第15話
手術予定時刻の10分前、私はベッドに横たわり、そのまま手術室に運ばれた。道中、通る入院患者の視線を集めていたのが少し恥ずかしかったが、入院病棟だから、すれ違った人は5人かそこら。これが下くらい大量にいたら間違いなく顔を隠していただろうな。
普段は入れないスタッフオンリーの扉の先に、手術室に向かうエレベーターがあった。
ベッドに乗ったままエレベーターを乗る経験はなく、不思議な感覚だった。どう言い表せばいいだろうか。急な短い坂を車で下った時に起こる、ヒュンとするような感覚よりは小さいけど、それが一瞬ではなく、7階から3階に降りるまでの間ずっとあった感じだ。とにかく不思議さと絶妙な気持ち悪さがあった。
エレベーターを降りると、そのまま真っ直ぐ進み、足の先で自動ドアが開いて、中で手術用の衣類を着ていた看護師やら麻酔科医に迎えられ、手術台の隣でベッドの車輪にロックをかけた。そこで今日初めて医者と対面した。医者や周りの看護師に支えられて、と言うか、下に敷いていたシーツごと持ち上げられて、私は手術台に移った。
手術台に乗って横になっていると、早速、麻酔医の人が話しかけてきた。
「今から麻酔を開始します。手の甲から針を入れます。初めは神経がチクチクして少し気持ち悪いと思います」
手の甲から針を入れるのか。あれ結構痛いから苦手なんだよな。それに、神経がチクチクするってどう言うことだ。
実際に針を刺されて、麻酔を注入されるとそれは分かった。本当に神経がチクチクしていた。それが肩くらいまで来ていたのまでは覚えているが、それ以降の記憶はない。
今だからこう言えるが、手術中は仕事の夢を見ていた。入浴介助をしていて、たまたま近くにいた利用者が、足を滑らして転んで、それを支えようとした私も転んでしまう、と言う悪夢。
その衝撃で、飛び起きてしまった。現実世界では何が行われていたかというと、手術台からベッドに移されている最中だった。
それを手伝っていた、年もそんなに変わらないであろう看護師に、「大丈夫だからね」と言われた瞬間恥ずかしさのあまり、麻酔が効き過ぎているていで二度寝をしたふりをした。
この歳になって、子供みたいな宥め方を受けるとは思ってもいなかった。
初めは寝ているフリだったけど、本当に麻酔の効果で次第に眠くなって眠っていて、病室に入る前に90度に曲がる、その時に再び目を覚ました。
さっきまでは周りに10名ほどの人がいたのに、病室に戻ってくる頃には、病棟の看護師(入院中のお世話をしてくれるのが病棟看護師です。)2人になっていた。
眠いながらスマホを手に持ち、時間を確認する。
外が真っ暗になっていたから、そんなに長いこと手術をしていたのか。と思っていたけど、今は冬で、日が暮れるのが早いのだった。 現時刻は18時48分。
結構長い手術だったな。
そんなことよりも眠気がすごい。なんて言えばいいのだろうか。寝ないと死んでしまいそうなくらい眠かった。体を起こしたら勝手に起きる。みたいな次元は超えていた。体を起こしても瞼だけは重かった。トイレに行きたかったけど、それよりも何よりも眠い。1杯くらい水でも飲もうか。いや、それより眠るのが優先だ。
目が覚めると、喉はカラカラだし、膀胱は破裂しそうで大変だった。
とりあえずトイレに。
術後だってこともあって、トイレには点滴台同伴だ。勤務している施設でたびたび触っているから、走行には割と自信があるけど、漏れそうな人には単に足枷、邪魔でしかなかった。
なんとかかギリギリ、部屋にあるトイレで用を足せた。あの時の勢いと言えば凄まじいものだった。まるで象のおしっこのように、量と速度が人間のものではなかった。
立ったまますれば、トイレに被害を出しかねないと思い、洋式トイレに座って用を足していたけど、前屈みでお尻を貯水タンクの方に突き出した姿勢でないと、勢い余って外に飛び出しそうだった。もうすでに手にはかかっていた。それをトイレットペーパーで拭い、ふと点滴チューブに目を向けた。
圧力の関係で、床に垂らしていた点滴チューブに向かって血が逆流しようとしていた。点滴パックにまで登ることはないから、何も気にせず立ち上がると、荒波にもまれている船に乗っている時のように、右に左に視界が揺れていた。それから目眩がして、立っていることが難しくなっていた。
何かがおかしい。早くベッドに戻って、横になろう。
トイレから出ようとした瞬間だった。ドアノブに手をかけた瞬間に、強烈な吐き気に襲われた。
慌てて便器に口を近づける。吐くことはなかった。と言うか、吐くものがなかった。
出てきたのは粘っこい唾液、それを吐きながら、またいつ吐き気に襲われるかわからないから、しばらくこのままでいよう。
地べたにあぐらをかいて座って、便座を掴むように手を置き、いつでも吐けるように顔をセッティングしていた。
5分も経たないうちに吐き気は治り、目眩もなくなり、元通りになったように感じた。でもまだ安心はしていなかった。多分、また吐き気は襲ってくるから、ゆっくりと進もう。まずは、扉の鍵を開けて便座に座って、一旦休憩。ここは病院だから、立ち上がりやすい手すりがついている。それで立ち上がり、扉の前でまた一旦休憩。扉を開けて、外に出たら、そこでまた休憩。そこからはベッドまで勢いで乗り切る。4人部屋の病室だから、真ん中に休める場所なんてない。ベッドまでは休みなしだ。
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握力が8キロになった話 倉木元貴 @krkmttk-0715
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