第2話 鶯寮
「凪内さん。寮に興味は御座いませんか?」
校舎内を散歩中、名波先生にそんな事を尋ねられた。
「...寮、ですか。」
「ええ。凪内さん、高等部に進学して直ぐに戦場に行かれたので、まだ寮の手続きが済んでないんです。」
「あー、なるほど。つまり、今から職員室に来い、と...。」
「そういうことです。話が早くて助かります。」
目的地を設定していなかった散歩に、いつの間にか職員室と言う目的地が設定されてしまった。
ロビーの直ぐ上にある職員室に向かうべく、ただの階段と化したエスカレーターを上り、職員室の目の前まで来た。
「資料を印刷してきます。少し待っていてください。」
ロビー上の職員室がある二階は吹き抜けとなっており、ロビーを出入りする生徒や教職員、関係者を一目で確認することが出来る。安全柵に腕を置いて、人気の少ないロビーをボケっと見詰めた。
(...寮、ね。)
中等部の三年間は、児童養護施設で過ごしていた。
小学校四年生のときに両親を亡くし、中学校は児童養護施設。ここで謎が残る。小学校四年から六年までの約三年間、ボクは、誰と住んでいたのか。そこの記憶だけ、ポッカリと空いてしまっている。
(誰だったっけ...。)
首根っこを掴まれたのは、その直後だった。
"ドサッ!!"
思い切り後ろに引っ張られた。だけど、後頭部は打たなかった。代わりに背中を床に強く打ち、一瞬、息が詰まった。
誰に首根っこを掴まれたのだろう。と、痛みで下ろした瞼を上げると、悲しいのか、怒っているのか分からない表情をした名波先生がいた。
「なに馬鹿なことやろうとしてるんですか...。」
「―へ?馬鹿なこと?」
起き上がって尋ねると、真剣な表情をしながら言われた。
「飛び降りなんてしないで!!」
「...は?」
話を聞くと、どうやらボクは、柵に対して無意識のうちに前のめりになっていたらしい。それを丁度、職員室から出て来た名波先生が目撃し、ボクが飛び降りようとしたと勘違いした。焦りに焦って、力尽くで後ろに倒したらしい。
「なー...るほど...。それは、スミマセン...。ご迷惑をお掛けしました。でも、飛び降りる気なんて、サラサラありませんので...。」
訂正をして、書類を拾い、名波先生に渡した。
「それなら良いのですが...一旦、寮を見に行きましょう。連絡を取ったところ、三つの寮が見学可能とのことです。」
ロビーを後にし、校舎の裏側、南側に回り、生徒が暮らす寮がズラッと並んだ坂道を歩いた。
緩やかな長い坂道の果ては、海となっている。戦艦や空母があり、攻撃科の海軍専攻者や工学科の整備士たちが居ることが多い。
「凪内さん、今から行く寮の名前をメモをお願いします。」
そう言われ、胸ポケットから雑記帳と鉛筆を取り出した。
小指ほどのサイズになった鉛筆は、キャップを付けなければ持つのが難しい。
「まず、今から行くのは燕寮。次に雀寮。最後に行くのは鶯寮。」
【1:燕。2:雀。3:うぐいす】
(うぐいすって、どんな漢字だったっけ...。)
雑記帳に書きながら、そんなことを思った。それと、鉛筆を握る自分の指が、酷くボロボロだった。
「先生、うぐいすって―...。」
どんな漢字でしたっけ?そう聞こうとした時、声が詰まった。
"パチッ...。"
その瞬間、火花が散る音がした。
「...?」
所どころヒビ割れたアスファルトの地面に、カタンっ...と、鉛筆が落ちた。一年前は、こんなにもヒビ割れていたっけ...。
「っは...!」
自分の手が、燃えていた。鼻をつんざく火薬の臭い、人の肉が焼ける臭いが辺りを埋め尽くしていた。
紙が擦れる音とともに、手から離れた雑記帳も地面に落ちた。ああ、汚れてしまう。いやだな。
"バサバサッ...!!"
目の前を、一羽の鳥が通り過ぎた。青紫色の光沢がある黒羽だった。
「からす...。」
ドサッと尻もちをつき、その場に崩れる。
鳥なんて久々に見た。そうか、この学園の敷地内は鳥が多いのか。だから、寮にも鳥の名前が付いているのか。
「凪内さん!大丈夫ですか!?」
心配そうな顔でボクを見る名波先生は、スッ...と、右手を差し出してくれた。でも、ボクの手は酷く汚れているから、この手は掴めない。
「...立てそうです。あ、そっちに鉛筆落ちてませんか?こっち、雑記帳しか見当たらなくて。」
そう言うと、キョロキョロと辺りを見渡した先生は、「あ、あった。」と言って、鉛筆を渡してくれた。
「ここも駄目か...。」
燕寮、雀寮と続けて行ったが、寮生にビビられ、あまりにも驚かれ、木刀を振り下ろされた。真剣じゃないから素手で受け止められて良かった。でも、骨が痺れた。
「中々に手強い寮長さんでしたね。木刀振り下げられた直後に、まさか、平手打ちをしてくるなんて。看護科なのが勿体無いぐらいです。」
「女性の平手打ちは痛いですよね...。」
いや、経験した事あるのか...。
そんな疑問が脳内を駆け巡った。
「一先ず!残りのうぐいす寮に行きましょう、名波先生。」
雑記帳片手に言うと、名波先生が「あ。」と何かに気付いた声を発した。
「うぐいす。」
「?...あ、漢字が、分からなく、て...。」
「二つの火を防ぐために、わかんむりで屋根を作った鳥。」
「え?」
「鶯の書き方。...さ、行きましょう。」
ニコッと目を細めた名波先生は、ひらりと舞う蝶のように先を進んで行った。
碌に物も入っていないボストンバックを持って、後を追い駆けた。
長い坂道を再び下り始めると、さっきまで遠かったはずの海が、急に近く感じれた。潮風に前髪が揺れる。
「...。」
海は嫌いだ。真っ暗な水底が怖い。溺れたときの恐怖も、砲弾によって吹き飛ばされた人が降ってくる光景も、全て、この身に焼き付いている。
「凪内さーんっ!」
ハッと我に返り、ボクに手を振る名波先生を見た。ここから少し坂を下った地点にいて、丁度、坂の真ん中だ。
走って近付くと、いつもよりも目を細めた名波先生に「ここが、鶯寮です。」と言われた。
「この寮は頑丈で、空襲が酷かった去年の夏のときでも、燃えずに残ったんです。」
時折、戦場でも、そんな奇跡じみた話を耳にすることがあった。でも、ボクの前に、奇跡とやらは姿を現さなかった。もしかしたら、奇跡は薄情なのかも知れない。
「...広い。」
「これに中庭がついています。」
「えっ...!?」
我ながら、随分と素っ頓狂な声が出てしまった。
だって、ブロック塀に囲まれた寮は、少し後ろに下がって腰を反らさないと全体像が見えなかった。これが、戦火から逃れることが出来たとか、マジか...。
「さ、凪内さん。インターフォンを押して、新たな1歩のキッカケにしましょう!」
トンっと背中を軽く押され、その勢いのまま、大きい白い石がランダムに敷かれた道を大股五歩ほどで歩いた。陽の光で色褪せ、黄色に変色したインターフォンは、どこか懐かしさを感じた。こう言うのを世の中的には”エモい”というのか...?
”ピンポーン ピンポーン...”
少し掠れながらも、しっかりと響く音を聞き、自分が緊張している事に、やっと気が付いた。
「はーい。」
高いインターフォンの問いかけに対して、低めの声で返事が返って来た。
すりガラスがはめ込まている焦げ茶色の引き戸が、ガラガラと音を立てながら開いた。
「お、もしやもしや...キミが今日から此処に住む寮生くん?」
出て来たのは、長身細見の男子生徒だった。
(キレイな顔だ...。キズ1つないや。)
「こんにちは、榎下さん。」
ボクの後ろから、名波先生が挨拶をした。
榎下と呼ばれた男子生徒は、「やっほやっほ、ナナセン。」と挨拶を返していて、前々から関りがあるんだと分かった。
「榎下さん。此方、今日から鶯寮に入る”凪内 響”さんです。」
「こんにちは。高等部2年、攻撃科 陸軍専攻の”凪内 響”と申します。」
ボクが自己紹介をすると、「あ、俺のターン?」と言って、男子生徒も自己紹介を始めた。
「こんちゃ~。高等部3年、工学科の”榎下 環”でーす。一応ここの寮長やってます。ヨロシク。」
手をヒラヒラと振り、爽やかな笑顔を見せる男子生徒の名前を、ボクは耳にしたことがある。なんせ、超がいくつも付くほどの人気者だ。
(もしかして...”工学科のプリンス”の...。)
気になったし、この勘が、段々と確信に近付いているのが分かった。でも、聞かなかった。決定的な理由がある訳でもなく、ただ、勝手にこの人の気持ちを図っただけ。
「...なんてお呼びしたら良いですか?」
「ん?あ、コッチで指定して良きなやつ?」
そう言うと、ノリノリで答えてくれた。気のせいか、周りに花が舞っているような...舞っていないような...そんな感じがした。
「じゃあ...下の名前を、さん付け。...かな。」
「分かりました。...不束者ですか、 これからよろしくお願いします。環さん。」
ここから、ボクの寮生活の始まりの鐘が鳴った。
機関銃が響くとき ー凪内 響の雑記帳ー 藍浜 蒼井 @aihama-aoi
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