非情な別れ。

──グリエント王国に突如として降りかかった災い。

その始まりに至るまでの少し時を遡ったお話。


~~~


「なんじゃと、選定級がそのような事をしては示しがつかんではないか! 奴隷は奴隷、それを主たる者の意思で平民にさせてしまう等、前例のない異常事態だぞ?

そんな異常を選定級の……それも今はもう冒険者もやめて隠居しとる剣士ごときに……はぁ………」


大きな円形のテーブルを囲って数席が用意されており、そこには中央大陸を統べる各国の王が出席していた。

そして、その部屋の扉から最も離れた上座となる位置には、先程から退屈そうに肘をついて語りを聞き続ける皇帝の席がある。


この世界は権力と暴力による支配が全てだ。

奴隷はいかなる権利も保証されておらず、平民はどこまでいっても平民であり貴族には逆らえず、貴族は地位と権力はあれど国家の一端を担うのみで全域を支配する王族の前では平民と何ら変わらず、そんな王族でさえも大陸を支配する皇帝の一族には誰も逆らえない。


「ただでさえ、最近は平民や奴隷が図に乗っておると言うのに……貴族共は何をしておるんじゃ! 領内の平民や奴隷どもを躾けるのが役目だろうがッ!」


円卓を強く叩きつけ、ひとりでに怒りを口に出す一人の王に、隣に座っていた王が宥める。


「まぁ、そうカッとなるな……別にそれで平民や奴隷が貴族や王族に牙を向ける訳でもないだろう?」

「お主はもっと考えろ!マルシリウスよ、この一件を起こしたのは選定級なんだぞ? この世界で武力を行使すれば国家や大陸、世界そのものが相手でも敵わない絶対的支配者たちだ。

そんな連中が好き勝手に我々の考えを踏みにじって動かれては、我々の統治にも影響が出る!」


マルシリウス。それは先程から激昂している王を宥めているグリエント王国の現国王の名であった。


「まぁノスタルジアの言うことも否定できんな……しかし、選定級を相手に牙をむくなど、一体どうしてそんな恐ろしいことができるんだ?」

「だからこそなのだ! 彼奴らに舐められぬように権威を示さねばならんのだ!! それなのに……天下五剣の抜刀斎といえば、マルシリウスの国に住んでおった第三位の男よな?」


ノスタルジアと呼ばれた激昂している男は、ツカサに注目しており、マルシリウスに尋ねる。


「ま、まぁ……あの者は我の国におるが………」

「我々が本気を出せば、どうなるか……教えてやらねばならんのではないか?」


「本気? いやいや、我々が本気を出したところで何が出来ると言うんだ?」

「その通りだ。マルシリウスの言う通りだ、俺たちがどれだけ足掻いたところで選定級の身には傷一つ付けられんぞ。」


マルシリウスとノスタルジアの話に、徐々に他の出席していた国王も参加し始める。


「儂はノスタルジアの話は魅力的に聞こえるが、まぁ実際はそんな手があると思えんの……邪神でも召喚するつもりか?」

「冗談にしては度が過ぎていませんか? 邪神を召喚するなど、超越者がいない今世で世界が滅びない道はないと思いますが?」

「どうでしょうかね、噂では第一位の魔術王アリスは歴代の魔術師、超越者の魔術師でさえ至れなかった境地に達していると聞きます。

彼女なら或いは……まぁ可能性の話ですので、大博打には変わりないですが。」


「──正気か? 邪神の召喚など、到底許されるべき行為ではないぞ?! 禁忌も禁忌、犯してはならない絶対的な不可侵だぞ?!

世界を滅ぼしかねない……いや、滅びる行為。

たかだか、自らの権威を示す為だけにそれだけの大博打は戯けすぎではないか?」


「戯けだと?! 邪神が降臨すれば、嫌でも選定級が出しゃばるわ! それで勝ることのできない連中ならば、世界の神々に対する抵抗力は所詮その程度よ!」

「その程度……権力が失えば所詮はただの肉でしかない我らがなぜ、こうも威張って彼らを嘲笑える?」


不意に出た、マルシリウスの言葉に座っていた全ての国王たちが振り向いた。

最初にその言葉に反応したのはノスタルジアで、それは当然のごとく、加速するように怒りが爆発していく。


「なんじゃと?! 権力を失えばというが、失わない確固たる存在価値を示し続けた結果に得たものだ! 立場でいえば平民なのだ、王族に歯向かうなど死罪も同然なんだぞ?!」

「だが、彼らの境地で考えるなら我々が瞬きをするほんの一瞬で我々は幾千幾万と死を経験できるのだ。

そのような規格外の存在を相手になぜ我々はここまで威張って、何故ここまで見下し、なぜここまで上から命じることができる? 彼らが我々の態度に気に食わないと申せば、次の瞬間には我々の首はおろか国家そのものが消え、明日には世界さえも無くなっているのかもしれない……それなのに、なぜ我々は権力という過去の栄光に縋った力で、彼らと対等だと……あまつさえそれを上回っていると思えるのだ? 私とて、彼らと目の前で話し合う時、彼らは敬語を使ってくれるが我は逆の立場ではないかといつも思っておる。」


「貴様……根っからの弱者よの、マルシリウスよ。」

「弱者だろうとなんだろうと、国家を滅ぼされては取り返しがつかん。

我々は十人の世界消滅爆弾を取り扱っておるのだ、その意味をもっと考えてるべきではないか?」


「マルシリウスよ、汝の意見は理解出来た。」


そこで始めて、扉から最も離れた席の皇帝が口を開いた。


「確かに、我もその事に関しては頭の片隅程度に考えておった。

実際、天下五剣の抜刀斎は天叢雲という神々でさえ抗うことのできない支配力を有した神剣を持っておる、そんな支配力の剣を支配しているのだ。

それはもはや、我々程度が権力で物申しては烏滸がましいと言えるだろう。」


「皇帝! お言葉ですが、このノスタルジアはそれはただの生まれ持った才能によって選ばれたに過ぎないと進言します。」

「であるならば、我らもまた生まれた時から与えられた権力だ。何ら変わらぬ。」


「──では問おう、皆は選定級を憎いとは思わないのか?」


そこに座る全ての王は、揃ってノスタルジアに「何を言っているんだ?」という目で見つめる。

事実、国王たち選定級という存在に怯えてはいたが、彼らという存在のおかげで国家の安全が保障されているのも事実。


現状を鑑みると、選定級という存在は魔王軍への抑止力になり、国家消滅級のモンスターに対する抑止力になり、もはや人智を上回る存在でさえも彼らは抑止力になりうる。

あらゆる脅威が、彼らという存在を脅威と認識し国家を、大陸を守っている。

この事実に、国王たちは選定級を無碍に扱うことなどできなかった。


「──もう神々は滅んだのだ。魔王軍も勇者によって直に滅び、世界は人類の勝利と共に平和を取り戻す。

となれば、選定級など不要だ……我に考えがある。

あらゆる脅威は絶え、世界は完全なる平和を取り戻す必要がある。


──何よりも、この世界は権力こそが絶対的な支配力なのだ。平民ごときが出しゃばるべきではないのだ。」


ノスタルジアは席を立ち、先程の激昂した様子とは一変し不敵な笑みを浮かべて扉の前まで歩む。


「まずはマルシリウスよ、貴様の国の選定級だ。

楽しみにしておくがいい、じきに分かる。」




~~~




「──ふざけるなッ!!」


城内を揺らぐほどの怒号に国王は玉座から転げ落ち、帰還した三人の選定級を前に恐怖する。


「ほ、本当に申し訳ない!」


国王に理外迷宮の魔物が鉱山内に出現したことを伝えた三人に、国王は以前の円卓会議のことを伝えた。


「ノスタルジア……確か、スバインタール王国の奴か?」

「そうね、あそこも騎士王がいるわよ?」

「騎士王を排出した功績で威張ってたからねぇ……選定級としては彼の方が歴が長いから、アリスやツカサが現れるまではスバインタール王国は最強の武力を誇ってたし……抜かれて嫌だったんじゃないかな?」


「そんなクソッタレな理由で理外迷宮の扉を開けたってのかよ……滅ぼしちまうか?」


ツカサから不意に出たその言葉には一切のジョークなどなく、彼の片手に握られた太刀には可視化できるほどの覇気を感じる。


「まぁでも……正直、理外迷宮の扉を開けるような国家はねぇ………」

「私も擁護のしようがないわ、邪神の降臨儀式もだけど、理外迷宮は本当に人類が今だかつて解明しきれてない謎のひとつ。

神々を超える存在が現れてもおかしくないわ、そんなのが出たら私でも勝ち目なんてないわよ。」


「──世界を滅ぼされる前に、国を滅ぼした方が世のためだな。」


目の前の選定級たちは躊躇いもなく国家を滅ぼすと宣言し、それを見ていたマルシリウスは言葉を失い、ただただこんなにもあっさりと国家は消滅してしまうんだという恐怖と選定級という規格外の存在に、自身らの弱さを再び実感するのだった。


三人が暫く話し合っていると、突如として濃密な魔力の反応が三人を一気に戦闘状態へと変えた。

三人が一斉に駆け出そうとした直後、その反応に感化されたかのようにまた新たな魔力の反応を感じとる。


しかし、それはあまりにも濃密で、膨大で、狂暴で、絶対悪な……淀んだ黒に近い、そんな表現さえも生ぬるいと思わせるほどに不気味で恐怖の権化のような魔力だった。


「これは……また凄い魔力だね。」

「俺でさえ感じ取れるぞ……しかも、人の魔術師だな。」


ツカサとアークはそのあまりにも強く、邪悪な魔力に駆け出す足を止めて互いの衝突を感じていたが、傍らでアリスが震えながら呟いた。


「ゆー……ふぇる??」


魔術王アリスにとって魔力で人を判断することなど容易い芸当。

彼女は突如として現れたその魔力を感じとった直後に、それがユーフェルのものであるとすぐに理解した。


「は? こ、これってユーフェルの魔力なのか?!」

「ユーフェル……あ、あの子かい?!」


もはや、彼らが今感じとっている魔力は規模でいえば対大陸級。

それすなわち、大陸ひとつを滅ぼしかねない強さの魔術師であるということ。


「──なんで、なんでフェルが……戦っちゃダメって……言ったのに………」

「でもよ、このレベルなら………」


「違うのよッ!! あの子は自分の感情任せに戦わせちゃダメなのッ!!」

「こうなるからか?」

「えぇ、あの子は魔術の才能でいえば私を遥かに上回るわ、時間と経験でいずれは……でも、そんな天才がある時に爆発的な成長を見せたら体がそれに適応できない、その上に彼女のその爆発的な成長の鍵は感情の暴走なのよ。

理性こそが彼女の心身と技術の平行な成長を促してる。

でも、その理性がなくなったら体だけが置いてけぼりになる……そんなの、数ヶ月もすれば私たちでさえ手に負えない、神々さえも滅ぼしかねない、最強で最悪の魔術王の誕生よ。」


「………魔力、消えたな。」


アリスは額に冷や汗を流し、ぷつんと消えた最初の魔力と、より激しく強大になるユーフェルの魔力に固唾を呑む。


「こっちに向いたわね……来るわよ。」


アリスの言葉の直後、城壁が吹き飛び、ユーフェルがベルを抱えて現れる。

その数刻後に衝撃波と轟音がその場にいた全員に襲いかかるが、そんなのお構い無しと言わんばかりにユーフェルは一目散にアリスの元に駆け出した。


「アリス師匠! た、助けてください!! ベルちゃんが、ベルちゃんがッ!!」


そして差し出されたのは、腹部に大きな穴を空けられ魔力の供給で延命された瀕死のベルだった。

彼女はもはや呼吸さえ怪しく、ただただ魔力が無理やりに生命エネルギーへと変換して生き長らえてるだけの生命維持機能のほぼ全てが停止した残酷な状態だった。


「な、何よこれ………何があったの?」


あまりにも悲惨な姿に言葉を失うも、アリスはベルをユーフェルから受け取り、微々たる動きも反応も示さない彼女をそっと床に寝かせて包み込むように結界を張る。


「決してこの結界の中に体は入れないでちょうだい。

時間を止めて、解決策を練るわよ。」


アリスは結界内、すなわちベルの今にも死にそうな肉体の時間を停止し、理解が追いつかない頭を必死に回転させ始める。


「おい、おい……何があったんだ?」

「家に帰ってベルちゃんと夕飯を作ろうとしたら突然、とんでもない魔力反応と友に家が吹き飛んで……私が瓦礫の下敷きになってたところをベルちゃんが私のお願いを断って助けようとしたんです……私には到底理解できないほどの強い魔力反応で、逃げてと何度も懇願しても逃げてくれなくて……それで………その魔物が、ベルちゃんをケラケラと笑いながら………」

「………とんでもなく強かったか? そいつ。」


ユーフェルは、ツカサの質問にこくりと頷いた。


「………そいつ、倒したんだろ? よく頑張ったな……少なくとも、ユーフェルのおかげでこの国もベルもユーフェル自身も救われたんだ………凄かったぞ。」


ツカサはそっとユーフェルの頭を撫で、涙を堪えていた彼女の崩壊する号泣を聞きながら目を閉じる。


「アリス……リファを呼んでこい、死んでいないならあいつは拒まないはずだ………」

「ええ、言われなくともそのつもりよ。」

「ツカサ……君は………これから歴史を大きく変えるんだよ、その覚悟は出来てるのかい?」


アークの質問にツカサは笛薙政綱を片手に答える。


「歴史の教科書に乗る覚悟なんざ、とうの昔にできてる……今はただ、俺の家族を殺し、俺の家族を泣かし、俺の家族を怒らせた───ノスタルジアを許せねぇだけだ。」


ツカサはその身にバチバチと稲妻を帯び、やがてそれは足に集って、ユーフェルの突き破ってきた壁の穴に前傾姿勢となって片足のつま先と踵を交互に押し出すように突き出して駆け出した。


~~~


その速さは時間という概念の内包を超えうる、限りなくゼロに近い速さでスバインタール王国の王都まで迫り、王都を囲う壁を消し飛ばした。

それはやがて、凄まじい衝撃波を生み、壁の周辺にいた人々はまるで竜巻に巻き込まれたかのように空へと打ち上げられ、地面に叩きつけられる刹那で再び巻き上がる二度目の衝撃波の竜巻によって衝撃を緩和されて、ほとんどが軽傷と無傷で着地した。


──国家を滅ぼす、それすなわち次なる王を誕生させないということであり、それはそこに住まい、そこの教えを習った存在を一人残らず排除するということ。

とはいえ、ツカサにとって今はノスタルジア以外にに恨みはなく、その過程で死する人々は彼の進路を妨げる者のみ。

何よりも、彼には罪なき人を滅ぼすだけの残忍さは持ち合わせていなかった。


「な、何者だッ?! 襲撃! 襲撃だッ!!」


衝撃波の圏外にいた騎士たちが、突如として起こった出来事に困惑しながらも声を大にして伝える。


「襲撃者が一名! 王都の壁は崩壊!! 被害は甚大、被害は甚大ッ!!」


耳を刺激する、大声量。

殺意だけが募る彼を前にその選択は、あまりにも正解から掛け離れた行為だった。


騎士が報告を終え、剣を抜き交戦に入ろうと振り返った直後、そこに既に彼はいなかった。


「なッ?! 襲撃者の姿を見失な──」


ツカサを見失った騎士は、背後で逃げ去る国民と慌てて駆けつけてくる騎士たちに向けて声を大にして伝えようとするも、その最中で声は断たれ、視点は上下が反転したまま地面にどちゃっと不快な音と共に意識が絶えた。


「うるせぇよ、キーキー喚くな。」


ツカサが駆けただけで王都の壁は崩壊し、突如として現れた敵対している選定級に恐れおののき、平民たちが多方向へ走って逃げ出す。

そんな彼らの姿を他所に、迫り来る騎士の群れを見つめて太刀を鞘に納める。


「おい、おい! おい!! 止まれ!! 止まれッ!!」


かつて大陸で最強の名を馳せた国家なだけあり、襲撃者の侵入に対応する早さは凄まじく、既に多くの騎士が馬に跨り、剣や銃器を片手にこちらへと一斉に迫って来ていた。


「冗談だろ……?」


しかし、ツカサと騎士の群れの間には何が起きた理解できずに震えて竦んだ親子がおり、このまま彼らが進めば十中八九、馬の下敷きとなって死ぬ。

あの速さ、あの制御、あの数を王都の周囲に建造物があって狭くなった道を、親子を避けながら速度を落とさずに突き進むなど、至難の業だ。


「止せ! 止まれッ!! 死ぬぞ、テメェらが自国の民を踏み殺しちゃ本末転倒だろうがッ!!」


騎士たちは、敵であるツカサの言葉など耳を傾けるわけもなく。

迫り来る騎士の群れに母親が子供を無理やり、道の脇に投げて躱した。


「ま、ママ! ママァッ!!」


宙を舞い、放り出される子供は自身を思う母に手を伸ばすも、掠ることさえ叶わず、無慈悲にも子供だけが道の脇で転がり、騎士の群れは母親のいた場所を容赦なく、馬で突き進んだ。


「あ、あぁ……ま、まま………」


騎士の群れは、馬が駆けるのもあってその最中に稲妻が迸る。

バチバチとスパークが舞い、鎧が揺れて擦れる金属音と騎士たちの号令が耳を激しく痛めてきながら、生き残った子供は無数の馬の足で隠れて見えない、そこにいるであろう母親に語りかける。


「まま! 大丈夫だよね?! まま?! 死なないでね!! 死んじゃ……しな、あぁ……嫌だ、嫌だよ?!」


言葉にならない恐怖、不安、絶望で子供の感情は混沌を極め、もはや彼は正常な思考さえ妨げられていた。


「はぁ……アーク、悪い。

──覚悟は出来てなかったらしい、国家を滅ぼす力はあってもそれを成す勇気と残忍さがねぇよ。」


騎士の群れを障害とさえ思わず、駆け抜けた後の道には未だ微かに稲妻の残滓が迸る。

ツカサを見失った騎士たちは、背後に彼がいる事に驚愕しながらも、直ぐに号令と共に方向を転換し、まるで単調な闘牛のように再び駆け出す。


「──怖い思いさせて悪いな。」


涙粒を浮かべながら、子供は母親を抱える俺を見上げ、両手を無意識にこちらへと向ける。

母親の意識は、あまりの恐怖に失われており、息こそあるが暫くは起きることがないだろう。


俺はそっと子供に預け、事の発端でありながらもまるでその子供にとっては英雄の背中に見えた。


「退け、俺はもう帰る──テメェらの王に伝えとけ、次に巫山戯た真似をしたら……今度は諸共消し飛ばすってな。」


ツカサの殺気に押され、騎士を乗せていた馬たちが恐怖で足を止める。


「ふざけるな! 貴様は大罪人だ、決して帰すなどということは出来ん! ここで処刑してやる!!」

「………理外迷宮の扉を開けたテメェらの国王に忠告しに来てやっただけだ、そもテメェらじゃ俺を止められねぇよ。」


馬が使い物にならなくなったと判断した騎士たちは、全員が降り、揃って武器を構える。


「俺の動きが見えもしねぇクセして、なにが止めるだよ……テメェらには無理だっ──ッ!!」


刹那、ツカサは咄嗟に親子を抱えて家屋の屋根まで飛び上がって退避した。

ツカサの元いた場所には円形の大きなクレーターが出来上がっており、その衝撃波で家屋の窓や扉などが破壊されていた。


「テメェ……人が他にいるのが見えねぇのかよ?」

「見えていたさ……しかしな? 君のような怪物を殺すには不意打ちしかなく、必要な犠牲だと判断したのさ。」


重厚な鎧に身を包み、馬よりも大きな身の丈と体格の大男が、地面にぶつけた拳をパキパキと鳴らして再び構える。


「それが騎士王のやる事か?」

「騎士とは、民ではなく国に忠を尽くす存在さ。

国が生きる上で民の死が必要ならば、私は甘んじて受け入れよう。」


「俺は今さっき、多くの罪なき人間を殺めかけた。

アイツらは自分の命を国家のために捧げたとて、アイツらにも命を失うことを拒みたい理由があるはずだ。

俺はその理由を踏みにじり、尊い命を奪いかけた。


罪なき人の命を奪うことは許されざる行為だ。

──てめぇが今やろうとしたのは、俺が犯しかけた大罪と等しく、それを罪と思わないことは外道だぞ。」


「国家の為にやった私の行いと、国家に反逆の意を示し、国家を襲った君の行いが等しいと?

笑わせないでくれ、君如きに騎士である私のなにが分かると言うんだ?」


「俺は世界のためにこの国を消しに来た。

テメェらのやった過ちは到底、許されていい事じゃない。」

「過ち? 私たちが何を??」


「テメェらの国の王は、選定級を憎み、王という威厳を示す為だけにグリエント王国に向けて理外迷宮の魔物を放った。


──分かるか? 理外迷宮の魔物だぞ。」


「………冗談はよしたまえ。

私の耳にそのような報告は──」

「なかったら意味もなくテメェらを殺しに来ねぇよッ!! テメェらも知ってんだろうが! 理外迷宮ってのは、かつての俺たちが全力で挑んでも攻略できなかった、世界の禁忌にも等しい迷宮だ!」


「──しかし、私たちは君が我が国を滅ぼすという行いに抵抗する権利を有する。

君の言ってることが誠ならば、君の怒りも理解できよう。

しかし、私はこの国の騎士である。


──故に、が全力で抗わせてもらおう。」


騎士王。すなわち、この世全ての騎士の頂点に立つ、騎士の王。

かの一撃は、天下五剣の抜刀斎にさえ届きうると言われている。


ルランドは腰の剣を抜剣し、背後で揃って待機していた騎士たちを下がらせ、太刀を構えることさえしないツカサを睨むように見据える。


「それは挑発と受け取っても良いのだろうか?」

「いい事を教えてやるよ。」


ツカサは一切、太刀に手を掛けることなく、むしろ両手を組んで堂々と佇む。


「選定級は単体で世界を滅ぼすだけの力を有しているもしくはそれに等しい脅威を持っている、俺たち十人の人類を指して作られた称号のようなものだ。

──だがな、お前に世界を滅ぼすだけの力なんてない。

思わないか? お前の拳は不意打ちで放ったところで俺にあっさりと躱され、あまつさえ俺を殺す気で放ったのに残ったのは小さなクレーターと割れた窓ガラス程度だ。

そんなの受けたところで、肩が痛む程度だろうよ。」


「中々に煽ってくれるな?」


「事実だ。俺の一撃も世界を滅ぼすには届きえない、だが俺は天下五剣が認めたからこそ第三位なんだ。

じゃなきゃ、俺は第四位……もっとも、テメェとは格が違う第四位だけどな。」


「なにが言いたいのだ?」

「真に世界を滅ぼすだけの力を有する選定級はたった三人しかいねえって事だよ。」


「ほう? 私に世界が滅ぼせないと?」

「逆にてめぇ程度の強さでできるほど、世界はヤワな作りしてねぇよ。」


ルランドはツカサの挑発的な態度と発言に、確かな怒りを抱き、それは剣を握る力を徐々に強め、放たれる一撃の重さを増加させていた。


「この世界を滅ぼせるのは、アリスとサクラと俺だけだ。

その下に並ぶテメェらの力量じゃ、とてもじゃないが世界にその刃は届きえない。」


堪忍袋の緒が切れる、という表現が具現化したかのようにプツリと何かが切れる音を鳴らし、その直後にルランドは激昂し、怒号を発しながら駆け出した。


「ほざけぇえ! 新参の貴様に、この私が負かされることなどあるはずがない! これまでの評価を覆し、ここで剣士として、騎士としての王が誰なのか! 貴様にも、世界にも示してやろうッ!!」


ルランドはその身に太陽のような灼熱の覇気を纏い、剣もそれに感化されてきらめいている。


ルランドは剣を、組んでいた腕を振りほどいたツカサの頭上めがけて豪快に振り下ろした。


「──潜在能力、全解放ってところか?」


その輝きは地面に触れれば、星が一刀両断されるほどの威力を誇り、ここで防がなければ世界まではいかなくともこの星の未来はなくなる。

ツカサはその刃が自身の目と鼻の先にまで迫り来ながらも、決してそこから一歩も動くことなく、自身の透き通るような白いとも表現しがたい覇気を突如として解放する。


「──ごふッ?! がはッ!!」


その圧力は凄まじく、親子だけを綺麗に避けながら周囲の建造物はもろともペシャンコになり、そこに待機させられていた騎士たちは肉塊どころかもはや一枚の薄い肉程に圧縮され、ルランドも為す術なく地面に叩きつけられた。


「な……な、なんなんだ! 貴様の覇気は!! こんなの………刀身に纏えば、星はおろか銀河……本当に世界に………」


「言ったろ、テメェらと違って世界を本当に滅ぼせるのは俺とその上に並ぶ二人だって。」


解放された覇気は、ツカサにとって挨拶程度のものであり、仮にも相手は選定級の第四位だと言うのに。

ツカサはそれをまるでそんじょそこらのスライムを相手するかのように、弄んでいた。


「あぁ、そうだ……第七位の撃墜王だけは俺たちに届きうるぞ。

──アイツは俺の親友だからな。」


覇気をおさめ、重圧から解放された騎士王はツカサとの圧倒的な力量の差に絶望と恐怖を抱き、言葉を失っていた。


「忠告しとけよ、次はねえってな。」


ツカサは軽く地面を叩くように蹴ると、その場から姿を消した。

誰もが、彼の速さを捉えることが出来なかった。


ツカサが去った後で、命拾いした騎士王は自身の傲慢さを悔いるわけでもなく、ただその場で自身の全力が彼の覇気にさえ敵わなかった事実を受け止めきれずに拳を何度も何度も地面に叩きつけた。

悔しさから募る怒りと憎しみは、自分とツカサに対するモノを交錯し、自身は全ての剣を持つ者たちの頂点に位置する騎士の王である責任と誇りが、ルランドの負の感情をさらに刺激する。


「………落ち着け、ここで怒り狂っても合理的ではないな。

先ずは、抜刀斎が言っていたことが誠か、王に確認を取らねば………」


地面に広がる、部下だった者たちの悲惨な姿に一言、不意に漏れ出たように送った。


「私を信じ、着いてきたのに無駄に死なせてしまったこと、詫びても償いきれない………お前たちが憧れた私という理想像が崩れない為にも、私はさらなる鍛錬に励む。

──お前たちが夢見た騎士という正義の王として、遥か彼方で見ているであろうお前たちの憧憬であり続けられるように精進する。」


ルランドは四肢が悲鳴をあげながらも必死に立ち上がり、剣を腰の鞘に納めて怯える親子のもとに駆け寄る。


「先程の命を軽率に扱う行い、深く詫びよう。

ここはまだ安全とは言い難い、しかし侵入者も去った後だ。

──ここは騎士として、民である君たちを安全圏まで送り届けることを保障しよう。」


常に最善で、常に合理的で、常に最適解を選び続ける彼は感情によって行動が支配されることは滅多になく。

常人なら、あの過程を得ると憎しみと怒りで暴走してもおかしくはないが、彼はいま惨敗という悔しさを背負いながらも自身の成すべきこと、自身の在り方を貫き通す道を進み続けていた。


「ママを殺そうとした! 騎士なんて大嫌いだっ!!」


子供が母の胸の中に顔をうずめながら泣きじゃくる。

今回の一件の発端はツカサにあるが、ルランドは決してそれを言い訳として使うこともなく、騎士王としての誇りや威厳を尊重するでもなく、ただ一人の正義の執行人として、自身が誰かにとって間違いであると思われるような過ちを犯したのなら、救うべき存在を救えなかったのなら、彼はその場で躊躇いもなく頭を下げた。


「ほんとうに、本当に申し訳なかった。」


ルランドの選択は決して間違いではなかった。

ツカサという絶望的なまでの強者と正面から剣を交えても勝算がないなんて、ルランドは最初から理解しており、ならば自身に気付かない最初の一手。

不意打ちで制圧するのが理想であり、その絶好の機会ともいえる場面でたまたま近くにこの二人がいた。

彼はこの世界の全ての騎士の王であり、この国家の民を守る、世界的に見ても正義の象徴のような存在だ。

常に最善で最適な解答を求められる彼は、その場で瞬時に二人の親子の命よりも国家の未来とそこに住まう多くの人々の命を選択した。


それは決して責めようがない選択。

しかし、当事者からすれば責めたくもなる。


それさえも理解していたルランドは、母を失いかけた子供の嘆きに何度も何度も詫びた。

その傍らで涙を流す母親は、子供を宥めながらルランドに告げる。


「いつも、私たちの為に苦しい思いをし……私たちの為に頭を下げ……私たちの為に命を張ってくれてありがとうございます。

──おそらく、死んでいたらきっと恨んでいたと思います。私も人の子ですから……でも、こうして生きていられたのなら、騎士様を責める理由もありません。

あの場で逃げなかった私たちが悪いのですから……どうか、民を嫌いにならないでください………私たちは皆があなた達の苦しみを理解している訳ではない、でも理解できる者たちもいるということを覚えていて欲しいんです。

──正義は決して全てが楽で幸せに包まれたものじゃない、小さな正義でそれは実感したことがあります。

だから、その苦しみの対価として私たちから感謝の言葉くらい受け取ってもいいはずなんです………


頭なんて下げないでください、私は生きている……」


ルランドは、語る母親の瞳を真っ直ぐに見つめながら、少し柔らかく解れた微笑みで返す。


「慰め、感謝致します。 我ら、騎士はこれからも平和と正義のために忠を尽くします。その結果に幸あらんことを。」


ルランドは胸に拳を押し当て、自身がなせる最大の敬意を表し、そのまま親子を安全圏まで案内した。




~~~




「どうやら、国家を滅ぼす勇気はなかったようだね?」

「あぁ、子供が親の死にそうな姿を見て泣きじゃくっててな。

俺には、あの子の幸せを奪う権利なんてねぇし……そも狙いは王だけだ。

──だが、忠告はしといた。次はねえってな。」


城に戻ると、最初に出迎えたのはアークだった。

レッドカーペットの上に寝かされたベルを囲うようにアリスとユーフェル、そしてエメラルドグリーンの色をした髪の女がいた。


……ベルは助かるよな?」

「あれ? ツカサ君じゃん、久しぶりだね?」


この緑髪こそが、ツカサが駆ける前にアリスとの会話で名を出した、リファという名前の女性だった。


「私は医学のプロだからね、死んでなければどんな状態からでも完全に戻せるけど、この子の場合は残念なことに肉体は正常でも意識が死んでるね。」


リファは淡々と告げるが、その言葉の意味を理解するのに一瞬でありながらも悠久のような時間を要した。


「は? 意識が死んでるってどういう事だよ??」

「正確には死んではないんだけど、自分が死ぬという恐怖と痛みによる感情の錯乱、本来は死んでた状況を無理やりにでも延命させられた負荷で精神が崩壊してるのさ。

簡単に言えば、この子はいまだね。」


リファの告げた診断結果に、アリスとアークは俯き、ユーフェルはその場に崩れ落ちた。

ツカサもまた、その言葉の意味を理解できず……否、理解を拒もうと必死に関連性のないあらゆる記憶を呼び起こし、現実逃避に躍起になる。


「──正直、回復の見込みはないかな。

このまま生かしてても、彼女は無だし。

殺してあげた方が、仮説でしかないけど輪廻転生が存在するなら楽なんじゃない? 輪廻転生って本当にあるのか知らないけどね。」


「は? あ、え? ちょ、ちょちょ、待ってくれよ?! 回復の見込みがない植物状態って……じゃ、じゃあ! ベルはもう目を覚まさないってことなのか?」

「その通りだね。生きてはいる、でも声を掛けても何をしても反応しないよ。

まだ若いし、この子の体を診断したときにわかったけど、この子は魔術の才能が凄まじいね……だから生きてたら、物凄い魔術師になれただろうに………」

「ベルちゃんは……剣士になりたいって……言ってました……ッ!」


リファの告げる言葉を否定するように、嗚咽混じりに泣きじゃくるユーフェルが語る。


「ベルちゃんは……ジュナさんが遺した剣を使って誰ひとり欠かさず寂しい思いをすることがない平和で幸せに満ちた世界を作りたいって……その為に、ツカサさんみたいな最強の剣士になりたいって………大きくなったら、ツカサさんに………つかさ、さんに………ッ!」


耐えきれなかったユーフェルは語りを号泣で中断し、自身があの場で命を賭した魔術でもなんでも使って逃がすべきだったと後悔と自責の念に襲われる。

自身を包む魔力が激しく漏れ出し、それは先程に三人が観測した濃密な魔力と同じだった。


決して害を齎すことのない、ただ吐き出されるだけの怒りと後悔と罪悪感の包まれた魔力。

触れるだけで気分を激しく害すほどの悲しみに満ち溢れており、魔力を浴びても影響を受けることが少ない選定級のツカサたちでさえ、その彼女の嘆きにつられて涙をポロポロと流し出す。


ツカサは、動くことのないベルに歩み寄り、屈むと頬を撫でて言葉を送った。


「大きくなったら、俺が絶対に剣術を教えてやる……だから、ベルちゃんも起きてくれ………頼むよ。

兄ちゃんたちは誰ひとり欠けることなく、君の前から消えないって約束したのに。」


ツカサの顔はしわくちゃに揉まれたようになっており、涙がぽろぽろとベルのそばに溢れ落ちる。


「ベルちゃんが先に消えてどうすんだよ………」


温もりはある、息もある、しかし反応はない。

決してそのツカサの訴えに、ベルは返事をしない。


「お願い! 起きてよ、ベルちゃんッ!! 一緒に楽しい毎日を過ごす予定だったじゃん! 今から始まるって時に、なんで……なんでなの! なんでいつもいつもいつもいつもいつもいつも………いつもッ!!!」


津波が襲うように、周囲に魔力が一気に放出される。

それはもはや、その魔力の濃度だけで人を殺めてしまいそうな程に淀んでおり、危険を察知したアリスが咄嗟に吸収する。


「苦しみは理解できるわ、フェル……だから存分に吐き出しなさい、わたしが全てを吸ってあげるから。」


ツカサやアリスにとって大切な存在を失うのはこれが初めてではなかった。

サクラの時を思い出す、ツカサにとってもう二度と経験したくない、仲間や家族との別れ。

死とは異なる、絶望的でありながらも希望を抱かせてきそうな曖昧な境界線での別れ。

死とは違い、意識を戻すかもしれない……しかし、その確率は絶望的で期待することが無駄とさえ思えてしまう。


その苦しみは、かつての喪失感と並ぶほどに強く、ツカサはもはや言葉さえ出ずにその場に蹲って涙だけを流していた。


「此度の件を事前に予知し、伝えなかった私に責任がある……その怒り、苦しみ、悲しみはいかような罰に変えても受け入れよう。」

「──そんなこと、彼らは望まないよ。

ただ、ひたすらにベルちゃんが帰ってくることを望むだろうさ。」


「精神系統は私は治せないんだ、ごめんね。」


城内を響かせるほどの三人の号泣は、日が沈み夜が訪れるまで続いた。

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