1-3

「わっ!な、なに?」

鼻をくんくんと動かして、真宙の匂いを嗅いでくる。

『ふむ、血の匂いはせぬな。やはり怪我はないようだな。』

「え……?」

『心ここに在らず、であったぞ。』

フェンリルが心配そうに真宙の顔を覗き込んできた。真宙が考えに耽っていたことで、心配をかけてしまったらしい。

「…大丈夫だよ、ちょっと考えてただけ。」

そう言って真宙はそっと手を伸ばし、フェンリルの頭を撫でた。

 フェンリルは真宙が本当に怪我をしていないことを確認すると、今度は安心したように少し目を細めてその掌に頭を押し付けるようにする。

 狼は嬉しそうに尻尾を振っている様子はまるで犬のような行動だが、不思議と不快感は無かった。むしろ可愛らしいとさえ思えるほどだ。

「…なぁ、ここはどこなんだ?」

聞きたいことは山ほどあったが、まずは一番にそれを聞くことにした。

『ここは大陸南西部の樹海だ。元はブラウヴァルトと呼ばれていたが…』

どうやらこの森は、かつては美しい森だったらしい。木々が生い茂り、様々な動物たちが暮らす豊かな場所だったそうだ。しかし今は見る影もなく荒廃しているという。

『いつの頃からか、魔獣という…さっきお前が襲われていた犬共のようなやつらが蔓延はびこり始めてな。今では人間たちに【魔の森】などと呼ばれている。』

真宙はフェンリルの説明を聞きながら、改めて周囲を見回した。確かに言われてみれば、辺り一面枯れ木だらけだ。

 よく見れば幹には何かの爪痕のようなものがたくさん残っている。それが魔獣が付けたものなのかと思うと、真宙は背筋が寒くなるのを感じた。

「俺たち、こんなところにいて大丈夫なの?」

『我が傍にいるのだから大丈夫だ。』

フェンリルは自信満々といった様子で答える。

 確かに彼がいれば、魔獣に襲われる心配はないかもしれない。だが、だからといっていつまでもここにいるわけにもいかないだろう。

「とりあえず、ここから出ない?」

『ふむ……そうだな。』

フェンリルも同意するように頷くと立ち上がり、真宙のほうへ向き直った。

『そういえば…お前、名前はなんという?』

「あ…遠藤えんどう 真宙まひろだよ。」

『マヒロか。』

フェンリルは何度か名前を復唱するように呟いた後、真宙に向かって告げた。

『ではマヒロよ、我に付いてこい。』

そう言うとフェンリルは身を翻して歩き始めた。どうやらついてこいということらしい。

 真宙は慌てて立ち上がると、フェンリルの後を追うように駆け出した。

 フェンリルは真宙の歩幅に合わせてゆっくりと進んでくれているようだった。おかげで真宙は置いて行かれることなく、フェンリルの後をついていくことができた。

「そういえば、アンタのことはなんて呼んだらいいんだ?」

『我はフェンリルだ。』

「…えっと…種族じゃなくて、名前…アンタの本当の名前だよ。」

フェンリルは不思議そうな表情を一瞬浮かべると、真宙の言いたいことを理解したのか、考え込むように俯いた。

『我の本当の名か……。』

フェンリルは暫く考えた後、ゆっくりと告げた。

『我は“神獣しんじゅう”だ。』

「神獣……?」

『そうだ。神に仕える種族。名など無くともまわりの人間どもは皆、我を“フェンリル”と呼ぶ。それで十分だ。』

そこまで言うと、フェンリルは自嘲気味にふっと笑った。

 真宙には、それがどういう意味なのかよく分からなかった。だが、彼のどこか寂しそうな表情を見て、それ以上深く聞く気にはなれなかった。

「…でもそれじゃあ不便だよ、名前がないと。」

真宙が悲しげにそう言うと、フェンリルはしばらく深く考え込むような仕草をしたあと、何かを思い付いたように、あっと声を上げた。

『……ならば、ヴォルターと呼ぶがいい。』

「ヴォルター?」

『あぁ。かつて、我はそう呼ばれていた。』

「ヴォルターね、わかった。…なんだ。名前あるじゃないか。」

真宙が嬉しそうに言うと、ヴォルターは少し苦しそうな表情を浮かべて立ち止まった。

「ヴォルター?どうしたの?」

『…いや、懐かしいことを思い出してな。』

ヴォルターはどこか遠くを見るように目を細めた。

その目はどこか寂しげで、悲しげな光を湛えていたように見えた。

『我が幼体の頃にな、従魔の契約を結んでおった男がいたのだ。この名は、その男が付けたものだ。』

ヴォルターは懐かしそうにそう語る。その声音には、確かに愛情のようなものが感じられた。

「その人、いまはどこに?」

真宙がそう尋ねると、ヴォルターは寂しそうに笑った。それはどこか諦めの混じった笑みだった。そして、ゆっくりと首を振ると、静かに答えた。

『もう何百年も前の話だ。』

その答えを聞いて、真宙は胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。

 一体どんな人だったのだろうか?真宙はヴォルターの頭を撫でながらそんなことを考える。しかし、いくら考えても答えは出なかったし、ヴォルターもそれ以上は何も言わなかった。

 しかし次の瞬間、ヴォルターの表情に陰りが差したように見えた。真宙が声をかけようとすると、それを遮るようにヴォルターがロを開く。

『誰だ!?』

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友人と異世界転移したら、俺だけ××年前に召喚されました。@タイトル未定 夜櫃 ひつぎ @jailer0522

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