角倉 勲の日常①
《竜宮郷》と呼ばれるダンジョンがある。
××県の海辺に出現した、古い城門型のゲートから入ることができる。
比較的最近発見されたダンジョンであり、暫定リスクレベルはデンジャー。 二級以下のウォーカーは入ることを許されていない。一般人などもっての他。
理由は単純。何の誇張もなく、死ぬほど危険だからだ。
(二級も誰も、入れなければ良いんだがな)
そんなダンジョンの中で、角倉 勲は思考する。
《竜宮郷》は、高い城壁に囲まれた街のような様相をしていた。並ぶ建物は平安時代の日本家屋に似ているが、ところどころ苔やフジツボに覆われ、人が住んでいる気配はない。
街中を真っ直ぐに貫通する大通りの奥には塔のような建物が鎮座しており、そこにコア・クリーチャーが潜んでいると推測されている。
だが、そこへ辿り着くだけでも一筋縄では行かない。
他の多くのダンジョンがそうであるように、守護者が道を塞いでいるのだ。
「がぎぐじゅががじゅぶ」
「ざぶり、ぶごぼごご、ぼごぼご」
その規則性の感じられない鳴き声は、彼らの言語なのだろうか。
鰭のような耳と、そこまで裂けた口。分厚い唇から覗く牙。体毛は無く、全身をびっしりと鱗で覆っている。
身に纏う鎧は、どれも百年間海底に放置されていたかのように錆び、朽ちかけていた。もっともそれはあくまで見た目の印象であり、実際の強度は鋼の鎧を凌ぐのだが。
魚面足軽と呼ばれるこれらの半魚人は、このダンジョンでもっとも数多く見かけるクリーチャーだ。
概ね人型をしており、二足歩行をして防具を身に着けるほど人類に近似しているが、残念ながら会話が成立したことはない。
刀や銛を振り回して侵入者を料理しようとするのが、彼らが行う唯一の意思表示だった。
八体の魚面足軽たちが一団となって迫ってくるのを、勲はじっと見つめていた。
古臭い装備をした半魚人たちは、しかしただの鉛玉など通さず、刀の一振りで軍用ヘルメットごと人間の頭を叩き割ることができる。このダンジョンが発見されたばかりの時、先遣隊として送られたDウォーカー六名の犠牲によって判明した情報だ。
そんな怪物どもに対して、勲が取り出したのは―――二挺の手斧。廃材を繋ぎ合わせたかのように粗末なその武器を、両手に握る。
そして、駆け出した。
一体目。右手の斧で横薙ぎにし、首をはねる。
二体目。左手の斧を振り下ろし、顔面を縦に割る。
三体目。左手の斧が、脇腹から肩までを袈裟斬りに。
四体目。錆びた刀による縦斬りを避けつつ回転、その勢いに乗った右手の斧が上顎
を切り離す。
五体目。頭に左手の斧の刃を深々と埋める。
六体目、七体目。突き出してきた二本の銛を、五体目を楯にして受ける。
それを踏み台にして跳躍。六体目、七体目の背後に降り立ち、それぞれの後頭部に斧を打ち込む。
八体目。一際大柄で、錨を槌のように振り回して来たところに、前蹴りを放つ。
胴鎧ごと腹がべこり陥没し、口から内蔵を吐きながらすっ飛んで行く半魚人。背後にあった赤い結晶の柱にぶつかり、永遠に動かなくなった。
勲が通り過ぎた後で、魚面足軽たちが倒れ伏してゆく。転がった死体から、赤い粒子が吹き出し、勲の体に吸収される。
成長の度合いに個人差はあるものの、二級に上がれるくらいになれば、三トンの重さを軽々持ち上げ、垂直跳びは八メートルに達するだろう。
特級ウォーカーである勲にとっては、今さら多少吸収したところで誤差のようなものだが。
『なんだかお魚が食べたくなってきましたね』
と、勲の頭上で言ったのは、円盤状の白い強化プラスチックのボディに、四本の円筒形の足を生やした高機能ドローンだった。安全地帯にいるオペレーターが、遠隔操作しているのだ。
「……これを見て、よくそんなことが言えるな」
呟くように言って、勲は両手の斧に血振りをくれてやる。辺りには、魚面足軽たちの死体から流れた血臭と、臓物の生臭さが混じり合ったものが漂っている。
視覚的にも嗅覚的にも、とても食欲が湧くような状況ではない。栄養補給としての食事を必要としない勲にとっては、なおさらだ。
(最後に何か食べたのは……三日前……いや、一週間前か? 忙しいとすぐ忘れる)
空腹も満腹も、今や無関係だ。戦いに関係ない思考を打ち切って、勲は視線を巡らせた。
彼が参加しているのは、JDS主導のダンジョン調査である。多くの人手を使い、ダンジョンの危険度や有益さなどを調査するのだ。
勲はJDSの要請による参加だが、依頼という形で報酬が出るために、他のウォーカーたちも大勢やって来ている。
その内の二人に、勲は注目した。と、同時に塀の上から弓で射ってきた魚面足軽に、飛んできた矢を斧の刃に引っかけて投げ返す。
「らぁっ!!」
気合い一閃。身の丈ほどもある大剣を振りかざす、二級ウォーカーの石丸。
アルマジロのように全身を鎧で覆った彼が相対しているクリーチャーは、サザエ鬼と呼ばれていた。
ぬめる青紫の肌に覆われた、筋骨隆々の体。首から上は、その名前が指し示す通り、巨大なサザエの貝殻になっている。
そこから生えた何本もの棘は、まさしく鬼の角だろう。
「下がりなさい、おブスども! 私に触ろうなんて思い上がりは許さないわ!」
丁々発止とやりあう巨漢たちの傍には、踊るように戦う少女の姿があった。
群がる魚面足軽たちを一喝し、手首から生やした深紅の茨を鞭のように打ち振るう、一級ウォーカーの千桐。薔薇を思わせる華美なドレスは、見た目以上に動きやすく、丈夫に作られている。
高水準のデザインと機能を兼ね揃えた装備は、大抵は高額な特注品であり、スポンサーがいるかそれだけの稼ぎがあるということになる。
どちらにしろ、少女が一級にふさわしい腕前を持っている証拠だ。
「はあっ!」
気合いとともに突き出された大剣が、サザエ鬼の腹を貫く。
勲は目を細めた。それは、悪手だ。
背中から切っ先が出ているにもかかわらず、サザエ鬼は何でもないかのように腕を伸ばし、石丸の首を締め上げた。
「ぐっ……こいつ……!」
ヘルメットの下で、石丸が呻く。瞬間的な衝撃に強い鎧も、ゆっくりと圧力をかけられれば意味がない。
震える指先が、大剣の柄から離れる。すると、サザエ鬼は石丸の体を持ち上げ、近くの建物の壁に叩きつけた。
バキバキと音を立てて、石丸の背中が壁にめり込む。鎧を着ていなければ、それでは済まなかっただろう。
サザエ鬼の腹から、ずず、と大剣が抜ける。傷口は、瞬く間にふさがってしまった。
呻く石丸に叩き込まれる、サザエ鬼の拳。このクリーチャーに、情けの概念は存在しない。
「ちょっと、ダーリンから離れなさいよっ!」
相方を救うべく、千桐が茨を放つ。無数に生えた棘がサザエ鬼の皮膚と肉を削り、青い血を撒き散らさせる。
だが、浅い。骨にも届いてはいない。
やがて、サザエ鬼が茨を左手でむんずと掴み、その怪力をもって引っ張った。
「あっ」
体重と体格の覆しがたい差により、千桐の両足はあっさりと地面を離れ、サザエ鬼の方に引き寄せられて行く。
彼女を待ち構えているのは、固く握られた拳。真正面からぶつかればどうなるのかは明白だ。
一級とは並みならぬ努力と才能の先にある位階だが、そこまで登り詰めた者でも、終わりは呆気ないものである。
―――そして、そうさせないために、勲はここにいる。
サザエ鬼の体が砕け散る。原型もわからない肉片が、体液とともに辺りにまき散らされた。
「ええっ……?」
何が起きたのかわからないまま、掴む者が消えた茨を収納して、千桐が着地する。
起きたことは単純だ。勲がサザエ鬼を倒したのだ。再生することができないほど、満遍なく体を粉砕して。
斧の刃に青い血を纏わせ、赤い粒子を吸収しながら、素早く視線を走らせる。
千桐に傷らしい傷はない。石丸からは、少し血の匂いがする。鎧の内側で出血しているのかもしれない。
「大丈夫か」
勲が声をかけると、壁に埋まっていた石丸がよろよろと立ち上がる。
「これくらい、猫に踏まれたようなもんだ」
二級のウォーカーともなれば、肉体の頑健さや自然治癒力は常人より遥かに高い。
自力で立てるなら、ひとまず心配は無いだろう。もちろん、油断はできないが。
「もし不調があったら、無理せず後方に下がって休め」
「そうする……すまん、助かった」
頭を下げる石丸と、彼に駆け寄る千桐。二人を尻目に、勲はその場から離れた。
『今ので、このダンジョンにおけるクリーチャー撃破数が百四十八体になりました。さすがですね』
「ありがとう」
追尾してくるドローンからの声に、勲は短く答える。
何体倒そうが、彼にとっては空虚な数字が増えるだけのことに過ぎない。
《竜宮郷》が……ダンジョンがある限り、クリーチャーはいくらでも発生するのだから。勲にとって重要なのは、どれだけ被害を減らせるかだ。
「兄ちゃん、これ全然効いてねえよ!」
「とにかく撃て! あっちを暇にさせんな!」
銃声、爆音の交響曲。奏でるのは、二人の重武装した男。
痩身とずんぐりで体型は違うが、どちらもファイアボルト社製のアーマーを身に着けている。二級ウォーカーの飛内兄弟だ。
痩身で、機関銃内臓のガントレット・ブラスターアームを装備しているのが兄、ずんぐりで肩に小型キャノンを担いでいるのが弟。ウォーカーに珍しく銃火器をメインにしており、「日本で普通に銃撃ちたいから資格を取った」と公言して憚らない変わり者コンビである。
戦っているクリーチャーは……モンケンクラブ。
二階建ての家屋と同じ大きさをした蟹だ。黄褐色の甲殻は、銃火を容易く弾き返す。
最大の特徴は右鋏だろう。ボクシンググローブに似た形状をしたそれは本体と同様に巨大で、振り下ろされた時の破壊力は恐るべきものがある。
そして、モンケンクラブは今まさに、それをしようとしていた。高々と掲げられた右鋏が、地上の兄弟に影を落とす。
勲は走り出した。同時に、左手の斧を投擲する。
斧は狙い違わず、モンケンクラブの右鋏に命中。刃が甲殻に食い込み、そこから罅割れが拡大、破断。
切り離された右鋏が落下し、真下にいる本体にぶち当たる。
その間に接近していた勲は跳躍。空中で、一仕事終えた斧の柄を左手で掴む。
「ふんっ!」
裂帛の気合とともに、振り下ろされる斧。まるでダイナマイトで爆撃されたかのように、モンケンクラブの脳天が爆ぜた。
破片交じりの青黒い体液が、噴水のように吹き上がる。巨体を支えていた六本の足が力を失い、半開きの口吻がぶくぶくと泡を吐く。
勲はモンケンクラブの甲殻を蹴って跳躍。兄弟の傍に着地した。
「大丈……」
「うわー!モノケロスの人だ! 兄ちゃん、俺見たことある!」
勲の台詞を遮って、飛内弟が飛び跳ねる。
「サイン! サインください!」
「馬鹿野郎、おめえ助けてもらったんだぞ! ありがとうございますこのガントレットにお願いします!」
ずいと迫る飛内兄に、勲はやや仰け反る。
「……後でな」
二人とも無事で、元気そうである。勲は次の仕事を探すため、そそくさとその場から離れた。
『後で書いてあげるんですか、サイン』
「……そういうのは、光輝や天ヶ原の方が得意だろうに」
勲は溜息とともにドローンの声に応じた。
有名なウォーカーの中には、芸能人のような活動をする者もいる。テレビや雑誌に出たり、動画の配信などといった人気商売は、勲がもっとも不得意とする分野だった。
カメラの前で笑顔を浮かべる自分など想像もできない。そもそも、笑い方なんてとっくに忘れてしまった。
道すがらにクリーチャーたちを叩き潰しつつ、勲は揺蕩う水面に見下ろされた通りを進む。
どこに行こうが、そこには戦いがあった。高価で高性能な装備を身に着けたウォーカーと、支援用に駆り出されている協会所有の装甲車が併走していた。
剣が肉を裂き、銃弾が飛び、血の香が広がる。残留した土埃と排気熱が肌を撫でる。
吐き気がするような忌まわしさと、生まれ故郷のような親しみが、勲の胸の内で渦巻く。
それはいつもの事で、無視する方法もよく知っている。
やるべきことに心を傾けるのだ。
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