一、龍の座す國(2)
神代より幾歳月もの時が流れ、十二の獣神の中にはその姿を隠したもの、命を落としたもの、それぞれあれど、
神の眷属として一般の人々から崇敬され、また彼ら自身も人々を慈しみ、導くことを神に誓った高潔なる者、それが、龍士である。その龍士であるはずのヒエンは今、口から涎を垂らしながら、木造りの机に突っ伏している。いくつか寝言を呟きながら、器用に寝息を立てていた。しかし、絵に描いたような彼の快眠と安息は、大きな鐘の音によって破壊される。
「ひーえーんーさーまーッ!!」
「ぅっひゃあ!?」
耳元で鳴らされる金属音に、ヒエンは飛び起きた。驚きのままに首を振って周囲を見れば、鍋を手にした少女が側に立っている。
「は、はぁ、あ……あ、あぁ、ウナ、ウナですか……びっくりした……」
「びっくりしたぁ、じゃないです! まーた書を読みながら寝ましたねヒエンさま! お風邪を召されるからいけないと、いつも申し上げていますのに……」
ウナ、と呼ばれた少女は手にした鍋を叩きながら、眉根を寄せてヒエンを叱る。
ウナはヒエン付の使用人である。赤茶けた短い髪に、透けるように白い肌、高く通った鼻梁に緑の瞳を持っている。歳はヒエンより二つ上で、勿論女性であるのだが、身長は男性のヒエンよりも僅かに高い。平均的な辰國の使用人たちに比べて、明らかに良い暮らしをしてきた結果、背も体格も、一見では貴族の娘とさほど変わらないという、美しい容姿の持ち主だった。
それでも、彼女は使用人。ヒエンに仕えることが仕事である。仕事の中には、夜な夜な自室で古書を読み漁っては寝落ちする主人を叩き起こす役目も含まれている。
「いや、うん、けどね、仕方ないでしょう? この本が面白いのがいけないんですよ、特にこの章なんか、実に興味深」
「ヒエンさま」
「あ、ハイ、私が悪かったですすみません」
凄むウナを前に、ヒエンは大人しく降伏する。一体、どちらが主人か分からない光景。これが、この家の普段通り、日常の在り方だ。
ウナは、元々ヒエンの義父が身請けした
血筋を重んじる辰國で、養子といえど、ヒエンは血の繋がりが無いために義父の遺産の大半を継承する資格を持たなかった。彼に遺されたのは、義父の教えと得体の知れない謎の刺青、そして彼付きの使用人であったウナだけだ。義父には他に身内がいなかったので、それ以外の財は見事國に回収された。
男ひとり、女ひとり。義父亡きあとは住んでいた屋敷すら追い出され、一介の神官として宮内の神殿に住み込みであるヒエンとウナだが、彼らは幼馴染であり、或いは姉弟のような間柄。特に何が起こるわけでもなく、しかしヒエンたっての希望により、主人と従者とは思えないような距離感を保ちながら気安く仲良く暮らしている。共に先代の神官長、『大龍師』シオンに救われた者同士、陽だまりの中に生きていた。
陽だまりに出来る己の影を、ひた隠しにして、生きていた。
Oriental Dragoon 烏丸陰陽子 @k_kagehiko
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