第2話・果てなき魔女の降伏

 平成66年現在、毎週金曜日になると首都圏に降り注ぐ紫色の雨は、その範囲を徐々に拡大しているらしい。

 たくさんの元魔女が自ら命を断ったらしいけれど、私達の世代はどれくらいが生き残っているんだろう。

 私だって……久穏がいなければ……きっと……。


「? どうしたの? 文花ちゃん」

「んーん。……学校めんどいなぁって」

「あはは、そうだねぇ」


 高校二年生になったは良いものの、ゴーマル世代への差別は根強く、外を出歩くのは憂鬱だった。教師は全授業をボイコット、部活動は入部拒否。バイトをさせてくれるお店もない。

 普段まったり歩く私は登校時間だと更に遅くなる。久穏はそういう機械みたいにピッタリ歩幅を合わせてくれる。


「久穏はさ、」

「うん」

「久穏は……「やっと来たか」


 私と久穏との会話をそう遮った女は、校門を背にして腕を組み仁王立ちをしてこちらを睨めつけていた。


「なんだ、朽網くたみか」

「なんだとはご挨拶だな、果てなき魔女」


『やっと来たか』なんて言われたから、魔女狩りの連中かと思った。咄嗟にポケットの中で握りしめたミニ防犯スプレーを手放す。


「それやめてよ、もう果てし」

「今はそうだろうな」


 魔法を失ったあとも、朽網は気取った喋り口調をやめなかった。なんとなく、威厳もそこまで失われていない気がする。


「だがしかし、必ず取り戻す。取り戻さなければならない」


 あぁ、少し面倒だなぁ。朽網は悪いやつじゃない。それはわかる。けれど熱過ぎる。私はもう、いいんだ。久穏と一緒にいられればそれでいいんだ。


「つい最近まで、私の居場所は空だった。それが今ではどうだ、地面から少し浮遊できる程度。手品師の一芸の方がまだ面白味がある」


 朽網の魔法は『固定化』だった。対象を問わずそれを固定することができた。だから空気を固定して透明な階段を作り、空を自由に歩くことができていた。


「だから何さ。しょうがないでしょ、こうなっちゃったんだから」

「そんな風に済ませてたまるか」


 ズイとこちらに距離を詰め、朽網は重く語る。


「あの雨を降らせている装置がこの国の、あるいは世界のどこかに必ずある。それを完全に破壊してやる」


 政府があの雨を降らせている。

 公式からの発表はないものの、ほとんどの国民はそれで納得している。だってそれしか考えられないし。


「そんなん……無理でしょ」

「どうかな。お前と私が組めば、あるいは」

「無理だって」


 あまりにも近すぎる朽網を押しのけ、私は再び歩き出す。ホームルームに遅刻してしまう。まぁ教室に先生いないからあんま関係ないけど。


「かつてこの世界を自由に生きていた少女たちが、その権利を剥奪された!」


 落ち着きのある説得は無意味と悟ったのか、拳を握って朽網は吠える。


「他の人間と比べて足が長いから、それじゃあ切断しようという政府が許されるのか!?

他の人間と比べて視力が良いから、眼球を潰す行為が許されるのか!?

それがアイデンティティだった人間はどうなる!?

私達にとっては当たり前だったはずだ。それを剥奪されて……癒えることのない傷を抱えてこの先、一生を生きていけと! 全ての魔女にそう告げるのか!?」


 朽網は走って私の肩を掴んだ。強制的に振り向かせられる。


「全ての魔女が生きているだけで、果てなき後遺症に苛まれ続けるんだ。それで良いのか?」

「……」

「私は決して退かない。必ず戻して見せる。あるべき姿に。あの雲を払拭し、かつての空を取り戻す」

「…………」

「私は揺るがない。私は――不動の魔女だ」

「………………あっそ」


 手を振りほどいて背を向けると、それ以上朽網は動くこともなく、何も言わなかった。

 下駄箱に着いて靴を履き替えていると、久穏は私の顔を覗き込み、小さな声で問う。


「…………良かったの? 文花ちゃん」

「良いもなにも……どうしようもないでしょ」


 そうだ、どうしようもない。

 今まで散々魔法を使って、人よりも得をしてきた私が不利益を被るのはまぁ、仕方がない。

 けれど、もし、久穏に被害が及んだら?

 せいで、同年代からも他年代からも疎まれてきた久穏に、更なる苦難が訪れたら?

 そんなのは許せない。

 だから私は大人しく従う。この現実を、受け入れる。


「さっ、今日も頑張ろう。全部自習だけど」

「うんっ」

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果てなき魔女の後遺症 燈外町 猶 @Toutoma

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