果てなき魔女の後遺症

燈外町 猶

第1話・果てなき魔女の果て

 横断歩道。

 カーブの先にある、見通しの悪い横断歩道。

 いつも自然と行なっている左右確認を久穏くおんが怠ったのは、純粋に、彼女が急いでいたからだ。

 たった一人の家族である母親が倒れたと連絡があれば、誰だって視野が狭くなるに決まっている。


文花ふみか……ちゃん……?」


 気づけば、久穏がいた場所から彼女を押し出していた。

 久穏は躓いて歩道の上に転んだあと、すぐに振り返って私を見ている。

 笑える。人間ってこんな簡単に命を差し出せるんだ。


 加害者。

 ボンネットには見慣れないエンブレムがある。外車だろうか。運転手と目があった。若い男だった。大きく目を見開いて、なにか喚いているようだ。

 バカ。そんな慌てふためくんだったら、最初からそんなスピード出すんじゃないよ。制動距離を考えなさいよ。


 走馬灯。

 鉄の塊が今まさに私の体を粉砕しようとしている最中、しかし私の頭の中は久穏のことでいっぱいだった。

 幼馴染と呼ぶには知り合ったのは最近だけれど、それでも既に、私の魂の根幹には彼女の席が用意されている。

 久穏の作った卵焼きの絶妙な甘さ加減とか、夏の日でも触れると少し冷たい彼女の肌とか、髪から漂うヘアオイルの香りとか。

 もっと、彼女を感じておけばよかった。さみしいな。でも、幸せだな。

 久穏のために、久穏を想って死ねるんだから。


×


「久穏」

「なぁに? 文花ちゃん」

「なんでもない」

「えー、なぁに?」

「んー……ただまぁなんていうか……幸せだなぁって」


 結果としてはあの日、住宅街を時速100キロで走っていたアホ車に撥ねられた私は、なんと驚き、ご覧の通り生きている。

 果てなき魔女としての力が、自分の命にも作用されていたからだ。こんなことは死ぬまで知らなかったけれど。


 そして一度肉塊になった私がムクムクと再生されていく様は、通りがかった心無い多数の人間に撮影され、瞬く間に世界中の無数の人間へと拡散された。(下着も晒された。許せん。)

 これは後に起きる【魔女の三災】と合わせて、一般人に魔女の異常性、異質性を植え付け、忌避されるきっかけの一つになってしまった。


「んふ。私もだよ。……文花ちゃんと一緒にいられることが……どんなことよりも私は嬉しい」

「……かわいいやつめ」

「文花ちゃんの方が可愛いよ!」

「そういう話じゃなくて」


 あの日、私が意識を取り戻して最初に見た光景は、泣きじゃくる久穏だった。

 それから償いばかりを口にする彼女へ私は、よくない取引を持ちかけた。

『怒っているわけじゃないけど、そんなに許されたいなら私の彼女になってよ。死ぬほど好きなんだよ。実際死んだあとも好きだし』

 久穏は『私にとって良い事しかない』的な事をまくし立てて拒もうとしたけれど、私が抱きしめて本気を伝えると、受け入れてくれた。


×


「どうしたの? 文花ちゃん」

「ん、なんか……なんだろ、まぁ……大丈夫」

「本当に? 無理しないで」


 クリスマス。

 久穏と恋人になって初めて迎えたクリスマス。最高に楽しかった高校一年生目の締め括り。

 お互いのプレゼントを買い合って、気取ったカフェに入って限定メニューを楽しんで。

 これからイルミネーションを見に行こうとしたところで、急な目眩に襲われた。


 悪寒。

 頭痛も走り吐き気も込み上げてくる。目眩は強まり、足元がふらつく。


「文花ちゃん!」

「ごめん、久穏……風邪かな? 楽しみにしてたのに……ちょっと一旦……帰ってもいい?」

「早く帰ろう! あっ救急車呼ぶ!?」

「んーん。大丈夫」


 魔女が救急車なんて呼んだら、また世論が荒れる気がするし。

 大丈夫、私は大丈夫。なんたって私は命の終わりすら否定した、果てなき魔女だから。


「……雨?」


 ぽつり。

 地面にへたり込んだ私の手の甲へ、一雫の雨が滴り落ちた。


「…………色?」


 それは透明というにはあまりに濁っていた。違和感を覚えて顔を上げる。

 降り始めた雨は街灯の光を通すと紫色に煌めいていた。


×


 魔女。

 魔女と呼ばれる少女達は、全国に30万人いた。

 つまり、平成50年に生まれた女子は極一部を除き、全員が魔法のような不思議な力を持ち合わせていた。

 メディアは『マジカル世代』だの『魔法少女元年』だのと好意的に取り上げていたが、やがて魔女達の問題性にも着目され始める。

 明確に、他の人間とは違う、という優越感は間違いなく多くの魔女を横柄にしただろう。たぶん、私もその中の一人だ。


 学校を中心として徐々に拡がった魔女と一般人の不和は、【魔女の三災】を始めとする出来事により一層深まった。

 魔女と畏怖され、新たな差別用語として『50ゴーマル世代』なんてものが生まれ、反魔女運動が盛り上がり、魔女狩りと称する集団・事件も増えた。


 紫の雨。

 そんな中迎えた去年のクリスマス、首都圏に降り注いだ紫色の雨。

 日本では多くの子供にプレゼントが与えられる中、魔女たちはその特異性を剥奪された。

 私もその雨によって『普通』へと染め上げられ、『終わりの終わり』が、終わった。


 例えば、魔法瓶に入れた紅茶は、傾ければ絶えず呑み口から流れ出てきたのに、あっさりと枯渇してしまった。

 例えば、スマホのバッテリーは100%以外の表示を見たことがなかったが、急に電源が付かなくなった。

 例えば、小学生の時から7年間飼っていたハムスターが突然絶命した。


 まったくのすべてが消失したわけではない。残渣のような力が残っていなくもない。けれど、本当に微かな痕跡だ。


 当然、今ならば私自身も時速100キロの車に轢かれれば絶命するだろう。

 私は、私達は、優位性の上で胡座をかいていた魔女から、元魔女という社会少数派・一般人以下へと凋落ちょうらくしてしまった。

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