5.18時58分、砂浜にて。
「人の家に土足で上がるのってどうなの」
シャワーを浴びて着替えた内海は、玄関から出てきて早々に言った。今更? と私はWAY? のポーズで大げさに首を傾げた。
内海の母親をそのままにして、内海にシャワーを浴びるよう勧めたのは私だ。その間、特に汚れていなくて手持ち無沙汰だった私は、鼻をもぎ取りたくなるような異臭から一刻も早く解放されたくて外で待つことにした。あんなに分厚かった雲は散り散りになってしまって、うろこ雲の間からは太陽がまた顔を出して、逃げ場のない私を照らしている。そんな中で待っていた私に、開口一番そんなことを言うなんて。
「床に足つけてたわけじゃないし。そんなん言うなら片付けといてよ。台所でお皿踏んじゃったんだけど」
「屁理屈でしょ」
屁理屈ではないと思うんだけど。と反論したらややこしくなりそうだったので、ごめんと一言謝った。
内海の目を見る。すっぴんにしたのか、瞼が重そうに見える。
「メイクはもういいの?」
「死化粧しろってこと?」
「なんで勝手に皮肉に置き換えるのよ……」
「冗談だよ」アイプチすんのだるいだけ。と内海は笑った。
————良かった。ちゃんと話せてる。
怯えた顔を見たいという気持ちは嘘ではなかったけど、友達のままでいたい気持ちもあった。その均衡を保つのは難しいと思っていたから。安心した。
「内海は」
「ん?」
「内海は、私のこと、怖い?」
「怖いよ」
「やっぱ、そうだよね」
「そうだよ。普通の人は、ためらいなく故意に人を殺すなんてしないでしょ」
「うん、まあ、そうだね」
内海の母親はそれができる人だったけど。
「でも、私はいつか、比山にそうしてほしかったんだと思う。それがどんな手段でも、比山に救い出してほしかった。それしか、比山を繋ぎとめる方法がわかんなかったから」
……内海は私が思っているよりも強かなやつかもしれない。
「ほんとはさ、ぜんぶ、ぜんぶ興味なかったよ」
「うん」
「ゲームも、音楽も、勉強も、自分のことも。でもさ、でも。内海が私のこと好きでいてくれて、そんな内海を好きになれれば、自分の事も好きになれると思ってた」
「うん」
「不純な友情でごめん」
ぜんぶ吐き出した。思いの丈をぶつけた。
「それよりさ、次はどこ行く?」
「えっ?」
素っ頓狂な声が出てしまって。内海はそれにも笑った。
ほんとに、変な笑い声。笑うなよ、って腕を小突いた。
「仲直りってことで、いいの?」
「いいよ。本当にこれでいいのかなって思うところはあるけど、比山が『贖罪する必要はない』って言ってくれるんなら、そうする。友達の言うことだし。信じるよ、比山のこと」
「それって結構責任重大では?」
差し出された手を繋いだ。
「じゃあ、海行こ」
「え~また?」
「いいじゃん。私、海好きだから」
「しょうがないなあ。命の恩人のお願いは特別に聞いてあげてしんぜよう」
「なんで上から目線なの」
体温が混ざりあって、じっとりと汗をかく。
海へ向かうまでの道のりで、色んな話しをした。山本先生に会った話とか、中学生の頃の話とか。
「そういえば、内海とゲームやりたかったんだった」
「うそ。今から戻る?」
「ううん。もういいよ」
誰かさんの好物を作って待っている人がいる、あの家にはもう帰るつもりはない。
「もうすぐ新作が始まるやつだったんだけどさあ……」
「スピンオフのやつ?」
「そうそう」
「あれ発売延期になったよ」
「まじ?」
じゃあ、もうプレイできないんだな。オタクで「○○が完結するまで死ねない!」なんて言う人がいたけど、自然災害の前には関係なかった。
「ていうか風強くない?」
海に近づくにつれて、風はさっきとは比べ物にならないほど強くなっていた。合唱コンクールのときくらい大きく口を開けないと聞こえないくらい。隕石が原因かはわからなくなった。
「夕方になったし、涼しくなったね」
「そういう問題? まあ、これからもっと暑くなるんだよなあ」
「8月になったら観光客もいっぱい来るよね。海の家が空いてきたらかき氷食べに行こうよ」
もう来ない四季の話をした。
海に近づくにつれて、私たちの口数は減っていった。終わりが近づいているのだと本能に近いところで理解しているのかもしれない。
「名前で————唯香って、呼んでもいい?」
急に口からまろび出た。
「……勝手に呼べばいいじゃん」
「最初に呼んだのが苗字だったから、切り替えるタイミングなくてさ」
それは確かにそうかも。と笑ってくれた。
「お昼にさ。まいまい組の……名前忘れちゃったけど。私のことあだ名で呼んでくれててさ」
「
「うん。そういう気軽さ、私にもあったはずなのになあって」
「芽衣って距離感図るの下手になったよね。そんなんで大学進学して、私以外の友達作れるの?」
「どうせ隕石のせいでどこにも行けないんだからいいじゃん!」
ブラックジョークに近い相槌でも、内海は心底面白そうに笑った。
駐車場を通る。遠くの方で老いた男性の声が島太郎を呼んでいた。夕方のチャイムみたいで、忙しない気持ちが疼く。
帰らなきゃ。
どこに?
そうだ。海だ。私たちを生んだ、あたたかな海の底。
私たちを飲み込むこの海は、母になるのか、私たちを飲み込んで消化するだけなのか。そんなのはきっとわからない。
小学生の時に見た、災害のビデオを思い出した。あの時イメージしていた楔はもう外れた。
そのあとで私たちがいなくなっても、新しい何かが生まれたらいいなって思う。大きくなった恐竜が小さな鳥になったみたいに、私たちもいつか巨人になれるかもしれない。
この
砂浜へ足を踏み入れる。足を沈める度に、スニーカーに砂が入り込んでくる。
波打ち際はあんなに遠かったっけ?
どちらからともなく、2人、手を繋ぎ直して。同じように海を見た。
「最後に、ひとつだけ、願い事してみようかなあ」
「いいじゃん。何にするの?」
内海がこちらを向くのを目の端で感じて、私は顔を上げた。彼女と目が合った。
瞬間。彼女は眉根を顰めて、今にも泣きそうな顔に変わった。大好きだった内海のおじいちゃんが亡くなったときと、同じ顔。
「やっぱ死にたくない」
「大学行きたかったよ」「比山とおんなじとこ」「もっと遊びたかったよ」「ママとも、仲良くなりたかった」
掠れて、風に流されて、散り散りになっていく声。続いて、続いて、やっと止まった。
「言っちゃったらもう叶わないよ」
私は言う。内海は何も話さなかった。涙が溢れてそれどころじゃないとばかりに、片手で顔を覆い隠しながら、ただ嗚咽を漏らした。
私は前を向き直して続ける。
「でも、私も同じ気持ちだ」
それに返事をするように内海が繋いだ手を強く握った。頬が熱くなってしまったのはきっと涙と隕石のせいだ。
地面が揺れる。轟音が聞こえる。音圧が身体の内側で跳ね回って、原始反射的に胃の奥からこみ上げるものがあった。
私はハッと顔を上げた。隕石は空のどこにもない。代わりに激しい風と、赤、橙、黄でいっぱいになる視界。それは夜と朝が、海が、あるいは大きな生き物が大口を開けて私たちを食べようとしているみたいで。怖くて、でも懐かしい気持ちで。ずぅっとこうなりたかった気もする。きっと生まれる前もこんな気持ちだったんだろう。
目は開けていられず、私は何も見えない世界でもう一度内海の手を握った。そうしないと吹き飛ばされそうだった。
死ぬってどんなだろう。痛いのか、苦しいのか、悲しいのか。どれだっていい。内海がいるから平気だ。
うそ。何も畏れることがない、私たちが真に対等でいられるところだといいな。
内海がまた手を握り返した。これが私たちの最後の会話。
瞼の向こうから、眩い光が突き刺した。
楔の外れたそのあとで 下村りょう @Higuchi_Chikage
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます