またね ツナ缶&ツナきゅうりサンド

 夢の中でよく、彼女と会う。


 それは彼女との過去の焼き増しだったり、行ったこともない場所で彼女とやりたかったことをしたりと、彼女と何かを楽しむことが多かった。

 けれどたまに、奇妙な夢の時がある。

 俺と彼女はどこかの浜辺に二人でいて、最初彼女は俺に背を向け凪いだ海を眺めており、俺が声を掛けると振り返る。

 二人でいる時はいつも笑みを向けてくれていたが、その夢の時は能面みたいな無表情で俺を見つめてきた。


『朝ちゃん』


 何度も何度も彼女の名前を呼ぶと、ようやく彼女は何かを口にし、俺に笑みを向けてくれるが、肝心のその言葉が分からない。全く聞こえない。三文字だろうな、ということしか伝わっていなかった。

 いつもであれば、彼女に近付いてそのまま夢から覚めてしまうけれど、そうなることが分かっているせいか、今回俺はその場に立ち尽くして、彼女に話し掛け続けた。


『朝ちゃん、君はいつも、俺に何と言っているんだ?』

『……』

『教えてくれ。知りたいんだ』

『……本当に分からない?』


 珍しく彼女は返事をしてくれた。はっきりとその内容も理解できる。


『朝ちゃん!』

『夜くんは本当にさ、私のことが好きだよね。嬉しいよ』


 彼女との会話に我慢できず、傍まで近寄ろうとしたが、何故か足が動かなかった。慌てて足元を見れば、砂浜にすっぽり足がはまっている。これでは彼女の元へ行けない。焦りながら足を引き抜こうとしていると、彼女は続きの言葉を口にした。


『嬉しい、んだけどさ。わりとね、ちょっとね──泣きたくもなるんだよ』

『……え?』


 視線を彼女に戻せば、未だに笑みを浮かべたまま。なのに、今にも泣きそうに見えるのは、何故だろう。


『無意識なのかな、いつもいつも。無理も無茶もしないでほしいよ。こうして夢で会えるのも、起きてる時に私を想ってくれるのも嬉しいけど、私に直接会おうとするのは、ちょっと、やめてほしい』


 夜くんにはなるべくゆっくり来てほしいんだよ、の言葉と共に一滴、


『もう少しだから。夜くんはね、もう少し……あと半年くらいお休みしたら、きっと、大丈夫になるから』


 私、気長に待ってるよ、の言葉と共にもう一滴、彼女の瞳から雫が溢れた。

 ハンカチは持っていただろうか。すぐに拭ってやらないと。彼女に涙は似合わない。笑ってほしい、俺の隣で、ずっと──笑っていてほしかったのに。


『何で……いなくなるんだよ、朝ちゃん』

『夜くん』


 彼女はまた、三文字分の言葉を吐いた。

 その言葉を結局理解できないまま、俺は目を覚ました。


◆◆◆


 目を覚ましてすぐ、誰かと目が合った。丸い目だ。──夕陽の丸い目だ。彼はじっと俺を凝視している。起き抜けですぐ声を出せず、黙って見つめ返すしかできなかった。


「……」

「……」

「……」

「……ちょっとお酒くさいね、にいちゃん」

「……そうか?」


 においなんてどうでもいい。上半身を起こしていくと、途端に頭の痛みを覚え、手で痛む箇所を押さえた。ああ、これはまた、叔父さんにけっこう飲まされたな。

 大丈夫? なんて声を掛けられる。ただの二日酔い野郎を労ってくれるのなら水を一杯くれと言えば、夕陽はいいよと言ってすぐにキッチンに行き、水を汲んできてくれた。

 冷たい水は喉を潤し、幾分か脳味噌がマシになった気がする。ありがとうと礼を口にすると、夕陽は勢い良く隣に座ってきた。


「ついでにさ、これも持ってきたよ」


 はいと渡されたのは、ツナ缶とスプーン。

 手軽に食べられるものがいいでしょうと言われた。いや、それなら冷蔵庫にゼリーが入ってたはずだが……。取り敢えず礼を言ってツナ缶の蓋を開け、スプーンですくって食べていく。

 ツナだ。

 油を纏った見た目はツナそのもの、噛めば噛むほどツナの味。純粋なツナ。普通に旨いが、俺は彼女と違いそのまま食べるよりも、何かの料理に具材として使ってから腹の中にお迎えしたかった。


「美味しい?」

「……旨いよ」

「良かった!」


 嬉しそうな夕陽には言えまい。彼は純粋に、俺がツナを大好きだと思っているから。

 日々、ツナを食っているのは、結局……いつかの温もりに触れていたいってのも、あるんだろうか。


「朝ごはんはおれが作るよ、何がいい? ツナきゅうりサンド?」

「夕陽が食べたいだけだよな、それ」

「おれが食べたいのもあるけどさ、にいちゃん昨日きゅうり全部スライスしちゃったじゃん。大量に余ってるんだからさっさと使わないと、腐らせちゃうよ!」

「……それは、そうだな」

「まったくもう。取り敢えず、おれに任せて。にいちゃんはゆっくり……あ、そうだ」


 立ち上がりながらふいに、夕陽がそんな声を出す。どうしたと訊ねれば、夕陽の視線はダイニングテーブルへと向けられていた。


「さっきポスト見たらね、伯母さんから手紙来てたよ」

「母さんから、手紙……? 珍しいな。何かあればレイルで連絡してくるのに」


 昨日もレイルの通話機能で連絡してきたくらいだ。何か伝えたいことがあるなら昨日の通話なり、メール機能で一瞬でできただろうに、何でわざわざ手紙を。

 考え込んでる間に、夕陽は取りに行ってくれたらしい。はいと当たり前のように差し出されたから、さんきゅと言って受け取る。

 水色の洋封筒に入れられた手紙。夕陽がキッチンに行った後にすぐに中を見た。


「……」


 どこかの寺の、門の写真が一枚。

 墓の写真が一枚。

 便箋が一枚。そこには、寺の名前と住所の他に、一言、記されていた。


『ここよ』


 全て破り捨てようとした。そこにどんな意味があるのか、昨日の電話がなくてもよく分かる。

 だけど、何もできない。手に力が入らない。──朝ちゃんの笑った顔が脳裏に浮かんで離れない。

 母さんが行かせたいその場所に、俺は、行きたくないというのに。こんなもの、すぐに破り捨てなければ!


「……っ」

『夜くん』


 ふいに、彼女の声が聴こえた気がした。


『夜くん、あのね』


 柔らかな彼女の声。余計に手に力が入らなくなる。


『──またね』

「……ぁ」


 いつも別れ際に、彼女は手を振りながら俺にそう言ってくれた。楽しかった時は笑顔で、怒ってる時はしかめっ面で、必ず、いつも。

 朝ちゃんが俺に言っていた言葉は──。


「………………くっ」


 出したものを洋封筒に仕舞い、ソファーの隙間にねじ込んだ。……破り捨てることができないなら、しばらく視界に入らない所に隠してしまおう。

 見つからないよう、深く深く。

 そうしてソファーから立ち上がる。酒の残る体は少しよろけるが、夕陽の元に行くことは難しくなかった。


「どんな感じだ?」

「今ねー、パンを挟んで、切る所ー」

「早いな」

「そう? あ、せっかくだし訊きたいんだけど、四等分にする? 三角にする?」

「そうだな……」


 夕陽とこうして過ごす日常がいつまで続くかは知らないが、君のいない日常はこれからも続いていく。今はその日常に、君の好きなツナを添えて、慣らしていくから。完全に慣れた頃……君が眠る場所に、行こうかと思う。


 どうかそれまで、待っていてくれないか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君のいない日常にツナを添えて 黒本聖南 @black_book

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ