角倉 勲の日常②

 その時。建造物が崩れる音と、重なる悲鳴。


 何度聞いたかも思い出せないそれに首を振り向ければ、塀を破壊して顔を出す、巨大なクリーチャーがいた。


 ぬらりとした、青黒い表皮。真っ黒な目―――鰻だ。アンギラゴンと、そう名付けられている。


 頭部だけでも象を越える大きさのクリーチャーが、ゆっくりと前に出る。

 長い胴体を支える、太く短い前足。尾の近くにも、もう一対足が生えているのだ。


『ちょっとうな丼の気分になってきました』


「あれは食えないだろう」


 ドローンからの声に、勲は淡々と応じた。


 ウォーカーたちが集まり、アンギラゴンに攻撃を加え始める。走る刃、飛ぶ銃弾。


 だが、それらの攻撃はアンギラゴンの表皮に弾かれ、ダメージが通らない。鰻特有のぬめりを帯びた皮膚には、剣や銃弾を滑らせる効果があるのだ。


 加えて、あの巨体である。並の攻撃では怯ませることすら難しいだろう。


「大物なら俺様に任せなっ!!」


 その時。威勢のいい声と共に、一人のウォーカーがアンギラゴンの前に躍り出た。

 ダークブルーのアンダースーツと、肩や胸、手足を固める金色のアーマー。髪まで金に染めて、一キロ先にいても存在がわかりそうな派手さ。


「彼は確か……」


『二級の小野 明鐘さんですね。ダンジョン《フューチャーシティ》で発見されたバトルスーツ型ギフトを装備しています』


 勲の記憶を、ドローンが補足する。


 どんな傷でも一口で癒す薬液。投げても自ら戻ってくるハンマー。壁の向こうを透視する眼鏡。ダンジョンの中には、特殊な力を持ったアイテムが数多く発見される。 


 人間がそのまま利用できる物も少なくはなく、その価値は天井知らずだ。

 売却して多額の金を得るか、装備として戦力とするか。後者を選んだ明鐘は、その選択を後悔してはいないようだった。


 意気揚々と宙を舞い、アンギラゴンに両手を向ける。そこから放たれた金色の光線が、クリーチャーを直撃した。

 周囲から「おお」と声が上がる。それらとは対照的な声音で、勲は叫んだ。


「まずい、やめろ!」


《竜宮郷》自体が最近発見されたばかりであり、アンギラゴンもまた出現数の少ないクリーチャーである。

 故に、その特性を知らない不勉強者がいるのもおかしくはない。

 勲の声が届いたわけではないが、明鐘が光線を止める。その自信に満ちた顔が、一瞬にして凍り付いた。


 アンギラゴンのぬめりある皮は、火傷一つ負ってはいなかったのだ。

 といって、何も変化がないわけではない。


 細長く青黒い体の表面を、ぱちぱちと白い電流が走っている。それが人間にとって歓迎すべきことでないのは、誰の目にも明らかだ。


 アンギラゴンは、エネルギー系の攻撃を吸収し、電力に変換する力を持っている。そこに注目した研究機関が、より効率的なソーラー発電に利用できないか研究していると、勲は聞いていた。


 ―――ギョオオオオオッ!!


 明鐘の攻撃により、たっぷりと充電したアンギラゴンが、咆哮。首を上に向けて、その大きな口を開く。

 喉奥が白く発光しているのが、明鐘からは見えただろうか。アンギラゴンの口腔から、光の奔流が放たれた。


 プラズマブレス。そう呼称されるその光線は、戦車を跡形もなく蒸発させたという記録が残っている。


「うおあっ」


 泡を食った明鐘が、下降して光線を避ける。代わりに、遠くにある物見櫓が消し飛んだ。

 ダンジョンを構成する建造物は、放置しておくといつの間にか元通りになっていることがある。だからというわけではないだろうが、ほとんどのクリーチャーはダンジョン内の被害に無頓着だ。

 物見櫓と同じ運命を辿らずに済んだ明鐘だったが、幸運の女神は微笑むのに飽きたらしい。


 プラズマブレスを避けた先は、アンギラゴンの真正面―――ずしん。大型クリーチャーの猛烈な頭突きが、明鐘を撥ねる。

 もし明鐘がアーマーを纏っていなかった場合、肉体は突き立ての餅のようになっていただろうという衝撃が加えられていた。


 腕白な子供による乱暴な遊びに巻き込まれた人形よろしく吹っ飛んだ明鐘は、そのままなら地面をバウンドしてから塀にでも叩きつけられていたはずだ。

 しかし、そうはならなかった。勲が彼の体を受け止めたからだ。

 ざざ、とわざと後ろに下がり、緩やかに衝撃を殺す。地面と擦れた靴底が、熱を得て白煙を吐く。


 腕の中の明鐘は、少なくとも意識はあるようだった。呼吸音も正常で、内臓に傷は無さそうだ。

 アーマーによる保護機能は、致命傷を防いでくれたらしい。ただし右腕と右足は折れているため、軽傷でもない。


「大丈夫か」


「サ……サンキュー……」


「アンギラゴンにエネルギー系の攻撃は効かん。気を付けろ」


「オーケー……」


 明鐘の返事を聞きながら、勲は彼を地面に降ろした。近くにいたウォーカーに、救護を頼む。


 そうして、視線を前方に戻す。ウォーカーたちは次々とアンギラゴンに襲われ、薙ぎ倒されていた。

 立ち向かう者も逃げる者も、電気を帯びた尻尾の一撃で吹き飛んでいく。その様はまるで、ネズミが蛇の尻尾に振り回されているかのようだ。あるいは、子供がボール遊びをしているようなものか。

 そこに悪意があるのかどうか、勲にはわからない。


(……わからないし、どうでもいい)


 重要なのは、クリーチャーは人を殺すということだ。彼らにとってしてみれば、人間の方が自分たちの住処に足を踏み入れた侵略者であり、それは正当な抵抗なのかもしれない。


 だとしても、勲がやることは一つ。

 クリーチャーに殺される人間を、一人でも減らす。それこそが、勲の生きる理由だった。

 アンギラゴンが、その大顎で装甲車にかぶりつく。遠隔操作で動く無人の車体は呆気なくへこみ、外れた車輪が落ちる。


「……やるか」


 勲はぽつり呟いた。今この場において、自分以外にアンギラゴンに対処するできる者はいないようだった。


 両手に持っていた斧を消す。拳を握り締める。

 それは、戦いを止める、という意味ではない。


 変身の時だ。


 勲の額を突き破り、四角錐の角が生える。

 骨の一欠片、血管の一筋、内臓の一つに至るまで、すべてが生体金属に変換される。

 衣服をも巻き込んで、皮膚が分厚い装甲と化す。頭髪も変異し、兜へと変わる。

 増大する体積。角を含めて三メートルにも達する威容は、古代の鬼神を想起させた。


 その腕は必殺の鉄槌であり、その足は砦を支える柱。

 両目に灯る、緑の輝き。口元を覆うマスクから、蒸気が排出される。

 角倉 勲は、モノケロスに変身した。


 アンゴラゴンが、平たくなった装甲車をフリスビーの如く大きく首を振って放り投げる。

 犬のようにキャッチするわけにはいかないウォーカーたちは、姿勢を低くしてやり過ごす。


 モノケロスは直立していた。

 目前に迫る鉄塊を、ただ静かに待ち、片手で受け止める。それこそ、プラスチック製のフリスビーを手に取るかのような気安さで。

 ぱらぱらとガラス片が落ち、タイヤがまた一つ転がる。


 自らの体積よりも一回りは大きいそれを、モノケロスは軽々と投げ返した。

 装甲車が猛スピードで戻ってくることなど、アンギラゴンは想像もしていなかっただろう。避ける間もなく、それが直撃する。


 ―――ギョアアッ!?


 鼻先を襲った衝撃に、仰け反るアンギラゴン。さらに大きくひしゃげた装甲車は軌道を変えて飛んで行き、やがて《竜宮郷》のどこかに落ちた。

 その際に十数軒の建物が潰れ、崩落したようだった。それは、モノケロスがもたらすことのできる破壊の中では、最も小さな被害と言えた。


『装甲車も安くは無いんですけど???』


「奴に言ってくれ。……離れていろ」


 ドローンがモノケロスから距離を取る。

 鋼の巨人の一挙一動は、ウォーカーについていくため極めて頑丈に作られているJDS技術部特製のドローンでさえ、蚊のように叩き落としてしまう。高価にせよ代わりがないわけではないが、わざわざ壊す必要もない。


 アンギラゴンの黒々とした目が、こちらに真っ直ぐ向けられる。次いで、突風のように吹き付けてくる殺意。

 そう、そんなものは、モノケロスにとっては微風のように受け流せるものでしかなかった。重々しい足音で空間を揺らしながら、悠然と前進する。

 走らないことには、理由があった。


「うわああああモノケロスだ!!」


「俺、生で初めて見た!」


「行け行けーっ!」


 歓声を上げるウォーカーたち。仮に、モノケロスが全力で走った場合、彼らは一瞬にして消し飛ぶ。

 その半分でも、うっかり誰かを蹴り飛ばしたりすれば即死だ。故に、周囲に人間がいる時のモノケロスの動きは、極めて緩慢である。


 対して、アンギラゴンが同じように気遣いをするはずもない。瓦礫を蹴立て、特急列車の勢いで突進してくる。

 それを、モノケロスは正面から受け止める。蛇と鼠ほどの体格差を、まったく恐れはせず。


 ずしん。


 避難しつつ見守っていたウォーカーたちは、腹の底に響くその音に身をすくませながら、目を皿のようにしていた。

 モノケロスが、一歩も下がっていなかったからだ。


 激突の衝撃を一身に受けたアンギラゴンの長い体が、一瞬縮む。鋼の胴体に接触した鼻先は無惨にも潰れ、右目が眼窩から飛び出した。

 モノケロスに対し、体当たりを攻撃とするには、アンギラゴンはあまりにも非力で、柔らかかった。


 ―――ギョオオオオオッ!


 だがそれでも、アンギラゴンはまだ生きていたし、その闘争心も折れてはいない。

 その大きな口が開き、砕けた牙がぱらぱらとこぼれ落ちる。そして、洞穴のように深い喉奥から、白光が漏れ出した。

 プラズマブレス。アンギラゴン必殺の一撃が、モノケロスの胸元で炸裂する。

 あらゆる物を焼き払う死の光は、しかし……装甲の表面を滑っては拡散し、無力にも消えていった。


「温いな」


 ただ一言、感想を呟いて。モノケロスはアンギラゴンの頭を掴み、そのまま持ち上げた。

 軽々と浮き上がる巨体。それを、誰もいないことをしっかり確認してから、通りに叩きつける。

 クリーチャーの骨が砕けた、とは手から伝わってくる感覚である。

 内蔵も破壊されたらしい。ごぱ、と大きな口から吐き出されたのは、白光ではなく血反吐だ。


 アンギラゴンは、もはや虫の息だった。このまま放置しておけば、やがては息絶えるだろう。

 故にこそ、無駄に苦しむことはない。モノケロスは、右腕を頭上に掲げた。その先端で手刀が形作られ、落雷の速度で振り下ろされる。


 ―――ギョッ。


 アンギラゴンの鼻先から、尾の先端まで。十メートル近い胴体が、真っ二つに割れた。短い悲鳴を残して即死したクリーチャーの四肢から力が抜け、断面からべしゃりと臓物が溢れだし、血の池がゆっくり広がってゆく。

 Dエナジーを浴びながら佇む、鋼色の体を紅で飾ったモノケロス。その姿を見守っていたウォーカーたちは―――歓喜の声を上げた。


「すげええ! あの化け物を瞬殺しやがった!」


「あれが特級か……」


「俺たちも負けてられねえ~」


 歓声は、やがて大音声の勝鬨となる。

 士気が高いのは良いことだ。張り切り過ぎて事故が起きなければ。

 モノケロスの体から装甲が剥がれ、縮んでゆく。まるで時間の巻き戻しのように、鋼の巨人は角倉 勲の姿に戻った。


『お疲れ様です、勲くん』


 離れていたドローンが戻ってくる。


『ここでのシフトは終了しました。外に海鳴さんが来ているので、引継ぎをしてから次のダンジョンに向かっていただきます』


「わかった」


 特級による調査が必要であったり、出現するクリーチャーが危険なダンジョンは数多く存在する。勲の戦いに終わりはない。

 周囲を見渡せば、ウォーカーたちの興奮は未だ冷めやらず、闘志に燃えているようだった。彼らの内何人が、来年のこの日まで生きているか、それは誰にもわからない。

 なんなら、勲が去った次の瞬間に全滅していても不思議ではなかった。

 そうならないために、この《竜宮郷》を今すぐ破壊する。その衝動は、常に勲を苛んでいた。


(……自分勝手な判断でそうするほど、子供ではないつもりだが……)


 ダンジョンの謎を調査しなければならないJDSや、ダンジョンに夢を見るウォーカーたち。彼らを無視して我がままに力を振り回す。

 それはただの獣だ。勲がもっとも忌むべきものだ。


 モノケロスは、角倉 勲は、人類の守護者である。

 そう求められ、自らにそう誓ったが故に。


『勲くん?』


「……すまない、今移動する」


 小さく溜息をつき、ダンジョンの出入り口に向かって歩き出す。

 これが、角倉 勲の日常だった。

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鋼角のモノケロス、あるいは私がダンジョンに挑むワケ ジガー @ziga8888

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