ときすでに暗殺者≪アサシン≫
渡貫とゐち
VSニンジャ
『いつまで寝ているつもり?』
声が聞こえる。
そこにはぼんやりとだけ先が見える、薄い景色があった。
湖のような……森のような……。
すると見えてきた……水面の上に立っているのは――――わたしだった。
染めたわけではなく、生まれた時からの金髪、そして青い瞳……十代の女の子。
鏡ではなく実際にわたしがそこにいると思えば、あらためてその容姿に目を引かれた。
くす、と微笑まれると、わたしなのにものすごく照れる……。
目を合わせられなかった。
なので自然と視線が下へ向かった。――湖、その上に立っていたわたし。
いえ、わたしはわたしだから、もうひとりのわたしと言うべきかな?
どうして水面に立っているのだろう? ではなく、立っていられるのだろう?
浅い湖だろうと思ったけど、つま先は水面の上だった。沈んでいない。
水面よりも上に底がある湖なんてきっとないから…………え?
『早く起きないと×××ちゃうよ?』
聞こえなかった。
いちばん大事なところが、別の音が被って消えてしまったように。
「まって。なにを言ったの――」
『起きて』
『早く』
『早く起きて』
と、繰り返される。
だけど肝心なところは『×××ちゃうよ』と、聞こえなかった。
なんでそこだけ……っ!
目の前のわたしが、すぅー、と遠ざかってしまう。慌てて追いかけ、湖に踏み込めば、当たり前だけど足が沈んで水中へ。
体ひとつ分が沈んでもまだまだ底までは遠く、もうひとりのわたしがどうやって水面の上に立っていたのかは分からなかった。
とにかく今は水面に顔を出さないと、と手足をかき、上がろうとするけれど、上がる速度よりも沈む速度の方が早く、水面に届かない。
どんどん光が届かなくなり、真っ暗な深海へと吸い込まれていく。
息も続かず、マジでやばいと思った瞬間、底に足がついた。
不意に呼吸ができた、と思えば水中であるにもかかわらず動きにくさがまったくなく、今なら水中を疾走することができそうだった。
体が軽い。水中の動きにくさが嘘のようになくなって――――でも。
戻ってきたのは動きやすさだけでなく、浮遊感も。
底が崩れ、水中から、すぽんっ、と抜けたように、わたしは重力に引っ張られる。
浮遊感に心臓がきゅっとなった次の瞬間、わたしは汗だくで目が覚めた。
白い景色だった。
規則的な機械の音が聞こえる、冷たさが感じる部屋。
病室だった。
あと実際にちょっと寒い……、冷房が効いているわけじゃなく、今日は気温が低い日なのだろう。悪夢にうなされて出た汗があっという間に引いていく。
なんだったんだろう、今の夢は……あれ? もう覚えてないや。どんな悪夢だったのか思い出せない。悪夢だし、思い出せなくていいんだけどさ……。
腕を見ると点滴がくっついていた。
さっきから聞こえてくる機械の音は、心電図か。
わたし……いつの間に入院してたの?
はぁ、と一呼吸を入れ、脱力し、なんとなしに真上を見上げれば。
天井に黒い点があった。
どうして今の今まで気づかなかったのか疑問に思うほど、近くに、彼女がいた。
ニンジャだった。
……ほんとにニンジャなの?
黒い装束で。口元を覆面で隠している。女性かどうかは、はっきりとは分からないけど、ぴたりと体のラインが出るニンジャっぽい格好を見れば、女性、だと思う……。
まだ女の子だ。
わたしと同じくらいの……。
「え、なに!?」
「重体のはずですけど……植物状態に近いとまで言われていたのに目を覚ましますか……」
わたしが目を覚ましたことは、歓迎されているわけではなさそうだった。
「生存本能が意識不明の重体を回復させたのかもしれませんね……さすがですよ」
褒められている気はしなかった。とにかく、目の前で起こっていることが全て初めて過ぎて脳が追いついていない。彼女は誰で、ニンジャだとしたらニンジャってなに!?
知識はあるけど、この現代に本当に実在しているニンジャがみんなの共通認識のニンジャとはたぶん違うだろうし……。
MP消費で炎を吐き出すような、魔法使いみたいなことはできないと信じたい。
「あ、あのっ」
呼びかけたけど返答はなく、ニンジャが、いつの間に握りしめていたのか、クナイを持ったまま落下してくる。
クナイの切っ先はもちろんわたしを狙っていて――――
ヤッッバッッ!! と本能が危険を察知し咄嗟に横へ転がる。
邪魔になっている点滴を外して、ベッドから落下。床を蹴って病室の外へ逃げ出した。心の中では悲鳴が続いているけど、体は自然と動いていた。まるで染みついているみたいに……。
逃げ上手ならいいけど、逃げるのが常習化しているなら良くはないよね……?
「あう、」
怪我? 病気? ……の影響があるようで、足がもつれて転んでしまう。額を壁にごんっ、とぶつけてしまい――するとタイミングがずれて、目の前に突き刺さったクナイ。
わたしが転んでいなければ、投げられたクナイはわたしに突き刺さっていた……よね。
今頃、死んでいたかもしれない……ひぇ。
「ちょっとっ、なんでよ!?」
振り向くと、通路の奥から小走りで近づいてきているニンジャがいた。
彼女がわたしを狙う理由が……思い当たらない。
というか思い出せない。なにも。
病院にいる理由も、まったく……。
「分からないのですか? そーですか、なるほど……。分からないなら、いいです――――このまま死ね」
両手の五指で挟んだ八本のクナイが飛んでくる。
避けられるわけがないニンジャの猛攻に、だけどわたしは全てを避けていた。
まるでクナイの進路が分かるように。体が避け方を覚えているように。……わたしは。
わたしは、なんなの……?
体が覚えているから、きっとクナイを見ていなくとも避けられそうだ。
実際、不意を突いたつもりの真上からのクナイの攻撃を、わたしは気づかぬ内に避けていたのだから。最後は飛んでくる一本のクナイをキャッチし、投げ返す。
クナイは真っ直ぐ飛んでいき、ニンジャの右肩に突き刺さった。
やり過ぎ!! と心配したが、ニンジャの肩がクナイを弾いたのだ。
中に、なにかを着込んでる……?
「くさりかたびらです。痛くも痒くもありませんけど」
落ちたクナイを拾って再び投げてくるニンジャ。
……直線の通路は不利だ。
近くの病室か、早く曲がり角を曲がってニンジャとわたしを繋ぐ線を途切れさせないと!
「逃がしませんよ」
ニンジャが、すぅ、と空気を吸い込んだ。
鎖骨から下が少しだけ膨らんで、ほんのりと赤く見えたのは錯覚……?
口をすぼめたニンジャが、吸い込んだ息を一気に吐き出す。
通路を満たしたのは、真っ赤な炎の波だった。
「――はぁ!?!?」
「火遁の術ですよ、ニンニン」
ニンジャなのだから使えるとは思うけど……、なにも知らなければMP消費で魔法を使える魔法使いにしか見えなかった。
なにがニンジャよ、見た目だけじゃない!!
というか忍術を使うにしてもそれをここで使うの!? 病院にどれだけ患者がいるかも知らないで……、巻き込む前提で忍術を使うんじゃないわよ!!
迫ってくる炎から逃げるために、わたしは近くの窓ガラスを割って飛び出した。
破片が舞い散る。
例のごとく、わたしの意思ではない。体が勝手に動いたのだ。
変な気分だ、上から糸で吊るされて動かされているみたいに…………
わたしの体ではないみたいだ。
空中に飛び出したわたしは、怖くてなにもできなかったけれど、今のわたしを動かす誰かは危機的状況でも対処は完璧だった。
というかそれくらいしてくれないとわたしにはどうにもできない。
落下しながら、わたしの足が壁にくっついた(不思議な力は一切ない)。
そのまま壁を踏みしめ、下へ走る。重力が横へ移動したような世界が広がっていた。
健康体でもできない人間離れした動きを、怪我人がするなんて……。
今更だけど、高校生ができる芸当ではないよ。……あれ、わたしって高校生だっけ??
そんなことも思い出せなかった。
引き出せないんじゃなくて、なにもない。入院(?)よりも以前の記憶が、ごっそりと抜けていて…………知識や知恵は残っているけど、思い出だけがなくなっていた。
…………。
……。
あっ、記憶喪失!?
壁を疾走するわたしを追いかけ、上からニンジャが追いかけてくる。
向こうも壁を走り――こういうのはニンジャのお家芸かな?
記憶がないわたし。
あのニンジャなら、なにか知っているかもしれな、
「風遁の術」
真下へ抜けていく突風。
着地点にあった車が全て薙ぎ払われてしまう。
わたしを動かす誰かがどうするつもりだったかは知らないけど、たぶんクッションに使う用だった車が、なくなってしまった。
え、いいの!? もう地面まで時間ないけど!!
「さて、自滅するなら願ったり叶ったりですが、どうするつもりですか?」
「ど、どどっ、どうするの!?」
――わたしに任せて。
夢で聞いた(はっきりとは覚えていない)声が、わたしの体を再び動かし、
両手の指で空気を、ぐい、っと持ってくるように、風を集めて、真下の地面に叩きつけた。
ゴムボールが地面にバウンドしているような風の塊へ、わたしの体が落下する。
地面に衝突する直前に、風の塊がわたしの体を跳ね返した――これが風遁の術……?
「わたしも使えた……でも、じゃあわたしは……」
ニンジャ……?
おかげで落下の勢いが0になり、地面に怪我なく着地する。
その時、当然だけどニンジャからの追撃があった。
真上から飛んでくる火遁の術による炎の球。
それを、わたしは風遁の術でかき消した。
空中で風を受け、隙を見せたニンジャへ、もうひとりのわたしがわたしの体を使って落ちてきたガラスの破片を投げつける。
術は必要なかったのだ。
鋭利な刃で首を切ってしまえば殺せる……って、ダメだ、殺したら――――
「ダメッ! あの子を殺したら……――あの子だけじゃないっ、誰だろうと殺したくないの! だって人殺しは犯罪で、絶対にしてはいけないことだって覚えているもの!」
忘れていることばかりの中でも、覚えていることがある。
記憶を失ったからと言って、人を殺してもいい、とは思えなかったのだから。
「殺したくない、ですか……もう遅いですよ」
わたしの気づかぬ間に。
きっとわたしを操った誰かが起こした風遁の術によって――破片がニンジャの体を八つ裂きにしていた。クナイサイズでなくとも小さな無数の破片が一斉に彼女の体を叩き、裂けば……致命傷になる。
無数の、砂のサイズの破片でも刃であり、風遁の術で
それをまとめて喰らえば、ニンジャだってひとたまりもなかった……。
実際、彼女の意識は薄れていて、倒れている彼女の姿はもう長くはもたなかった。
限界は近い。
彼女が言った「もう遅い」は、彼女の命のことを指していたのだろうか……。
「大丈夫っ、ここは病院だから……っ、お願いすればあなたの命も助けてくれ、」
「あなた、言いましたよね? 誰も殺したくないと。……でも、記憶のないあなたは知らないでしょうけど、あなたは世界ランク十位圏内の、暗殺者なんですよ。これまでにたくさんの人を殺してきたんですから……大犯罪者、です。――人間の敵ですよ」
彼女はどす黒い憎しみをわたしに向けている。
「私の妹も、殺したくせに……ッ」
「っ」
「復讐は達成できませんでした。ですが最後に、巻き添えにすることができれば……。復讐の半分は達成できたと考えてもいいですか……? ねえ、そうは思わない――?」
彼女から出た名前は、妹の名前、なのだろうか……。
そして、彼女の最後の言葉は――――
「え?」
瞬間、
爆発。
ニンジャの体が、爆散した。
反射的にニンジャから距離を取っていたわたしは、それでも爆発の衝撃までは避けることができず、勢いよく後ろへ飛ばされ、地面を転がる。
風遁の術で吹き飛んでいた車のボディにぶつかることで勢いがなくなった……。
戦いが終わった後の静寂……わたしは、彼女の最後の言葉を思い出す。
――誰も殺したくない? 無理ですよ……あなたは、アサシンなんですから。
感情よりも本能が。
記憶よりも反射が。
――染みついた経験が、体を動かす。理性が勝る可能性は、低い。
こうして命を拾えたのは、記憶を失う前のわたしがまだ残っているからだ。
この心の中に、根を張ってしまっているから……、記憶のあるなしは関係なかった。
ときすでに遅く、わたしは何百、何千という人を殺していたのだから……。
わたしは、ときすでにアサシン――なのだった。
…了
ときすでに暗殺者≪アサシン≫ 渡貫とゐち @josho
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