【後に夫婦に成る二人】
「ちょっとそこのオニイサン。」
学校帰りに街を歩いていたら、不意に声を掛けられた。おや、私になにか御用でもと振り返ると、そこには見慣れた顔の女学生が立っていた。
「なんだ、貴女でしたか。」
はは、と学生帽の鍔に手を当て視線を下に流す。
「あら、なんだとは失礼じゃありません事?」
彼女は怒ってますよとアピールするように袴の袖から伸ばした手を腰に当てていた。
「ちょっと、お顔を見せて下さいよ。」
ズイ、と近寄り帽子の下から覗き込んでくる彼女に
「おやめください!」と慌てて私は彼女の肩に手を置き距離を離す。
赤くなったであろう顔を彼女に見られたくない。だというのに彼女はそんな私の気持ちを知ってか知らでか私の手を引いて
「ワタクシと一緒にカフェーでも行きません事?」
と楽しそうに誘い笑ってくるのだ。
そのカフェーは、一階がダンス広場で二階が吹き抜けの喫茶エリアになっている。珈琲やパンケーキを喫したり、ダンスをしながら交友を深められるその店は、社交界に身を置く方々の行きつけになっていた。
彼女はそんな店に入るやいなや
「ねェ、帽子の似合うオニイサン。よろしければワタクシと一曲踊ってくださらない?」
と私に向かって袴の袖を左右に上げる。
「レディーから誘われたのでは、お断り出来ませんね。私で良ければ喜んでお引き受け致します。」
私も彼女の手を取り、恭しく掌に口付けた。
小気味の良いクラシックに身を任せ、彼女の腰に手を回しゆったりと踊る。彼女は楽しそうに鼻歌を歌っていた。そういえば、と私はそんな彼女に声をかける。
「その服、どうしたんですか?今までそんな服着ていましたっけ。」
「ふふ、新調したんですよ。貴方の為に。
どうです?ちゃんとワタクシに似合っていますか?」
一目見れば分かる紫檀色(したんいろ)の深い赤と大ぶりの牡丹が美しい、仕立ての良い袴。きっとそれなりにしたのだろうと思うが、彼女はそれが私の為だと言う。
「凄くお似合いですよ。貴女はやはり赤が良く似合う。綺麗だ。」
嬉しい気持ちがつい言葉として出てしまった。
普段そんなにストレートに褒め言葉を口にしないというのに。まぁ!と素直に喜ぶ彼女の反応に、私は次第に恥ずかしさが出てきてかァと頬が熱くなる。
顔を隠そうとすると彼女に止められた。
「駄目ですよ。ちゃんと見せて下さい。ワタクシにも貴方の素敵なお顔を眺めさせてくださいな。」
「全く…貴女という人は、何故こうも歯の浮くような台詞を恥ずかしげもなく言えるのですか。」
ステップを続けながら、彼女に言葉を投げかける。
「それはまァ、大好きな貴方に素敵なレディーとして見て欲しいからかしら。」
ふふ、と笑いながらまた私を口説くような言葉を言う彼女に、降参です、と私は白旗を上げた。
完全に頬が赤くなっている気がする。けれどもう隠そうとしない。これ以上隠そうとすると余計に彼女から追撃を喰らうかもしれない。貴方こそ、と彼女は言う。
「貴方こそ、普段はそんな綺麗な革靴なんて履いていないのに、今日はどうしたのですか?」
彼女の問いかけに私はこう答えた。
「新調したのですよ。貴女の為に。」
それを聞いて彼女は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「それってワタクシに素敵な男性だと思われたいからかしら?」
「貴女のご想像通りですよ、レディー。」
ふふ、と彼女と私の笑い声が小さく響く。
そのままいち、に、さん。いち、に、さんとステップを続けた。
クラシックジャズが、心地好く流れる。
恋する乙女と恋する青年は、そんな音楽に合わせて仲睦まじく踊り続けた。
日々を綴れ、カルペディエム。 翠色 悠陽 @mfmfhyn
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