第6話 『カナたんカナたん』

「まあさ、女装しろとかいう話じゃないから。奏多は奏多だし、そのまんまでいいからね」

「え? うん。それは元々趣味じゃない、っていうかやってないし。覚えてないかもだけど、ほんとに……」


「でさあ、ひとつお願いがあんだけど」

「……なんでドアの鍵閉めたし」


「オレと!! お付き合いしてください!!」

「は!? なんで!?」


 吉成はごく自然な動作で鍵を閉め、さらにその前へと座り込んで俺を物理的に出られないようにしやがった。さらに目の前で見るのは初めてである低姿勢を俺に見せ、とんでもないことを叫び始めた。


 なんでそうなる。お前はまだ現実に帰ってきていないのか。できないだろうが……できたけど。それはそれ、これはこれだろう。そもそも興味本位では困るのだ。


 俺は出来る限りの言葉を尽くし、子どもをなだめすかすように諭していった。聞いているのかいないのかも判然としない吉成は、まだ認知が歪んでいる可能性がある。それは医師の判断を仰がねばならず、素人判断などもってのほかであること。思いつき、または性的欲求を満たすための願いなら、破局前提のお付き合いになるということを。


 そしたらお前もそうなるが、俺は友達と恋人を同時に失うことになる。何事もなかった関係に今戻っておけば、それは最低限避けられるのだと。


 今度は俺の方が目を泳がせる番だった。吉成はじっと視線を合わせてきたのでなんだか妙に喋り辛く、居心地が悪かったからだ。それでも頑張った。食い下がった。目先の欲を優先し、なし崩しに事を進めるリスクのことを考えて。


 それに怖かった。何がと言うと、いまにも襲いかかってこられそうな雰囲気も感じていたからだ。例えるなら大型の猫科動物が、獲物をじっと狙っている姿勢と目線によく似ていた。


 思ったとおりにジリ、ジリ、と吉成は膝を前に出して近寄ってきた。俺はまだ喋りながらも後ろに下がる。数十センチ単位で近づいてくる吉成。下がる俺。ぽすん、と何かが背中を押し返したので振り返ってみると、ベッドの端っこが目に入った。


 あ、もう下がれないと気付いた瞬間、空けたかったパーソナルスペースに勢いよく侵入された。なし崩しだけは避けたい俺は、反射的に横を向いたが見覚えのある手がすでにベッドの端を握っていた。


「じゃあ聞くけどさあ」

「……何を」


「お前はなんで最後までヤらせちゃったわけ? 女じゃないんだからさあ、事前に色々やんないといけないことがあるよなー。よく知らんけど。これから知るけど」

「……きょ、拒否したら傷つくかなって……」


「ほー、そうかあ。優しさかあ。とーっても気持ち良さそうに見えましたが」

「………………」


「いんじゃね。やってみれば。もう一線超えちゃってるのに元通りとか不可能でしょ。じゃない?」

「ふ……不可能じゃない。理論上は……」


 吉成は俺の上に乗っているときと同じ顔をして、着地点はこっちが決めるぞと暗に示していた。据わった目をして脇見もせず、そこだけを真っ直ぐに見つめている。あとはお前が諦めてくれれば話は早い、と。


 俺は絶対負けたくなかった。隠しに隠すことで保ってきたプライドを今更へし折りたくない。もしここで諦めてしまったら、誰にも見つからないところで散々泣いた、かつての俺に申し訳が立たない。


 そうだ、俺はたくさん泣いたじゃないか、と過去の可哀想な自分を思い出し、鼻の奥をツンと痛くしてしまった。こんな近くでベソをかいたらすぐバレるのに、身体の反応が先んじた。


 ベッドの端を掴んでいた拳が解け、俺の頬を包み込む。同時に近づいてきた吉成の顔は手のひらで押し返した。いまはそんな気分にはなれないのだと、口には出さず行動だけで示した。もし出せば、無関係なはずの吉成に八つ当たりをしてしまいそうで…………あ、しまった。


「いっ……てえ〜〜」

「あ、えっと、ごめ——」


 などと思っていたそばから俺は、ほとんど反射で吉成の顔面をブッ叩いてしまった。土下座されたのも初めてだったが、人をビンタしたのも初めてだ。自分のやったことに自分で怯んでしまい、隙を作ったが最後。服の襟首と顎を強く掴まれて、怒気を孕んだ視線で射抜かれ、ああやり返される、と身構えたのだが。


「………………!!」

「付き合って」


「嫌だ、んっ…………」

「付き合って!」


「やだって! キスすんな、やめ…………!」

「付き合って!!」


 この甘やかされ三男坊が。前からずっと思ってたよ。欲しいものは手に入れるまで欲しい欲しいとやかましく、あげたらあげたでまた次を期待してまとわりつく。お前という奴はいつもそうだ。一本くれと何度も言うから何度もあげたポテトとか。合計するといくつになるよ。絶対何個か買える総計になる。返せよたまには。


 キスがやたらと上手すぎるのにも腹が立つ。どこで覚えてきやがった。今まで何人と付き合ってきた。別に聞きたくないしどうでもいいが、これをすれば俺は大人しくなる、言う事を聞くと思っているだろう。ふざけるな。


「……やめろ、触んな……」

「勃ってるじゃんか。触ろっか」


「………………いやだ」

「言うの遅いわ。上手くできっかな……」


「え? え!? ちょっ、ちょ待っ……やめろやめろ!!」

「いてててて! 噛んじゃうだろ!」


「噛むな!!」

「じゃあ耳引っ張んないでくれる!?」


「ただーいまー! 湊ー! お友達いるのー? お土産あるから持ってったげてー! ねえ湊ー! いるんでしょー?」


 ——秒で萎えた。危なかった。


 マジか、と見るからに気分を害した吉成のことは放置し俺は服装を、といっても部屋着だが、とにかくマシに見えるよう整えて、ボサボサになっていた髪を手のひらで撫でつけながら慌てて階下へ降りていった。


 リビングで荷物の開封をしていた吉成のご両親を前にして、ご不在のときにお邪魔してしまってすみません湊くんと同じ高校の者でして、と極めて平静を装った風のご挨拶をした。


 普通のことを言ったはずだが、なんだかいたく感激されてしまい『あなた甘いもの好き? しょっぱい方がいい?』『両方持ってっていいよ!』とお土産をその場に並べまくられ、名前はとか、一緒のクラスなのかとか、どこへ進学する予定なのかとか、質問責めにもされてちょっと困った。


 ご両親には満面の笑みで『これからも湊をよろしくね!』と言われ、後からのんびり降りてきた吉成には『そうそう。ずーっとヨロシクネ』と、白々しい台詞をポイっと雑に投げつけられた。お前のよろしくは全然意味が違うだろ。ていうか土産を貰ったなら即食う前に、まずはありがとう、と一言添えろ。




 ——————




「ねーカナたん。ちょっとご休憩しよーよー」

「しない。まだ終わってない」


「明日やればいいじゃんよ。もう疲れたー」

「なあ湊。お前さあ、この怠け具合でよくうちの高校受かったよな。あー、あれか。やってんなお前」


「あっひどーい。カンニングなんかしたことないし。ちょっと天才なだけですし。ちなみにオレのおとーさまの大学なんて——」

「…………えっ!? 難関じゃん……クッソ、遺伝子か……この世ってほんと不公平……こらっ、やめろ、脱がすなって! コラ!」


「最近全然してないじゃん。ねー。いいじゃんいいじゃん」


 誰か俺を馬鹿だ阿呆だと罵ってくれ。あれだけ関係性がーとか、尊厳がーとか、さんざんわかったような口ぶりで賢しらげなことを呟いていたくせに、俺は。


 偶然の産物ではあったが、早めに帰宅してくれた吉成のご両親のおかげで脱出できたにも関わらず、結局ここへ戻ってきてしまっている。俺はまた誘われるがまま吉成の家へ行き、学生の本分である勉強を真面目にしていたが、いまは腕を回されついでに釦を外され、肌で愛情表現を受け止めている。恋人として。


「……あのさあ。学校でカナたんカナたん言うのやめろよ」

「なんで? いいじゃん。ていうか集中してよ」


「みんなが……カナちゃんの事情知ってる奴らが、変な顔するときあるから……」

「あー。付き合ってるの知ってるからじゃね?」


「は!?」

「そんなんどうでもいいじゃん。集中してよー、もー」


 出来るわけないだろ馬鹿野郎。俺に断りもなく、いや言うなと言った記憶はないが、そんな個人的な情報をこいつは勝手に言いふらしやがったと。なんてことだ。神がお隠れになってしまった。世界は永久に真っ暗だ。


「最悪だ……! 終わった……!」

「どうせもうすぐ進路相談の時期じゃんか。みんなそれどころじゃないってば」


「でもっ……あ〜〜マジか〜〜……」

「みんな大人よなー。誰ひとりとしてしつこく深掘りしてこない。いつもと態度一緒じゃね? だからカナたんも気付かなかったんじゃん」


「深掘りなんか怖くて出来ないだけだろが。お前さあ。カナちゃんはいいよ。可愛い自慢の彼女だし。でも俺のことまでペラペラ喋るのほんと何なんだよ……」

「は? カナたんが可愛くて良い子だからに決まってんじゃん。ほら、床じゃ嫌でしょー。こっちおいでー。カナたーん! 今日もカワイーネー!」


 俺は先ほど頭を抱えた手指にすら脱力感を覚え、指の隙間越しに湊を見た。大きく広げた腕と同じように顔一面にも大きな笑いを広げている。その背後にある窓枠は奴のために設えた額縁のようであり、位置を狙ったかのように白く輝く太陽までもがひょっこりと顔を覗かせている。雲ひとつない、本日は晴天なり。


 なんて能天気な絵面だろうか。落ち込んだ俺との落差が半端ない。諦めて飛び込んでしまえば楽になれるのだろうが、過去に必死で頑張っていた俺自身が、現在葛藤している俺の情けない姿を横目で見ている気配がする。


 行くか行かぬか。乗るか反るか。決定権があるのは現在の俺だけである。迷うなあ、と呟いた。太陽が似合う陽性の権化はきょとんと小首を傾げながら『迷う余地ある?』などと言いのけた。



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夏休みの身代わり彼女 清田いい鳥 @kiyotaiitori

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