第2話

「農家から、少し分けてもらった。今年は上々の出来だな」

 清介の言葉に、与兵衛も笑みを浮かべた。

「百姓は、たとえ戦があっても、食い物を育てようとするのだから大したものだ」

 与兵衛の言う通りである。戒石銘の言葉ではないが、改めて、武士は平民らに生かされていた存在なのだと感じた。

「和左衛門殿は、それをよくご存知であった」

 与兵衛の言葉に清介は目を上げた。

「お聞きになられていましたか」

 和左衛門が本丸で切腹して果てたというのは、噂としてこの寺にも聞こえていた。そしてその和左衛門と一緒に果てたのが、清介の父である安部井又之丞だった。

 彼らがなぜわざわざ本丸に上がり、腹を切ったのかは分からない。特に、又之丞は戦の直前に役料が一五〇石まで上がっていたものの、上士ですらない。そのため、よりによって本丸で腹を切ったことを非難する者もいたという。

「墓参りには?」

 西軍兵の耳を気にして小声で尋ねる与兵衛に、清介も小声で答えた。

「あそこで御腹を召されたために、罪人扱いになっております。然らば、折を見て裡口から本丸に詣でようかと」

 さすがに、父の事を語る清介の目は潤んでいた。元々仲の良い親子だった。覚悟していたとは言え、清介にとって父の死は衝撃だったに違いない。

「それがよい」

 与兵衛が肯いた。

「お父上は、誠に忠義の士であった」

 鳴海はぼそりと述べた。もちろん鳴海との立場は大きく異なるが、最後まで戦うこと選び、死ぬことすら許されていない自分と、潔く二本松武士としての誇りを見せた又之丞。どちらが武士として潔いだろうか。それを思うと、再び暗澹たる気分になった。

「それを言うならば、公に忠義を尽くさなかった藩士はおらぬでしょう。一学様や新十郎様も戦犯とされていますが、いずれ汚名は雪がれるはずです」

 二人共、清介の上司であった。清介を白石に残したまま二本松に戻り、割腹して果てたが、清介にとっては信頼できる上司だったのだろう。鳴海も詰番や番頭として両者と席を共にすることもあったため、二人が決して佞臣の類でなかったのはよく知っている。

 彼らが武士らしく腹を切って果てたことが、少しだけ羨ましくもあった。最後まで抗戦を主張した二人は、文字通り死んでその名を残した。

「そうなると良いな」

 鳴海の嘆息に、清介は少し笑った。

「時間はかかるかもしれませんが……。薩長の者らとて、鬼ばかりではございますまい。多くは遠く西南から、右も左も分からないままに連れてこられた者ばかり。朝敵という言葉に踊らされ、戦の勢いに乗った者たちでありましょう」

 清介は、どこか醒めたような口ぶりで述べた。

 とても、勤王を主張していた男の言葉とは思えない。鳴海自身は勤王思想に理解を示そうとは思わなかったが、二本松藩の勤王党にとっては、藩公に仕えることと勤王思想が必ずしも矛盾しないのだというのは、何となく肌で感じていた。それは、西軍らにとっては理解できない事柄の一つだったに違いない。 

「この後、丹波様のところへも伺うつもりか」

 与兵衛の問いに、清介は首を傾げた。

「家老座上であられた方ですからね。ですが、我が家は特に恩恵を受けたわけではないですし」

 その言葉に、鳴海と与兵衛は顔を見合わせた。確かに、丹波の祖父の貴明や父の富訓は、人材登用を計ったこともあった。その反面、針道村の大内屋などを贔屓し、賄賂を受け取っていたことも、多くの人の知るところであった。清介の清廉潔白な気性を考えれば、あまり近づきたくない相手なのかもしれない。

 だが、鳴海はあの時の丹波の姿が忘れられなかった。

 鳴海にとっても、あれで良かったのかどうかは未だに判断が付きかねている。だが、忘れがたい出来事だった。

「猪苗代で、御家老は泣いておられた」

 鳴海の言葉に、清介は目を見開いた。

「何があったのです?」

「どうか、内密に」

 鳴海は、側にいた与兵衛に同意を取るように肯いてみせた。

 母成の戦いの後、二本松藩兵は散り散りになったが、一旦会津との打ち合わせのために猪苗代に向かった者もいた。丹波、鳴海、与兵衛。そして、なぜか丹波と共に八幡前で戦っていた三浦義制がそうだった。そこで指示を出し、尚会津と共に戦うか米沢へ公を追っていくか、決定するはずだったのである。

 そこには、二本松藩の少年たちもいた。猿岩で苦戦を強いられ、四散した鳴海や与兵衛らだったが、与兵衛はあの戦いの中で「猪苗代へ向かえ」との指示を少年たちに与えていた。

 そこで、敗戦に憤る丹波の八つ当たりに耐える少年たちを庇ったのが、三浦義制だった。かつては、丹波の父である富訓に可愛がられていた男。当代丹波とうまく行かなかったのは、凡才である丹波が、父が義制を可愛がることに対して、複雑な思いを抱いていたからなのかもしれない。義制は、会津藩の者もいる面前で丹波を詰った。

 あの言い争いは、どう考えても義制の言い分が真っ当だった。貴顕の育ちである丹波は、下士らの気持ちが分かっていない。下士と共に血を流すこともなく、将棋盤の駒のようにしか部下を考えていなない部分があった。丹波も部下を持つ身でありながら、家老座上という地位のために、その直属部隊は血を流すことなく母成峠まで進んできた。

 国家老の重職にありながら、藩論を定めることができなかったのは誰か。最も重責を負わねばならぬ立場でありながら、城の危急を救うことができなかった。多くの者の義を辱め名を汚し、それでもなお死ぬことができなかったのは、誰か。生を頼みてこの地に逃れ、貴方様だけが、人を責めて止まない。違うか。

 そう言ってのけた義制に、丹波は返す言葉がなかった。だが、年端の行かない少年たちに聞かせる言葉ではなかったと、今でも思う。思いがけず、少年たちに藩の醜い部分を見せてしまったことについては、今でも悔悟の念があった。

 自分たちの目の前で隊長の木村の首が落とされ、そして副隊長であった衛守が銃弾に倒れた。龍泉寺で出会ったときに、その敵を取りに行くと決意を述べていた少年。その心を、二本松の大人たちは無残に傷つけた。

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