あの日
香久山 ゆみ
あの日
あの日、私が止めるのも聞かず、家族は出て行った。いつも通りの一日を過ごすために。そんなことできっこないのに。彼らは何度言っても聞かなかった。
私は知っている、今日が滅亡の日であることを。
知ったきっかけは偶然だった。いや大いなる力に導かれたのかもしれない。たまたま聞きかじっただけでなく、ちゃんと自分でも調べた。SNSの書き込みを読み込んでいくと、それは妄言ではなく、様々な考察や計算のうえの事実であることは明白だった。知っている人は知っている。けれど、その事実を家族や友人に進言してもまったく受入れられなかった。彼らは自らの意識の低さを棚に上げて、真剣に訴える私に冷ややかな視線を送り、嘲笑した。
そんな状況だったから、その日学校を休ませてもらえただけでも上出来だったかもしれない。私の忠告を無視して、両親はいつも通り会社へ向かったし、中学生の姉も朝練があるといって早い時間に出て行った。
家族が出掛けてしんと静まり返った家。
私は無力感に苛まれた。結局家族を守ることができなかった。ひとり冷静になってようやく、家族と最後に交わした言葉がけんか腰だったこと、いってらっしゃいも言わなかったことが悔やまれた。
けれど、後悔してばかりもいられない。隕石か毒ガスか、滅亡は目の前まで迫っているのだ。私は私自身の身をしっかり守らねばならない。生き残ればこそ、家族を探しに行くなど希望も持てる。
考えた末、押入れに隠れることにした。ペットボトルの飲み物とスナック菓子とカップ麺を持ち込んで、押入れの隅で小さくなっていた。
滅亡は、いつどのように訪れるのか。
ふすまを少しだけ開けて何度も外を覗いたけれど、変化は未だやってこない。押入れの部屋にはベランダがあり、ふすまの隙間からは空だけが見えた。空の色はなんとなくいつも以上に青いように感じた。ふつうの人なら気付かないかもしれない。けれど、それ以上の変化は見出せないまま、いつも以上に時間が長く感じられた。
日が暮れても家族は帰ってこなかった。
私は待ちくたびれて知らぬ間に眠ってしまった。
目を覚ました時、目の前に父母の顔があった。いつの間に帰ってきたのだろう。大丈夫だったかと尋ねる彼らは、執拗に私に寄り添い笑顔を向けた。
「ほら、もう大丈夫だから出ておいで」
もう四年生になるというのに、父はまるで赤ん坊に対するみたいに私を抱えて押入れから出した。
何かがおかしい。過剰に優しい彼ら、ああもしかしたらすでに彼らは元の彼らではないのかもしれない。入れ替わったのか、操作されているのか。違和感を持ちながらも、私は慎重に振舞った。カレンダーを見ると、いつの間にか丸一日が過ぎていた。そんなに眠ってしまったのだろうか。
翌日はふつうに登校した。通学路はいつもと同じ景色だけれど、何か違うといえば違うような気もした。先生も昨日の休みについてとくに何も触れない。
何かがおかしい。そう思いながらも、幼い私は違和感をことばにする力もなく、何がおかしいのか分からないまま。すっかりふつうの大人になってしまった。
けれど、いまだに日常で居づらさを感じるたびに思うのだ。やはりあの日は特異点だったのではないか。
留守の家で、一人ぼっちに耐え切れず私は近所のユキヒラさんと押入れに入った。大人と一緒は窮屈だったけれど、孤独よりはましだった。私に滅亡の日のことや世界の真実を教えてくれた人であり、信頼が置けるのでお願いした。けれど、私が目覚めた時にはいなくなっていたし、それ以来近所で会うこともなかった。
つまり、やはりあの日なのだ。あの空白の一日でみんな消えてしまったのだ。もとの家族も、近所の人も。
私だけが真実を知っている。だから世界の証人としてどれだけつらくても生きるしかない。
ああ、また特別な日が近付いているようだ。今度こそ上手く乗りきらねば。なのに、知人に話してもへらへらと笑うばかり。近所の小学生だけが真剣な眼差しで聞いてくれる。この子は有望だ。応えるように熱を込めて説明する。
「もうすぐ世界は闇にのまれてしまうのよ。私はその日を知ってる――」
あの日 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます