第7話 御伽噺の分類 『浦島太郎』
「それでは今日も『民俗学A』の六回目の講義を始めます」
チャイムが鳴った後、銀嶺はパンと柏手を打ってからマイクのスイッチを入れた。
一度柏手を打つ事で講義室の中が静かになる。元々冷房が入ってはいたが冷たく澄んだ空気に変わり学生の意識にもスイッチが入った。
そして銀嶺の夏なら特に人を魅了する涼し気な声による民俗学についての講義は始まった。
「えー、まずいつも通り最初にレジュメを配るので端から端に向かって一枚自分の分を取ってから隣に渡していってくれ」
そう言ってレジュメの紙を各列の端に多めに配り始めた。
その後出席確認用の小さな紙を配り始める。
「各列の向こう端の人は余ったら一番後ろの列の人から前に紙を回して一番前の端の人の方へ集めておいて。先生が少し話したら回収しに行くのでそれまで持っててくれ」
そう言って銀嶺は教壇に戻って行った。
「では、今回は前回の予告通り『浦島太郎』について講義を行っていくぞ」
そう言って黒板の右寄りの中央付近に銀嶺は大きめな字で縦に『浦島太郎』と書いた。
「まぁ、これは一般的に『浦島太郎』と呼ばれる日本昔話だな。『桃太郎』同様に戦前の日本の尋常小学校の国語の教科書に載っていた物語だ。禁忌とされる事項を破ると何かしらの罰、不利益などを負うという道徳の物語として載せられてたようだな」
そう言って禁忌にまつわる物語と黒板に銀嶺は書いた。
「一般的なあらすじとしては主人公の浦島は浜辺で助けた亀による恩返しで海の中の龍宮に連れて行かれ乙姫に接待される。暫くもてなしを受けた浦島太郎は故郷の浜辺に戻る際に乙姫から開けてはいけないと言われた玉手箱をもらう。浜辺に送ってもらい故郷に戻ると自分の家は跡形も無く、村には見知った者は誰もおらず浦島太郎は途方に暮れ、結果開けてはいけない玉手箱を開けてしまう。すると浦島太郎はよぼよぼの老人になってしまったというお話だな。そして龍宮と浦島太郎の故郷では時間の流れが違うという事が明かされて物語は終幕する。そのような流れだ」
銀嶺はそう言った後、亀(海亀)の恩返しと龍宮(異郷)、乙姫、玉手箱、変貌、時の流れと黒板に書いた。
「この物語の原型は『日本書紀』『万葉集』『
そう言って、記紀に残る『浦嶋子伝説』が原型と銀嶺は書き足した。
「これらの記紀は奈良時代の極めて古い書物だ。『風土記』は当時の天皇の詔で奈良時代初期の各令制国の国庁が編纂した地誌で天皇に献上され写本も作られた公文書だ。なので主に漢文体で書かれているぞ。その為『風土記』は散逸してしまっているものばかりだ。僕も詳しい事は知らないが、地方によって文量もまちまちで他の文書から存在はしたらしいことがわかる現存しないものから、ある程度残っている物とほぼ現存するものも存在するぞ。『出雲国風土記』や『常陸国風土記』等がほぼ内容が残っている事でも有名な風土記だな。えー……風土記については今回はここまでで詳しい事は国文学や歴史学の上代担当の先生にでも訊いてくれ」
そう言って奈良時代初期の書物『丹後国風土記』と書いた。
「『丹後国風土記』は比較的内容が残っている方でその他には天橋立に関する伝承と『羽衣伝説』の記述が残っている。こちらは『羽衣天女』のお話の原型だな、詳細は異なるが」
そう言って、その他に天橋立の伝承、羽衣伝説『羽衣天女』の原型の記述や和歌ありと銀嶺は書き足した。
「話を『浦島太郎』に戻すが、物語が今の形になったのは『桃太郎』同様当時の尋常小学校の教科書に載せられるようになって物語が今の形に固まっている。それ以前は乙姫が亀と同一の存在と扱われたりする伝承や、龍宮が海の底ではなく別の海の果ての蓬莱、常世であったり、浦島太郎は老人になるのではなく鶴になって飛び立っていく結末に変わったりと伝承や物語の記述にぶれがあったりする。因みに乙姫と浦島太郎が夫婦になる描写もあるのだが、そのあたりも教科書に載せる為に省略されたようだ。レジュメにもその旨が書いてあるから確認してくれ」
そう言って銀嶺は物語が今の形に定まったのは近代に入ってからと黒板に書いた。
「『浦島太郎』と言えば序盤に主人公の浦島が亀を助ける描写があるが亀を買い取る形で助けたり、浦島が注意して子供がただ逃げていくだけだったり、少し子供達を軽く懲らしめる描写の有無などもあったりするな。数日後に亀の恩返しで海に連れてかれる訳だが、この亀は浜辺に居て海へと帰っていくのでまぁ海亀ということになる。そして海亀を助けることによって海へと招かれる事になる訳だ」
銀嶺は物語を進展させる海亀の存在と黒板に書く。
「この海亀は『浦島太郎』あるいは『浦嶋子伝説』など古い伝承では先程僕が話したように乙姫の化身として同一の存在とされる。近代に入ってからは乙姫と海亀の存在は完全に切り離されて亀を助けることで龍宮へ招いてくれる存在となっている。海亀と言えばハワイにおいて『ホヌ』の名で呼ばれ『海の守り神』と大切にされている。ハワイ含むエリアであるポリネシアでは神聖な生き物とされ鮫や海亀が物語の中で出て来る。日本神話においても『海幸彦と山幸彦』や『因幡の白兎』には鮫が出てきたりと色々共通点があるな。『丹後国風土記』が成立した当時はまだ朝廷に対してまつろわぬ民であった民の文化には縄文やポリネシアに類似したモノを持っていたとされていたりと古代の民族移動や交流範囲が気になるところだ。因みに彼らの話す言語は僕達の話す日本語の中でも和語との類似ルールがあるとされているぞ。最も語族的には広義的にアルタイ語族に含まれたり含まれなかったり日本語は実質孤立語扱いだがな」
そう言って海亀の存在の左にポリネシア神話や言語との類似点と銀嶺は書き加えた。
「そしてその亀に連れてかれるのが『龍宮』な訳だが、『浦嶋子伝説』では『蓬莱、
銀嶺は『異界訪問譚』と龍宮の隣に記述した。
「『異界訪問譚』とは『異郷訪問譚』とも言い、此の世ではない死後の世界である彼の世であったり、彼の世とも違う常世であったり、そして陸の者には到底自力では行く事の出来ない海の世界だったりと別世界に迷い込んだり訪れる物語が分類されるぞ。 『異界』に渡って物語が進むと話の進行方向が変わり、場合によっては前回の『桃太郎』において僕が桃の説明をする際に例として挙げた伊弉諾命の『黄泉国訪問』において連れ戻そうとした後、姿を見て逃げ帰ったように真逆の事を行いだしたりもする、一応前回説明した『貴種流離譚』との両立も可能だ」
黒板の『異界訪問譚』の隣に異界に行き物語が進むと進行方向が変わると銀嶺は書き足した。
「そして浦島は乙姫と結婚、夫婦の契りを交わす。因みに『龍宮の乙姫』の場合は海神の娘としての要素が強く『海幸彦と山幸彦』との類似が強まり『蓬莱、常世の亀の姫』の場合は『仙女』や『神女』など要素が強まる。そして元々の『浦島太郎』は夫婦になっていたのでどちらにおいても『異類婚姻譚』の要素が出てくる」
乙姫と結婚、『異類婚姻譚』と黒板に銀嶺は書いた。
「『異類婚姻譚』とは人ならざるモノと夫婦になるお話全般を指し、日本神話だと『海幸彦と山幸彦』がコレに分類されるな。人の形をした神やその化身や天女の類などもコレに分類されるぞ。『信太妻』などの女性が人ならざるモノのパターンと『南総里見八犬伝』のように男性側が人ならざるモノのパターンがある。男性が人ならざる場合、人間の女性が人身御供のような形になる事も多いな。どちらの場合も夫婦関係が破綻したとしても人ならざるモノと関わって人間側は何かしらの利益を得る事が多い。元がマッチポンプだったりするとマイナスがゼロに戻る程度のものだったりすることもあるが」
銀嶺は黒板の『異類婚姻譚』の左に片方が人ならざるモノと夫婦になる物語と書き加えた。
「龍宮などで三年程過ごしもてなされた浦島は乙姫に帰りたいと告げ。そして乙姫から開けてはいけないという『玉手箱』を浦島は渡される訳だが、こちらも『浦嶋子伝説』等の場合は『
そう言って『玉手箱』『
「『玉匣』は漢字の通り装飾された化粧道具などを入れる手箱で『玉櫛笥』とも書く。玉手箱と意味は殆ど意味は変わらないな。『玉櫛笥』は貴族の女性が贈り物をする際にも利用しており、和歌の枕詞にもなっているような言葉のようだ」
そう言って『玉櫛笥』枕詞にもなっていると追加で銀嶺は書いた。
「さて、この『玉手箱』の類だが、開けてはいけないという禁忌が付加されている箱だな。海外の説話にも有名な開けてはいけない箱がある。ギリシャ神話の『パンドラの箱』だ。元々のお話は甕つまり蓋のついた壺だったようだな。ギリシャの神々がパンドラに持たせた綺麗な壺は災厄が詰まっているものだった。開けた事で世界中にその災厄が散らばり箱の中には希望だけが残ったというお話だ。後に壺は箱に変わったようだ」
そう言って銀嶺は『パンドラの箱(甕)』開けてはいけないモノと書き加えた。
「開けてはいけないの禁忌といえば覗いてはいけないの類でもあり、日本だと襖や産屋の中身を見てはいけないという物語が存在するな。有名な昔話だと『鶴の恩返し・鶴女房』、神話だと『伊弉諾命の黄泉国訪問』や『海幸彦と山幸彦』などがあるな」
開けてはいけない、覗いてはいけない、見てはいけない等の禁忌と銀嶺は書き足した。
「それらを破ると何かしらの
銀嶺は何かしらの罰を受けると雑に書き加えた。
「そして此の世、自身の故郷である浜辺に帰った時、浦島の家族も家も無くなってそして村には浦島の見知った者は居なかった。見知らぬ村人に話しかけ家族の事を訊ねると村にある塚についてのお話をされて数年どころか何百年もの時間の経過を間接的に告げられると言うものだった。これも物語によって三百年、七百年とまちまちであり、家についても家のあった跡地があるというパターンもあったりする。そして途方に暮れた浦島は開けてはいけない箱を開けてしまう」
『時間の流れ』と銀嶺は書いた。
「浦島が龍宮や蓬莱で過ごしたのはどの作品でも三年程等という表現使われているにも関わらず此の世に戻ってみれば三百年、七百年とバラツキはあるが人間にとっては長大な時間経過が浦島に突きつけられた。故郷の浜辺という『此の世』と龍宮や蓬莱等の『異界』とでは時間の流れが違うというSFの様な要素を持つ物語となっている」
「此の世」と「異界」の時間の流れの違いと銀嶺は書き加えた。
「そして禁忌を侵して浦島は玉手箱を開けてしまいあたりに白い煙が立ち込める。煙が晴れたとき浦島は老人になって衰弱したり、鶴になって飛び去ったりと浦島が変貌するもの。或いは浦島に変化は無くとも何らかの美しい幻影みたいなモノが空高く消え去って二度と乙姫に会えなくなるという結末を迎える。そしてこのパンドラの匣ならぬ玉手箱は何が入っていたのかと言うと前二つは浦島の戻った際の此の世での時間と言う事になっている。開けた事によって浦島は肉体的にも時間の流れの揺り戻しに晒されることになった。だが此方については罰になっているかと言うと疑問で僕は寧ろ救いになっている思われる。後者の箱の中にはおそらく妻の乙姫との縁の様な物だと思われる。その為二度と会えなくなった。だから此方は禁忌を侵した罰として成り立っていると僕は感じるよ」
禁忌を侵し浦島は老人や鶴に変貌、或いは箱の何かしらの中身が失くなってしまう、と銀嶺は黒板に書いた。
「ちなみに浦島の縁の地は全国の海辺に点在していてそこには浦島を祀る神社仏閣も存在しているぞ。北海道から沖縄まであるそうなんだが、北海道に海亀が迷い込んだんだろうか、本来棲息域ではない筈だがな?」
全国津々浦々にそれぞれ様々な『浦島太郎』及び『浦嶋子』の伝承が残る、と銀嶺は書き足した。
「『浦島太郎』について一通り説明したが、君達はどうだっただろうか。僕が小さな頃『浦島太郎』を読んだ時は『桃太郎』の様な『勧善懲悪』モノではないから話が難解でそして結末も後味が悪い様に思えて好きにはなれなかったよ。でも逆に時間の矛盾などや周りの人間の事とか浦島の心情は成長してから考えると深いように思う物語だと僕は思う」
いつもクールな美貌を少し影を落としたような顔にして告げた。
そして一部の学生がざわめき出す。
「さて、気持ちを切り替えよう。今日の講義はここまでだ。次回は今回の講義でも触れた『海幸彦と山幸彦』についての講義になる。今回もいつも通り出席確認の用紙に名前を書いて教壇に提出してから退出するように。そうしないと今日の講義が出席扱いにならないので忘れないように」
そしていつもの表情に戻り銀嶺はマイクを切ってから柏手を打つ。
すると何処か冷えたような再び澄んだ空気に変わった。
「今回も僕はチャイムが鳴るまで一応此処に居るので講義についての質問は受け付けるよ」
マイクのスイッチを再び入れ銀嶺が発言すると出席確認の用紙を書いて提出した学生の一部に囲まれチャイムが鳴るまで質問される事となった。
祝銀嶺の民俗学 すいむ @springphantasm
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