観客のいない映画祭 - 濃尾

濃尾

観客のいない映画祭 - 濃尾

観客のいない映画祭 - 濃尾









私の名はウインストン・ブラシェッド。




映画監督だ。




71歳。




往年の映画ファンは私の名前に覚えがある人もいるだろう。




一生を映画に捧げた。




皆今となっては懐かしい思い出だ。




私の人生に悔いはない。




そう思ってた。




あの晩までは。









あの晩、少し寝不足気味だった私はベッドに入るとすぐ寝てしまった。




夢を観た。




部屋は広く薄暗い。




私はその部屋の中央に置かれた深紅のビロード張りの安楽椅子に一人座っていた。




やがて私は其処は映写室だと気が付いた。








目の前に私のこれまで創り上げた作品名がズラリと揃っている小さなパネルが並べてある。








パネルはとりどりの彩色が施され、作品タイトル、制作年、監督、プロデューサー、原作、脚本、カメラマン、以下主要スタッフ、キャストが上から順に手書きで書いてある。




まだ乾ききっていない油絵具が匂いたち艶やかだ。




私は一番最初の左のパネルを見た。




私の初期作品のタイトル、「大草原」。




私が32の時の作品だ。




脚本も私。




何を描きたかったか。




中西部、ワイオミング州の片田舎のトウモロコシ農家の家族の生活。




古き良き時代。




地味だが私には理想があった。




そこで、ふと忘れていたことを想い出した。




主人公の父親が死を前にして家族一同に話すシーン。




ラスト近くの重要な場面だ。




そこを編集で半分に削られた。




あと数か所30分ほど削られている。




プロデューサーのレジーによって。




レジーは言った。




冗長だと。




客が飽きる。




私は勿論抗議した。




この場面は客もノッてきているはずだ。




それに貴方が削れ、と言っている場面は父親が明日への希望を語るシ-ンで作品にとってとても重要だ、全体に与える印象まで違ってくる、私には到底受け入れられない、と。




レジーはこちらも見ずに彼の巨大なデスクからファイルを引き出してデスクの上に置いた。




契約書だ。




そして葉巻を燻らせながらデスクに両肘をついて顎を乗せ私をのぞき込みながら低く小さな声で言った。




「編集権を持っているのは貴様か?それとも俺か?」




つまり、私の負けだった。




結局の所、「大草原」は批評家のレビューも悪くなく、興行的にも成功して、私のキャリアに最初の小さな華を添えた。




パネルを見つめる。




”プロデューサー - アントニオ・レジー”




どれだけの時間考え事をしていただろうか。




ふと気が付くと私が座っている椅子の横に小さなデスクがあり、水の入っているデキャンタとグラスが置いてあった。




私はのどが渇いていた。




デスクの上のそれを取ろうと手を伸ばした時、デスク中段の棚に何か置いてある。




よく見ようと手に取る。




それは絵具とパレット、絵筆のセットだった。




このパネルを書いた職人がわすれていったのだろう。




私は気を取り直しつぎのパネルを見た。




「黄金のニューヨーク」。




「ジェイムス…」私は思わずつぶやいた。









ジェイムスに初めて会ったのは「大草原」から1年後だ。




制作会社主催のパーティーで。




飲み物を取ってくると席を空けた知人と入れ替わりに。




「失礼ですが、君はブラシェッド監督かな?」




長身痩躯のメガネをかけたハンサムな同年代ぐらいの男がそう言った。




「そうですが貴方は…?」




「ああすまない、雑誌で写真を見たもので。私はジェイムス。ジェイムス・スチーブン。…少しお話させてもらってもいいかな?時間あるかい?」




ジェイムス・スチーブン?何者だろう?雑誌記者にしては良い身なりだ。




「ああ、もちろんかまいませんとも!どうぞ。」




ジェイムスは私の隣の席に座った。




「大草原、観たよ。いい映画だった。それだけ言いたくてね。」




ジェイムスは微笑を浮かべながらそう言った。




私は正直、「大草原」を褒められるのに慣れ始めていた。




「ああ、ありがとうございます!すみません、貴方は何をやっている方ですか?ジェイムス?」




「私が何をやっているか?ハリウッドで?もちろん映画関係さ!」




「言い方がまずかったかな?もう少し詳しく…」




「そんなことより「大草原」を見て不思議に思ったことがいくつかある。質問していいかな?」




「手短にお願いしますよ」




「うん、じゃ、単刀直入に。主人公の父親、あの役者、何て言ったかな?ビョルンブルグ?」




「ええ、アーサー」




「そうだ、アーサー・ビョルンブルグ。彼を起用したのは君かい?」




「そうですが」




「ビョルンブルグは決して上手い役者とは言えない。しかし「大草原」での父親役は本当に素晴らしかった!」




「そうですね。」




「しかし、ラスト近くの臨終シーン、あれはどういうことなんだい?」




「と、おっしゃいますと?」




私は内心驚きながら聞き返した。




「彼が演じている父親ならば、あそこであれだけしか言わないはずがないだろう?」




「…貴方は誰なんですか?」




そこへ飲み物を取りに行っていた知人が帰ってきた。




「あ!ジェイムスさんと知り合いなのかい!?僕にも紹介してくれよ!」




「ピーター、ジェイムスさんを知っているのかい?」




「もちろんさ!GMMの腕っこきプロデューサー、新進気鋭のジェイムス・スチーブンスを知らないのかい?」




私はあわてた。


「すみません、ジェームス、私はあまり顔が広くは…」




「ハハハ、ピ-ター君の買い被りはたいそうなものだね。もちろん悪い気はしないがね。それより私の質問に答えてくれるかな?」




「あ、ああ。編集で切られました。…お見事です」




「レジーかね?」




「…ええ」




「じつに惜しい。しかし後悔しても始まらん。あの映画の成功でこれからは契約も有利に運べるさ。そうだ、よかったらその方面の私の友人を紹介しようか?」




「なんて親切な方だ。会ったばかりなのに」


私は本心から言った。




「親切?私がかい?冗談じゃない。私は君の素晴らしい最新作が観たいエゴイストさ。…ねえ。「大草原の」脚本、見せて貰えないかい?厚かましいが。」




じっとこちらを見つめる熱意ある眼差し。


私は居心地が悪くなった。




「…会社のものなんです」


それだけ言った。


スティーブンの返答は早かった。




「つまりレジーのものなんだね?フィルムも。…この後暇かい?どこか静かな場所へ行こう。ピ-ター君も?」







ジェームスとの仕事は楽しかった。




彼は映画を愛していた。




それでいて素晴らしいビジネスマンでもあった。




素晴らしい仕事ぶりで信じられないような企画をモノにした。




私は次の作品パネルを見ながら思い出していた。




あの”惨事”を。




「黄金のニューヨーク」。




監督、脚本 - ウインストン・ブラッシェド




プロデューサー - アントニオ・レジー




そう、あのレジーの名が載っている。








「お前は映画が好きなのか!それとも金が好きなだけか!」






ジェームスが怒鳴るのを見たのは後にも先にもあの時だけだ。




レジーは静かに言った。




「総会の決定事項だ。出て行ってくれ」




私は必死に抗議したが覆せなかった。








やがてジェームスの姿がこの町から消えた。








「お前は映画が好きなのか!それとも金が好きなだけか!」








彼の声が記憶から生々しく蘇る。








気が付いたら私はデスクの油絵具でパネルのプロデューサーの欄の名前を書き換えていた。




私の師であり、友であったジェイムス・スチーブンスに。







そこで目が覚めた。




…私の人生に悔いはない、だって…?




自己欺瞞。




私は頭を抱えた。




そこでふと気が付いた。




ここは…どこだ?




見覚えがはっきりあるが、まさか?




寝室の窓を開けた。




間違いない。




此処は私が以前住んでたアパルトマン。




30代の頃に。




私は肉体に違和感を感じた。


腕を見た。


そして撫でさすった。




シャワールームに向かう。




鏡には30代の男がアホ面しながら映っていた。








あれから1時間。




私はコーヒーを飲んでいた




おかしな夢を見たな。




信じられないぐらい。




凄くリアルだった。




ベッドには新聞が乗っている。




”朝鮮半島で休戦調停”。




すると電話が鳴った。




昨日まで何をしていたんだ?と考えながら電話に出た「もしもし?」




「今何時だと思ってるんだ?」




「…スティーブン?」




「ウインストン?」




「スティーブン、今君は何をやってるんだい?」




「ウインストン?寝ぼけてるのかね?私が何をやっているか?ハリウッドで?もちろん映画を作っている!…君と共に。約束の時間まで忘れたか?二日酔いかい?」




世界が徐々に鮮明になってくる




「”ボランテ”で待ってるからな?」




電話が切れた。








”ボランテ”にはいつものスティーブンがいた。


ゆったりとテーブルチェアに座っている。




トムにレモンスカッシュを頼むと私はスティーブンと向き合った。




「…それで?」スティーブンが言った。




「…それで、とは?」




「おいおい、とぼけないでくれ。行ったんだろ?レジーのパーティーに」




「あ、忘れていた。行った」




「君は本当に君だな、あんな奴の受賞パーティに顔を出すなんて」




「まあ、恩人だし。」




スティーブンは最悪を示す彼なりの表情で言った。




「恩人?あいつは死神さ。人の人生を食って生きている。あそこで君が私を追い出すなら君も降りる、と言い出した時はかなりビックリしたがね」




私は何故か恥ずかしくなった。




「あいつの話はよそう。それより私たちのモノを取り返したことが大事だ」




スティーブンが小首をかしげて真剣な顔つきで何か言いたげだったが、やがて微笑して言った。




「…その通りだ。私たちの「黄金のニューヨーク」より大切なものは世界にはない。さあ、行こうか?試写会へ!」




私達は連れ立って歩きだした。






いつものように。












            完

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