叫びたくなるほどの空虚はなんだ

ハナビシトモエ

叫びたくなるほどの空虚はなんだ

 大学生になって家を出て一人暮らしをしている。

 大阪心斎橋には外国人向けのドラッグストアも増えてきた。もしもっとお金があったら、僕は何でもないような顔をして、ドラッグストアで風邪薬を半年分買っていたと思う。


 いつもクリスマスに待っている。

 新鮮さはもう無いのに、ただどこかで期待をしている。その期待、願いが恋人であふれる心斎橋の中で僕が立っている。一人が無駄な時間になっていない理由だ。


 冬は夜が早くて、五時はもう夜だった。スターバックスで並ぶ人も、マクドナルドで座る高校生も、みんな寒いけどなんだかとても寂しかった。



 iPhoneがポケットで震えた気がした。


 行けない。



 クリスマスに待っている存在、五月は気づいたらあった存在だった。関わったはずの友人は誰もがはっきり覚えていない。


「小三で転校してきたやつだっけ」


「幼稚園からいたよな」

 様々だったが一番多い回答がだった。それの時期に気になったことがあってある時、夕食を作っている母さんに聞いてみた。


「ねぇ、五月っていつからいたの?」

 我ながら不思議でおかしな問いだと思う。


「五月ちゃん? おかしなことを聞くわね」

 食い下がると母さんは。

「もう煮物の途中に変なこと聞かないでよ。あんたが幼稚園の時にお隣に引越して来たじゃない」

 母の料理は集中力が切れると途端にまずくなる。聞くタイミングを図るべきだった。




 時間は行けないと言われた心斎橋に戻る。

「五月、動画見てる?」

「今日さ、心斎橋にいるよ」

「雪降っているよ。ホワイトクリスマスってやつだよ」

「いつかさ、二人で雪見ながら蕎麦そばでも食べようよ」

湯布院ゆふいんがいいかな。出石いずしがいいかな。出石の方が近いもんな」



 頭にこんな返答が返って来る。妄想と言われたらそれまでだけど、今もこうやって五月が言っているって確信している。今までがそうだったからいつまでもそうだと思う。


「一くん」

「今日はごめんなさい」

「湯布院や出石ってもう旅行だよね」

「暖かくなってきたら食べに行きましょう」

「あっ、暖かくなったら雪」

「暖かくて雪の降るところ、無いかな?」



 無いけど、一緒に探しに行きたいよな。


 気づいたらいた女の子、五月。

 

 桜を見上げていたら、他の子に押し倒されベソをかくと、ハンカチをくれた五月。


 虫を捕まえに行って木に上っていたら、木の下で心配そうに見上げていた五月。


 中学生になり、一緒に十五夜しようって言って、きな粉餅食べていたら、一緒にきな粉にむせてしまい、涙目になりながら一緒に笑った五月。


 クリスマスは高校生なのにサンタさんを今か今かと待ち構えて、来ないねって言おうとしたら隣で眠っていた五月に毛布をかけた夜。


 冬より春が元気な五月。なんだよ、雪降っていたらダメだね。そんなことすら気づかないのは幼馴染失格だな。




 大学生になって、五月は社会から少し隠れていた。

 五月が同じく進んだ大学の入学式を迎えることは無かった。


「五月」

「なに?」


「今日さ、手袋見つけたんだ」

「手袋?」

 返って来ないLINEに送信するのは命日が近いクリスマスの夜だけだ。


「そう、片方がない子ども用の小さな赤い手袋」

「新品じゃなくてほつれちゃって」

「大事に使われてきたのだろうな」

 大事にしてくれていたのに。

「大事にされていたのだよ」

 大事にされていたのに。

「俺も大事にしたかった」

 五月を。

「ごめんな、俺がガキだったから」

 大事にしたかったのに方法が分からなかった。

「大事に出来なかった」

 ごめんな五月。




 毎年、悔しくて涙がボロボロこぼれる。

 あぁ、なんて愚かなのだろう。

 泣くなら家で静かに泣けばいいのに、自己満足で気持ち良くなっているだけだ。いつかまだ五月が生きている時に約束をした。



「クリスマスは心斎橋でブランド店を外から眺めて、大丸かそごうの喫茶店でお茶をしようね。そのあとカラオケでもいいよね。春になって暖かくなったら、いっぱい色々楽しい遊びが出来るね」

 クリスマスの夜、病院で管がついて骨が浮き出るくらいやせ細った五月は少し眠そうだった。


 その体は生きる為に戦った証明だ。僕は今じゃダメなのかと聞けなかった。ニット帽は気にするかもしれない。


 春になったら、春になって全部が上手くいって、全快したね。頑張ったねって言い合って、大手を振って一緒に遊んで大学も一緒に通学して、付き合っているとか周りから言われても恥ずかしそうに明後日の方向に顔を向ける五月が見たかった。


 僕の気持ちはまごうことなく真実だった。

 五月は大学の入学式を待つことなく、旅立った。


 iPhoneが震えて「行けない」と表示させるのはアプリの設定をして出すようにしている。そうじゃないと喪失感に足を引きずられるのだ。あの時、なんであんなことが出来なかったのだろう。

 もっとそばにいれば良かった。真面目に思っていた通りに交際すれば良かった。

 まだうしなって二年で、諦めきれずにクリスマスの夜に五月からの返事のないLINEを送り続ける。五月の両親はそれを知っていて既読をつけないでいてくれている。


 

 蕎麦が好きな五月。

 最後はご飯を自力で食べることが出来なくなった。


 大人のに憧れて、亡くなる二週間前にをする約束をした。その約束をして、病院のロビーで夜まで待った。警備員のおじさんに退館を求められるまで五月が現れることが無かった。


 最後はみんなに見送られ、病院のベッドで亡くなった。


 今思えばどこかぞんざいに扱っていたかもしれない。

 正直、とろいし、どんくさいし邪魔だと思ったこともある。

 五月は僕を大事にしてくれたのに。

 僕は五月を大事にしたことがあったのかな。



 もうずいぶん前の方になった五月からの最後の着信は「大学の冬に恋人と待ち合わせごっこしようよ」と。

 そう書かれたメッセージに返すのはもう何度目だろうか。

 ごめんな、本当にごめんな。




 時は流れ、大学を卒業する運びとなった。

「一浩君、毎年命日に参ってくれてありがとう」

 五月のお父さんはお供えを渡すと部屋が見渡せることが出来るような場所にある五月の仏壇に手を合わせた。お父さんの次に僕も手を合わせる。


「ついに就職か。長かったようで、短かった」

 五月が亡くなってから信じられないくらいにそんなこともあったかと思えるくらい時間が進んだ。

 ここに来て、ここだけ時間が止まっている。思い悩んだ年末のことも五月の前に参ると少し整理がついたようで、安堵するのが不思議だった。



「母さん、一浩君は東京で就職だそうだ」


「一くんは五月の自慢だったからね」

 長い木目調のテーブルの上にお菓子とお茶を五月のお母さんが淹れてくれた。


「それで一浩君に貰って欲しい物があってね」

 急に居住まいをただしたお父さんにこちらも緊張した。


 部屋の隅にあった紙袋を取るお父さんの手に迷いがあった。何度か震えた末に紙袋を取ってきた。再び正座し、紙袋を僕の方にずらした。


「考えたんだが、まぁ子どもの頃のたわむれだと思って、その不要だと思ったら処分してください」

 言葉が震えていた。何かとてつもなく重い物をたくされてしまったようだ。


「せっかくだからここで再生しよう」


「お父さん、緊張し過ぎよ。一くん、そんな大したものじゃないのよ」




「一くん、一くんのことが大好きです」

「ずっとそばで見ているからね」



 ビデオメッセージだった。それだけの為に撮ったのだろうか。

 腕は細く、顔は瘦せこけていた。それなのに表情は満たされていた。



「まぁ、これはあれ、なんだけどな、本当に、な」

 お父さんの声は震えていてな。


「亡くなる一週間前に残したいって言ってね」

 お母さんはハンカチで目頭を抑えていた。


 僕の目から涙がこぼれた。僕の立場で悲しむことなんて何もない。

 生きている五月を見ることが久しぶりで嬉しいだけだ。

 そうだろ。それが嬉しくてたまらないだけだろう?


「あら、一くんが泣くことはないのよ。ね」


「そうだぞ。でも母さんだって泣いているじゃないか」


「鼻水垂らしている人に言われたくないです」



 ありがとう五月。

 みていてね。

 いつか暖かい土地に蕎麦食べに行こうな。




「このDVD何?」

 二十八で出会った女性と三年付き合った。恋愛遍歴を思うとどこかの映画で言っていた。の真意が分かった。面はいいらしく様々な女性に言い寄られた。

 結局、十五番目の後輩と結婚をすることとなった。


「それ持っていくから置いておいて」


「子どもの頃の彼女?」

 仕事ではわきまえるがいざ職場を離れると距離が近いのが気に入った。という言い方をしたら性格が悪いかもしれない。


「すらなれなかった子だ」


「見せてよ」


「え?」


「昔の友達でしょう」

 テレビで再生したのは久しぶりで五月の姿も久しぶりだ。たった二言話しただけで容赦なく切れるのも初めて見た時と同じだ。


「私は勝てない」

 座っている彼女を見た。抱きしめられた腕を強く抱きしめられた。

「こんなに命を込めたまっすぐには勝てない。このDVDは私が預かる」


「は?」


「もしあなたが浮気をしたら、このDVDを送り付けてやる。呪いでもなんとでも言うがいいわ。この子に顔向け出来るお父さんになりなさい」


「お父さん?」


「安定期に入ったらお墓参りに行きましょう」

 五月が連れてきた幸せと彼女をいとおしいと思う心が心地よく震えた。

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