第三章──没落貴族編
始まりの治癒士──パナケイア
「ありがとう……それと僕のわがままに付き合わせてしまった故に起きてしまった結果かもしれない………本当に、本当にごめんよ。」
あれから数日が経ち、アークの愛銃としているパーカーヘイルを修理してあげ、俺たちの家に留まる理由もなくなった彼は早くに荷物をまとめて去ることを決めた。
「気にすんな。お前はなんも悪くねぇよ……まぁまたどっかで会ったら、そんときは飯でも食いに行こう。」
「そうだね、その時は僕に奢らせてくれ。
それじゃあ、君もやる事があるだろうし、僕はそろそろ行かせてもらうよ──それじゃ、また会おう! ツカサ!!」
パーカーヘイルを背負ったアークは、グッと俺の手を握りしめ、半ば強制で固い握手を交わし、後にゆったりと街道を歩き出して直ぐに姿が見えなくなった。
「お前は生きろよ、頼むから……誰も死なないでくれ。」
パタリと店の扉を閉め、いつもよりも早めに閉店の看板を掲げて二階に上がる。
最初に見えたのは、ダイニングの椅子に座らされたベルちゃんと、その横で必死にベルちゃんの口に食事を運んでお世話するユーフェルの姿だった。
「どう? 美味しい??」
あれからまだ数日ほどしか経たないが、それでも俺たちにとっては果てしなく長い時の流れだった。
俺がアークの愛銃を直している時も、傍らでベルちゃんが目を覚ますことを願っていた。
ユーフェルもアリスとの魔術の鍛錬を終えると、俺にただいまを言うよりも先にベルちゃんのもとに行き、様子を確認する。
彼女がいつ起きて、おはようと言っても俺たちがちゃんと笑顔で返してあげられるように。
その起床との間に寂しさを感じさせないように、俺たちはひたすらに彼女を見続ける。
アリスも言葉にこそ出さないが、ユーフェル曰く魔術を通して四六時中確認しているらしい。
なんやかんやで、アリスが一番心配しているのだ。
「俺が代わろうか? 昨日も今日も、ユーフェルが付きっきりだろ? 休んでもいいんだぞ??」
俺が優しさでそう語りかけると、ユーフェルはキッと強く睨むように俺を見て断る。
「そんなこと言わないでください。
私はやりたくてやってるんです、この子は死んでない。私たちはこの子を失ってない、私は信じてるんです! だから、そんなまるでベルちゃんの身の回りのお世話を仕事だのなんだのみたいな扱いしないでください、面倒だなんて思ってません!!」
彼女の睨んだ視線は俺に対する嫌悪感ではなく、ただただ純粋にこの現実と、限りなくゼロに近い彼女の復帰、その可能性がもはや可能性と呼べるほどに望めない事実を否定したいがための強がりだった。
俺はそんなユーフェルを見てると、心がまるで締め付けられるように痛み、唇を噛んで俯いた。
「まぁ……その気持ちは俺も痛いほど知ってるよ。
だからこそ、今は否定したくて怒る言葉かもしれないが言わせてくれ──辛くなったら、俺に任せてくれ。そんときはしっかり休め。」
「………はい。」
口をモグモグと動かすも、瞳に光はなく、ただ食べるという動作だけを繰り返すベルちゃんと、その現実を受け止めるのに耐えきれずに何度も苦痛に折れて逃げるユーフェルの姿が、ツカサさえも苦しめていた。
「俺は下で商品の整理をしとく、何かあったら呼んでくれ。」
~~~
「ベルちゃん、飲み物はさむ? 喉乾いてない?」
私の心は常にチクチクと痛みを訴えてくる。
私が食べ物を口に近づけると口を開け、飲み物を近づけるとストローをくわえる。
しかし、私がどれだけ語り掛けても言葉だけは返ってこない。
私が何度、彼女を抱いても彼女の両手は決して私を抱き返してはくれない。
「そうだ! クッキー作ってあげよっか?! ベルちゃん、私のクッキー大好きだもんね!! 沢山作ってあげるよ!! そしたらさ、目が覚めたりするんじゃない? この前なんて、私がクッキー作ってたらその匂いで起きてきたもんね〜! きっと今回もそんなふうに匂いで起きたりするんでしょ〜??」
私は笑顔を貼り付ける、彼女に涙はもう見せる必要がない。
心の内側でたまりたまった涙の貯蓄は決して漏らしてはならない。
しかし、私の心の痛みはその涙の漏洩を促すかのように心のコップに穴を空ける。
小さく空いた穴からは小さな涙の滝が溢れ、私の心をじんわりと涙の温もりと悲しみで染め上げ出す。
「くっきー……どうやって作るんだっけ?」
ふと、手を止めて呟いた。
私はその作り方を思い出せなかった。
否、クッキーは作れる。
でも、それが美味しくできる保証がなかった。
彼女が、楽しみ!とも美味しい!とも言ってくれないクッキーに味の保証ができない。
幸せを感じない、嬉しさを感じない。
台所の上に並べた食材に手を取ることなく、私はその場に流れ崩れように屈んでその両手は台の端を掴み、俯きながら溢れそうになる涙を必死に抑える。
何度も込み上げて、何度も忘れられず、何度も後悔するあの光景。
私があの時、やっぱり魔術でもなんでも使って逃がしておけばよかったと後悔が絶たない。
「なんで……潜在能力さえ解放できてたら、あんな魔物、瞬殺できたのに! 潜在能力さえ解放できてたら、ベルちゃんを助けるぐらい簡単だったのに!! なんで! なんでベルちゃんが死んでから解放なのよ!! 遅いじゃん!! それじゃ助けられないじゃん!! なんで?! なんで私はいつもそう遅いの?! なんでいつも、いつも!!
………私が死ねばよかったのに。所詮は奴隷でしかない、没落貴族でなんの価値もない私なら死んでもよかった……ベルちゃんを助けるべきだった!!」
ドンッと食材たちがバウンドするほどの衝撃を台にぶつける。
悔しさと怒りが表れ、憎悪に包まれた魔力が微弱ながらに自身の全身を纏う。
「私が死んで……この子を救う………?
私の生きた精神とこの子の死んだ精神を交換する魔術とかあればいいのに。」
「──あまりそんな事ばかり言ってると、私が蹴り飛ばすわよ。」
突如として聞こえてきた声の正体は、床に座り込んでいた私の胸ぐらを掴みあげ、鋭い眼光で睨みつけるように怒るアリス師匠だった。
「あんたの命とこの子の命に優劣なんてないわ。
あんたもこの子も救ったツカサにとって、この子が生き返ってあんたが死んだところでツカサはまた悲しむだけよ。
自分の命は自分のモノよ、でもね……あんたも私も、この子もその命を粗末に扱っていいほどに孤独で無価値な生き方をしちゃいないわ。」
「ごめんなさい……でも、私には魔物を倒せるポテンシャルがあったんです! それなのにあの力はベルちゃんが死んでから解放された! それまではただ見ることだけしかできずに、ただ瓦礫の下でベルちゃんの悲痛の叫びを聞くことだけしかできなかったんです!! そんなの……そんなの!
──自分を殺したいぐらいに憎むに決まってるじゃないですか!!」
「潜在能力の解放は技術でもあるわ、それを教えなかった私に非があるのよ。
フェルが悪いじゃない、貴女をそこまで成長させてあげられなかった私の能力不足よ。」
「なんですかその無理矢理にでも自分に責任を押し付けて、私を救おうとする無茶な言い訳は! 違うでしょ!! 私が悪いんですよ!! あの子は誰も失いたくないって言ってた、それなのに私はまるで自分が死ぬことを誰もが察せてしまう状況で頭ごなしに逃げなさいとだけ言い続けた!! あの子が私の生存を信じられるだけの力とか、可能性とか、作戦とか、納得して先に逃げてくれるだけの何かを持っていれば……少しでも変わっていたかもしれないのに。」
ユーフェルは幾千幾万も味わった悲しみを乗せた手でそっとベルの頬を撫でる。
その触れ合いを食べることと勘違いしたベルはそっとユーフェルの指を咥える。
「ふふ、これは食べ物じゃないよ? ごめんね。」
もう片方の手で頭を撫で、そっと指を口から引き抜いて少しばかり残った昼食を再び、ベルの口元に寄せて食事を再開させた。
「私は歴代で最高の魔術王よ……必ず、私がベルを救ってみせるわ。」
アリスはそう言い残して、どこかへ転移魔術で姿を消してしまった。
「師匠なら……って希望、抱いちゃうじゃないですか………」
人々が不可能と決めつけた領域の魔術。
されど、その壁を超えたあの人なら或いは………。
「──けほッ! けほッ!!」
喉に食べ物を詰まらせたベルが咄嗟に咳き込み、喉を手でおさえる。
「あぁ! ちょ、ちょっと待ってね!!」
ユーフェルが口に指を入れると、ベルは先程までパニックに陥っていた状態から、まるで安心しきったかのように大きく口を開く。
「ちょーっと吸い取るよ?」
特定の物質に指定して発動する、憑依型の魔術式。
ベルの喉を詰まらせた原因の芋をゆっくりと吸い上げた。
「これでスッキリした?」
決して返事は返ってこない。
瞳も表情も変化はない、けれどそっと彼女の手はユーフェルの腕を掴んだ。
「そっか、きっとありがとうって言いたいんだよね。どういたしまして、ベルちゃんの為ならお姉ちゃんは何だってするからね?」
その腕を掴んだ意味は定かではない。
けれど、彼女がそう告げるとベルはスっと腕から手を離してまた口を開けた。
正確には死んでいない、その表現は正しく、そして彼女たちに中途半端な希望を抱かせ続ける曖昧で生殺しな状態だった。
それからユーフェルは昼食を与え終わると、ベルを着替えさせ、車椅子を用意して散歩の準備を始める。
「ツカサさん、少しだけ外を歩いてきます。
ベルちゃんも日光浴びないと、生きていますから。」
「おっ、なら俺もいくよ。少しだけ待っててくれ。」
そうして、ツカサとユーフェルはベルと共に正午の暖かな陽の下で散歩に出掛けた。
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日差しが心地よい正午の街並み。
本来なら、復興で大勢の人々が多忙なはずだが、あの一件のあとで自分たちの生活圏でもあるという理由でアリスが特別に壊された王都全域を修復の魔術で直してしまった。
本来なら、三つほどの魔術師団が総勢で掛かって始めて成せる程の神業。
彼女はその片手を前に突き出すと「直れ」と一言呟いただけで王都に天井が出来たかのような巨大な魔術式で覆われ、ものの一瞬で元通りになった。
とはいえ、死者までは帰ることはなく、今回の王都襲撃は国家どころか大陸を巻き込む大きな問題として取り扱われるだろう。
そして何よりも、理外迷宮の魔物の脅威性をその身で実感したうちの国と、それを知った国家の多くはあの場所がどれだけ恐ろしいのかよく知る機会となる。
これを機に、何かしらのルールであの扉を安易に開けることは禁じてほしいものだ。
「ポカポカしてますね、でも風は少し涼しくて丁度いいです。
ベルちゃんをお散歩に連れ出してよかった。」
車椅子に乗せられたベルは真っ直ぐ前を向いた姿勢のまま動かない。
ゴロゴロと石の道を、ユーフェルと会話を交えながら歩き進める。
「そうだな、きっと楽しいって思ってるさ。」
「ベルちゃん、良い子ですからね──きっと何か悪戯考えてたりして? ふふ。」
「ありえるな、ついこの前だったか? 俺がベルちゃんと街で買い物してた時なんだけど、俺が荷物で両手が塞がってることをいいことににやにやした顔で俺のズボンを公衆の面前で下げやがったんだよ。
あの時はマジで過去一番に焦ったなぁ……下げられた途端に家屋の屋根に飛び移ったから人の目には映ってないと思うけど、中々にえげつないイタズラしてくるよ。」
「ふふふ! ははは!! パンツを見られそうになって焦る世界最強の剣士ですか? ワードだけで見ると中々に面白いですね。」
「笑い事じゃないんだぜ?! あの時に俺が少しでも反応遅れてたら、俺は今頃この街一番の露出狂とでも評されてたかもしれないんだよ。
でも、その後で焦った〜!って言いながら帰ってきた俺を見ながらベルちゃんは腹を抱えて笑ってたよ。 子供らしくて可愛かった、悪戯の内容はえげつないけど、純粋無垢な子供だなって感じがして、自然と不快感はなかったな。」
「ですよね、この子と一緒にいると幸せが自然とわきあがるんですよね。
だから、こんな状態のベルちゃんでも私は今こうして散歩で着てるだけで幸せですよ。
──例え、この子が喋らなくても私には分かりますから。 同じ眼を持ち、共に辛さを分かち合おうとした仲なんです。」
「そうか……本当の姉妹みたいだな。」
「きっと私がこの子の実姉として生まれてたら、もう誰の手にも渡さないぐらい溺愛してたと思います。」
「ふっ、お姉ちゃんがすぎるだろ? こういうの何て言うんだったか? シスコン?ブラコン? 今のユーフェルは正しくそれだな。」
「や、やめてくださいよ! 私はそんなんじゃありません! お姉ちゃんとして! 妹を大切に思ってるんです!!」
「そうかそうか……。」
暫く歩き進めていると、ユーフェルが突然足を止めて前を見つめる。
「どうした?」
それにつられて俺もそちらを向くと、そこには貴族の子息が群がってこちらの方向へと進んでいるのが見えた。
ユーフェルも元は貴族の生まれだ。
貴族とはすれ違うのさえ嫌なのかもしれない。
「仕方ねぇな……ベルをしっかり抱えといてくれ。
俺がユーフェルを抱える、車椅子も畳め。」
ユーフェルはキョトンとした顔でこちらを見つめるが、直ぐにベルをガッチリと抱きしめ、俺のそばに寄ってくる。
車椅子とユーフェルを抱えた俺は浅く息を吐き出し、深く呼吸を吸い込む。
「──ッ!」
踵を蹴り出し体を前に倒すように駆けると、つま先立ちになったところで一気に上へとそのつま先を蹴るように押し出し、二階や三階の建物が並ぶ中でそれらを遥かに上回る高さを跳躍し、風が頬を激しくぶつかりながらも、王都の端っこまで見える絶景に不意に声が漏れる。
「すごーい! 魔術無しでこんな身体能力、やっぱ凄いです!! ツカサさん!!」
ユーフェルの歓喜の様子に不意に微笑みが漏れ、落下へと変わり出すとユーフェルに告げる。
「ちょーっと胸が圧迫されるかもだぞ、苦しいけど我慢な?」
「えっ?──」
キョトンとした顔で振り返った直後、落下を始めた途端から徐々にギアを上げるようにその速度は上昇し、呼吸が苦しくなる。
「うわぁぁぁああああ!!」
胸が圧迫されるが、安全だとわかっているとどこかスリルだけを楽しめる遊戯のように思える。
私が抱えるベルちゃんも、咄嗟に胸をおさえて苦しそうに振る舞うが、その顔は俯くわけでもなく、絶景な王都を見ている。
「ツカサさーん! ベルちゃんが!! ベルちゃんも王都が綺麗だって言ってまーーす!!!」
「そうか! じゃあ、もっと高く跳んでやろうかぁ?!」
直後、先程まで加速していた速度がゼロに限りなく近い程に柔らかく着地し、優しくユーフェルと車椅子を肩から降ろす。
貴族の群れは超え、数十メートルは離れた先で着地したので気付かれることもないだろう。
「ふぅ……でも苦しいみたいなので、もう結構です。ありがとうございました!!」
「そうか? まぁならやめとくか……ベルちゃん、いい景色だったろ?」
ユーフェルが抱えるベルに語りかけてみるも、彼女がこちらに振り返ることはない。
「あれ? ベルベリス家の奴隷落ち令嬢じゃね?」
不意にそんな言葉が耳に届いた。
ベルベリス家。そうだ、思い出した……この国で有名な直近の没落貴族、ユーフェルの貴族としての家名はベルベリスだ。
「え……?」
ユーフェルもその言葉に反応するように振り返る。
それは悪手だった、聞こえないフリをして振り返らずに顔を隠していれば誤魔化しが聞いたかもしれない。
しかし、そこで振り返って反応を見せた上で顔を見せてしまえば確定させてしまう。
「ほら! やっぱ、あのベルべリスのムカつく令嬢だ!!」
その少年は小太りの金髪で、油まみれな片手には揚げ物、もう片方には分厚い財布を持っていた。
その分厚さからして、相当な数の硬貨が入っているのだろう。
だが、金はそんな見せびらかすように持つべきじゃない。
金の価値を真に理解していない子供だからこそ、犯してしまう過ち。
俺に及ばずとも、この世界には目に見えない速さで走る人間なんて腐るほどいる。
特に盗賊などは逃げることが勝ちなので、速さに重点を置く。
今、盗賊に狙われたらあの金は一瞬で奪われるだろう。
「おい、そんな見せびらかすように金は持ち歩くんじゃねぇ。盗まれるぞ?」
俺は咄嗟に注意した。
しかし、少年は額に青筋を浮かべ、口に含んでいた咀嚼された揚げ物を地面に吐き出すように飛ばしながら文句を垂れ出す。
「ふざけるなッ! 平民ごときが僕に指図する気か?! 生意気な口を聞きやがって……お前ごとき、僕がその気になれば殺してやるんだぞ?!」
「おい、俺は子供相手にマジになるほど器の小さい男じゃない……許してやるから、黙って大人の教えには従うもんだ。 盗まれても俺は取り返してやらないぞ。」
「黙れっ! 僕は名高きブルズリック伯爵家の子息だぞ!! 」
俺は額に手を押し当ててため息を吐き、呆れながら手を振って見捨てる。
「そうかよ、ならもう知らねぇよ……盗まれて後悔しな、行こうぜ? ユーフェル。」
俺は車椅子を押し、立ち尽くすユーフェルの手をとって横を通り過ぎようとする。
「え、あ、はい!」
「──待てッ! ふざけるな、この僕を愚弄して逃げるだと?! 許されると思うな、お前はこの奴隷の主なんだろ?」
少年はその油まみれの手でユーフェルの綺麗な白いワンピースの裾を掴む。
無論、ワンピースには油の汚れがべっとりと付着し、最悪だ。
「おい?! 服が汚れただろ、どうすんだよ?! これが幾らするかお前は知ってて触ってんのか?!」
彼女の白いワンピースは決して安くない。
以前に服の種類が少ないユーフェルの為に買ってあげた服だったが、ユーフェルがあまりにもじとっそれを見つめるので欲しいのだろうと思った俺がユーフェルの申し訳ないという言葉を押しのけて買ってあげたものだ。
値段を見せられた時には驚いたが、ユーフェルが喜んでくれるならと思って買った服だ。金貨百枚近くの値段だ、それがどれだけの価値を示すかといえば大豪邸を建ててもお釣りで財布がパンパンになるほどの量。
金貨百枚なら選定級に多少の無茶な依頼でも頼める。
俺にとってもユーフェルにとっても思い入れのある服を、この少年は無遠慮に掴んで汚したのだ。
「なんだと?! この僕が止めてやったというのになんだその態度は?! 本当に殺してやるぞ!! もういい、一回の奉仕だけで許してやろうと思ったが、そんなのでは生温い! その奴隷をタダで僕に譲れ! お前の目の前で陵辱の限りを尽くして僕のモノにしてやる!!」
「……ダメだ、相手はガキだぞ。」
プルプルと震える拳を必死に抑え、殺気さえも押し殺す。
「ツカサさん、私は大丈夫ですから……怒らないで? ベルちゃんが怖がっちゃいますよ?」
ユーフェルのそんな言葉に俺は怒りが霧散するように消え、代わりに笑いが込み上げてくる。
「そうだな、汚れもアリスなら魔術で落とせるだろうしな……無視して行こうぜ、ベルちゃんもまだお散歩したいって顔してる。」
俺はベルの顔を覗き込むと、ただひたすらに前を向いた光のない瞳が映る。
しかし、覇気やオーラなどの目に見えないものを感じ取れる俺にとって彼女が何を思っているのかは間接的で、僅かながらだがふわっと理解できる。
まだお散歩したいという欲のオーラを感じる。
「心、完全に死んでねぇ証拠だな。」
「はい! きっといつかまたお話できますよ。」
「だぁぁあああ! 僕をッ! 無視するなぁあああッ!!」
「──きゃッ!」
堪忍袋の緒が切れた少年は、大根より太い短足で油断しきっていたユーフェルの横足を蹴り飛ばし、彼女を転倒させる。
「お、おい?!大丈夫か?!」
「こいつもムカつくんだよ! 僕が話してるのにずっと無視して前を見やがってッ──」
俺が咄嗟にユーフェルのもとに駆け寄ると、少年は車椅子めがけて再び蹴りを放とうとする。
「──テメェ、殺すぞッ!!」
咄嗟にそれを防ぐ術が殺気しかなく、俺は相手が少年であることを忘れて街の広場全域を覆うほどの濃密で恐怖と混沌を招く殺気を、少年の一点に向けて放った。
「──はっ?! はは………あ、あぁ……ご、ごめ……ごめんなざい……あぁ、嫌だ! 死にたくない!僕はまだ死にたくない、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! パパ、ママ助けて!! ごめんなさい!!」
少年の一点に集中して刺さる殺気は、直ぐに彼の心を折り、少年は抱えていた揚げ物と財布を落として俺を恐怖の権化だと主張するかのように見つめながら、ずるずると後ろに退く。
ズボンの隙間からは黄色い液体が流れており、顔は涙と鼻水でびちゃびちゃに汚れている。
「あ……悪い。」
とっさのことすぎて無意識に放ってしまった殺気に俺は罪悪感を感じながらおさえる。
「坊っちゃま?! 大丈夫ですか! このようなあられもない姿になって……貴様か? 貴様が何かしらの術を施したのか?!」
やがて直ぐに、従者と思える執事が現れて少年に駆け寄る。
「うちの連れを蹴り飛ばしたもんだから、俺が殺気を放った。それだけだ。」
「殺気を放った、だと?! 相手は伯爵家のご子息なのだぞ?! その罪の重さは理解しているのか?!」
激昂する執事に頭を抱えていると、ユーフェルがちょんちょんと指で俺のポケットをつついてくる。
「持ち歩いてますよね? 見せたら穏便にすみませんかね?」
「え? ──あぁ! あれか!! すっかり忘れてたよ。」
俺はポケットの中から一枚の硝子のカードを取り出す。
「俺はこういう者だ。少なくとも俺はこの国の王より支配力を持っていると思うぞ。」
硝子の冒険者カード。それは世界で十人しか持つことを許されていない、世界を消滅の危機に追いやれし人類の最高峰。
執事はそのカードを見た途端に抜こうとしていた剣からパッと手を離し、荒々しかった口調も丁寧に直る。
「申し訳ない、まさか選定級様とは思いませんでした……どうか、どうかこの件はひとつ穏便に………」
隣で少年が未だ恐怖で震えており、その隣で執事が冷や汗を流しながら頭を下げてくる。
「それ以上、こっちに干渉してこないなら俺は何も言わない……それと、そこのガキに伝えといてくれ。
──ユーフェルはもう奴隷じゃない、俺の家族だ。」
「ツカサさん……ふふ。」
「畏まりました……失礼致します。」
執事はスっと頭をもう一度下げると、震えて動けない少年を抱え、俺たちの背にあたる方角へ颯爽と走り去っていく。
「いいな、このカード。」
相手が選定級とわかって喧嘩を売ってくるのは魔物か同じ選定級ぐらいだ。
王族相手でさえ、このカードを見せたら対等かそれ以上の待遇を受けられるだろう。
帝族でも通用するかもしれない、なんせ自分たちの国家や大陸を滅ぼせるだけの力を持ち、その力で国家や大陸の治安維持に貢献してくれているのだ。
無碍にできるはずがない、あの一件は異例だ。
「さて、行くか。」
「はい! 私、ツカサさんの家族ですから!!」
ユーフェルが俺の腕にギュッと抱きついてくれた。
表では冷静ぶっていたが、内心は胸が高鳴り、喜びのあまり踊り狂いたかった。
~~~
「うーん? でもその術式を用いると精神に干渉しようにも、この効果が優先されて結局肉体干渉になるよ?
──それだったら、こっちの術式の方が精神干渉には有利に働くんじゃないかな?」
スッキリした白を基調とした、薬品や実験器具がやたらと並ぶ一室でリファとアリスが並んで黒板の前で唸っていた。
「その場合だと、私の知る限りではここ術式がここと反発して対象に悪影響を及ぼすわ。」
二人は、ベルを救うためにただひたすらに精神系統魔術の開発に勤しんでいた。
「あー、だったらこいつを加えて……こんな感じにしたら、反発が起きずにこことここが繋がって上手い具合に間に挟まって成り立つんじゃない?」
「そうね、でもこの術式は間を挟むのに優秀だけどその反面で効果を半減させるという致命的な弱点があるわ。
移動・転移系魔術になら強いけど、治療系には弱いんじゃないかしら?」
「そうだったね……よく覚えてるねぇ、流石は魔術王様だ。」
「その名は伊達じゃないってことよ……死にきってはいないのよね、ベルの精神って。」
「そうだね、僅かに生き残ってるよ……まぁ最も、彼女には深い心の傷が残ってるからその死にかけた心に到達する前に傷に触れてダメージを与えるかもしれないけど、だから普通に作るのでも難しいのにもっと難しいんだよね。」
「そうね……目に見えない存在の、特定の領域を指定した術式とかあれば便利なのだけれど。」
「うーん……ん? アリスちゃんって時間遡行とかってできる?魔術で。」
「まぁ不可能ではないわね、やろうと思えば。」
「それって、特定の時間まで戻ることも?」
「できるわよ?」
「時間って目に見えない概念的存在なのに、どうやってその概念的存在の特定の領域だけを指定してるの?」
「………それだわっ!!」
二人は互いにチョークを手に取り、まるでお互いが分かりきったかのように協力して魔術式を組み立てていく。
「ここをこうして! これでこうよね?!」
「そうそう! そしたらそこの術式の反発をこっちの術式でプラマイゼロにして、あとはアリスちゃんがその例の術式を書いてくれたら………」
「任せてちょうだい……ここにこうして! 出来たわ!!」
総数にして千五百にも及ぶ魔術の重なり、それをひとつの圧縮した魔術式。
行使しようものなら、大陸の魔術師が総出しても不可能だろう。
しかし、そこにいるのは選定級の魔術師二人。
二人は、実験用のラットにその魔術を早速行使しようと試みる。
「私からやるわ、貴女は何かあった時のためによろしく。」
「了解。」
アリスが緻密な魔術式を構築し、怯えて箱の中で逃げ回るラットに狙いを定める。
「ごめんね、少し心に触れるだけよ。」
直後、アリスの魔術は圧縮されすぎたが故に耐えきれずに、千五百の魔術がそれぞれ独立して並行で行使されようとする。
「やばいッ!
二人は咄嗟に千五百の魔術をものの見事に一瞬で消し去ることに成功した。
「魔術をぶち込みすぎて、耐えられなかったみたい。」
「魔術式が魔術の数にキャパオーバーって感じかな?」
二人はため息を吐きながら、黒板を見つめて再び唸り始める。
「さて、何処を削る?」「それが分かってたら私は腕を組みながら首を傾げてなんていないわよ。」
キャパを考えなければ、この魔術式は理論上は精神という目に見えない存在に干渉できる効果を持ち、この魔術でリファがベルの精神に干渉した時に併用で治癒魔術を行使すれば精神に作用するのではないかという考えだったが、そも精神に干渉すること自体が難しい。
「うーん、マジで思いつかないね。」
「そうね、精神……精神に対する解釈が甘いって可能性もあるわね。」
「というと?」
「簡単な話。私たちは精神という目に見えない、普段は何も気にせずに使ってるモノだけど、目に見えないし触れることもないから、もしかしたら世界そのものが精神という概念に定義を与えてるのかもしれない。
それを発見できたら、簡単になるんじゃないかしら?」
アリスの意見は最後の一言を除けばもっともだ。
世界が概念に定義を与える、というのは流石のリファでも首を傾げた。
「世界が概念に定義を与えるってどういうこと?」
「例えば、魔術は魔力を用いて術式を構築し、そこに魔力を流して発動する。これは私たちのような魔術師が定義した訳ではなく、元から世界がそう定めていたルールよ。
魔力で完結し、魔力だけが燃料となる超常現象の任意操作。
私たちのような人類が意味する定義は、あくまでそれが不明であり続けることが困るからであって、世界がつける定義はそのモノの本来の役割であることを意味する。
つまり、私たちは精神がなにかよく分かっていないんじゃないか?って話よ。」
「ちょっと待って、今って精神魔術の研究であって論理国語の時間じゃないよね?」
「違うわよ。ただそうなんじゃないかって私の意見……身近で精神に対する理解度が高い人間って誰かしら?」
リファとアリスは共に精神という概念に深く関わりがある人物を思い出そうとする。
「うーん……精神、精神………」
ふと、アリスは台の上に置かれた桜の模様が入った硝子のコップを見つける。
「あぁ! いたわ!! いるわよ、一人! 自分の精神世界を武器にする男がッ!!」
アリスはそう叫ぶように言うと、リファがそれを問うより先にその場から姿を消した。
「え、えぇ……? 行動力の凄まじさに言葉も出ないよ。」
やがて、直ぐにリファの目の前に魔術陣が現れ、アリスが一人の男を連れて戻ってきた。
「ちょちょ! なんだよ、急にっ?!」
「いいから来なさいよ! ツカサの力が今は必要なのよ!!」
アリスが連れてきたのはクルクル巻きのパスタがセットのフォークを片手に持つ、明らかに食事中のツカサだった。
「え? ツカサ君? あぁ、あぁ! なるほどね!!
──ツカサ君の心象を世界として映し出す技か!!」
「そう! それよ!! さぁ、ツカサ! あんたの心象を相手に見せつける技、どうやってやるのか教えなさい?」
フォークのパスタをぱくりと口に運び、首を傾げる。
拉致られて、勝手に話が進み、何一つ理解できていない彼は答えたくても何をどう答えたらいいか分からなかった。
「まず落ち着けよ、なんで俺の無我の境地を教える必要があるんだ?」
「私たちは今、相手の精神に干渉する魔術を開発しようとしてるんだけど、中々上手くいかなくてね?
それで、相手に自分の心象を見せるツカサ君なら、何か分かるんじゃないかなって。」
「あー、そういう事な?
──力になれるかどうかはわかんないが、俺が自分の心象を相手に見せつける時は魔力なんてそも才能がない俺には覇気で応用してる。
覇気はそいつの強さを示すのにもっとも最適なエネルギーみたいなもんだ。魔力とは違って万能ではないけどな。
覇気は魔力と違ってそいつそのものから生まれる強さや精神の副産物みたいなもんだから、よくそいつの心象が乗りやすい。
てか、元から乗ってる……その覇気の濃度を限界まで上げて自分だけの領域を作り上げるんだ。
覇気は濃度を上げると相手に圧を与えるが、その対象を世界に変える。
すると、世界は俺の覇気に押し潰されない為に俺の覇気をもうひとつの世界に移すんだ。
あとはその覇気の内側にいた人間の座標が、全く同じだけど異なる世界に移動する。
世界の力を利用してるわけだな……まぁ要するに精神と結び付きが強いのは覇気だ。
覇気と魔術を結びつけたら何か見えてくるんじゃないか?」
「覇気ね……助かったわ、ちょっとそっちの研究も進めようかしらね?」
「そうだね、食事中にごめんね〜!」
助言を終えたツカサはアリスに用済みと伝えられて、しっしっとのけ払うように転移魔術で送り戻した。
「て、てめぇ! 俺を勝手に拉致ってその態度はな──」
自分の扱いの悪さに不満を垂れようとしたが、アリスの魔術から逃れる術がなく、そのまま帰ってしまった。
「さて、覇気……私たちって普段、相手を威圧する時は魔力を放ってるからあんまりしっくり来ないわね。」
「そうだね、ちょっとやってみよっか。」
アリスとリファは力むために腰に両手をおき、構えをとって眼をつむる。
心の奥底から湧き上がる、魔力とは本質が異なるエネルギー。
「………ッ!!」
アリスは微弱ながらに覇気を放出し、部屋の中に優しい突風を起こす。
「……むむむ、何が覇気かは分かるんだけどそれを引っ張り出すのが難しいよ。」
リファはお手上げと言わんばかりに脱力し、アリスに一任する。
「ダメよ、これがもし貴女が覇気を用いることでしかできないものだとしたら、貴女にしか頼めないのだから。」
「いや、治癒魔術なら教えるよ。私も自分が開発した治癒魔術が私だけの武器とは思ってても、私だけのものとは思ってないから。
他の一般術師は見ても真似できないけど、アリスちゃんなら余裕でしょ。」
「はぁ……精密な制御も慣れてるのは貴女でしょ?
──私よりも適任なんだから、頼むわよ。」
「はぁ……分かった、その代わりに褒美は貰うからね? いくら私たちが慈善活動のお医者さんでも、この依頼は流石に対価がないと受けられないよ!」
「分かったわ。私ができる範囲なら何でも許すから。」
「えっ……珍しい、アリスちゃんがそんなこと言うなんて……そんなに大切な子なの?」
「えぇ、私たちにとってこれから共に過ごすはずだった家族の一人なのよ。
もう失わないって誓った、大切な大切な家族。
──だから、私が魔術王という称号を捨ててでも私はあの子を救うわ。」
「いやいや、魔術王の称号を貰うわけじゃないし、私如きじゃ貰うに値しないよ。
実力的にアリスちゃんを上回ってないから貰えないし。」
「でも、貴女は私よりも治癒魔術に精通した存在じゃない。」
「まぁ、これでも私は選定級だからね。
とはいっても、第十位の最下位だけど。」
彼女の口から告げられたのは選定級。
第十位、治癒魔術の始祖にして治癒士の始まりと言われる治癒魔術師。
あらゆる傷も病も彼女の医術を前にはなんの障害でもない言われるほどに優れた医者だと伝えられている。
人類が魔術を見つけて数万年以上が経過した近代で、魔術の歴史で始めて人を癒す魔術を生み出した偉業を持つ魔術師。
その功績と、人智を超えた医術にその能力値は計り知れないとされ、ついに選定級と認められた。
噂では、彼女は死者さえも蘇らせることが出来ると言われている。
「団長! 緊急の要請がありました、ここから北に三キロほどの集落で魔物の群れの襲撃にあい、負傷者多数! 直ちに向かって欲しいとの事です!!」
バンッ!と扉を押し開けて入ってきたのは白衣を纏った男性だった。
「了解〜。被害規模は?」
「負傷者数はおよそ四十名ほどとの事です!」
「はーい、それじゃあ私一人で行くよ。
──その数なら私だけで十分だろうし。」
「了解しました。私たちはここで団長の指示をいつでも受けられるように待機しておきます。」
「うんうん、あっ! アリスちゃんも来る?」
リファのアリスを見つめる眼差しは頼むから来て欲しいという期待と願望であり、それはおそらく彼女自体に突出した戦闘能力がないからだろう。
「いいわ、私も着いていく……でも、たかが魔物の群れぐらいならあんたなら捻れるでしょ?」
「うーん、まぁそうなんだけどさ……何かあったら嫌じゃん? この前なんて理外迷宮の魔物が放たれた訳だしさ、生き残りとかいたら怖いよ。」
「まぁ理外迷宮の魔物はあんたでも無理ね。
──いいわ、行きましょう……。」
「よっしゃ! じゃあ、レッツゴー!!」
リファはアリスにくっつき、片腕を元気よく挙げて元気に満ち溢れた声で出発の号令をかけた。
「あ、私の転移を使うのね……三キロ先の北の集落って言ってたわね?」
「そうだよ〜! 見える?」
アリスは自身の眼に魔術式を展開し、千里眼を発動する。
三キロ先の北には確かに集落が存在し、今もなお魔物たちが逃げ回る村民を襲っている。
「見えたわ、行くわよ。」
「レッツゴー!──」
アリスとリファは転移魔術で一瞬にしてその場から姿を消した。
その光景を見ていた報告係の男は、魔術王の規格外の魔術に呆れていた。
「レベルがちげぇ……転移って人間に許された技だったんだ。」
~~~
「きゃー! わ、私の息子を離してよッ!! やめて!! 連れて行かないで!!」
「お母さん!!助けて!!」
「だぁああ! 腕がぁああ!!」
「いやだ!いやだ! 俺に近寄るなぁ!!」
「いやぁああ! 痛い! 痛い!! 食わないで!! 死にたくない!!」
二人は転移によって集落に一瞬にして着き、最初に耳に届いたのは村民たちの悲痛の叫びだった。
「じゃ! アリスちゃん、頼んだよ〜!!」
「そうね、まずは魔物を消しましょう。」
「あっ! ま、魔術王様だ!! 魔術王様が──」
村民の一人がアリスの姿を見た途端に歓喜で叫ぶが、その最中でアリスが指を弾いた。
音の波紋は微弱ながらに集落全域に広がり、その波は魔物だけを対象とした、魔物の内部で自動的に構築される爆発魔術式。
村民の一人が叫ぶように伝えたことで、多くの村民が振り向くがその直後に、人々に襲いかかっていた狼の魔物や小鬼などが一瞬にして肉塊へと変化した。
「わぁお! 凄すぎ、指を弾くだけで魔物を殲滅ですか!!」
「いいから早く治してあげなさい、刻一刻を争う状況みたいよ。」
何が起きたか理解できない村民たちは、アリスの姿を見る度にそれを察する。
「あぁ! あぁ!! 魔術王様がお救いくださったんだ! 魔術王様が救ってくださったんだぁ!!」
「よっしゃあああ!!」
「魔術王様、ありがとうございますっ!!」
多くの村民が悲痛の叫びから歓喜の叫びに切り替わるが、それでも僅かながらに負傷した人々は泣いていた。
「はーい! 次は私の番だよ〜!! 行っくよ〜!!」
リファは集落を包み込むように巨大な結界型の魔術式を構築し、その直後に薄緑の液体が雨のように降り注ぐ。
「これぞまさしく癒しの雨、だよね。」
「凝りすぎよ、まぁ心安らぐ演出も大切なのかしらね。」
「そうそう、こういう凝った事も人を救う上では重要なんだよ。」
雨にあたる人々は次々と傷や食いちぎられた四肢たちが再生する。
ものの一瞬で総数百名以上の村民たちの傷が完治し、魔物も全滅したことで一件落着。
「すげぇ……これが選定級。」
「魔術王様と
村民たちは生きていることに喜びを噛み締め、歓喜の絶えない、アリスにとって少し騒がしいと思えるほどの感謝を浴びていた。
「あ、あのッ! わ、私の息子を!! 息子を治してください!! この子だけ治らないんです!!」
民が二人を囲って祝う中で、母が四肢の一部が欠損し顔も所々パーツが噛みちぎられ、内蔵も見えた最悪な状態の子供を抱えてやって来る。
母はリファに言う、死んだ子供を救ってくれと。
「………死者は救えないよ。」
「な、なんで?! 私! 聞いたことがあります、パナケイア様は死者を蘇らせる魔術をお持ちって! お願いします!! 何でもします、奴隷でも何でも!! 私の内蔵でも命でも捧げます、だからどうか!どうか息子だけは救ってください!! お願いします!!
──私の宝なんです、この子は亡くなった旦那が私に遺してくれた唯一人の家族で……宝物なんです!! お願いします!!」
リファは懇願する母の顔から目を逸らし、言葉を返そうとしない。
「なんで……出来ることを何故しようとしないのですか! いえ、わがままなのは理解しています! 死者蘇生なんて魔術が本当に成せるならその対価も凄まじいことは理解しています! だから私の命でもなんでも使ってください!! わたしは死んでもいい、だから息子だけでも救ってください!!
──私が死ぬべきだったんです! この子の為に私が命を捨てるべきだった!!」
どこかで聞いた覚えのある台詞、そしてつい最近身近で体験したその辛さ。
アリスはそっとリファの肩に手を置いて、彼女がこちらを振り向いたと同時に一言呟いた。
「──世界のルールに背いても私が許すわ。」
「………ダメだよ、これだけは絶対に出来ない。
これだけは絶対に……私が生半可な気持ちで生み出してしまった禁忌の魔術なんだ。」
誰もが死は否定したがる、誰だって死にたくはない。
幸せな生を謳歌し、多幸感に包まれながら満足に生きる永遠を手にしたい。
彼女の死者蘇生は、死という永遠の幸せを中断させる抗いようのない運命を一刀両断する、世界創世から定められたルールに違反する。
それが果たして、どれだけの神罰に値するかは定かではない。
「お願いします……大事な! 大事な息子なんです!!」
そこにいた村民の誰もが、口を出すことは出来なかった。
助けてもらった恩もあることから、救ってあげてくれなんて言えないし母親の気持ちも分かるから邪魔をするな、なんて言えない。
そこに一人の少女が現れた。
その少女は悲惨な姿の少年を見て呟く。
「リア? リアなの??」
まだ十を超えない幼い少女、死した少年と同い年だろうか。
少女はそう漏らしながら、母の抱く少年のもとに駆け寄る。
「なんで? なんでリアが……嫌だよ、あしたも遊ぶって約束したじゃん! しょーらいはわたしをお嫁さんにしてくれるんでしょ?
──なんで? なんでなの、なんでこんな……嫌だよ! 嫌だ!! 死なないで!! 生き返って!! 私が……私が魔術で!! そう、私ね! このまえ魔術を使えるようになったの!! いま、リアを助けてあげるからね!! わたしの魔術はね、凄いんだよ!! きっと目を覚ましたらリアも驚くと思うんだ!!」
魔術とはイメージから始まる。
その少女のイメージはおそらく、目の前の少年を救った未来だろう。
アリスは少女が構築したゆらめいて今にも崩れそうな魔術式にそっと手を伸ばす。
「ダメよ……その術式は暴発して怪我するわ。」
必死に魔術を構築しようとする少女の魔術式に触れて
「なんで?! 邪魔しないでよ! 私がリアを救うの!! リアが助けを求めてるの!! 私が助けてあげないと、私がいつも助けられてばかりだから!!」
「お願いします!! お願いします!! 助けてください、パナケイア様!!」
リファの拳はプルプルと震えながら、終始そっぽを向いて無視を続けている。
「リア! リア!! 起きてよ!! いま、体を治してあげるから!! だから治したら起きてね?! 私が絶対に治すから!! 起きてね?!!」
少女が幾度となく術式を構築するも、そのことごとくはまだ未完成と呼べるものであり、とても行使するには危険だった。
彼女はまだ第一の壁さえも突破していない。
それを見抜いていたアリスはずっと彼女の魔術をキャンセルし、止めるように説得する。
「ダメなんだよ……辛いのは分かるわ。
──でも、貴女の魔術じゃ……ダメなの。」
「じゃあお姉ちゃんなら助けられるの?! 私だってまだ習いたてで治せる自信なんてないよ! でもね、でもリアは私の大切なしょーらいの旦那さんなの!! ここで救ってあげないと、きっとリアは助けを求めてるから!!」
救える自信はない。しかし、僅かでも可能性があるなら突き進む。その子供にしては成熟しすぎ、実力が追いつかなかった現実にアリスは少女を胸に抱き寄せて頭を撫でる。
「私は魔術王よ。この世全ての存在する魔術は私にかかれば余裕で行使できるわ、でもね……そんな私でも死者蘇生の魔術だけは出来ないの。
──いえ、してはならないの。」
正確にはアリスは死者蘇生の魔術式を知らなかった。
しかし、知ったところでリファの考えも分かるアリスは安易にそれが出来るなんて言えなかった。
「魔術王……お姉ちゃん、世界最高の魔術師様?」
「えぇ、そんな私でもこの子は生き返らせてあげられないの。」
「でも、リアは私の………」
「リア君は貴女の心の中で生き続けるわ。」
「──………そんなの分かんないくせに軽々しく言わないでよ! 私の中のリアも、目の前のリアが死んじゃったらいなくなるよ!! だから、いなくなって欲しくないから! わたしは絶対に! 絶対に諦めないから!!」
少女はアリスの腕を振り解き、ふたたび魔術を行使しようと術式構築する。
しかし、彼女の術式を魔力が満たすことはなく、魔力無しの術式だけがリア君の前に浮かび続けるだけだった。
「な、なんで?! おかしい! 魔力を注いでるはずなのに!!」
「………」
「お願いします! お願いします!! お願いしますッ!! 助けてください! 息子を! 息子を救ってください!!」
リファはアリスの腕にギュッとくっつくと一言呟いた。
「アリスちゃん………帰ろ。」
それは転移魔術の起動をして欲しいという合図であり、確かにその言葉が聞こえていた母は青ざめた表情で立ち上がり、リファ達に向かって駆け出す。
「まって! いや!! いやだ! 待ってください! お願いします!! いやだ! いやいや!! お願いします!! お願いします!!」
リファ達の方へと駆け出す涙で顔を濡らす母親の顔を見て軽く一礼すると、アリスは自身たちの足元に魔術陣を展開し、母親が彼女たちに触れるより先に姿を消した。
「あ……あぁ………あぁぁ!! 嫌よ! リア! 目を覚まして! 誰か!! 誰か!! 誰かリアを治してよお!! いやぁあああ!! 死なないで!! 誰か!!」
「ぐすっ……リアは私のしょーらいの……旦那さんで、あしたはいっしょに近くのお花畑で遊んで………でも、もう………」
残された村民たちがそっと優しく、涙で心が崩れそうな二人に寄り添う。
「魔術王様もパナケイア様も苦しい決断だったんだ。
この子は村人たち総出で送り出してやろう………」
一人の男が母親にそう語りかけると、それ拒んだ。
「嫌です! まだ死んでない!! まだきっと死んでないんです!! 治せるなら死んじゃいない!!
誰か、お医者様はいませんか?! お医者様は!!」
母の悲痛で虚しい訴えに誰も答えるはずはない。
たった今、世界最高の医者に治療不可能と診断されたのだ。
涙は絶えずに溢れ出し、母は訴えをやめない。
「出来るぞ……その子の命、救ってやれる。」
その言葉は母親たち含め村人全員の視線を集めた。
魔術行使の補助を担う杖を片手に長いロングコートを羽織った青年だった。
「冗談言うな! 今はお前のお巫山戯に付き合う時じゃない!! パナケイア様が出来ないと申したことをお前如きになぜ可能だと言える!!」
「……失せろ、救える命を救わないのは正義じゃない。
目の前に救ってくれと懇願する人がいてそれを見捨てるのは医者なんかじゃない。
世界のルールなんて知ったことか、俺はついに知ったんだ……死者蘇生の魔術式を。
──この力で、一人でも多くの人の命を救ってみせる。 俺は俺に与えられた使命を全うする。」
青年はそう告げると、希望の光を見るような母の前に屈み、すっと手を向けると緻密すぎてもはや術式そのものの文字が見えない程の大魔術式に魔力を注いでいく。
「す、すごい……こいつ、マジで死者蘇生の魔術を?」
「ま、待て! パナケイア様はそれは禁忌で成してはならないと言っていたんだぞ! あのお方は出来たことをしなかったんだ! その理由も知らぬ貴様ごときが犯していい禁忌ではなかろう!!」
「禁忌とかルールとか! 人の命より大切なことかよ!! 目の前に救える命があって放棄できるほどお人好しじゃねぇんだ、こんな力を俺に与えた世界を恨みな。」
その魔術式は完全に構築完了となり、放たれる光はリアの至る傷を癒す。
やがて、可視化された魂のようなゆらいだオーラがリアの身に入ると、目をこすって母親の膝上で起き上がった。
「り、リアッ!!」「リアぁ!!」
その光景に、少女と母親は歓喜の涙と叫びで困惑するリア君を抱きしめる。
「え?えぇ? な、何があったんだよ??」
「良かった……これでまたひとつ命を救えた。」
青年は立ち上がると、用が済んだといった雰囲気で立ち去ろうとする。
「待て! リアを救ってくれたことは感謝するが、禁忌を犯したんだ! 今すぐにパナケイア様のもとに行くぞ!! これは重大なことだ!!」
村民は青年の肩を掴み、止めにかかるがそこにいた彼は霞みがかってすり抜ける。
焦って体勢が崩れた男が驚愕のあまり、見上げると青年は既に遥か先まですすんでいた。
「な……なんなんだ、あの子は?」
没落貴族の彼女に一目惚れした。 三枝 愛依 @SaegusaAI
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