお父様ですが、非常に立派な紳士に成長されており、年上のわたしが気後れするほどでした。生まれて初めての、殿方の求愛に困惑したこと。昨日のように覚えています。

このような手紙をしたためた理由。それは、あなたのお父様とかつての夫が、政治的な対立関係にあるためです』



「これこそ、侯爵家が狙われた理由なのか」

「そうでしょうね」



『もしも、わたしたちが、先だって天に召されたとしても、あなたが立派な大人になれると信じています。


追伸

気の早いお父様は、あなたが息子だと信じて疑っていません。でも、わたしはなんとなく、愛らしい娘が生まれてくれると、信じております。

この冬に生まれるだろうあなたには、亡きお義母さまにちなんで『ウルスラ』と名付けたいと思っています。何しろ、あなたのお父様は、男の子の名前しか考えていませんので。あなたの人生が、祝福されることを願って。


                          シャルロッテ=スヴェン』 


 一度だけ、養父から名前の意味を知らされたことがある。隣国の冬の女神の名前にちなんでいると。



「そうか、君は」

「まだ、そうと決まった訳では……」



 頭の整理がつかず、ウルスラはマクシミリアンの推察を否定する。



「しかし、故アランデル公爵夫人と君を除くと、この帝国の貴族名鑑にウルスラの名は存在しないのだよ」



 亡き公爵夫人の実家は、長く内線が続いたせいで王政が瓦解している。帝国は現政権を支持しているため、隣国の王侯貴族たちは、帝国への亡命を許されなかった。


 つまり、『ウルスラ』の名は公爵夫人の血縁でない限り、名付けられる可能性はない。



「これだけ、持ち出しても構わないだろう」



 長居は無用とばかり。二人は元来た通路に戻ることとなった。


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