恋ではない関係

海沈生物

第1話

 太陽がポカポカと地上を照らす、昼下がり。私ときょーちゃんは、二人で川にプカプカと浮かぶ白いワンピースの女の死体を見ていた。目を凝らしてみると、死体のお腹の辺りに深い刺し傷があることが分かる。白いワンピースの破れた部分からは、内臓らしきモノが「はーい♡」と顔を出してこちらに挨拶してきている。最悪だ。


 隣にいるきょーちゃんは、そんな死体を横目に私の顔をじぃーと見つめてきていた。まるで何かを求めているように。まぁ少なくともキスとか接吻では、ないのは分かる。心を整えるように軽く深呼吸すると彼女が求めていそうな言葉を想像して、慎重に言葉を吐き出す。


「もしかして……、殺したの?」


 きょーちゃんは少し考え込むと、間を置いて「うん」と一度だけ上下に頭を振った。その姿はなんだか飼い主に撫でられた犬のように嬉しそうで、思わずギュッと抱きしめてあげたくなった。首を。物理的に。


「これで人目だっけ、恋人を殺したの」


人、だねぇ」


「わー。私の知らない間にまた五人も殺したの? わざわざ作った恋人を?」


「それはちょっと語弊があるかなぁ。恋人殺すんだよ。ローちゃんには絶対分からないと思うんけどねぇ」


 きょーちゃんは人差し指を立て、そう自慢げに言った。殺人鬼の心理を理解なんてできるわけがないだろ、クソが。……なんてことを言ったら、絶交どころか私もこの川に死体として流されるかもしれない。口が裂けても言うことができない。私は信念のないゴミカス野郎だと落ち込む。


 彼女の恋人を殺す殺人癖は、最近始まったものである。幼い頃の彼女は顔面が良いので、男女関係なくモテた。多くの人から告白され、その全てを彼女は受け入れた。受け入れた上で、拒絶した。単純に振ったのである。この頃はまだ、人を殺すことはなかった。


 そしてお互い大学生になった頃、彼女は恋人になった相手を殺すようになった。なぜかは分からない。お互い違う大学に行ってしまったので、原因は不明である。


 ただ、彼女は月に何度か私と会う度、彼女が殺した死体の写真を見せてくれた。


『こいつは耳についてるピアスがカッコ良かったんだよねぇ。メルカリで売ったら一万円になったし』


『この子は私をストーカーしていたんだよねぇ。拉致監禁しようと思っていたらしく、自宅の中にはえぐいグッズが沢山置いてあってマジ怖くて。ちなみに、全部メルカリで売ったら五万円になった』


『これはゴミ。語る価値なしだねぇ。メルカリで売るものすらなかったし』


 殺人と転売って相性良いんだな。現代に星新一が生きていたら、コミカルな掌編でも書いていそうだ。そんなことを思った記憶がある。


 そして今日、きょーちゃんは「良いもの」を見せてあげるとここに連れてきてくれた。正直ろくでもないものであることは確信していたが、まさか写真ではない「本物」を見せられるとは思っていなかった。


 河の中で死んでいる女の髪は黒く長く、目はとても小さい。いかにも「大学デビューしました!」といったギャルみたいに濃いメイクと「いかにも清楚系ですー」と言いたげなイキった恰好をしており、その既視感につい目を背けたくなった。


「ローちゃんもさ、大学入った頃にああいう恰好をしてい」


「あー! あー! あー! それ以上言ったら通報するよ?」


「おー怖いねぇ。……でも、あの頃のローちゃんはさ、本当に怖かったよねぇ」


「こわ……怖い? どういう、こと?」


「そう。まるで人が変わったみたいな派手派手メイクをしてさ。……私、焦ったんだよねぇ。もしかして、ローちゃんが”恋”を理解してしまったんじゃないか、って。恋なんてくだらない、価値のない、気持ち悪い、吐き気のする、そんなものにさ。私の清くて眩しくて美しくて箱に閉じ込めちゃいたいぐらい大好きなローちゃんが、恋なんかに染まったんだ、って胸が痛くて辛くて堪らなかったんだよねぇ」


 ははは、と乾いた笑いを浮かべる。いや、ちょっと、怖いな。これは。この場から逃げ出したい思いをギュッと胸の奥に押し込むと、あの頃のことを思い出す。


 私が大学デビューしようと試みたのは、ふとした好奇心からだった。私には恋愛というものが分からない。というか、何度か告白されて付き合ったこともあったけど、なんとなく相手との温度差に耐え切れなくなって別れてしまった。


 誰かとキスしても、行為をしても、ずっと空っぽだ。心にぽっかりと空いた穴に手を突っ込んだり出したりしているよう、とでも言うのだろうか。私にとっての恋はまさにそれで、ただ空を切るだけの無意味な行為にしか思えない。


 結果として、私は愛も恋も理解することができなかった。彼女がそこまでして狂う恋というものを理解できなかった。ただ、自分が自分でしかないという現実を受け入れることしかできなかった。ただ、胸が痛かった。


 私は隣にいるきょーちゃんを背後からギュッと抱きしめると、半袖越しに彼女の胸の音を感じる。それはとても心地良いが、そこから「キスをしたい」みたいな性的な欲求は湧いてこない。ただ、心地良さがあるだけだ。これは多分、恋ではない。これが「恋」なんて、雑な分類をされたくない。私には分からないものに、分類されたくなんてない。ただ、私は彼女という存在と共に在ることに安らぎを感じる。それだけの話だ。


「……大丈夫。私は恋になんて染まらないから。ずっと、きょーちゃんの傍にいるから。ただ、それだけでいいから。それだけで」


 きょーちゃんは何も言わない。私もそれ以上は何も言わない。


 川向こうでは死体に気付いた老けた顔の主婦が「うわぁー!」と素っ頓狂な声を上げている。私たちは顔を見合わせて「ふふっ」と笑い合うと、徐々に大きくなっていく野次馬たちの喧噪の声など気にせず、互いの胸の音だけを感じ合っていた。

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