その魔法使いは青を愛す

未来屋 環

青を愛するひとたちへ

「わたしを魔法使いの弟子にしてください!」



 『その魔法使いは青を愛す』



 或る日の仕事終わり、珈琲を飲みながら空想に耽っていた僕の前に、突如として彼女は現れた。

 小学生だろうか――こちらを真剣に見つめる瞳は少し青みがかっている。日本人にしては珍しいその色に、つい心を惹かれた。

 ブラウン色の太陽を包み込む、まるで今日の空のような淡い青。


「――ねぇ、おじさん魔法使いなんでしょ?」


 黙ったままの僕に痺れを切らしたのか、彼女が口を尖らせながら言った。僕は苦笑いと共に首を横に振る。


「違うよ、僕はただの会社員」

「違わないよ。だって、わたしのパパも会社員だけど、あんな大きい飛行機を飛ばしたりなんてできないもん」


 成る程、この子は僕が飛行機から降りたところを見ていたのか。今日の搭乗機は札幌往復便だった。もしかしたら彼女は新千歳空港からの搭乗者なのかも知れない。


「だから、おじさんは魔法使いなんだよ」


 自信満々に胸を張る彼女を見ながら、それも一理あるかと思い直す。



 僕が今の仕事に就こうと決意したのは、大学二年生の夏だった。

 バイト先の喫茶店で、いかにもなリクルートスーツを着た先輩に就職活動の愚痴を聞いていた時、彼がこう洩らしたのだ。


「俺もっとやりたいことあったなぁって思ってさ。おまえもちゃんと考えた方がいいぞ」


 俺は悪い見本だけどと笑う先輩が、その時の僕には随分と大人に見えた。モラトリアムに肩まで浸かった僕には、現実と向き合う勇気がまだなかったのだ。

 しかし、それを切っ掛けに、僕は自分の中に眠る漠とした夢に気付いた。


 ――それは、パイロットになることだった。


 子どもの頃、僕は大人になったらそうなると信じていた。父とたまに空港に行っては、轟音を上げて空に飛び立っていく飛行機をただ眺めていた。

 歳を重ねるにつれて空への憧れは姿を潜めていたが、就職活動という現実に晒されて初めて、僕は自分の夢を追ってみたくなったのだ。

 そこからは一心不乱に日々を過ごした。企業研究やOB訪問は勿論のこと、関連する本を読み漁り、苦手な英語の勉強にも取り組んだ。

 最終的に百倍以上の倍率をクリアーして今の航空会社に内定できたのは、それこそ僕が魔法使いだったからに違いない。そうでなければ、あんな狭き門をこの僕が突破することなどできはしなかっただろう。



「――そうだな。きみの言う通り、僕は魔法使いなのかも知れない」


 観念したようにそう答えると、目の前の少女は「やっぱり」と瞳を輝かせる。


「じゃあ、おじさんはわたしの師匠ね!」


 そのまま半ば強制的に連絡先を交換させられた。最近の小学生はスマホを使いこなすのもお手の物らしい。


「で、何できみは魔法使いになりたいの?」

「青空が綺麗だから。ずっとずっと、近くでその色を見ていたいの」


 当然のように彼女は答える。僕は少し意地悪したい気分になった。


「気持ちだけじゃあ、魔法使いにはなれないぜ。僕もここに来るまで、結構大変だったんだ」

「知ってるよ。ものすごくキョーソーリツ高いんでしょ。だから、師匠が必要なの」


 彼女の持つブラウン色の太陽が、青空を纏ったまま僕を捉える。


「わたしが立派な魔法使いになれるように、色々教えてね、師匠」


 ***


 あれから三十年。時の流れはあっという間だ。

 僕は自宅のテレビの前で、ニュースを見ていた。アナウンサーが興奮気味に話している。


『長年人類が研究を続けてきた火星への有人飛行が、遂に本日実現します!』


 乗組員達の顔写真が画面上に浮かび上がり――その中に見慣れた顔を見付けて、僕は思わず微笑んだ。


 弟子にしてほしいなんて、よく言ったもんだ。

 大好きな空を飛び続け、いつの間にかその先にまで突き抜けてしまったきみの方が、よっぽど偉大な魔法使いじゃないか。


 手元の珈琲を飲み干し、僕は出かける支度を始める。

 今日のフライトは札幌往復便だ。初めて彼女と出逢った日のことを思い出しながら、僕はジャケットに袖を通した。


『青空が綺麗だから。ずっとずっと、近くでその色を見ていたいの』


 あの日のきみに教えてあげたい。

 きみは宇宙一綺麗な青を見ることができる、選ばれし魔法使いになるんだよと。


 テレビに映ったきみの瞳は、あの日と同じ青空を抱いたまま輝いていた。



(了)

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