第2話 約束

深い森を風を切るように駆け抜けて村を目指す。

道中に彼らの住んでいたであろう村を見つけたが、協力を求めたところで邪魔をされるか、無視を決め込まれることが簡単に予想できるため素通りをして神狼の森へ急いだ。


「もうそろそろ見つかってもいいころだが、奴らどこに孫娘を置いていきやがったんだ。」


神狼の森に入ってすでに四半刻は立っている。女子を森へ捧げるということは、村の連中はこの神狼の森を恐れている。ならばそんなに森の奥深くへ生贄を捧げるためだけに入っていくとは思えない。

まさかもう狼かなにかに襲われてしまったのだろうか。

中々見つからないこの状況に自然と最悪の可能性が脳内に浮かんでしまう。自然と額から流れ落ちる汗を拭いながら神狼の森を探し回る。


「ワオオオォォォォォォォォン!!!」


この森中に響き渡る巨大な狼の鳴き声。その鳴き声が聞こえた方向へ一直線に駆け抜ける。

納得した。なぜ村の者たちがこの森を恐れて生贄を捧げているのか。もし俺の予想通りならが孫娘は危機的状況に陥っているはずだ。だが先ほどまでは孫娘への心配と彼との約束を果たせない不安で支配されていたはずの心がひどく高鳴る。


「まさか‘‘神獣‘‘の生き残りがいたとは!」


面白い。この地域の神獣は滅んだと聞いていたが、そんなことはなかったのだろう。この声の響きからしてまだ若い。親はいるのだろうか。

まだまだ疑問は尽きないが、まずは約束を守らなければならないと思考を無理やり止める。

走り始めて数十秒でようやく神獣の姿を視界にとらえる。

その神獣は巨大な狼だった。灰色の毛と血のように赤く染まった瞳。そして見ればすぐに分かるほど怒り狂っていた。そしてそんな神獣の目の前に汚れている白い髪をさらに赤く染め上げて座り込んでいる少女が目に入る。酷いけがと汚れだが生きてはいるようだ。

孫娘と神獣の間に割り込むようにして入る。


「これ以上の彼女への攻撃は認められない。貴公はさぞ名のある神獣の一族のものだとお見受けした。人間の小娘一人殺して満足するようなものではあるまい。」


「神獣とはまた奇妙な呼び方をするものだ。そういう貴様は噂に聞く東の異端か。」


神獣は急に割って入った俺に全く動じずに俺を見定めるような視線を向けてきた。さすが神獣と言ったところか。


「俺がその噂の異端かどうか知らないが、確かに異端とは言われているな。」


「そうか。で、その異端が我が森に何用か。」


「貴公に用はない。俺は後ろにいる彼女に用がある。」


今の発言が神獣の機嫌を損ねたようで、少し怒気が強まる。森のカラスがカァカァと鳴いて、逃げるように一斉に飛び立っていく。人の身でも神獣の怒りがひしひしと伝わってくる。

その怒気を気づかないふりをして、後ろを向く。そこには割り込んだ時にちらっと見えた少女がいた。

血や汚れがついている白い髪。右目は潰されてしまったのか閉じられた瞼から血が流れている。だが光がないが、本来は透き通った綺麗な青色であることが察せられる左目を持っていた。体中傷だらけで生気が感じられないが生きている。


「こんばんは。俺の名前は東鎮定。君の名前は豊里結月であっているかな?」


「…………あなた誰ですか。」


少し間をおいてから彼女は答えた。俺を見る目は疑いと諦めで満ちている。


「俺は君の御父上から頼まれてここまで来た。君を助けてほしいと。」


「っ!父はどうなりましたか!」


「死んだ。俺が看取った。」


「……そうでしたか。」


父という言葉を聞いて目の光が戻ったようだったが、その後の俺の言葉に再び目の光は失われ、意思が感じられない人形のようになってしまった。

彼女にとってあの父親はまさしく希望そのものであったのだろう。俺の発言は彼女の心を殺すには十分だったのかもしれない。だが、いつかは向き合わなければならないことだし、なによりも俺は嘘が嫌いだ。つらいだろうが、彼女には乗り越えてもらうしかない。

しばらくこの場が静寂に包まれる。まあ背中からひしひしと神獣の怒気が伝わってくるが、神獣の誇りがあるのか背中から刺すことはしないようだ。


「それで、君は豊里結月であっているのかな?」


「……はい。そうです。助けに来てくださってありがとうございました。」


感謝の言葉とともに頭を下げられる。しかし、その言葉に感情がこもっているようには到底見えなかった。


「ですが私のことはお気になさらないでください。もはや父を失い、村からも追い出された私は生きる術もなければ生きる意志もありません。どうかこのまま死なせてください。」


「断る。」


全てを諦めて絶望しきった表情で訴えかけるような心からの彼女の言葉を俺は一刀両断した。再びあたりが静寂に包まれる。その静寂が破られたのは彼女はあっけにとられたような表情で叫ぶように理由を問う彼女の言葉だった。


「なっ!なんでですか!!あなた私たち家族となんの関係もないじゃないですか!」


「そうだな。」


「私を助けても何も良いことなんてないですよね!?」


「まあほとんどないな。」


「じゃあなんで私を助けるんですか!?あなたにとって何も良いことなんてないですよね!?」

「……もう死なせてください。」


「断る。」


「だからなんで!!!」


「俺が君の御父上との約束を守れなくなる。」


俺がそう言うと彼女はハッと顔を上げて俺の瞳を見つめた。右目を失ったその痛々しい顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らして。空に浮かぶ数えきれない星々と大地を見守るかのようにその悠々たる姿をさらしている月。この神獣と異端者とただの人間の少女。不思議なその場が月によって照らされていく。


「確かに俺と君には何の接点もない。もちろんここで君を助けても俺に良いことなど一つもない。」


淡々と事実を述べていく。何一つ嘘のない心からの言葉を彼女へ投げかける。


「だが俺は君の御父上との約束がある。君を助け出すという約束が。俺は君の御父上を尊敬しているし、そもそも約束を破るなんてことは俺にはできない。尊敬している御仁ともなればいっそう。」


「……でももしここから逃れることができても、これからどうしたらいいか分からない。父はいない。家もない。食べ物を得ることもできない。」

「私はこれ以上生き地獄を味わいたくない。」


彼女は再びその顔を下げてしまった。だが涙が月光に照らされているせいで泣いているということは顔を見なくても分かった。


「なんでそんな勘違いをしたのか分からないが、私はここで君を助けて終わりだとは微塵も考えていない。君が成長して立派な大人となり、生涯を捧げても良いと思えるような相手に出会えるまでは君を守る。」


「————っ!」


彼女は勢い良く顔を上げて再び視線が交差する。月光に照らされたその姿はきっとこんな傷だらけの姿がなければ天女のように美しいのだろう。


「俺と御父上のために生きろ。そして幸せになれ。でないと俺が嘘つきになってしまう。だから泣き止め。」


堰を切ったかのように溢れ出す涙を拭おうともせずに俺を見つめる彼女に俺の意思を伝える。すると彼女は顔をまたぐしゃぐしゃにゆがめてゆっくりと頷いた。


「よろしい。ここから俺たちは運命共同体だ。では改めて俺の名前は東鎮定。君が生涯を添い遂げる誰かを見つけるまで君を守護し、共にあることを聖なる月に誓おう。」


「……はい。私の名前は豊里結月です。どうかよろしくお願いします。」


そう言って彼女は初めて微笑んだ顔を見せた。月光に照らされて輝く涙と白い髪は痛々しい傷を負いながらもとても美しく彼女の姿を俺の瞳に映した。もう彼女は大丈夫。きっとこれから一緒に過ごしていくうちに良くなるだろう。いや良くなるようにするしかない。

俺は彼女を守ると誓ってからの最初の仕事を果たすために立ち上がり、振り向いた。そこには除け者にされて怒りに満ちている神獣の姿があった。


「待たせて悪かったな。ということで俺はこの子を守らないといけない。このまま見逃してはくれないか?」


「ふざけるなよ異端風情が。この森の王たる我を無視し、その上見逃してほしいだと?冗談も大概にしろよ異端。」


神獣はその鋭い牙を剝き出しにして威嚇する。その姿はまさしく神狼の異名にふさわしいものであり、まさしく神獣であった。


「では戦うしかないと?」


「左様。我の森で相まみえた以上なにか対価を差し出さぬ限りは死あるのみである。特に人間であるならばいっそうの対価が必要だ。」


「大征伐のせいか?」


大征伐。それは三十年ほど前に行われた都に近い地域で一斉に行われた神獣に対する絶滅戦争。鍛冶技術の高まりによってそれまで神獣として崇められていた巨大な獣たちが討伐可能になったこと。そしてなによりも森を切り開くためにはその存在が邪魔であったことなどから行われた戦争だ。それまで神獣として崇められ、人間と共存していた獣たちは突如として魔獣と呼ばれ次々と攻撃された。神獣たちも抵抗したが、人間の卑怯な罠や、神獣同士が協力関係になかったこともあり、十年ほど戦争が続いたのちに人間は多くの犠牲を出しながらも、西方からの神獣の一掃に成功した。


「ここは都からは遠いとはいえ、西方地域の一部。貴公らが大征伐の被害を受けていても不思議ではない。人間に恨みがあるのではないのか。」


「人間どもに恨みがないかと言われればそうではない。確かに我ら神狼の一族は大征伐を受けて我以外の一族は死んだ。森は守り抜いたがもはや一族の血統は絶えた。我が最後の神獣だ。」


神獣は大征伐のことを思い出すように語り始めた。やはり大征伐の被害を受けたようだ。人への怒りと恨みが渦巻いているであろうに、なぜ結月は生きていたのだろうか。俺はこの場所にたどり着くまでに少し手間取ったはずだ。神獣がその少しの間でただの人間の少女一人を殺せないわけがない。


「ではなぜ彼女を殺さなかったのか。それほどの怒りと恨みがあって殺さぬ理由などないだろう。」


「人間の小娘一匹殺したところでどうする。我が一族の恨みはこんなことでは収まらん。我はこんな小娘で我の機嫌が取れると思っている人間どもに怒っているのだ。」


溢れ出た怒気に大地が揺れる。その鋭い牙を剝き出しにして唸るような声が森中に響き渡る。


「だが我が一族は滅ぶ。それは避けられぬ運命だ。我の小娘を差し出して機嫌を取る人間どもにも怒りはあるが、我がこれから考えなければならないことは、我が死んだあとにこの森を人間どもから守ることをだ。」


神獣はその巨大な体躯を動かし、俺の正面に構える。鋭い爪と牙を出し、こちらを見据えている。

戦闘は避けられないようだ。


「我がいながらこの森から生贄とともに無傷で帰られたなど知られてみろ。人間どもはすぐにでも攻め入ってくるだろう。さすれば森は滅び、我が守護すべきものどもも死に絶える。」


後ろで立てないでいる結月を隠すように前に立つ。背中にある薙刀を手にもって構える。風が吹き始め森がざわめきだす。


「そうか。それなら仕方がない。互いに譲れないものがある以上話し合いではまとまらない。それに俺は頭が良くない。武を示すことが一番の解決策だ。そもそも生き物とはそういうものだ。」


「その心意気や良し。我らの運命は己が武にて切り開かん。」


互いに己の武器を構える。互いの闘気が場を満たし、美しかった森が危険な領域へと変化する。生半可な者では失神してもおかしくないほどの闘気。この戦いの後にどちらかが死ぬ。どちらも生き残るなんてぬるいことは起こりえない。


「勝負の前に名を名乗らせてもらおう。俺の名は東鎮定。東方より参った旅人だ。異端とも言われている。貴公のような誇り高き神獣と戦えて光栄の至り。」


「我が名はロウ。西方諸族最後の生き残りであり、この神狼の森の守護者である。我のすべてを以て貴様を殺す。」


互いに名乗りを上げる。神獣と肩書に対して俺の肩書がどうも釣り合っていないような気がするがまあいい。

薙刀の刃先を神獣に向ける。神獣も頭を低くしていつでも飛び掛かってこれるような姿勢を取る。

月の光が差し込んだ神狼の森の奥深くで、互いに武器が月の光に照らされて輝く。

どこからともなく落ちてきた小枝が地面に落ちる。

ぱさっ。

その音を皮切りにして俺と神獣の両方が互いに向かって突撃した。

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東へ続く足跡 月狐 @rinfox

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