沈んだ気弱な太陽

がらなが

勇者が死んだ

 教会の鐘が厳かな雰囲気を醸し出すように数回鳴る。国民の悲しみを背負ってますとでも言いたげな重音が、国のあちこちから聞こえてきた。



 5 日前、勇者が死んだという知らせが国中に広まった。



 王宮から放たれた広報鳩が持っていた紙に、死因は載っていなかった。

ただ、5日前のあの日、俺に城に行ってくるとだけ言い残していったあいつの顔は、やけに晴れやかだったことを俺は覚えている。

魔王を倒してから染みついてしまったクマが取れてないのに、肌は血の気がなく見るからに不健康そうだったのに、全部どうでも良いみたいな、嫌に記憶にこびり付くような良い笑顔だった。




 国中のそこかしこ、礼服を着た国民で溢れかえっている。鼻を啜る花屋の店主も、勇者の銅像に花輪を被せる子供も、全員俺は名前だって知らない。

「ねえ、ママあの人って……」

「シッ、静かに。……駄目よ話しかけちゃ。魔法使いさまも勇者さまと一緒よ。気軽に話しかけて良いような存在ではないの」

 純粋に俺に興味を持った無邪気な子供の声を、黒いベールを被った若い女が止めに入る。

 俺はあいつと違ってあまり公の場に出て愛想を振りまくようなことはしなかったが、唯一魔王を倒してからやった凱旋パレードにだけは顔を出した。だから、俺が勇者と一緒に魔王を倒した存在であることは割と知られていた。

 歓声を浴びたかったからとか、一時の気の迷いからとかでパレードに出たわけじゃない。あいつが、眉を下げて言ってきたんだ。

「一人だと心細いからさ、頼むよ」

 スライムだってトレントだって、ゴーレムだって竜だって、果てには魔王だって斬ったくせに。それなのにあいつの気弱は治らなかった。

 そういえば、一緒に旅に出た理由もそんなんだった。あいつとは同じ村の孤児院の育ちで面識こそあったが、大して仲が良いという訳でもなかった。それなのに、あいつは誘ってきたんだ。一人だと心細いから頼むって。

「なんで俺なんだよ」

「……なんとなくだけど、君が一番強い気がして」

 そんな口車にまんまと乗せられて、俺は数日後あいつと一緒に旅に出た。

 初めてだったんだ。いつも孤児院の端の方で魔法の本を読んでいた俺にとって、あの時のあの言葉が初めて誰かに期待を掛けて貰えた瞬間だった。

 あいつは旅人の剣をもって、俺は古い杖を持った。まあ頑張れよと声を掛けてきた武器屋の店主の顔なんか覚えちゃいないが、緊張と旅に出る高揚感が綯い交ぜになったあいつの頬の赤みは今だって覚えている。




 魔王を倒し凱旋パレードも終えた俺らに、国王はある提案をしてきた。

 銅像を建てさせてくれと。

 俺はそういうのに無頓着だったし、目立つことはあまり好きでは無かったから断った。あいつだって最初は断った。自分は魔王は倒したが英雄視されるような人物では無いと。それでも、魔王がいなくなりこれから明るく照らされていく世界で国民の心の拠り所になる物が必要なんだと、そう国王に説得され、1時間も迷ったあげくあいつは首を立てに振った。

「君は銅像にはならないのかい?」

「嫌だよ。そんな祀り上げられるような存在じゃ無い。お前だってそうだろ」

「……うん、でも、誰かが僕の像を見て勇気を出してくれるっていうならさ、悪い気はしないんだよ」

「……そうか」




 銅像が建った記念式典の日、完成された背筋を伸ばし遠くを見つめる像を見て、似てないなと笑い飛ばしてやった。髪を一つ結びにした青銅色の銅像は、俺の横に立ち眉を下げる友人と違い随分と凜々しい顔つきをしていた。

「うん、似てないね。僕が一人で立ってたら、もっと情けない顔をするに決まってるよ」

 少し寂しそうな顔で笑うあいつをみて、その時一瞬、そう、ほんの一瞬だけ、一緒に銅像になってやれば良かったなんて思った。

 そうして銅像が建てられた後、次にあいつが言われたのは国の建国記念式典に出てくれないか、だった。その次に言われたのは絵本の題材にさせてくれと。その次に言われたのは記念の教会を建てさせてくれと。その次に言われたのは紙幣に描かせてくれと。

 そうしてどんどんどんどん国中に、英雄になったあいつがばらまかれていった。

 あいつは、相変わらず気が弱いまんまだった。




 5日前に死んだ勇者は、俺の友人だった。




 ある日、ちょっと歩かないかと誘われ俺はあいつと一緒に王都の中央にある広場まで来ていた。家を出てから3分で崇拝と好奇の目を向けられたから、認識阻害の魔法を使って広場まで歩いた。ごめんと謝ってきたあいつの声に、活力も覇気もありはしなかった。

「病気なんだってさ」

 ベンチに座ったあいつは、明日の天気でも言うみたいにそう言った。あまりに何でもないみたいに言うから、俺はしばらくビョウキという単語が病気のことを言っているんだと上手く理解が出来なかった。

「……お前がか」

「そうだよ。僕が、だ」

 あいつは広場に立った銅像に視線を向けながら呟く。

「治るようなものなんだろ」

 力なく首を横に振られた。

「城にいる色んな聖職者に診て貰ったから間違いないよ」

「お前、診て貰ったって、悪いところあるなら俺にッ、」

「ごめんね」

 そう俺の目をまっすぐ見ていったあいつの目はやけに穏やかで、それでも声色にはほんの少しの寂寥が含まれていて俺は何も言い返せ無かった。

 あいつが城に行くと言ったのは、その1週間後だった。




「これはこれは魔法使いどの。告別式には少し早いのではないですか」

 城の広間には床に落ち着いた紫色のカーペットが敷かれ、壁は白い精霊花で飾られていた。

 広間の奥には色とりどりの花で飾られた祭壇があり、その中央には精悍な顔つきをしたあいつの肖像画が置かれている。あいつのあんな顔、俺は見たことが無い。

 目の前に立つ小太りの大臣を無視し、俺はあいつの祭壇に近づいた。告別式の準備をしている城仕え達の視線を感じるが知ったことでは無い。

 祭壇に飾られている花々達の隙間に、オリーブの葉や世界樹の葉を模して作られた飾り金具もあった。きらきらと嫌みったらしく輝いている金具を見て、死んだら何もかも静かに終わらせて欲しいと言っていたあいつの、静かな湖みたいな顔が思い浮かんだ。

 祭壇のどこにも、あいつの棺は無かった。

「魔法使いどの、お久しぶりで」

 護衛や宮廷の魔術師をぞろぞろと何人も引き連れて出てきたのはこの国の王だった。何度も長ったらしい髭を撫でながら声を掛けられる。

「国王様、あいつの死体はどこに。まさか腐ったわけでもないでしょう」

「まさかまさか。勇者の死体が腐るわけがないでしょう」

「何を言ってるんですか、あいつは人間ですよ。病気にもなれば怪我もした。大きすぎる無駄な重圧に押しつぶされそうにもなっていた。あいつは英雄でも何でもない。死んでなにもしなければ腐る、ただの人間ですよ」

 煮え立つような苛立ちが隠しきれず声色に滲んでしまう。苛立ちが向かう先は、目の間に立つあいつを英雄に仕立て上げた王に対してなのか、一人で城に向かって死んでしまったあいつに対してなのか、それともあいつを救えなかった自分に対してなのかは、俺にもよく分からなかった。

 ただ、5日前にあいつが死んだと知り、気配探知の魔法を使ってもあいつがどこにもいないと分かったあの瞬間から、俺の胸の中には虚無にも似た寂しさと静かな怒りだけがずっとずっと渦巻いていた。

「国王様、あいつに会わせて下さい。死体で構いません。俺はもう一度あいつに会いたいだけなんです」

「……付いてきなさい」

「国王……」

 傍にいた側近が止めようしたが、国王は片手を挙げ制した。

「構わん、こうする予定だった」




 国王の後を付いていきたどり着いたのは、小さな礼拝堂だった。こじんまりとしているが厳かな雰囲気があるここは、王族専用の場所なのだろうか。

「あれだ」

「……は?」

 国王が顎で差した場所を視線でおうと、そこは礼拝堂の奥中央だった。十字架が掛けられた下の祭壇に、真っ白い陶器で出来た壺と、その傍に切られ紐で括られた黒い髪の束が置かれてある。

「あれが勇者だ」

 無慈悲に告げられたそれは、壺の中身を言い表していた。覚束ない足取りで祭壇の元まで走る。震える手で壺を持ち上げると、酷く軽かった。黒い髪の束は礼拝堂に差し込む西日の光を艶やかに反射していて見覚えがあった。

「どうして、死体がないんですか」

「言えないな」

「答えてください、なんであいつは死んで、死体がないんですか」

 頭に血が上って、こめかみが痛いぐらいだった。声が不安定に揺れるの隠そうとも思わない。

 国王に近づくと宮廷の魔法使いが国王を隠すように立ち塞がる。

 小さく緊縛の呪文を唱えると、その場にいた俺以外の全員の体は直ちにピンと硬直し動かなくなった。

「な……」

 国王の目に激しい動揺に色が浮かぶ。

「俺を誰だと思ってるんですか。あいつとたった二人で魔王を殺した男ですよ」

「…ッ」

 国王が何かを言いかける前に自白の呪文を呟く。宮廷魔道士達や屈強な護衛達は、今やお飾りでしかなかった。

「あいつはなんで死んだんだ」

 敬語を取っ払った俺の声は、不安定さも通り越してやけに落ち着いていた。

「……勇者は病気だったのはお前も知っているだろう。もう長くはないだろうと、先の短さを悟った勇者は私に頼み込んできた。最後は穏やかに過ごさせてくれとな。だれもいないような静かな場所で過ごすことを許して欲しいと言ってきた」

「……だからか」

「察しの通り。国中に広まった英雄が隠居などということも、勇者らしからぬ死因も、不都合でしかなかったのだよ。死体を残せば首の切られた跡が見られてしまうからな。骨だけにしたよ。安心しなさい、最期は苦しまぬように薬で眠らせてから」

 国王は最期まで言葉を言い切ることはなく、その場に首を落とした。

「ッヒ…」

 床にじわじわと広まっていく国王の血が、傍にいる護衛と宮廷魔術師達の足下を濡らしていった。




 国中のあちこちで、人々の悲鳴と炎が上がる音が聞こえる。炎から逃げようとする人、炎を消そうとする人、何も出来ず立ち尽くす人を炎が意思を持ったように飲み込んでいく。

 人が人を押しのけ走り去っていく様も、勇者様助けてと声を上げ泣き喚く子供の声も知ったことでは無い。

 ただ、青銅の像は何度で溶けるんだろうか、とぼんやりと考えていた。

 広間にある、あいつと一緒に座ったベンチに座りながら、白くて真っ白な陶器の壺と黒い髪の束をまとめて抱きしめる。

 数多の人間の恐怖と畏怖と、憎悪の念が体に集まってくるのが分かったが、全てどうでも良かった。あいつが静かに終わらせて欲しいと、そう願ったんだ。

 ごめん、静かになるまで、少し時間がかかりそうだ。





 ある地方のある場所に、昔は国だった広い森がある。たった1日で燃え尽きたその国を覆うように、僅か4日間で森は出来たという。

 その森の中心部に、静寂に包まれた森へ侵入した人間を一人たりとも許さず殺す異形の存在がいる。白い陶器の壺と黒い髪の束を抱き異形と化した元魔法使いの男の存在を、人々は魔王と、そう呼んだ。

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沈んだ気弱な太陽 がらなが @garanaga56

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