第6話 御伽噺の分類 『桃太郎』

 チャイムが鳴った後、いつも通り銀嶺がパンと柏手を打ち、空気が変わる。

 

「ではこれより『民俗学A』の五回目の講義を始めます」


そして銀嶺はマイクのスイッチを入れて講義を始めた。


「えー、何時も通りまず最初にレジュメを配るので端から端に向かって一枚自分の分を取ってから隣に渡して行ってくれ」


 そう言ってレジュメの紙を各列の端に多めに配り始めた。

 そして出席確認用の小さな紙を配り始める。


「各列の向こう端の人は余ったら一番後ろの列の人から前に紙を回して一番前の端の人の方へ集めておいて。先生が少し話したら回収しに行くのでそれまで持っててくれ」


そう言って一度銀嶺は教壇に戻る。


「さて、今回は前回特に予告していなかったが『御伽噺の分類』をやっていこう」


 銀嶺は黒板に縦書きで民俗学と右端に書いた後、その隣に『御伽噺の分類』の字を書いた。


「御伽噺と言うか物語については日本人であれば古文で元となった文学作品を中学時代から習ったりしただろう。学問の分野としては国文学の該当時代の分野及び文学史、民俗学、歴史学だと文化史で触れる内容になるかな?それぞれの学問で見方や見るべき物が変わってくるから同じ物語を取り扱っても違う講義になるだろうな」


 銀嶺はそう言って文学史、文化史、民俗学と黒板に書いた。


「所詮子供が読むおとぎばなしと思ってはいけない。これらの物語は少なからず時代背景や価値観等が反映されていて、その時代の人が何を食べていたか、何を信じていたのか等暮らしが窺い知れる資料の一つだ。そしてそれが文字に残されてない伝承の場合は『民俗学』の領域だな」


 書かれた当時の生活や価値観を窺い知れる資料と黒板に銀嶺は書き足した。


「この『御伽噺の分類』だが、まず知っている御伽噺の名前を言える人は挙手してくれ。日本の御伽噺でなくグリム童話みたいなモノでも構わないぞ。あと済まないが、地域性が強い伝承のような御伽噺は僕自身が把握しおらず答えられないことが儘ある、その場合は次回まで待ってくれ。今回は五人くらい指名しよう」


 銀嶺がそう言って挙手を求めると今回は大勢の学生の手が上がった。

 銀嶺は学生側を証の眼で見遣ってから少し考えを巡らせてマイクを持って教壇から移動を始めた。


「では、三列目の左から二番目で挙手している学生きみ、マイクで答えてくれ。はい手を下ろして良いぞ」


 そう言って銀嶺は三列目左から学生にマイクを渡した。

 学生は顔を赤くしながら答えた。


「え、えーと桃太郎です」


 銀嶺は学生からマイクを返してもらう前に短く拍手をした。


「答えをありがとう、『桃太郎』、メジャーな御伽噺の一つだ、さて他の人にも聞こうか――」

 

 マイクを返してもらった後銀嶺はそう言って再び挙手を求めた。何人かから御伽噺の名前を聞き取ったあと前の端の机の学生から残ったレジュメと出席確認の用紙を受け取り教壇へと戻っていった。


「えーと皆さんから聞いた御伽噺は『桃太郎』、『浦島太郎』、『三匹の子豚』、『シンデレラ』、『輝夜姫』だな」


 銀嶺は黒板にそれぞれの物語名を書き記した。


「まず『桃太郎』だが、有名な『勧善懲悪』の『鬼退治物語』だな。また『貴種流離譚』にもあたるかな」


 そう言って桃太郎の下に勧善懲悪、鬼退治、貴種流離譚と書き記す。


「『桃太郎』と言えば歌もあったりと有名な物語だ。あらすじとしては『子どものいない老夫婦の元に桃太郎が生まれ育ち鬼退治に旅に出る。その中で犬猿雉を黍団子で家来として鬼退治を行い、鬼の財宝を持ち帰り老夫婦の待つ里へ凱旋する』といった内容だ。レジュメにも書いてある通りだ。」


 そう言って江戸時代からメジャーな日本御伽噺と黒板に書いた。


「『勧善懲悪』について正義と悪とはっきり別れていて、『破邪顕正』などと善が悪に打ち克つような物語だな。日本だと仏教の教えで因果応報などを結末にしたりとその国における宗教の思想なども交えた物であることも多いな。江戸時代の娯楽であった歌舞伎では味方と悪役等の役の立場が顔の隈取を見ると判断できたりするぞ。近代に入って外来の物語が入った時に人物の造形に深みのない時代遅れの産物と呼ばれたりもしたが、物語としてわかりやすく単純明快で楽しみやすいジャンルだと僕は思うよ。内容が今の時代に合っているかはともかくとして」


 そう言って銀嶺は『勧善懲悪』について正義と悪にはっきり分かれて最後には正義が勝つ、単純明快で時代劇等においても王道なジャンルと黒板に書いた。


「『鬼退治』については先程説明した勧善懲悪の悪を司ったり、後で説明する『貴種流離譚』における使命、試練として立ちはだかる『鬼、妖怪』を倒すというもので、『鬼』の概念も他には『蜘蛛』『ドラゴン』だったり様々な伝承が世界には存在するぞ、『妖怪退治』とでも言っておくか」


 そう言いながら銀嶺は『鬼退治』と書きつつ鬼以外にも妖怪やドラゴンなど世界地域によって倒す物が異なると黒板に書いた。


「そして『貴種流離譚』とは文字通り生まれの良いやんごとなき貴公子や王子様などが何らかの理由で故郷を離れ、旅をして各地を巡る。そして転換点の使命を果たした後に帰郷、そして凱旋し故郷に錦を飾ったりするたぐいの物語だ。場合によっては帰る前に没してしまうモノもあるが。まぁ、RPGゲームの王道のストーリーも『貴種流離譚』に分類されるな」


 そう言って銀嶺は『貴族の落胤や王子様などの身分の高い者が追放されたり使命を課されたりして故郷を出て旅する物語。結末としては帰郷してハッピーエンドのような王道のジャンル場合によっては帰る前に没してしまうモノもあり』と黒板に書いた。


「『桃太郎』の原型は室町時代末期以降から江戸時代初期までに成立したと言われている『勧善懲悪』で『鬼退治』の物語だ。江戸時代から時代を下るしだいに有名な物語となっている。『貴種流離譚』としての性格は更に原型になった岡山においての桃太郎伝承の根拠となる『吉備津彦命の温羅退治伝説』になるとはっきりと出てくる。因みに吉備津彦命は当時の天皇の皇子だ。やんごとなき身分だな」


 銀嶺は、岡山においての伝承『吉備津彦命の温羅退治伝説』と黒板に書いた。


「因みに桃太郎の太郎は元々長男を表す言葉だ。一郎と同じだが、時代劇とかだと嫡男の事を太郎君(たろうぎみ)と呼ばれているのを聞いたことがあるかもしれない。桃太郎自身は経緯については伝承に差異があれ子どものいない老夫婦の元に生まれてくる訳で自動的に一人息子の長男なわけだ」


 銀嶺はそう言いながら『太郎=一郎=長男』と黒板に書いた。


「因みに知っているかもしれないが、桃太郎が桃から生まれるようになったのは近代に入ってからであり、当時の尋常小学校の教科書に載せられるようになって物語が今の形に統一されたようだ。それ以前は箱の中に入っていたり、あるいは若返りの桃を食べた夫婦から産まれたり等と伝承もまちまちだったりする。特に東西で物語の内容も東では『鬼退治』の色が強く、西では『三年寝太郎』のような要素や『貴種流離譚』としての色が出てくる。民俗学的にもこういう比較は面白い部分だな」


 桃から生まれるようになったのは近代に入ってからと銀嶺は黒板に書いた。

 類似伝承多いがその中に東西でも差異あり。


「『桃太郎』と言うだけあって桃が関わるんだがこの『桃』という果物だけでも東洋においてはヨーロッパの『林檎』の如く様々な意味が含まれている。まず日本神話においては伊弉諾命イザナギノミコトが火の神を産んで死んだ伊弉冉命イザナミノミコトに会いに行くという話の後に『桃』が出てくる。そこで腐り果て変貌した伊弉冉命の姿を見て驚き黄泉から逃げ帰ろうとした伊弉諾命に怒った伊弉冉命が黄泉醜女ヨモツシコメという刺客を放った。そして伊弉諾命は黄泉醜女から逃げる為に投げ付けて追い払ったのがももだとされている。他にも気をそらす為の行動は起こしているが、桃は魔祓いとして有名な話として説明しておく」


 そう言って『桃』は魔祓いで聖なる果実と銀嶺は黒板に書いた。


「また中国の道教において不老不死を司る女仙の西王母が管理するのが蟠桃という桃の一種であり、桃は不老長寿を司るモノとして存在している。中国明代の文学作品『西遊記』においては孫悟空がその蟠桃を盗み食いしたりしている描写があったりするぞ。とにかく中国文化において『桃』は重要な果実であることには間違いない」


 中国では桃は不老長寿の果実と黒板に銀嶺は書いた。


「聖なる果実から生まれた事が貴種として、あるいは異種としての桃太郎の異常性を表してもいるわけだな。他には桃ではなく箱等の中に桃太郎がいてそれが川から流れてきているパターン、あるいは桃で若返った老夫婦から生まれたパターンもあり、前者はその時点で流されてきたやんごとなき者、後者は聖なる者としての裏付けとされる訳だ」


 桃から読み取れるものを銀嶺は黒板に書き散らし貴種、異種と書く。


「次に鬼退治の『鬼』についてだ。『桃太郎』においての『鬼』は『盗賊』の類の暗喩だろう。『鬼』の語源は『オヌ』で漢字は隠れるやこもるの字だ。つまり物陰や闇に隠れているナニカを表す文字で病魔や天災などの厄災を具象化させたものであったり大まかには人以外を指す言葉だったと推測できる。後は『盗賊』だが無力な人にとっては逃げるしかないような事象ならそれは外からやって来る天災と変わらなかったのかもしれないな。そして人の意識の外にある怪異の一つの姿とも言える」


 銀嶺は黒板に『鬼』と書き説明を始める。

 『隠』と書き厄災の具象化、意識外から迫る怪異と雑に書く。


「と言うことで『鬼』は災難を示す物だが『桃太郎』がそれに打ち克つのも聖なる果実である『桃』から生まれた貴種であることや異常性があるとも言えるな」


 災難と魔除けの桃の関係性を銀嶺は語る。


「桃太郎の家来についてもだが、一般的な物語においての家来は『犬猿雉』で十二支の『申酉戌さるとりいぬ』として存在する動物だ」


 そう言って黒板に『犬猿雉(鳥)』→『申酉戌』と書く。


「『鬼』は『鬼門』から出入りするとして忌まれている方角であり、皆も知っているだろうが北東『うしとら』の方角だ。節分の頃によく見る鬼の姿は牛の角を生やして虎柄のパンツを穿いてるのはそこに由来しているな。元々怖い顔をしてるのは『鬼』を追い払う魔除けの行事『追儺』に使用されるお面から来ていて、お面が民間だとそのまま鬼になってしまった訳だな。魔除けが恐ろしい顔をしている物品としては『鬼瓦』もその分類になるし、ヨーロッパだと『ガーゴイル』がその流れを汲んでいるな」


 鬼は北東『艮』からやってくる、頭の角虎柄のパンツはソレが由来と銀嶺は黒板に書く。

 そして、宮中行事である『追儺(大晦日)』の魔祓いのお面がそのまま鬼の顔にされたと書き加えた。


「先程話した家来の動物達は申酉戌……つまり西側の方角で申は『裏鬼門』の『ひつじさる』の片割れでもあり、桃太郎の家来達は鬼の出入り口からはほぼ反対に位置する動物だ。こちらの解釈としては遠い場所である事と、鬼とは反対の性質を持つというような解釈も出来る。今時善悪を単一の物差しで測るのは怒られそうだが」


 そう言って方位と十二支を書き出した。

 そして銀嶺は家来の動物達は鬼とはほぼ反対側と雑に書く。


「だったらなんで羊が居ないのかという問いがある人も居るかも知れない。それは単純にこの国にはかつて羊が居なかったからだろうね。少なくとも身近ではないからこの国の昔話には羊出てこないし。龍みたいな神格化された動物だと変わってくるんだろうが……」


 そう言って日本昔話に羊は出てこないと雑に銀嶺は黒板に書き加えた。


「『桃太郎』だが、内容も桃太郎目線の勧善懲悪モノで王道でシンプルな物だ。その為シェイクスピアなどの西洋文学が入ってきた近代において鬼から見たら略奪行為だとか、正義についての考え等と議論になっていたようだな」


 日本の古典的物語と銀嶺は黒板に書く。


「そろそろ時間なので纏めようか。『桃太郎』のジャンルは『勧善懲悪』と『鬼退治』あるいは『妖怪退治』そして『貴種流離譚』だ。物語の解釈でも見方が変わったり当時の価値観も見え隠れするのが伝承の特徴だな。『桃太郎』は近代で形が統一された関係で近代に変更されたところは近代の価値観も見えてくる物語になっているのも垣間見える物語作品だ」


「さて、今日の講義はここまでだ。次回は『浦島太郎』についての講義になる。今回も出席確認の用紙に名前を書いて教壇に提出してから退出するように。そうしないと今日の講義出席扱いにならないので忘れないように」


 そして銀嶺はマイクを切って柏手を打つ。

 すると何処か冷えたような冴え渡るような空気が変わった。


「今回も僕はチャイムが鳴るまで一応此処に居るので講義についての質問は受け付けるよ」


 マイクのスイッチを今一度入れて銀嶺が発言すると出席確認の用紙を書いて提出した学生の一部に囲まれチャイムが鳴るまで質問される事となった。

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