第二章 あなたはヒーローですか(またはあの子を救えますか)?①

 九月中旬のある日。

 いつもより更に浮かれた学内では、絶えず楽器の音や司会の声が聞こえている。

 文芸サークルが出し物用に借りている小教室一でも、先ほどまでホワイトボードを使った熱いビブリオバトルが繰り広げられていた。



 学生の一大イベント、文化祭の初日。前日まで雰囲気が掴めていなかった麻琴だが、ここまで学内全体が浮足立つとは予想外だった。

 力作の立て看板が校舎前にずらっと並べられ、いつもは静かにクラシックピアノが流れている文芸サークルでも、今日は流行りの洋楽が流れている。


「ビブリオバトル、思ったより盛況だったね」

 入り口の方からそんな声が聞こえた。

 サークル誌の残部を数えながらそう言ったのは、麻琴を鮮やかにフッた香月すみれ先輩だ。


「ですね」

「蓮が『ビブリオバトルやりたい』って言ったときは、盛り上がるイメージ湧かなかったんだけどさ。盛り上がりそうな人に声かけたり、SNSで告知したり。色々やった結果、大反響で助かったよ」


 机についた手に顎を乗せながら、先輩は能天気にそういった。

(先輩のこういうところ。薄情とは思うけれど、正直助かるな……)



 あの夏の執筆合宿から、半月ほど時間は経っていた。

 怪人を視界に認めた次の瞬間、麻琴はみっともなく全速力で走り去った。


 忘れ物を取りに帰った部長を振り切り、あわてて追いかけてきた彼に肩を叩かれるまで止まらなかった。


 追いかけてきた部長に、矢継ぎ早に質問された。もちろん、本当のことなんて言えるわけがない。

 奇行の理由を上手く取り繕えなかった麻琴は、部長にイノシシに出会った、と苦し紛れの嘘をついた。そこから帰り道まで「イノシシに襲われたショックで意気消沈している」ということにして、部長以外とろくに喋ることなく別荘を後にした。


 そこから、円香とは話していない。

 すみれ先輩と違って、麻琴は告白を断るということをしたことがないから、後処理なんて分かるはずもなかった。



「そう思ってたなら、部長の手伝いをしてあげたらよかったじゃないですか」

「麻琴くん、言うようになったね――あっ、いらっしゃい」


 サークル誌を受け取りに誰か来たようだ。みんながそっちを見たら緊張するだろうし、と麻琴はホワイトボードを消すことに専念する。

 両面びっしり書き込まれているから、消すのも一苦労だ。それだけ白熱したことを思うと、部長のアシスタントをやってよかった。


「麻琴くーん、パンフと入部書とって! 残部なくって」

「はい!」

 すみれ先輩の声が背後から聞こえる。

 麻琴は手を止めて、サークル誌の山の隣に置かれているパンフレットと入部届を持った。あのビブリオバトルでサークル自体に興味を持つ人がいたんだな……と意外に思いながら、補充分をすみれ先輩に手渡す。


「ありがとう! これがうちのサークルのパンフレットで――」

 すみれ先輩がパンフレットを開きながら、サークル説明をしようとする。だけど向こうはあんまり聞いていないみたいだ。なんだかぼーっとしてるっていうか。


 そこで初めて麻琴は説明を受けている人物を視界に入れた。黒髪ポニーテールの女性、色素の薄い青みがかった瞳が、どこかで見たことあるような……。

「ん? どうかした? ああ、このパンフレットを持ってきた子に覚えがあるとか? 君と同じ一年生だから、どこかで同じ授業を受けてるかもね。この子は――」


 すみれ先輩が紹介を始めるものだから、麻琴も何か言おうと口を開けたときだった。

「一緒の授業は高校の頃なら。覚えてる? 久しぶり、雛田くん」


 目の前の女の子が、そう言って微笑んだ。麻琴の方を向いていた。

 ぼんやりとしていたその姿が、声を聞いたことで鮮明になっていく。麻琴にとって意味のあるものに変わっていく。


 一ノ瀬波奈。

 カーテンから差し込む夕焼けと缶ビール。誰もいないがらんとした早朝の教室。右往左往したテーマパーク。最後に二人で話したときに震えていた手。

 忘れているわけがなかった。


「おーい、麻琴くん?」とすみれ先輩。

「ああ、すみません……びっくりしちゃって、こんな偶然あるんだって。久しぶり、一ノ瀬さん」

 麻琴はなんだか真っすぐ目を見ることができなくって、恥ずかしがっているふりをして目をそらした。


「へえ、二人とも高校のクラスメイトだったんだ」

 すみれ先輩がニヤニヤ笑いながら茶々を入れてくる。惚れていたときは気にならなかったけど、この人は悪巧みすると分かりやすい。

「すみれ先輩。サークルの紹介を続けてください」

 その声をまるっきり無視して、すみれ先輩はパンフレットを閉じた。


「波奈ちゃん、昼ごはんって食べた?」

「いえっ、まだですけど……」

「じゃあこの後フリーだったら、一緒にお昼どうかな? もう一時だし」

 距離の詰め方がおかしいっ! っと麻琴は思ったが、波奈は、はいっ! 是非とOKしてしまった。


「じゃあ、蓮! 私と麻琴くん、少し早く昼休憩もらうね」

 すみれ先輩がそう言うと、部長はひらひらと手を振った。

 ん? 「麻琴くん」って聞こえたような。


「なに『自分は関係ありませーん』って顔してるの? ほら早くいくよ」

 そう言って楽しそうに波奈と小教室から出ていく。苦手なものを尋ねているのが聞こえた。

 部長の顔をじっと眺めると、生暖かい目で見られた。

 あれは行ってこい、という目だ。

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問:雛田麻琴はヒーローですか?(またはあの子を救えますか) あもと遊 @amotoyu

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