幻想で踊る亡き姫と悪滅を志す生きし姫の叛逆

暖かく緩やかな風が、脇に並び立つ桜たちを踊らせ、頬を撫でるその風は共に乗ってきた桜の花びらを少年の鼻先に着地する。


「桜……? ここは……さっきまで僕は鉱山にいたはずだ、ここは一体どこなのさ……?」


絶え間なく風は吹き、それにつられて桜たちも絶え間なく揺らめく。

桜花道の遥か先、目を凝視すれば見えるほどに先に一本の大きな桜木がある。

この桜花道はまるでそこへ少年を案内するかのように作られており、少年はそれを拒むことなく自然と足を進め始めた。


「あの木にヒントでもあるのか……?」


ゆらゆらと桜達は舞踊り、鉱山の中とは反転するように太陽の陽射しが暖かく、心地良さに包まれて一切の邪心が浄化される。

先程まで、ツカサに向けていた殺意も何もかもが少年はすでにその美しい桜花道を歩むことで忘れていた。


「僕には似合わない場所だね……だけど、憎いほどに美しいと思ってしまうよ………」


春の暖かな風に少年は心地良さを感じ、散りゆくあまたの桜の花弁に心を惑わされていた。


「しかし、ここはどこなんだ? 僕はさっきまで鉱山の中にいたはずなのに……転移の魔剣だったのか?」


桜を見ず、血と肉と土埃にまみれた理外迷宮の魔物にとって目の前の美しい光景はあまりにも新鮮で、この突然の場所の変化に戸惑いこそ見せるも、それそのものを否定することはなかった。

心のどこかで既に心地よく、離れたくないという気持ちが芽生えてしまった証拠だった。


「………外の世界に生きる彼らはいつもこんなものを見れるのかな?」


やがてその美しすぎる光景を眺める少年は、自身と外で生きる彼らの違いに嫉妬さえ芽生えてしまう。


「雑魚のくせに……僕たちみたいな強い奴らが見るべきだ、楽しむべきだ。

こんなにも美しいモノを独占するなんて許せない。」


もはや、本来とは微塵も一致しない怒りに包まれ、少年は剣を構える。


「どこかにいるんだろ? 出てきなよ、僕はこの桜たちが示す一本木の前に来たよ。

君が姿を現さなくてどうするんだい?」


少年の言葉は桜木の間を交互にすり抜け、全域に響くと、やがて桜に祝福されたかのように輝く一人の剣士が、桜色の太刀を腰に携えて少年の正面に立つ。


「君たち人類を滅ぼせば、僕たちはこんなにも美しい世界を独占できるんだね……僕はますます、君たちみたいな生きる価値もない雑種を滅ぼしたくなったよッ!!」


少年は下卑た笑みを浮かべ、地面を蹴るように駆け出すとその衝撃波は背にあった一本木にぶつかり、大きく揺れて無数の桜花弁が少年のもとへと降り注ぐ。


「この世界は僕のモノさッ! 君たちは僕の理不尽な強さにくたばって世界を譲りな──ッ?!!」


やがて、舞い散る桜花弁は冷やかな強風によって少年の背から前へと過ぎ去る。

その花弁はことごとくが刃のように、風に乗った無数の桜の斬撃は少年の肉体を一瞬にして肉片へと変える。


「──はぁ……はぁ………桜に殺された??」

「これは──サクラから受け継いだ俺の心象だ。

現世に存在する空間じゃない、テメェを拘束する俺だけの世界さ。」


そこで初めて剣士は口を開いた。

彼が語る言葉に少年は魔術であると訴え、剣にありったけの魔力を込め、その質量だけでアンチ対消滅を成そうと試みるが、結果は魔力が彼を起点として爆発を引き起こし、彼がその渦中に呑まれて自害しただけだった。


「──くそッ! 魔術じゃないなんて嘘でしょ?!」


「言っただろ、ここは俺の心象だ……あいつの好きだった桜と俺の心を具象化した世界。

そして、あいつと共に辿り着いた俺の最終境地──テメェにくれてやる、俺たちが味わった痛みをな。」


風は徐々にその強さを増し、それに連なり、桜花弁は桜花道の全域でただひたすらに舞う。

それは逃げ場のない斬撃の雨、逃げ場がなく防ぎようもない、無限に等しい桜花弁の斬撃に少年は死と生を繰り返し、その一帯は既に彼の肉片で紅一色に染まりきっていた。


剣士は腰の太刀に手を添え、深く腰を落として纏う覇気は更に荒々しく燃え盛る炎のように、桜の花弁を回し、稲妻を帯びて、その覇気が放つ衝撃波はゆらりと、されど大きな波のように心象世界の全域を呑み込み、何度も何度も揺らめかす。

その度に、風景の色は変わり、美しい色彩の奪われた白黒と、戻る彩やかな世界を交互に繰り返す。


「ぐはッ!……いい加減にしろぉッ!! 僕は理外迷宮の魔物なんだぞ!! お前たちみたいな雑魚に──ごふッ! 何度も何度も殺されていい存在じゃ──がはッ!! ないんだぁああああッ!!」


少年は怒りが頂点に達し、花弁が肉体を切り裂く中で無謀にも剣士へと突進し、剣を大きく振り下ろした。


「──桜が咲き誇り、温暖な風に靡き、心地よく眠る姫はその風貌でさえも、俗世を虜にする。

されど騙られるな、その美貌は裏返しの刃。

そこに至れば最期、塵芥も残さぬ姫の叛逆。


──テメェにくれてやる、今は亡き姫が募った叛逆と復讐の終幕を。」


振り下ろされる少年の剣は、桜花弁によって粉ほどにバラバラに切り裂かれ、やがてがら空きとなった彼を、剣士は刹那の速さで横を過ぎた。


──」


直後、舞い散る桜たちは天上の一箇所に集い、大きな桜花弁の竜巻となって空の上で舞う。


「────」


舞う桜花弁は、目の前で空振りした少年に狙いを定め、まるで豪雨のように容赦なく降り注ぐ。

その一枚一枚は、魔剣に等しい刃。


「──。」


咲き乱れる無数の桜は、少年を中心に渦を巻き、幾度となく蘇る彼の肉体を有無も言わさずにただひたすらに切り刻み、刹那にして悠久とも思える苦痛の連続を与える。


「ガァァ!! ──やめ、ぐっ!!」


四肢を断ち、胴は細切れに、やがて最後には頭部が形状を保たない程にバラバラに切り刻まれる。

その繰り返し、死んでは亜空間から這いずり出て、死んでは亜空間から這いずりでる。

その蘇りの瞬間に降参の意を示そうにも、桜花弁は決してその乱れ具合が落ち着く様子がない。


天一桜花は少年のその無惨な様に満足しないと言わんばかりに、剣士の周囲を走る稲妻がさらにその激しさを増す。

バチバチというスパーク音が大きくなり、剣士が纏う桜色の強大な覇気はやがてその太刀を包み込むように集う。

太刀の刀身に纏われる桜花弁と稲妻は、その密度から剣士に纏っていた時よりも激しさを増し、その荒々しさは周囲の桜木も揺らめくほどの衝撃であった。


「ぐっ! あぁっ! いだぃッ! ふざけ──がふッ! も、もうやめ──ごめんなざぃ! 殺し──もう僕を殺してくれぇええええッ!!」


不死である事を呪い始めた少年は、ついにその苦しみから脱したく、目の前の剣士に命を奪ってくれと希い出す。


「──終幕。桜の蕾は閉じ、散りゆく桜花弁はやがて地に這う、それはかの実った叛逆の怒りが晴れたる証。

姫の所望だ、終いにしてやる。」


剣士は覇気に包まれた太刀を両手で握り、自身の頭上で構えると、ひたすらに死に続ける少年に狙いを定め、さながら大剣を振り下ろすかのように容赦なく斬り断った。




無我の境地むがのきょうち──畢竟寂滅・明鏡止水ひっきょうじゃくめつ・めいきょうしすい


──幻想一撃連斬太刀秘奥技げんそういちげきれんざんたちひおうぎ──

──花紅柳緑かこうりゅうりょく百花繚乱ひゃっかりょうらん千本桜せんぼんざくら




不死性を持つ少年は、その一撃を終いに亜空間から蘇ることはなくなり、桜花弁の渦も体を分断された彼が死んだと認識し、呆気なくその地に揺らめきながら降り落ちる。


あらゆる理不尽を貫通するツカサとサクラの至った最終境地。

抜刀術を極める者たちの夢見る、無我の境地。


「………どうだ? 満足したか、天一桜花サクラ?」


覇気は既に散り、先程まで激しく帯電していた刀身も今はその気配すら見せることなく、静かにただの太刀として振舞っている。


「ふっ、満足すぎるって感じだな。」


ツカサはその桜色の刀身を鞘に納め、それと同時に心象世界はまるで割れる硝子のように周囲の空間が砕け、鉱山の内側へと戻る。


「さてと……気配が近いな、もう来るか?」


ツカサは不意に気配を感じ取り、来た道の方を振り返るとそこにはこちらへと駆けてくるアリスとアークの姿があった。


「ツカサぁあ! 無事だったんだね!!」

「あんた……まさか、ボス殺ったの?」


合流したアリスは、死に絶えた少年の姿を見て目を見開く。


「おう、恐らくこいつがこの鉱山内のアタマだろうな……サクラを弄んだ、俺たちが復讐するべき野郎だった。

──コイツがブチギレてくれたお陰で助かったよ。」


腰の天一桜花はトントンと叩かれ、静かに稲妻を走らせて返事をする。


「サクラの太刀……モノにしたようね。」

「コイツが応えてくれたんだよ。」


「死んでるのに肉体から凄い魔力を感じるよ……これが理外迷宮の魔物………魔王や魔神なんて比にならない強さだね。」


アークは初めて見る、理外迷宮のボス魔物に驚愕しながら、屈んで観察する。


「まぁな、こんなのがうじゃうじゃ居るんだ……だから、あの扉は絶対に開けちゃならねぇんだ。

それなのに………何故、開いたんだろうな。」


「嫌だけど、大体の予想はつくわ。」

「僕もなんとなくね。」


「二人もか、俺もたぶん考えてる事は同じだ……こん中はもう魔物の一匹も残ってなさそうだし、ミスリル鉱石を回収したらとっとと切り上げるとしよう。 ──速やかに国王に報告だ。」


ツカサの指示に二人は頷き、用事を手短に済ませて王都の方へと転移した。




~~~




「フェルお姉ちゃん、アリスお姉ちゃんとツカサお兄ちゃんたちは大丈夫かな?」


ツカサさんと師匠が向かってから暫くして、私とベルちゃんは店に戻り、二階の居住フロアのダイニングルームで静寂の間に包まれながらクッキーを齧っていた。


「きっと大丈夫だよ、だってベルちゃんは知ってるかな? ツカサさんはね、光より速く敵を斬ることができて、アリス師匠は指先の小さな魔力の塊で山を吹き飛ばせる、この世界で最も強い剣士と魔術師なんだよ?」

「ツカサお兄ちゃんとアリスお姉ちゃんってそんなにすごいの?! 格好いいなぁ……私も大きくなったらね、剣士なりたいの! ジュナが遺してくれた剣で世界中の人が一人寂しい思いをしなくなるように、になりたいんだ!」


彼女の無邪気な笑顔は、私の不安と恐怖の混濁の感情を浄化してくれる。


「そっかぁ……誰も寂しい思いをしない………」


『自身が魔術講師という明確な夢を持ち、今なお魔術王という世界最高の師匠を持ち、その称号の継承者の候補として伝えられている』という現状の自分。

『かつて貴族として生き、名家と呼ばれた我が家が没落し、流れるように母と父は処刑され、残った私は膨れ上がった借金の帳消しにする為の代替となって、考えたこともなかった奴隷としての世界を生きた』という過去の自分。


彼女の語る夢と理想はあまりにも眩しく、それは自身が経験した酷な人生からなる成長と学び。

私もまた、あの日あの時にツカサさんから問われたことで咄嗟に答えた魔術講師という夢。

されど、それは今もなお目指したい夢であるが、それ以上に自分自身も彼女と似て、この世の一人でも多くの子供が苦汁を飲まされるような人生を歩まないために何か世界に対してできるなら、何かしてあげたいとは思う。


「お姉ちゃんも似た眼をするんだね……もしかして、むかし辛いことでもあったの?」

「似た……眼?」


ベルちゃんはいつの間にかクッキー食べる手を止め、普段とは変わって無邪気な雰囲気から張り付くほどに真剣な瞳で私に語りかける。

彼女は私の瞳を真っ直ぐに見つめ、普段わたしたちが彼女に向ける柔らかな微笑みを、彼女が私に向けていた。


「私ね、眼を見るとその人がどんな人なのか分かるの……ママやパパはこれが私のこゆうまじゅつ? って言ってたんだけど、魔術なんて使ったことないから違うと思うんだ………」

「眼を見るとどんな人か分かる……私はどんな人に見えるかな?」


ベルちゃんは少し唸った後に渋々答えた。


「いつもは凄く幸せな人って感じがするよ、でもね……今は物凄く怯えてる人に見える。」

「はぁ……バレちゃってたかぁ!!」


私は打ち砕かれかのように椅子の背もたれにだらりと倒れ、ハハッと乾いた笑いを呟く。


「そうだね、嘘は嫌だよね……正直に言うとね、私はアリス師匠があんなにも頭を抱えてる姿は見たことがなかった………彼女が勝てない存在はいないとさえ思ってた、でも……今回、一緒に行きたいと伝えた時に怒られて、理外迷宮の魔物の恐ろしさを間接的に知ったし、何よりも彼女でさえ敵わない存在はいるんだって気付かされた。」


「光よりも速く斬るお兄ちゃんの剣でも届かない……お姉ちゃんの山を吹き飛ばす魔術でも効かない、そんな魔物?」

「うん、いると思うよ……昔、師匠は迷宮の中で自分が本気を出しても敵わなかった相手がいたって語ってた。」

「お姉ちゃんが敵わない……」


語り出す私の両腕は震えだし、その身は徐々に恐怖が蝕んでくる。


「知ってる? 魔術王アリスはね、この世界が誕生して今日という日までの人類史において、隣に並ぶことさえ許さないほどの強さを誇る魔術師なんだよ。

彼女が本気を出せば、世界は消え、余力で新たな世界さえ創造できるなんて、むかし魔術講師に教わったなぁ………」


「凄いね……お姉ちゃん、そんなに強いんだ。」

「そうなの、でもね……そんなに強いあの人が、怯えてたんだよ。」


「………」

「そんなの、私たちには想像できない世界だよね。

私はどれだけ過剰に評価しても、まだ最上級に満たしてるかどうか……一国を指先で消せる師匠と、一国を相手に勝てるか怪しい私じゃ、まだまだ差がありすぎるんだよ。

だから、あの人が抱く恐怖って私たちにとってはどれだけの絶望なのか、想像しただけで怖いんだよね。」


アリスが抱く恐怖は、帰って来ないかもしれない不安と放たれた理外迷宮の魔物がこちらにも来るかもしれないという嫌な予想からなるものだった。


「きっと大丈夫だよ、どんだけ怖い目にあってもいつも正義のヒーローが助けてくれるんだ。」


ベルちゃんがクッキーを私に差し出して、ニッと笑う。


「ふふ、そうだね……正義は人々を守りながら、凶悪だろうと悪に必ず勝つからね。」


そうとは限らない。しかし、目の前の幼き少女はその現実を知らない。

私は唇を噛んで心を押し殺す。


私が見た世界は、ことごとくが正義のヒーローを渇望し、懇願し、決して罪のない少年少女たちが悪の手によって残虐非道に犯され、嬲られ、殺される様。

見るに堪えない光景、されど見飽きた光景。


そんな世界の狭間を生きた私にとって、正義のヒーローという存在はあまりにも幻想に思えた。

伝説、英雄、勇者というのは物語ほど格好よくはない。

物語ほど、都合よく現れてはくれない。


何故なら、それは物語であり、私たちが生きるのは現実だからだ。

しかし、そうネガティブに物事を考えて生きるのは辛い。


だから、今の時ほど楽観的に物事を捉えるべきなのかもしれない。

そうする事で見えてくる世界もあるのだと信じて。


「さて、二人が帰ってくるのを信じて私は晩御飯を作っておこうかな?」

「御飯! 今日は何つく───」


ッ!!───


私が席を立ち、夕食の支度を始めようと心を入れ替えた直後、不思議と私の頬を風が掠めるように過ぎた。


「──伏せてッ!!」


私は咄嗟にテーブルを吹き飛ばし、椅子に座るベルちゃんを抱えて床に倒れ込むように覆い被さった。


その直後、キーンという金属音と共に王都・アルニア街の家屋の過半数は衝撃波と巨大な斬撃によって吹き飛んだ。


「ごふッ!!───」「──お姉ちゃんッ!!」


私の背中に、声さえも失うほどの激痛と温もりが与えられ、やがてそれは全身を麻痺らせて彼女を庇うつもりが、彼女の重りとなって妨害してしまう。


「がはッ!……え、嘘……ベルちゃん、今すぐに逃げ──」


再度、キーンという金属音と共にアルニア街は衝撃波と斬撃によって全ての家屋が瓦礫と化し、そこに住まう多くの人々は斬撃と崩壊による圧力、そしてあまりにも強大すぎる衝撃波によって老若男女問わず命を奪われた。


「──ごほッ!……逃げて……お願い………」


もはや、動くことさえ叶わないユーフェルは瓦礫に全身が負荷を掛けられた状態でベルちゃんだけを脱し、周囲に探知の魔術を可能な限りの広範囲で張り巡らせる。


「入口……ダメだからね? ──このまま、あっちに走れば……魔物はいないから、この直線を振り返らずに走って行くんだよ………」

「お、お姉ちゃん? お、お姉ちゃんも逃げよ?? 今、ベルが瓦礫を退かすからね! すぐに助けるから待っててね!!」


意識が朦朧とする中で、彼女は目尻に涙を浮かべながら私を押し潰さんとする瓦礫を持ち上げようと頑張るが、幼き少女の体では当然、家屋の瓦礫を退かせるだけの力なんてあるはずもなく、ただ彼女がふぬぬと声を上げて必死に無駄な足掻きを行う時間が続く。


「ダメだよ……逃げて? お願いだから……お願い………」


もはや、魔力を安定させることさえ困難な状況で迫り来る魔力の反応に、徐々にユーフェルの口調と声量が荒々しくなる。


「お願い……言うことを聞いて! 行って! 逃げなさいッ!!」

「嫌だ! 嫌だ嫌だ!! 逃げない!お姉ちゃんを助けるまで逃げない!! もう、もう誰も離れ離れになりたくないの!!」


ベルちゃんは涙をぽたぽたと流しながら必死にその小さな手で掘るように瓦礫を退かそうと足掻く。


「ベルちゃんが死んだら多くの人が悲しむ! だから、だから逃げなさいッ!! ここで二人一緒に死ぬよりもベルちゃんだけでも生き残った方がきっと……きっとツカサさん達も救われるからッ! 逃げて、お願いだから………」


魔力の反応は距離にして数十メートル。

普通の魔物ならまだ人の気配に気付かないが、理外迷宮の魔物ならユーフェルたちに気付いてもおかしくないだろう。


「嫌だよ! 嫌だ! わたし、絶対ににげないから!!」

「言うことを聞きなさいッ! 私はお姉ちゃんよッ!! 義妹なら、お姉ちゃんのお願いのひとつぐらい聞いて!! 最期にお姉ちゃんを安心させてよッ!!」


迫り来る反応はピタリと止まる。

そして、激しくその魔力の波は揺れ、僅かながらに一箇所へと集まるのを感じる。


「ダメ……ダメダメ! やめて!! やめてぇええええ───」


キーンという金属音が二人の耳に響くと、ユーフェルの超硬質な魔術防御障壁を容易く斬り断った。

生じた衝撃波はベルちゃんを激しく大通りの街道まで吹き飛ばし、彼女は痛みに悶えながらその場で足を押さえて蹲る。


「ダメ……ダメ……ぐッ! うぐぅッ!!」


ユーフェルはビクともしない体を引き摺ろうと必死に両手で前へ前へと爪が剥がれる勢いで力を込めて引っ張る。


「ハッ……人は脆いのぉ? 儂が二度、魔術を放っただけで街が滅びかけるとは思わなんだ。」


凄まじく濃密で悪質な魔力を放つ黒髪の中年男性にそっくりな魔物が現れる。


「ええなぁ、そこの嬢ちゃん達は家族かなんかかい? よう見ときやぁ……今から儂が、この小娘をバラバラに殺したるから、せいぜい絶望して喚いてくれやぁ!!」


魔物はユーフェルとベルを見るや、下卑た笑みを浮かべながら「痛い、痛い」と泣き叫んで足を押さえるベルちゃんの首根っこを掴み、片手に剣を魔術で形成した。


「ダメ……やめてッ! やるなら私にして!! 私をバラバラにしてよ!! その子だけはやめてッ!!」

「ほう? 我が身を投げ打ってでもこの娘を救うか……ええなぁ、ええなぁ……これが家族愛っちゅうやつか? 羨ましいなぁ………。」


魔物はこくこくと何度も頷き、感傷に浸ると、黙り込んで直ぐにその剣の先端をベルちゃんの腹に突き刺した。


「ごふッ?!──いだぃ……おねえちゃん?」

「あぁ……やめて………お願い、お願いだから………ベルちゃんだけは………」


ダラダラと突き刺された腹の内側から血が溢れ出るベルちゃんは、痛みに叫ぶ気力さえ奪われて、微かにユーフェルを呼ぶ。


「ハッハッハ!! ギャハハハ!! ええなぁ!ええなぁ!! その顔が好きやねん、儂は!! さっきの斬撃でほとんどのヤツらが死んでもうたからなぁ……嬢ちゃんたちが生き残っててくれて助かったわぁ………こうして弄べるからさぁ?」


剣は突き刺された腹の中側でぐるりと回転を加えられ、それと同時にベルちゃんは口から尋常じゃない量の血を吐き出した。


「───どうして……どうしてこんなことを………何でいつも、いつもいつも……いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも………」

「あ? なんや、絶望しすぎて頭とち狂ったんか?

そりゃ困るでぇ……今からバラバラにして遊ぼ言うのに、もう壊れたんじゃ、何も楽しめやんやないか!」


魔物は呆れた様子でベルちゃんから剣を抜き、ポッカリと貫通した腹はぐるりと回転を加えられた事で歪な円形上に穴が空いていた。


「いつもいつもいつもいつもいつも……私の目の前で、奪うなっていうものを奪って、人の悲しみを喜んで、人の嫌がることを率先して行って、人の怒りと悲しみを踏みにじって悦に浸って、いつも私を狂わせて………。」


「あーあ、おもんな……こりゃあかんな。」


ベルちゃんは体内に宿す魔力を無意識のうちに生命エネルギーに変換することで、本来なら即死している状況でもなんとか命を繋いでいた。

微かに聞こえる呼吸音と、ダラダラと溢れ出る血溜まりは、幼い少女を相手にはあまりにも非道で、もしこの世界に本当に神がいるのならば何故、制裁を下さないのかと訴えたくなる程であった。


「──師匠……やっぱり滅ぼすべきですよ………悪なんて、この世から一人残らず……私は間違ってないと思うんです………こんな外道な奴らがいるから、ベルちゃんは痛いを思いをして……許せない。」


ユーフェルはその身から周囲の空間が歪んで見えるほどの濃密な魔力を覇気として放ち、その魔力は瓦礫を包み込んで豆粒サイズにまで一瞬にして圧縮してしまった。


「──師匠はまだ、悪を滅ぼしちゃいけないと言いますか? 私は決めました、私の守りたいモノの為になら、たとえこの世界の全ての悪がわたしたちに刃を向けようとも討ち滅ぼすって。」

「なんやなんや?! 面白い展開になってきたんやないか?!」


本来なら立ち上がることさえ不可能なはずのユーフェルは、自身の至る所に見える傷を魔力で覆い、宙に浮かぶ圧縮された豆粒の瓦礫を片手に、魔物を見据える。


「聞きましたか、師匠? 面白いですって……ベルちゃんがあんなにも苦しんで面白い……あんなにも無邪気で、罪もなくて、さっきまでお利口にお留守番してて、クッキーを食べて幸せな顔をして、私を慰めようとしてくれた、こんなにも優しい女の子が苦しむ様を見たあとで退屈とほざき……こいつはあまつさえ、私が立ち上がる姿を見て、彼女の苦しそうな姿を気にもとめずに面白そう………」


「何言うてんねや? 儂とやる気なんやろ?! ええで、相手したる! 外の世界の魔術師は一体どんだけ強いんか、ちと興味があったんや! あの迷宮の中じゃ、儂は負け無しやったでぇ? 嬢ちゃんの敵う相手じゃないと思うけど、儂もやる気になってしもた以上はとことんやらせてもらうで!!」


ユーフェルは圧縮された瓦礫の塊を指で弾き、魔物に向けて放った。

魔物はギラギラと光沢を見せる超硬質な物理防御障壁を展開し、ニヤリと笑った。


しかし、その弾丸はいとも簡単に魔物の障壁を粉微塵に変え、あまつさえ魔物の鳩尾に衝突しそのまま連なる崩壊した家屋を幾つも貫いて、遥か先の王都の城壁付近まで吹き飛んで行った。


「──師匠は逃げろと言いました……でも、私はベルちゃんを守るために戦います。

私は間違ってなかった……私は私の思いを貫きます。」


呼吸さえままならないベルちゃんに向けてユーフェルは魔力を溢れんばかりに供給する。


「死んだらお姉ちゃんが悲しむから……もう少しの辛抱だよ、ごめんね。」


直後、家屋の貫通して立派に開通したトンネルのような道の奥から蒼い炎の球がいくつも、ユーフェルを狙って放たれる。


アンチ対消滅。」


しかし、そのことごとくは彼女が並列して放つ小さな蒼い炎によって無効化される。


「ふぅ………。」


ユーフェルは自身の背に大きな一陣の魔術式を展開する。

それはゴルフボール程のサイズで国家を滅ぼしてしまえそうな濃密なユーフェルの魔力をただひたすらに呑み込んでいき、魔術陣は少しづつ膨張を見せる。


「──おもろいやないか? 儂の障壁を木っ端微塵にしてくれるなんて、思いもせんかったわ……外の世界はやっぱええのぉ! 嬢ちゃんならとことんやっても潰れてくれなさそうや!! ──っつうか、ここまで儂に喧嘩売っといて潰れてくれんなや?」


魔物はコンマ数秒という僅かな時間で数百メートルはある距離を移動し、ユーフェルとの間合いを詰める。


「とことん、殺す気でいくでぇえええ!!」


魔物は地面を蹴り、凄まじい衝撃波を放つと天ほどの高さまで跳躍し、僅かな時間で隕石規模の蒼い炎を形成する。


「これ喰らえば、国家もろとも大陸が吹き飛ぶ! 先ずは挨拶代わりや!! これを耐えてみぃッ!!」


魔物は容赦なくその腕を振り下ろすと、隕石のような蒼炎魔術が王都、アルニア街に向けて落下を始める。


「──消え去れ。」


ユーフェルはその蒼い炎を見上げると、自身が現在展開している魔術陣とは別に、総数百二十にも及ぶ、中身が空っぽの魔術陣を並列起動する。


「なんやと……? 人の身で幾つの魔術を起動しとるんや、嬢ちゃんは!!」


やがてその空っぽの魔術陣からは透明な硝子玉のような球体が射出され、その悉くは蒼炎魔術と衝突し、その度に蒼炎魔術はその球体としての規模が縮まっていく。


「なんや?! こりゃ……魔力を吸っとるんか?!」

「魔力が十分に注がれていない術式だけの魔術は本来、不発に終わる……けれど、近くに自分たちのエネルギー源となる魔力の塊があればそこから調達する。


──とことん吸ってあげます、耐えるもクソもない………あなた如きでは私には遠く及ばない。」


完全に吸い尽くされた蒼炎魔術はその姿形が跡形もなく消え、その代わりに天に浮かぶ魔物の周囲に魔力を吸収した球体が幾つも浮かんでいる。


「私は貴方の挨拶なんて求めてない……お返ししますよ。」

「ふざけ──くッ!!」


ユーフェルが片手をギュッと握る動作を行うと、それにつられて周囲の魔力球は魔物に向かって放たれ、衝突の衝撃で雲が吹き飛んで天が割れてしまう程の大爆発を引き起こした。


やがて、爆発の煙は晴れ、そこにはボロボロの障壁に包まれて肩で呼吸している魔物がいた。


「はぁ……はあ………やるやないか、嬢ちゃん。」

「………。」


そして、待つことを許さずにすかさずユーフェルは背後でずっと構築していた大規模の魔術陣を発動した。


その直後、ユーフェルを起点とした王都を包み込む程の大規模な結界が張られ、その内側では肉体の治癒を促す術式が発動していた。


「ふん、結界か……悪いがこんなもんで儂の攻撃を防げると思わん方がええで?」


魔物は両手に再び、蒼い炎を展開し、それを容赦なく結界に向けて放った。


「──ッ!!」


しかし、その火球は、魔物でさえ認識が困難な速度で飛翔したユーフェルの硬質な障壁によって防護された膝蹴りによって跳ね返り、魔物の頭部に直撃した。


「ぐあぁぁ! ……まさか、この儂をここまで圧倒する魔術師が外の世界におるなんて思わんかったわ! おもろい! おもろいで、嬢ちゃん!! ──せやけどなぁ……ちと、調子乗りすぎやわ?」


魔物は巫山戯た態度から一変し、獲物を狩る、敵を射殺すような鋭い眼光でユーフェルを睨む。

しかし、彼女の眼もまた最初から最後まで一貫して魔物を滅ぼす眼であり、悉くの攻撃を無効化されてきた魔物にとって彼女のその眼は僅かばかりに恐怖を与えた。


「そんな怒んなや……儂はちと楽しみたかっただけやのに。」

「楽しみたかっただけ……そうですか、ではそんなに怒らないでください? 私はちょっと貴方を滅ぼしたくなっただけですから。」


刹那、ユーフェルは魔物が認識するより速く、懐に入り込み、片手に構えていた魔力の塊を一気に押し当てて弾くように爆発させる。


「──ごふッ?!」

「ふふ、冗談ですよ……。」


その爆発は、魔物の体を突き抜けて円形の穴を空ける。

ダラダラと血を垂らし、魔物は口から尋常ならざる量の血を吐くが、それでもユーフェルは笑いながら再び魔力の塊を練り始める。


「冗談で腹に穴空けられてたまるかいな……この儂が反応できん速度って、一体嬢ちゃんの肉体はどんな環境で鍛えられたんや。」

「さぁ? 今から滅ぼされる悪に語る程度の名は生憎持ち合わせていないもので。」


しかし、魔物の腹は触手のように肉がうねうねと動き始め、すぐにその穴は塞がった。


「しかしなぁ、嬢ちゃんも運が悪いわ……儂らみたいな理外迷宮の魔物は、基本的に不老不死やねん。

細胞ひとつ消されても蘇れるんよ、せやから嬢ちゃんの強さはよーく分かった……でもなぁ、あんたじゃ儂には勝て──ッ!!」


再び、ユーフェルは練り終えた魔力の塊を、今度は魔物の頭部に押しつけ、その衝撃波は頭部のみならず魔物の肉体を肉片一つ余すことなく木っ端微塵に消し飛ばした。


「不老不死だろうと関係ありません。ベルちゃんの治療を早くしないといけない以上は、貴方のどうでもいい語りなんて聞く暇はない。


──だったら、今から不死性を貫通する固有魔術を作り上げるだけです。」


ユーフェルがその身に纏う魔力は規格外ともいえる濃密さをしており、周囲の空間は熱ゆらぎのように歪んで見えた。

その様は、いつもの彼女からは想像もつかない、優しさを切り捨てた正義のヒーローそのものだった。


「──ふぅ、そんなもん出来たら誰も苦労しやんのや……負けたくないからって見栄張って、儂に降参させるつもりか? 無理や、儂は強い奴を見ると余計に戦いとうなるからな。

──この勝負、あんたの負……け………」


彼女が片手に構築する魔術式は激しく稲妻を帯び、そこには濃密で膨大な魔力が交差して生じる莫大なエネルギーさえも、魔術式は吸収する。


「これは私が師匠に弟子入りした時に見せてもらった、最初の魔術……私がその凄まじさに言葉も出せなかった当時が懐かしい。」


やがて、雲は雷雲へと変化し、景色はユーフェルの魔術を起点にその彩色が反転を繰り返す波を放つ。

シロクロとカラーを交互に繰り返す、世界から色を奪うほどのエネルギー。

すぐに雷雲は喚き出し、神の怒号となってその雷は彼女が構える魔術によって形成された弓の一矢となる。


「嬢ちゃん、あんたは人やない……儂は人類がどういう存在か、それなりに知っとるつもりや………でも、あんたは人類やない──いずれ、神々さえも超越する、世界が生み出したバグや。」


先程まで高揚し、踊り狂っていた魔物も、今はユーフェルの魔術を見て空の上で立ち尽くしていた。


「いま確信した……あんた程の魔術師に敗れるんなら、儂は悔いのない生涯やったと言えるわ………ええで、やってみぃな? あんたの魔術が儂の不死性を貫通できるか、この身をもって試したろ。」


魔物は幾つものを魔術防御障壁を展開し、その上で両手を広げて魔術が迫るのを待つ。


「これも破れんような魔術じゃ、そも喰らう気はないで。」


ユーフェルが構える一矢の先端には人の目では認識できない程に凝縮された、総数にして百にも及ぶ魔術陣が並列起動していた。


「これが人類なら、儂らはとうに滅んどる……せやから、あんたは人類やない。」

「随分とお喋りですね、私は人類ですよ……魔術王アリスの一番弟子です。」


ユーフェルは摘んでいた筈を離し、勢いよく射出された稲妻のような一矢は、魔物が何重にも重ねて展開した魔術防御障壁をまるで豆腐に穴を空けるかのようにいとも簡単に貫き、すぐに魔物本体の頭部に命中した。


やがて直ぐに、矢は帯びた稲妻を爆発させるかのように魔物の肉体を焼き滅ぼし、余ったエネルギーは魔物がそこにいた空間さえも崩壊に至らせる。

爆発は発散すると直ぐにその衝撃波が元の一点に戻り、凝縮されると、あの時と同じく神が呆れて帰って行くかのように雷となって、天へと逆流していった。


雷雲を突き破り、天空で最後の爆発を起こすと空を覆っていた雷雲はことごとくが吹き飛び、蒼い空が広がり太陽の見える天候に変わる。


「不死性の貫通、その程度も出来なくて誰かを守るなんて豪語するつもりはありませんから。」


ユーフェルは完全に消滅した魔物を鼻で笑い、ベルちゃんのもとへと降下した。



【潜在能力解放──0.001%】

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