第6話「神鉄の魔導師と千の魔導師」

 燃える火が見えぬとも、確かにそこにある。

 嘆く風が消えようとも、確かに聞こえてくる。


 手を伸ばした先に光はなく、重たげな夕闇の足音が迫る。


 だが彼らの視線は、遥か彼方を。

 自由の、その先を。




 ヴァイスの大平原は、とてつもなく広い。

 平原は地平線が見えるほど広大で、景色が霞むほどだった。所々に森林や湖も見受けられるが、それ以外はなだらかな丘が曲線を描いて空に続くだけだ。

 ヴァイス軍の前線は、大運河を越え北上してくる王国軍を迎え撃つべく、さらに北に少し行った丘の上に待機していた。

 そこには、ライザーとベリーの魔導部隊が中心となり陣を構えていた。一番に敵とぶつかるであろう彼らの部隊は、緊張に包まれている。

 部隊の魔導師達は皆、手に魔導術を発動するための杖を持ち、喉や口元が隠れる深い襟の軍服と、フードがついたマントを纏っていた。

 兵のほとんどが男性であり、また新顔であるベリーはかなり目立っていた。周囲の兵も不信感は拭えず時折ひそひそと言葉を交わす。

 だが、ベリーは少しも気にする様子はない。まるでこのような場は慣れっこだとも言いたげに、堂々としてそこに立っている。

 そんな彼女の横顔を見たライザーは、軽く舌打ちをした。


「ふざけんなよヒルの野郎。俺は子守役かよ……」


 その呟きが全く聞こえていないベリーは、機嫌良さそうに後ろで手を組み、眼前に広がる平原を眺めていた。これから始まる戦闘に、少しも恐れを抱いていないように見える。


「おい」


「なに~?」


 ベリーは振り返らず、そのまま返事をする。


「足手まといにだけはなんなよ。てめぇの面倒を見てる暇なんかねえからな」


「ふ~んだ、そっちこそ魔力を使い果たして倒れないでねー!」


「はっ。ほざいてろ」


 そう言ったものの、ライザーは内心彼女を不思議に思っていた。

 ほぼ警戒がなかったとはいえ、王城に侵入し、そして過去の魔導術の解除を行っていた。

 ここに来るのは、恐らく転移の魔導術を使ったのだろうが、あれは人間がそう易々と使えるものではない。

 かつてヴァイスから魔導術を教わった人間が、後に自分達にも使えるように確立したからといって、そう易々と行使出来るような簡単なものではない。


「ねえーキンパツ」


 ベリーの声で、ライザーは思考を遮断された。灰色の瞳が、何か不満げな色を湛えてこちらに向いている。


「あたしのこと嫌いでしょ」


 突然そんな事を言い出すベリーに、ライザーは明らかに嫌悪感を示した。


「だったらなんだってんだ」


「どうでもいいけどさ、やりにくいの」


 するとライザーは、そのままでもきつい輪郭の瞳を更に鋭くし、ベリーに向き直る。

 凄まれたベリーは思わず背に力を入れる。


「正体がわかんねぇ奴を仲間だなんて呼べねえな」


 きつい物言いだったが、ベリーはそれに言い返すでもなく、ただ視線を落とした。

 そして少し考えた後、仕方なさそうに口を開いた。


「あたし、リリーの友達だもん」


 それに対し、ライザーはすぐに言い返した。


「それは知ってんだよ。けどお前は人間だ。それも俺らから教えてもらった魔導術でぶつぶつ唱えてる魔導師だろ。いつ術を使って裏切るか分かんねえ」


「そこまで見抜いてるんだったらあんたが対処できるじゃん!」


 ベリーは、苛立ったように声を荒げた。

 深い溜息をついたライザーは、ベリーに歩み寄ると、右手を彼女の頬にそえた。


「な……、なによ」


 ベリーはびくりと肌を震わせ、その瞳から目を離せずにいた。

 だがその手は急にぐわっと上に動き、同時にベリーの耳元の髪を乱暴にかきあげた。

 そこには可愛らしいピアスがつけられた、彼女の耳が現れた。ライザーはそれを睨むと、低い声で威圧するように言い放った。


「なんなんだよこの媒介の数は」


「ちょっと……」


「耳飾りには術の制御、首にあるのは魔導術の簡易化を助けるヒュドールの宝玉か? んで腕にある飾りは、逆に魔導力を抑える銀鉱石。ふざけてんのかてめえ」


 ベリーはライザーの手をぱしりとはたき、後ずさった。


「意外に優等生じゃん」


「話逸らしてんじゃねえよ!」


 ライザーは、敵か味方か、ただそれだけでベリーにきつく当たっている訳ではなかった。彼が懸念しているのは、その魔力の源だ。

 魔導術の知識に関しては、ヴァイスではライザーが随一だ。彼の母は優秀な魔導師であり、彼自身もその血統を強く受け継いでいた。


「今から俺が聞くことに正直に答えろ」


 ベリーは拳をぎゅっと握る。


「てめえの属性は」


「水が本質……」


「術式は? 解除の時もそうだが、あの妙な術の組み上げ方はなんだ」


 ベリーは、押し黙る。しかし、ライザーは問答を続けた。


「いいから答えやがれ」


 ベリーの額に汗が滲む。追求から逃れたい一心の誤魔化しも、ライザーの前には無意味だった。


「……ハイ・ファントム式」


 聞き慣れない単語にライザーは眉を寄せた。


「ハイ・ファントム? おい、ふざけんなよ。そんな式は俺は知らねえ」


 だが、ベリーは嘘を言ったわけではなかった。彼女は杖を握りしめると、辛辣な表情でそれを握りしめた。


「知らなくて当たり前だよ」


「あ? どういう意味だ」


「だってハイ・ファントム式魔導術は―――」


 だが、言い終わる前に、彼らの部隊の魔導師の一人が声を上げた。


「ライザー様! 王国軍を肉眼で確認致しました!!」


「来たか!」


 二人は、すぐさま平原の彼方に目をやった。

 そこには、見えているだけでもゆうにこちらの倍以上はあろう軍隊。黒い点の集合体は全てが兵。

 聖王国とノーブル、グルージスの三国の旗や槍を掲げ、武装した兵士達は隊列乱れることなく前進している。騎馬隊の馬の蹄の音が地響きのように平原に鳴り渡り、これから繰り広げられる血の戦いの始まりを告げる鐘の音のようにも聞こえた。


「仕方ねえ。てめえの事は後だ」


 ライザーの言葉に胸をなで下ろしたベリーだったが、自分の中にもやもやと残るその感情に顔をしかめた。


「おい、しっかり働けよ」


「言われなくても!」


 前線より大きく離れて後方の軍幕には、リリスティアとヒルがいた。

 軍服に身を包んだヒルの傍らでは、リリスティアもまた漆黒の衣服を纏っていた。

 彼女の要望通り、動きやすく短い裾であるが、よく見ると魔導力を孕む装飾具が所々に煌いている。

 腰には、細身の剣。かつての剣の師よりもらった片刃の刀だ。よくあの状況でよく持って帰ってこれたものだ。確かにヒルの体躯からすれば小さく軽いものでしかないだろうが。


「ここからなるべく動かないでもらいたいものだな」


 ヒルがふっと笑う。


「動かなくて勝てるならそうする」


「じゃあそうならないように頑張らせてもらうとしよう」


 戦いが迫っているというのに、ヒルは穏やかだった。

 リリスティアはというと、先ほどから重い石を両側に乗せられたようなひどい緊張をしている。表情には出ないが、じんわりと汗が背中に滲んで気持ち悪い。


「ご報告いたします! 敵魔導部隊、対魔導防御壁展開中!」


 若い青年が走りこんできて頭を下げた。リリスティアを見て喜んだ兵士の一人だ。


「王国軍前線部隊はやはり聖騎士による混合部隊です! 我が軍は数において圧倒的に不利かと……」


 報告を受けたヒルとリリスティアは顔を見合わせ頷いた。


「やはり魔導師団を配備してきたか。竜を下げておいて正解だったな」


「竜には魔導術が一番効くと聞いたことがあるけど……」


 ちら、とヒルを見る。


「安心しろ。俺は例外だ」


「隊長、いかがなさいますか」


 兵の問いかけに、ヒルは即座に答えた。


「そのまま待て。敵とてこちらの戦力が分からないのは同じだ。だが確実に英雄聖騎士が配備されている。魔導結界を展開しつつ、招いてやれ」


「はっ!」


 兵は再び頭を下げ、軍幕を後にした。何も言えない自分がいかにもなお飾りでしかないことを痛感したリリスティアは、光の方に顔を向けることしかできなかった。



 * * *



「あの中にリリーが……」


 ジークフリード率いる王国軍魔導師団も、ヴァイス軍を前方確認し隊形を整えていた。

 視界に捉えたヴァイス軍の数を見たジークフリードは、拍子抜けだと言わんばかりに肩を竦めた。


「竜がいないのが気になるけど……それにしたって少ないなあ。これじゃあ勝負がすぐついちゃうよ」


 すると、アメリがこう諭した。


「油断なかれ、敵に何か策を感じます。戦は数……と言いますが、ここヴァイスに於いてその定石は通用しないと考えてよいでしょう」


「うん……」


 ジークフリードの頭に、リリスティアが浮かぶ。


 リリー、僕は君を斬らなきゃいけないの?

 あの人にそっくりな君を、僕がこの手で……。


 未だ彼女が敵になったことが信じられない彼は、迷いを帯びたその手で、腰の双剣を鞘から抜いた。


「ジークフリード様、悪魔共が対魔導術の結界を展開しております。術式は……ひどく古い形ですが、解除は困難かと」


 師団の魔導兵の一人が、前方に見えるライザー達の軍隊を指してそう言った。


「うん、見えてるよ。あれだけの防御壁を張れるなんて、悪魔もやるね」


「ジークフリード、他の部隊が広がって配置されていますわ。側面、それに上空に注意しないと」


 そう言ってアメリは馬上で薙刀をぶんと振る。

 それを見たジークフリードは「恐いよ」と呟き、苦笑いを浮かべた。


「竜がきたら「彼」に任せよう。僕らはなんとしても、この先にある悪魔の居城への路を作らなきゃ!」


「そうですわね。我ら人間の未来の平和の為にも、この平原は制圧しなければ」


「絶対負けられない。行こうアメリ! 第一師団魔導兵、エウダイケを主として元素魔導術詠唱! 敵上空を狙い雨のように狙い撃つんだ!」


「第二師団、前進! 我が騎馬部隊は活路を開け! 味方の魔導術に巻き込まれるな!」


 ジークフリードとアメリの指示と同時に、大地が揺れた。

 アメリの指揮する第二師団の数百もの兵士と聖騎士が、一気にヴァイスの大平原を駆けていく。猛々しい声と共に剣を構え走り出した軍団は、隊列乱れることなく、ライザー達の部隊の右に回り込むように駆け上がっていった。

 アメリは勇敢にも、第二師団の先頭を駆っていた。黒髪は美しくなびき、青い瞳には勇気を湛えて。恐れを知らぬ自信に満ちたその姿を見た兵達は、我先にと続いた。


「忌まわしき縁、今ここで断ち切ってみせましょう!」


 そして、走り出したアメリ達の後方では、ジークフリードの魔導兵達が呪文を詠唱し始めた。数十人の魔導兵が歌うように呪文を唱えると、やがて彼らの杖の周りに変化が現れ始めた。


「ノーブルの精霊魔導術を、甘くみないでよね」


 その師団の中心最前列で、ジークフリードも呪文を詠唱していた。手に持つ双剣が妖しく光る。

 戦地での彼は、いつもの無邪気な少年ではなく、まぎれもなく聖騎士階級第三位、バルムンクのジークフリードだった。


「──来たよ!」


 味方が作り出した防御結界の中で、ベリーが杖を構える。


「見りゃ分かる! いいから結界に全力を注げ!」


「でもこれはアンチシェルだから魔導術以外は防げないよ~! キンパツはちゃんと兵隊さん対処してよね~!」


「分かってるって言ってんだろ!!」


 彼らの部隊にアメリ率いる騎馬隊が津波のごとく襲いかかろうとしていた。

 だが、ライザーの部隊は攻撃態勢に入るどころか、結界を張ったまま動こうとはしない。このままでは、剣を持たない彼らは確実に斬り捨てられてしまうだろう。


「なんですの……? 何故動かないのです?」


 馬を走らせながらアメリは違和感を感じた。

 だが、もうライザー達の魔導部隊は目の前。彼女は止まることなく右側面へと進軍した。


「敵は魔導師のみの部隊! 一気に蹴散らしなさい!」


「悪魔に裁きを!」


 騎馬兵達が剣や槍を勢い良く振り上げる。アメリもその薙刀の一太刀を彼らに浴びせようと、天高く振りかざした時だった。


「させないッス!!」


 後方にて身を屈め構えていたレイム率いるパイク兵が飛び出し、戦線が一気に入れ替わった。

 長い槍を持つ彼らは身を屈め突進し、アメリの第二師団の攻撃を受け止めたのだ。

 馬が散り散りとなるも、完全に歩みを止めることはできない。だが第一陣の攻撃を逃れた騎馬兵は、後方へと退いた魔導兵の攻撃をまともに正面から食らうこととなった。

 無数の剣と剣とが交わる鈍い金属音、そして鎧の擦れる音、肉を断たれる悲痛な叫び声、血に落ちる鮮血。


「よくやったレイム!」


 ライザーがにやりと笑う。


「負けないッス!」


 レイムは槍を捨て、腰にあった長剣で目の前の兵士を斬り捨てた。手に持つ片手剣についた血をぶんと振り払うと、さらにもう一人、また一人と斬っていく。

 アメリの馬はパイク兵をかいくぐり、全体を見渡せる位置まで下がる。だが、彼女を姿を認めたレイムは一直線にアメリに向かって進んでいた。


「馬に乗ってて美人で服装がちょっと違う! つまりあれが指揮官ッス!」


 レイムは、次々と敵を打破していく。予想外の実力を持った部隊の出現に、王国軍の兵士や聖騎士達は騒めいた。

 しかし、王国軍とて雑兵ではない。一方的にやられているわけではなく、確実に部隊の数を減らしていった。


「あーもう! 数が多いから斬っても斬ってもキリがないッス!」


 大平原の大地に次々と屍が転がっていく。アメリの第二師団の数は、レイムが指揮する歩兵部隊の倍はある。ライザーは数で押されていくことを懸念し、ある行動に出た。


「ここらで、やってやるか」


 するとライザーは、結界から出ると、仲間の部隊から距離をおき、目の前の戦場に向けて手をかざした。


「何すんのキンパツ~?」


 ベリーは結界を維持するため、その場から動けない。ライザーは目だけベリーに向けると、ふんと鼻をならした。


「おまえたちのブツブツ魔導術と違う「誓導術」を見せてやるよ」


 ライザーは右手の人差し指と中指のみを立てると、空中に素早く紋章を描いた。描かれた紋章は深い蒼の光を帯びている。


「レイム!」


「へっ!?」


 敵と剣をぎりぎりと交えていたレイムは、声をかけられびくりとする。


「下がれ!」


 その声に、レイムは敵の剣を弾き飛ばし、慌てて手を上げ叫んだ。


「ほっ、歩兵部隊! さがるッスー!!」


 下がり始めた敵に、王国軍兵士達は行き場のなくなった剣を構えたまま。


「後退!?」


 アメリも拍子抜けしたように逃げていく兵士を見ていたが、彼らの後方の丘に佇む青年の存在に気づくと、背中にぞくりと悪寒が走るのを感じた。


「いけない! アメリ!!」


 ジークフリードは詠唱を止め、思わず声を上げる。


「長い詠唱がなきゃ強力な魔導術が使えねえなんて不便だなあ人間はよ」


「だ、第二師団後退!」


 アメリが急ぎ指示を出す。軍勢は一気に反転し、下がり始める。

 ジークフリードが精一杯の速さで、アメリ達を守るための魔導術の詠唱を始めた。だが、発動まで時間がかかる。どんなに早口で唱えたとしても、術が確立しない限り魔導術は発動しない。


「遅ぇ!」


 ライザーは詠唱することなく、空中の紋章に手のひらをかざし叫んだ。


「『ハイエント・ノヴァ』!」


 刹那、描かれた紋章が蒼い光を一層強く放った。

 かと思うと、戦場に無数の小さい玉が現れた。それはまるで水晶玉のようだが、その内部に闇を抱えている。

 黒い玉は渦を巻く水流のように変化をすると、近くにいる兵士達の体を歪め始めた。


「な、俺の体……うわあああ!!」


 兵の四肢が歪み、その場でねじ切れる。強固な剣すらもその本体が布のように簡単にねじれ、破壊された。騎馬兵は散り散りとなり、落馬して尚その攻撃から逃げることはできず、追いついた黒い渦巻に体を飲み込まれてしまった。


「ライザー卿の魔導術はおっかないッス……」


 レイムは無惨な光景を眺めながら額の汗を拭った。


「魔導原子理論を応用した高位魔導術……詠唱無しで使うなんて……」


 ベリーは目を丸くしてライザーの背中を見る。彼はそれに気づくと、マントを翻し、自信たっぷりにこちらを向いた。


「これが、誓導術だ」


「偉そうに言うけどだいぶ疲れてんじゃん」


「あ!? じゃあ詠唱なしで使ってみろってんだ!」


 するとベリーは、自分が見つけていた装飾品のひとつから、銀色の紙片のようなものを外してライザーに渡した。指先ほどしかない小さなそれは、銀を伸ばして板状にしたように見える。


「それ持ってれば~」


「なんだこれ」


「魔導術の調整ができるやつ」


「適当なこと言ってんじゃねえぞ」


「本当だよ。メンシスの大樹から切り出して加工したものだから」


 疑いのまなざしを向けるライザーに、ベリーは微笑んだ。


「じゃー信じなくていいから。お守りとかでいいじゃん」


 捨てる理由もない。だからだと自分に言い聞かせるような不遜な態度で、ライザーはそれを胸ポケットにしまいこんだ。


「敵に隙が出来たッス! 一気に数を減らすッスよー!!」


 これ好機と、下がっていたレイムの部隊が再び王国軍第二師団に突撃をかけた。


「俺らもいつまでも見てねーでレイムの援護をするぞ!」


「はっ!」


 ライザーの魔導部隊もそれに続くように、魔導術を繰り出しながら進軍を始めた。


「ひるむな! 悪魔にやらせるな!」


 王国軍も戦意を失うことなく迎え撃つ。後方のジークフリードの師団も、唱えていた魔法の準備が完了し、杖の先に光の球を灯していた。


「魔導部隊、撃て!!」


 光の球が空から降り注ぐ。兵士達はそれをよけながら必死に敵を倒していく。しかし、弓矢のごとく降り注ぐ魔導術を避けることが出来ず、兵たちがバタバタと倒れていく。

 平原には砂埃が舞い上がり、敵味方が入り交じった混戦状態になった。一人倒れ、また倒れ。緑の大地が赤に染まり、青かった空は硝煙で曇る。

 短時間で、命が、いとも簡単に消えていく。

 倒れた仲間の屍をよけて戦うなどという余裕があるはずはなく、戦士達はただただ剣を振り、敵を倒していった。


「もう一度撃つか」


 部隊の中で、ライザーは密かにまた魔導術の用意を始めた。手をかざし、静かに空中に紋章を描き始めた。

 しかし、彼の上にいきなり大きな影がかかった。ライザーは驚いて空を仰ぐ。なんとそこには、軽々と兵士の山を飛び越えてきた白い馬の腹があった。


「馬!?」


 馬の足は確実にライザーを踏みつけようとこちらに向かっている。ライザーは準備をやめ、地を蹴りその場から身を回避させた。

 白馬は力強く着地すると、鼻息荒くライザーを睨む。そして、その背にまたがる女性もまた、眼光鋭く彼を睨んだ。

 女性は手に持った薙刀を器用に振り回すと、切っ先をライザーに向けた。


「私はアメリ・リングクロウ。貴方が、この部隊の指揮官ですわね?」


「だったらなんだ」


「貴方を倒します」


「大した自信だな。やってみろよ!」


 侮った様子のライザーに、近くで援護をしていたベリーが叫んだ。


「キンパツ! その子は英雄騎士の一人、第二位の聖騎士ティアレーゼだよ~! 気をつけてー!」


「それを早く言えよ!」


 言うや否や、アメリの薙刀が振り下ろされる。

 すんでのところでそれを避けたライザーは、地面を転がり距離を取った。

 アメリはベリーを睨みつけた。ベリーと彼女は面識が無いのか、アメリは眉を寄せる。


「……悪魔が私をよく知っている。なら、貴女が裏切り者リリー?」


「へ~。アメリってばあたしの顔、知らないんだ」


 ベリーが安堵の息をつき、ライザーが馬鹿にしたように笑う。

 アメリは、冷ややかな視線をベリーに向けた。


「ならば、貴方は誰ですか? 見たところ人間ですわよね」


「あたしはベリー・ハウエル。元、あなたたちの監査官だよ」


「裏切り者は二人もいたんですね……嘆かわしい」


「隙を見せたな!!」


 その時、彼女の背後から、ヴァイス軍の歩兵が彼女に斬りかかった。

 歩兵は完全に隙をついたつもりだったのだが、殺気に気づいた馬が身をうねらせ太刀を避けてしまった。

 そしてアメリが馬上から飛び歩兵に薙刀を斬りつけた。その武器の長い柄をもろともしない俊敏な動きに、周りの兵士は唖然とした。


「危なかったですわ。有り難う桜炎丸」


 アメリが微笑み馬の名を呼ぶと、馬は得意げに足を地で鳴らした。


「女のくせになんつー腕力だよ……。歩兵は鎧をつけてんだぞ」


 ライザーは、まるでかつてのセイレを彷彿とさせる彼女を見て、その太刀の届かないように間合いをはかった。あの速さでは、詰められれば誓導術も間に合わない。


「さて、覚悟はよろしくて?」


「てめえがな」


 二人は細い糸の上に立っているように、ぴりぴりとした空気の中で互いの出方をはかり合っていた。

 二人の武将が睨み合っている間にも、周りでは常に戦闘が続いている。一進一退の、アメリの第二師団。ジークフリードの魔導師団は圧倒的に数でヴァイス軍に勝ってはいたものの、彼らの個々の能力の高さに気づかず、だんだんとその数を減らされていた。


「てやぁぁ!」


 中でもレイムの剣さばきは見事なもので、彼の体にはかすり傷程度のものしか見当たらない。剣が血で粘ろうとも、なんなく敵に致命傷を与えていく。

 だが、彼の欠点はその性格にあった。猪突猛進すぎたレイムは、いつの間にか敵陣のど真ん中に来てしまっていた。


「やばいッス! 位置を見てなかったッス~!」


「バカが! 突出しやがった!」


 レイムの周りの兵士がこれ好機と言わんばかりに、一斉に斬りかかった。前後左右全て敵に囲まれ、なんとか剣をさばき返すも、そう保つ筈がない。レイムの剣は、次第に敵の追撃に間に合わなくなっていった。


「どうした悪魔がぁ!」


「悪魔じゃないッス!」


 なんとか兵士をまた一人斬り倒す。しかし。


「バカめ! 右ががら空きだ!」


 隙を見計らった違う兵の剣がレイムを捉えた。剣は彼の右の二の腕を僅かに掠め、そこから赤い鮮血が流れ出でた。

 レイムは剣を持ち変えると素早くその兵を斬り裂いた。声もなく、兵は倒れる。


「まずいッス……」


 レイムは敵の動きを見つつ、舌を打った。


「統制がとれてるッスね」


 王国軍は聖騎士と兵士の複合軍。そう統制がとれている筈は無いのだが、彼らはとても動きが良い。個々の実力はこちらが上でも、何故か上手に部隊の穴をついてきていた。

 それは、優れた指揮能力を持つ何者かが王国軍にいるということだ。

 マリアベルとシュナイダーの指揮する聖王国軍本隊は、交戦中のアメリたちの後方、大運河を越えた辺りに陣営を構えていた。

 その中、まるで駒遊びをするかのように、マリアベルは次々と師団に命令を下していった。


「ジークフリードの師団を少し下げろ」


「はっ!」


「第三師団は左翼から回り込め。敵魔導部隊と交戦中のアメリの師団を援護だ」


「了解!」


 鮮やかな判断を下すマリアベルに、傍らのシュナイダーは感心しきりだった。


「戦慣れしておられる」


「私の戦歴が知りたくなったような顔つきだな? シュナイダー大佐」


「貴方が内戦以外で出陣した記録はほとんどない。このような大舞台で冷静に判断をくだせることに対して、賛辞を述べたまで」


 気分を良くしたのか、マリアベルはくすくすと笑う。足を組み替えて目の前の地図を見据えた。


「マリアベル大佐、我々はまだ征かなくとも?」


 シュナイダーが尋ねる。


「敵はまだ主力部隊を出してはいない。竜も見えん。今朝の竜は当て馬だったのか……」


 マリアベルは眉をしかめると、苛立ちをまぎらわす為に親指を噛んだ。そこにまた、慌ただしく伝令の兵士が走り込んできた。


「報告致します!」


「申せ」


「アメリ様が単独、敵魔導武将と戦闘に入りました!」


「……魔導武将? アメリは薙刀しか能がない筈だ。魔法とどう渡り合う気だ?」


「は、しかし」


 兵士がまごつくと、マリアベルは溜息をつき首を振った。その様子には貫禄が見られる。


「わかった。ジークフリードに援護に向かわせろ。こちらからも奴を向かわせる」


「了解!」


 兵士は敬礼をすると、素早くまた戦地へと走り去った。


 * * *


「何をしているんだライザーは」


 馬に騎乗したヒルが、彼方を見ながら呟く。

 主力であるヒル直属の部隊は、後方の丘に陣取ったままであった。小高い丘からはすべてが見渡せる。

 前方で行われている激しい戦闘を見つめながら、今か今かと好機を伺っていた。


「やっぱり数が多い」


 リリスティアもまた、ヒルの傍で馬の背に乗ったまま心配そうに呟いた。


「指揮はアルフレッドがしているのかな」


「いや、人間の王族は戦場で指揮はしないだろう」


 リリスティアは考えた。

 なら、シュナイダーか?だが、以前軍事会議の席での様子を見る限りの彼は、そんなに軍略に長けたようには見えなかった。ならば……いったい誰が。

 思い当たる人物が浮かばない。リリスティアはこれでも聖王国の内部構成は、ベリーほどではないが良く把握しているつもりだった。


「とにかく、このままでは消耗戦だ。レオンがそろそろ動くはずだが」


 ヒルがそう言いながら微笑む。余程レオンを信用しているのだろう、そんな彼の横顔を見て、リリスティアも自然と平静を保てていた。


「信頼しているのね、レオンを」


「ああ。あいつがいたから、今まで戦い続けてこれたんだ。口は悪いがな、レオンの言う事は筋が通ってるんだ」


 リリスティアはレオンに叱咤された時のことを思い出していた。わざわざキツい憎まれ口を叩き、なおかつ、リリスティアから逃げ場を奪ったかのようなあの時のレオンの言葉。

 だが、どれも、間違ってはいない。

 彼はリリスティアに、自分の人生から目を背けて欲しく無かっただけだった。

 いつまでも子供のような考えしか出来ないリリスティアを、このままでは王として成り立たないから怒ったわけではなく。

 一人の「大人」として、目覚めてほしかったのだ。


「初めて誰かに本気で怒られたよ」


「え?」


「いや、こっちの話」


 ヒルは意味が分からず妙な顔をしたが、リリスティアはふっと小さく笑うだけだった。


「伝令! 軍師より伝令!」


 すると、ヴァイス兵の一人が城のある方角から早馬を走らせ彼らの元にたどり着いた。


「女王陛下! 軍師からの伝令に御座います!」


「タイミングが良いな」


「あいつには何もかも見えてそうで恐いよ」


 ヒルは空を見上げ、誰にというわけでもないが笑みを投げかけた。


「――見えてるんデスね~これが。戦場でのイチャイチャ禁止ですよヒル君」


 レオンはヴァイス王城の一室にて、巨大な円卓に投影された立体映像を眺めていた。部屋にはレオン以外に、その映像を映し出している魔導師が居るのみだった。


「さあて、戦況は手に取るようにわかりマス」


 レオンは眼光鋭く、自信満々に呟いた。彼は、今の状況を心から楽しく思っているのか。満面の笑みを浮かべ、立体映像の中のマリアベルの陣営を指先でつついた。

 一方、アメリとライザーは、対峙したまま動かない。途中また何人かアメリに斬りかかったが、それは悉く無駄な行為に終わっていた。


「魔法など発動する前に貴方を斬ります。遠慮なくかかってきなさい」


「キンパツ、アメリの強さは本物だよ~! 任務完了評価いっつも最高点だから!」


「なるほどな。俺の仲間を一番斬ってやがる聖騎士ってことか」


 ライザーは益々彼女に対しての怒りが膨らんだ。呼応するかのように、彼の両手に光が灯り始める。


「貴方達悪魔は世界を混乱させる諸悪の権化ですわ。斬られなければならない原因は貴方達にあるのです」


 自信を持った口調で喋るアメリ。聖騎士の教科書のような彼女は歴史の真実を知らない。

 悪魔は敵、民の脅威。そう頭に根深く刻まれている。


「よく教育されてんだな」


「生まれた時からそう言い聞かされてるからね……」


 ベリーはライザーを援護すべく彼の後ろに立った。


「だから人間は愚かなんだよ」


 吐き捨てるようにライザーが言うと、ベリーは言い返すことなく、悲しそうに眉を下げた。


「来ないのならば、こちらから行きますわよ」


 アメリの殺気が静かに際立つ。憎しみのこもった蒼い瞳がライザーとベリーを捉えた。

 刹那、彼女は馬から離れ地を蹴り、瞬間的に間合いを詰めた。黒い髪が動きに追いつけず、空気に弄ばれ流れる。

 長い薙刀を右に振りかざし、確実にライザーの胴を狙ってきた。その速さは尋常ではない。


「やられるか!」


 ライザーは空中に描いた紋章に手をかざし、硬質の硝子のような障壁を出現させた。アメリの薙刀は壁に阻まれ、再び彼女の定位置に戻る。


「武器を防いだ!? 物体を防ぐ術なんて……」


 ライザーはそのままその障壁を壊すことなく、アメリに向かって思い切り叩きつけた。障壁は音を立てて割れ砕け、辺りに散らばった。


「きゃっ!?」


 とっさに薙刀を構えそれを防いだアメリだったが、衝撃により弾き飛ばされた。

 落馬し、地面にたたきつけられる。


「っ、ぐ、何という型破りな!」


「てめえみたいな奴、気に入らねえんだよ。目ぇ覚まさせてやる!」


 ライザーは片手で印を組むと、ぴたりとアメリを攻撃の的に絞った。


「やれやれキンパツ~!」


 ベリーが安全圏で手を振る。気づいたライザーは当然ながら彼女に吠えた。


「てめーもちっとは戦いやがれ能天気女!」


「あたし詠唱長いもん! それに………」


 言いかけて、ベリーは悪寒を感じとある方向に目をやった。

 そこには戦う兵士と土煙しか見えないが、彼女は確実に何かを見ていた。杖を構え、今までになく警戒した様子で。


「精霊の気配を感じる……それと、とてつもない魔力も……」


 ベリーの見つめる先にはまだ何もない。だが、何かいる。

 強大な力を持て余す、何かが。



 * * *



 時、同じくして。

 兵が入り乱れ、粉塵の舞う中、それは緩やかに変化し始めた。突然ヴァイス軍の一角が崩れ始め、兵が次々と薙ぎ倒されていく。


「なんだ? 俺の部隊がやられてる!?」


 その変化にいち早く気づいたレイムは、戦場を風のごとく駆けていく。敵に囲まれていた彼だったが、瞬く間に一人だけ包囲を抜けると、部隊が崩れ始めたその場所へと急いだ。


「た、隊長~! 急に転換しないで下さい!」


 走り去るレイムに、彼の副官が叫ぶ。


「ここは任せた! 深入りせずに食い止めるッス!」


 レイムは笑顔で剣を振りつつ走って行く。


「んな無茶ですよ! 深入りしてたのは隊長……っうわ!!」


 敵と刃を交える副官の声を振り切り、レイムは走った。部隊の進む流れに逆らい、波をかきわけながら。


「これは……!」


 進むにつれ、その状況の悪さに頭がくらみそうになる。先程まで優勢だった筈のレイム歩兵部隊。それがとある原因によって、戦況を覆されつつある。

 だが、レイムがその原因を見つけた時には、既に足下に味方の屍が幾つも転がっていた。

 兵の装備している鎧には、傷ひとつない。その代わり、その縫合部分の僅かな隙間から血が流れ出ている。

 つまり、鎧の隙間に刃を走らせ、倒した。兵たちは、かろうじて息がある。激痛に苦しむ兵の姿に悲しむ間もなく、怒りとともに剣を握りしめ、目の前に佇む原因に向かって言葉を吐いた。


「あんたが……やったんスか!」


 すると、彼はレイムに向かって悪びれた様子もなくこう言った。


「そうだよ、悪い?」


「……名を名乗るッス」


 レイムが静かに剣を構える。


「聞いても意味ないよ」


「何故ッスか!」


 レイムの激しい口調に、彼はまだ幼さの残る瞳を細め、その両手の漆黒の剣をぴたりと前に構えた。


「僕に剣を抜いた悪魔は生きていられないからさ」


 彼は無邪気に微笑んだ。

 輝く銀髪に金の瞳は皇家の証、首筋の紋章は聖騎士の証。レイムの前に現れたのは、聖騎士ジークフリード。アメリに次ぐ第三位の英雄聖騎士バルムンクだった。


「俺も負けるわけにはいかないッス!」


 ジークフリードは呆れたようにため息をつく。

 彼もまた、歴史の真相を知らない。彼にとってレイム達は人間に仇なす有害なものでしかなく、その命を同等には思っていない。邪魔な、虫けら程度でしかない。


「アンタ達人間はいつまでそんな馬鹿なこと言ってるんスか!」


「なにが? 意味が分からないよ」


「人の言うことばかりに振り回されて、自分で確かめる気はないんすか!」


 言うや否や、レイムは勢いよく走り出しジークフリードに向かって突進した。片手剣を大きく振りかざすと、頭上から一気に振り下ろす。

 だがジークフリードは双剣を交差させ、レイムの剣を受け止める。


「何を言いたいのか知らないけどさ、そんな腕で僕を斬れすと思ってるの?」


「甘いッス!」


 レイムは剣を離すと素早く間合いをとる。かと思うと、その剣からは黒い炎が燃え上がった。

 ジークフリードが驚き目を開く。黒く燃え上がる剣をレイムは平然と持ち、狙いを定めた。


「魔導術!? じゃない、これは竜の――」


「くらえ!」


 レイムは剣を振るうのではなく、自身の足下に深く突き立てた。黒き炎は消えることなく、突き立てられた場所からまっすぐに大地を裂きながら、ジークフリードに向かっていった。

 ジークフリードもまたその双剣に何か力を込めた。二つの剣が、淡く光を放ち始める。


「竜晶破斬!!」


 ジークフリードが振るった双剣からは冷気のつぶてが水晶のように煌めきながら放たれ、剣圧とともに前に飛び出した。

 それはレイムの放った黒炎とぶつかると、属性の相互作用が働き爆発するように弾け、地面を抉り霧散した。

 レイムは、剣を振ったままの格好で、ジークフリードを奇異な目で見ていた。居心地の悪い視線にジークフリードは眉を寄せる。


「……なんで、アンタがその技を」


「は?」


「竜晶破斬は! それはカイムさんの技ッス!」


 彼の口から飛び出したカイムという名前に、ジークフリードは動揺した様子は無かった。


「……そっか、あんたも竜なんだ。さっきの炎は炎竜の技なんだね」


「質問に答えるッス!」


 信じられない、と言った様子でレイムは叫ぶ。反して彼は至って冷静に答えを口にした。懐かしむような、悲しい瞳で。


「簡単だよ、これを僕に教えたのはカイムだから」


 もう昔にだけどね、と、小さく付け足した。



 * * *



 鎌鼬かと見間違うような、アメリの俊速の刃がライザーを襲う。

 ライザーは軽い身のこなしでそれをかわすと、空いた手から黒い球を造りだしアメリに向かって放った。


「小賢しいですわ!」


 アメリもまた幾つも放たれるそれを右に左に避けながらライザーの体を狙い薙刀を振るう。リーチの長い武器は少し間合いを詰められただけで体に届いてしまう為、ライザーは逃げながら術を使うしかなかった。


「チッ、レイムは何してやがんだ! クソやりづれぇ!」


 剣士がいれば、ライザーは本来の誓導師としての力を発揮出来る。

 敵の動きを食い止めている隙に、術を発動し、仕留める。ありふれた戦略だが、それほど効率が良い戦い方はない。アメリは力もある程度ある上に、速さが尋常ではない。実力の差があるのではなく、完全に相性が悪いのだ。


「我々もアメリ様に続け!」


 勢いに乗ったアメリの師団兵がライザーに向かって一気に押し寄せた。


「広範囲の術は味方の歩兵も巻き込む……複数の敵だけを狙うなんて器用な真似は俺にはできねえ」


 ライザーは制限された攻撃手段を駆使し、応戦する。だが、アメリの薙刀、歩兵の剣……味方の魔導師が対処しきれず次々とやられていく。


「覚悟しろ悪魔が!」


 ありったけの憎しみをぶつけてくる彼ら。ライザーとベリーが術を放つも、押し寄せる兵士の凄まじさに、戦線が突破されそうになっていく。


「くそ……!」


 ライザーは味方の巻き添え覚悟で術の準備に入った。

 瞬時に空中に巨大な紋章を描く。ベリーは味方を守るべく、魔導術の結界のための詠唱を始める。


「やらせませんわ!」


 それに気づかぬアメリではなかった。

 彼らの意図に気づくと、ライザーから的を外し、今度はすぐ近くのベリーに向かって走り始めた。


「あの馬鹿女!」


 ベリーは詠唱に集中しているのか殺意に気づかない。高位の魔導術を唱えているのだろう。

 伏せ目がちのまま、心音に合わせて杖に力を送り込んでいる。ふわりふわりと髪が浮き上がり、足下に守護の紋章が浮かび上がり始めた。

 ベリーにアメリが迫る。これ好機と睨んだアメリは、戸惑うことなく薙刀を左に振りかざした。地を蹴る足音をリアルに感じたベリーはやっと危機に気づき、驚嘆の声を上げた。


「油断しましたわね!」


 アメリの薙刀が、空気を切り裂く音を奏でながらベリーに牙を剥いた。


「きゃああ!!」


 刀はベリーの胴を切り裂き血を滴らせる。その筈だった。

 突如飛び込んできたライザーが、ベリーの体を抱きかかえながら太刀筋を逃れたのだ。

 その代わり彼の右腕は大きく斬られ、鮮血がどろりとして流れ出でた。


「……ぼーっとしてんなら……帰れ馬鹿野郎……」


 ライザーは腕を押さえながら、ベリーを背に隠すようにしてアメリに向き直った。


「キンパツ!」


「声でけえよ! っぐ……」


「動いちゃだめ!」


 それでもアメリはなんら同情することなく、再び薙刀を構えた。


「悪魔……身を挺して仲間を守るとは。敵ながら見事な心がけですわ。それに免じて、一太刀で終わらせて差し上げますわ!」


「高意気な女が! やらせるかよ!」


 ベリーは無意識にライザーのローブを握りしめる。ライザーは痛みに耐えながら、反撃の為再び術を発動しようと片手をあげる。だが思いの腕の外傷は深く、激痛が走り思うように体が動かない。


「もらいます!!」


 薙刀が、彼らに再び牙を剥いた。

 刹那、二人とアメリの間に小さな影が滑り込んできた。それは薙刀の太刀を見極めているかのようにそれを見事に止めてみせた。

 一瞬の出来事に、アメリはその体勢のまま動かない。自身の太刀を止めたそれを見るなり、アメリは胸がざわめき立つのを感じた。

 薙刀の刃と絡まり合うそれは、美しい直刃。鈍く輝き、漆塗りの柄が陽に眩しい日本刀。順に目をやっていくと、それを持つ者の瞳と視線がぶつかった。

 青灰色の髪が絹のようになびき、白い肌にぱらぱらと落ちていく。アメリは、不覚にもそれを美しいと思ってしまった。


「何者!?」


 アメリは、自身の薙刀と絡み合っていた刀を打ち払うように弾くと、後方に素早く下がり距離をとった。


「私はリリスティア。リリスティア・ヴァイスだ」


「リリスティア……もしや」


「元聖騎士だ!」


 アメリは嫌悪感から軽く眉を寄せる。


「お会いするのは初めてですわね。わたくしはアメリ・リングクロウ。かつての貴方と同じ聖騎士ですわ」


「……お前」


 彼女の容姿を見て、リリスティアは何かを言いかけて言葉を止めた。今はそんな悠長に話をしている場合ではない。

 何故なら、目の前にいる彼女は、今にも斬りかかってきそうなくらいの殺気をリリスティアに向けていたからだ。


「参ります!」


 アメリが一瞬の虚をついて間合いを縮めた。

 薙刀は銀の軌跡を残しながら、まるで生きているかのようにリリスティアに襲いくる。リリスティアはその太刀筋を見極めつつ、押し返すように刀でさばいていく。

 薙刀と刀、間合いでは圧倒的に不利だが、リリスティアはその振りを半身で躱し、懐に入り込む。だが、相手は薙刀。槍のように、また刀のように振るうことも出来る。

 右から斬り、次は左から突き。連続突きの後は、隙が出来る。

 リリスティアは一連の斬り合いの中で、アメリの太刀には一定のパターン性があることに気づき始めた。


「速い太刀筋……けど」


「なんですの……それにその剣は……」


 アメリは、斬り合う度に冷静では無くなっていく自分に焦りを感じていた。戦い方よりも、リリスティアが持つ刀に見覚えがあったからだ。


「なぜ……お前がその刀を!」


 アメリはその雑念を振り払うように薙刀を斬りつけるが、返って逆効果になっていた。

 二人の戦いは凄まじく、圏内に入れば返り討ちに合いそうなことから、周りの兵士は加勢出来ずにいる。その隙に、ライザーは腕の傷口を布できつく縛り、よろよろと立ち上がる。ベリーが支えようとするが、腕で振り払った。


「いつでも魔導術を発動できるようにしとけ。後方の部隊にもそれを伝えるんだ」


「そんな怪我してんのに前線から下がらない気!?」


「王がそこにいるのに下がるかよ!」


 ベリーは、呆れたように眉をしかめる。そしてライザーの背後に立つと、その背中を支えた。


「発動の手助けしたげる。無詠唱でもその怪我じゃ精神削れちゃうよ」


「頼んでねえぞ」


「頼まれてないですね~」


「……勝手にしろ」


 触れた手が暖かい。背中から、不可解ではあるが何かの術式が組まれていくのを感じる。ライザーは不覚にも口元が緩んでしまった。

 リリスティアとアメリは、ひとしきり斬り合うと、間合いを取り息を整えていた。アメリは冷静さを事欠いている為もあり、呼吸がかなり乱れている。


「やりますわね。怠慢で下級にいたというジークフリードの話はどうやら信じざるをえないようですわ」


 反してリリスティアは無表情に落ち着いていた。冷たい刃を未だ姿勢良く構えたまま。


「ジークフリードも来ているの」


 リリスティアが複雑な様子でつぶやく。


「アメリ様、加勢いたします!」


 アメリの後ろで彼女の副官や部下が剣を構えいきり立つ。だがアメリはそれらを手で遮った。


「いえ、ここは私一人で戦いますわ」


「そんな! このままでは後方の魔導師達にやられてしまいます!」


「アメリ様!」


 納得のいかない兵達は当然食い下がる。この兵が入り乱れる場で一騎打ちなどと成り立つ筈はない。だが、アメリはそれらの声をまるで無視し、リリスティアにこう言った。


「貴女に聞きたいことがあります」


「……私に?」


「アメリ様! こんな時になにを…!」


「お黙りなさい!!」


 アメリは副官の言葉をきつく押さえ込むと、リリスティアを真剣に見つめた。

 リリスティアもまた、アメリの瞳をまっすぐに見つめ返す。何故か押し迫ったようなその瞳を不思議に思った。


「私になにを問うというの?」


 するとアメリは、握っていた薙刀でリリスティアを指す。いや、リリスティアが構える刀を指した。


「その刀、どこで手に入れたものか正直に答えなさい」


 この場の誰もが持つ剣とは異なる、リリスティアの刀。

 アメリの青の瞳が揺れる。


「それは世闇の刀でしょう! まさか殺して奪ったのではないでしょうね?」


「何故お前がそんなことを気にするの」


 リリスティアは彼女に、また誰かの面影を感じた。繋がりそうで繋がらないこの感覚。アメリは苛立ち、さらにまくし立てる。


「質問に答えなさい。それは貴女のような裏切り者が持っていいような刀ではありませんのよ」


 その一言に、急にリリスティアは厳しく表情を歪めた。


「お前にそんな風に言われる筋合いはない! これは、我が剣の師、昴からもらった大事な刀だ!!」


 それまで、勢いよく言葉を浴びせていたアメリが急に押し黙った。

 彼女の瞳には、落胆と、失意が立ちこめる。

 受け入れたくない事実だった。


「アメリ様!」


 副官が彼女の肩を揺する。しかしアメリは愕然とリリスティアに目を向けているだけで。


「お前、昴を知っているの?」


 アメリは答えない。薙刀を握りしめたまま立ち尽くしている。


「ふ……」


 だが、急にくすくすと笑いだしたかと思うと、少し長い前髪をさらりと上にかき上げた。


「これで何もかも吹っ切れましたわ」


 前髪の下からのぞいた瞳は大きく、陽の光に当たりさらに青く輝いた。続いて、彼女の腹部が何か妖しく輝いている。聖騎士の証である紋章が刻まれているのだろう。

 リリスティアは、うっすらと浮かび上がる紋様を一瞥して、また彼女に視線を合わせた。


「お前の瞳、どこかで見た気がする」


 リリスティアがそう言うと、アメリは口元に手を添えクスクスと笑った。


「当たり前ですわ。貴女は見たことがある筈」


「どういう意味……」


「何故ならば」


 アメリが再び足に力を込める。闘志が目に見えそうなほど膨れ上がるのが肌で感じられた。


「この瞳の色はお父様からいただいた、最初で最後の贈り物ですもの!!」


「父……? まさかお前……!」


「ええ、貴女に刀を渡した昴という男は、間違いなく私の憎き父親ですわ!!」


「昴が!?」


 リリスティアの中から戦意が消えかけていた。

 彼女が、あの昴の娘だなんて。もし、斬ったりしたら――。


「今更やめるなどと、許しませんわ!」


「アメリ!」


「覚悟!!」


 アメリが、また向かってきた。やむなくリリスティアは刀を構える。

 嫌だ、斬れないかもしれない。否、斬れるわけがない。

 だが、これは戦争なのだから。殺さなくてはいけない。剣を抜いた時点で、虚ろに交わされる殺し合うという残酷な誓い。

 たとえ、師の娘だろうと敵対した以上は斬らねばならない。王として生きると決めたのだから。

 だが、再び彼女らの剣が交わることはなかった。


「ぎゃあああ!!」


 突如、断末魔の悲鳴とともに、アメリの師団の兵士が次々とやられ始めた。

 その勢いは、尋常ではない。ばたばたと兵士が人形のように倒れだし、何か黒い物が蠢いているのが遠目に見えた。


「あ、アメリ様! 我が師団が右翼より攻撃を受けております!」


「何を言いますの!? 右側面に部隊は居なかった筈ですわ!」


「ですが今現に!」


 対応に追われ、自分から的を外したアメリからリリスティアはそっと間合いを置いた。

 そしてその胸に熱がこもるのを感じると、彼が近くに居ることを確信した。

 急速に師団の数を減らされ、アメリはリリスティアに構っている場合ではなかった。副官が恐怖に怯えた声でアメリにすがる。


「駄目ですアメリ様! 少数の部隊ですが、まるで歯が立ちません!」


 彼らはアメリの部下を一通り薙ぎ倒すと、土煙の中現れた。

 顔面まで覆った、漆黒の仰々しい重鎧、手には同じく漆黒の大剣。纏うマントまでもが黒。

 その様はまさに悪魔だった。不気味に光る目だけが、唯一生き物だと伺わせる部分。

 アメリは、知らぬ間に追いつめられたことを直感した。黒い鎧の男達は、しんと立ち尽くしていたが、やがてその黒波を左右に分け、後方にいる何者かを通す為道を作り始めた。


「指揮官のお出ましですわね」


 現れた人物は、その黒波の中で炎のようにうねる紅い髪と、紅い瞳をしていた。

 国王近衛部隊ドラフェシルト隊長、ヴァイス王国軍総指揮官、剏竜、ヒルシュフェルト。

 その名に恥じることはなく、彼は威厳と恐怖を称え現れた。

 そして、アメリの向こう側にリリスティアを見つけると、重い溜息をついてみせた。


「ご無事で何よりです陛下」


 わざとらしい敬語に、リリスティアはムッと眉を寄せると、堂々と答えた。


「私は民のために戦うと言った」


 リリスティアのそっけない返事にも、ヒルはただ笑みを返すだけだった。彼はそのまま視線をアメリに移すと、一歩前に歩み出る。


「まだ戦るのか?」


 ヒルの足元には、無惨な王国兵の屍が転がっている。アメリはそれでも戦意を失った様子は無く、薙刀を構えたままだった。


「退くことなど考えておりません」


 アメリは、臆することなく言い放つ。


「いい心がけだが、状況が見えているとは思えないな」


 ヒルの言うことは最もだった。アメリの師団はヒル達により大幅に数を減らされ、さらに彼ら竜剣部隊とライザーの魔導部隊包囲されるような形になっている。この包囲を抜けるのはたやすい事ではない。

 アメリは周囲ぐるりを囲む兵士を見て、恨めしそうに呟く。


「降伏するか?」


 ヒルが余裕たっぷりに言うと、アメリはますます眉間に皺を寄せた。すると、何を思ったのか、リリスティアは構えていた刀を降ろし、静かにアメリに語りかけた。


「アメリ、お前が昴の娘だというなら、私は戦いたくはない」


「何を言いだしますの?」


 戦いたくないという言葉に、驚いたのはアメリだけではなかった。

 ヒルはリリスティアの傍らに歩み寄ると、少し心配そうに視線を送った。


「ヒル、少しだけ。話せば分かるかもしれない」


 そう言うとリリスティアは、アメリに少し近づき、まっすぐに彼女を見た。

 見れば見るほど、リリスティアは昴を思い出した。あの無口で優しい男の影が彼女に重なる。信念に満ちた瞳なんかはそっくりだ。


「私には話すことなどありませんわ」


 アメリは頑なにリリスティアを拒絶する口調で答える。


「私にはある。聞いて頂戴。昴は私の剣の師、恩人だ。まだ私が聖騎士に成り立ての頃、ある町で偶然出会って、剣を教えてもらったんだ」


 アメリは無言のままそれを聞いている。僅かに残ったアメリの師団兵も、その場を動かず警戒したままだった。


「昴のおかげで私は戦う術を身につけられた。それだけじゃなく、たくさん、教えてくれた」


 あまり喋るのが得意ではないリリスティアだったが、懸命に何かを彼女に伝えようとしていた。ヒルはそんなリリスティアを静かに見守る。


「何悠長に話してやがんだ?」


 向かい合い話をするアメリとリリスティアの光景を目にしたライザーたちは、首を傾げた。


「戦いたくないんだよ」


「あ?」


「たぶん、アメリは昴の娘だから。聖騎士としては、公式には抹消済みの戸籍関係だけどね……」


 今まさか、こんな形で二人が出会うなんて。

 普通なら、もしかしたら仲良くなっていた二人かもしれない。だが、複雑な過去のしがらみにより、今二人は戦場に敵として向かい合っていた。


「……分かりましたわ」


 リリスティアと昴の出会いの話を黙って聞いていたアメリが、何かうんざりした様子で呟いた。


「つまり、私のお父様は貴方に剣を教え、人としての道を教え、貴方を導いた救世主といったところですわね」


 妙な言い方にリリスティアは眉を顰めたが、さほど心にはとめなかった。


「そう、なる。だから私は」


 アメリはリリスティアの刀に目を遣ると、深い溜息をつき、こう言った。


「最早……あの男を父などと二度とは呼びません」


「何?」


 信じられないような憎しみのこもった言葉に、リリスティアは我が耳を疑った。


「昴は、悪魔を増長させる火種を育てた罪深き剣士。次会ったならば、この手で倒します」


「アメリ! そうじゃない!」


「裏切り者リリー、いえ今はリリスティアでしたか。私が得られなかった父の愛を他人である貴女がひけらかし、さぞ気分が良いのでしょう」


「そんなつもりは!」


「貴女が何をどう主張しようと、悪魔は人類の敵でしかないのですわ」


「私たちは悪魔じゃない……話を聞いてアメリ!」


「人の姿で惑わすのはおやめなさい!! 過去に、同じように人の姿をした悪魔がいましたわ! しかしやはり悪魔は悪魔ですわ!!」


 リリスティアの必死の呼びかけにも、アメリはもう聞く耳を持つ様子はない。それどころか、再びその瞳は殺意一色に染まる。


「これ以上は時間の無駄ですわね」


「そんな……っ」


 リリスティアはまた語りかけようと試みたが、ヒルがそれを止めた。無言で首を振ると、肩に優しく手を置き、こう言った。


「王が私情にほだされるな」


 ヒルの言葉はリリスティアの胸を僅かに痛める。

 だがそれは当然のことで、リリスティアは軽く唇を噛むとコクリと頷いた。


「……分かってる、けど……っ、話を聞いてほしいアメリ! アルフレッドは!」


「陛下を呼び捨てにするな悪魔の情婦めが!」


 アメリの側にいる女性聖騎士が荒々しく言葉を遮る。リリスティアは今、人間の悪魔に対する憎しみの深さに直面し、身を持って焦りを感じていた。


「根深い確執はそう簡単に修復出来るものではない」


 ヒルは静かな口調で語る。


「たとえ戦を止めても、ヴァイスの民側だって人間を簡単に受け入れられるわけがない。積もり積もった怨みは、消えない」


 リリスティアは再びアメリに目を向けた。蒼い瞳には憎しみの炎が燃え上がり、未だ勢いを失わない。


 姉さん、貴方もきっと、話そうとしたんだ。

 だから、バロン達に捕らわれたのでしょう。


 リリスティアは志を果たせなかったセイレを想い、胸が締め付けられるような感覚になった。

 きっと一人で立ち向かったのだろう、誰の協力も得ることなく。そういう性格だったから。

 私にはまだそれが出来ない。

 臆病だ。臆病と知りながらも、勇み足を進めることが出来ない。なんて、未熟。私は姉さんのように強く歩むことは出来ないかもしれない。全て救えなくていい。そんな傲慢は無い。ただ。


 自分を待っていてくれた人、案じてくれていた人がいたこと。


 その人たちに、報いたい。


「聞いてアメリ!」


 ヴァイス軍に囲まれた状態のアメリが、そのリリスティアの少し雰囲気の違う口調にびくりと肩を震わせた。リリスティアは刀を一度鞘に戻し、部隊の最前列に一人歩み出た。

 ライザーとベリーが声をかけたがリリスティアは振り向く様子もなく、どんどん歩み出る。

 ヒルは黙ってそれを見つめている。だが、何かあればすぐに剣を抜けるよう、片手は柄に添えていた。


「近寄らないで」


 アメリは低く唸る。いくらヴァイス軍がアメリ達を包囲しているとはいえ、単身飛び出せば狙い撃ちは必至。そんなことは考えていないかのように、しかも刀を納めたままリリスティアは歩んでくるものだから、逆に気味が悪い。


「我々に近寄るな悪魔が!」


 途端アメリの横にいた女性聖騎士が耐えきれずリリスティアに斬りかかった。剣を振り上げると、ヴァイスの兵達は咄嗟に飛びだそうとしたが、それには至らなかった。


「……っぐ……」


 リリスティアは素早く刀を抜いて、女性聖騎士を斬った。

 太刀を浴びせられた女性聖騎士は剣を持ったままその場に崩れ落ちた。だが、傷がついた様子は無い。

 アメリは何をされたのか瞬時に気づき、訝しげにリリスティアを見て呟いた。


「……峰打ち」


 リリスティアの武器は刀と呼ばれる片刃剣。持ち方を変えればそれは斬れることなく当て身で相手を倒すことが出来る。それでも、気絶させることはたやすいくらいの威力はある。


「貴女は何を考えていますの?!」


 アメリがリリスティアの体に届くか届かないかの位置に薙刀をつけた。少し間合いを詰められれば、リリスティアは確実に斬られるだろう。だがリリスティアは狼狽えることはなかった。


「ここがどこだか理解ができていないようですわね! ここは!!」


 アメリが言い終える前に、リリスティアがその続きを代弁した。


「戦場だ!」


 そう言って、悲しみを押し殺すようにして、アメリを見つめる。何かに縛られたように、その雰囲気に圧倒され、誰もその場から動けなかった。互いに将の首を取る絶好の機会にも関わらず、二人のやりとりに、全神経が奪われていた。

 するとリリスティアは、刀をアメリの顔に真っ直ぐに向けた。そう、あと一歩踏み込めば、彼女を斬り裂ける位置に。


「戦場は、命の奪い合い。理想を勝ち取る為の場所だ」


 さらにリリスティアは続ける。


「私は戦を肯定も否定もしない。ただ」


 アメリはごくりと生唾を飲んだ。気圧されているのか、手のひらに汗が滲む。


「何ですの……」


「私は……私を生かしてくれた人たちの為に戦っている。私はリリスティア。ヴァイスをすべる最後の王だ!!」


 奪う痛みも、失う痛みを知っている。だからこそ、私は駆けぬける。

 走りついた先、たとえ何を失ったとしても。


「……あ、アメリ様、この者はどうして言葉を喋るのですか」


 不意に兵の一人が放った言葉に、アメリは気を削がれた。


「え……?」


「悪魔が人のように喋ります。なぜですか!?」


 アメリの部下達は戸惑っていた。これが、悪魔なのか? と。

 目の前にいる彼女、後方にいる彼らも、話を聞いていると何かが違う。

 粗野で、狡猾で、慈愛のかけらもない堕ちた種族。記録写真にあるその姿はおぞましく、醜い。人型は仮の姿、実際はおぞましい怪物。

 町に現れ、退治される悪魔も、おぞましい化け物だった。なのに、何故今目の前にいる彼らの姿は自分達と相違無いのだろう。化け物の姿が実体ならば、何故戦場においてその姿を晒さないのだろう。

 何故目の前の女性は、こんなにも澄んだ瞳をしているのだろう。


「貴方たち……」


「アメリ様!! 本隊まで下がりましょう!」


「撤退路は我々が作ります!」


 アメリの副官達は彼女の手を引き後ろに下がらせ、迫り来るヴァイス軍に剣を向けた。

 だがアメリは尚くすぶり続ける闘志を消すことは出来ず、群衆に阻まれながらもリリスティアを遠くに見据えた。


「お待ちなさい! まだリリスティアとの決着を……」


「このままでは全滅してしまいます!」


 アメリは体を副官達に抑えられ、悔しそうに唇を噛む。一師団の指揮官でなければ、単身飛び出してリリスティアを倒したい。

 だが、聖騎士としてのアメリの理性がなんとかそれを踏みとどまらせた。


「………仕方ありませんわ……撤退準備! 怪我人を優先、退路を確保! マリアベル様の本隊の位置まで下がるのです!」


「ご英断ですアメリ様」


「魔力を使えない私達は捨てゴマですわね……」


「アメリ様……」


 アメリの吐き捨てた言葉に、副官や部下達はやるせなさに眉を下げた。


「あるいは初めから……」


 ―――犠牲にする気で、我々を前線に往かせたのかもしれない。

 聖騎士の数は多く、代わりなどいくらでもいる。アメリにはそんな声が聞こえた気がした。


「アメリ達が退いて行く……」


 リリスティアは、行き場の無くなった刀の切っ先を降ろした。アメリが、自分を憎んでいるあの青い瞳を見るのが辛かった。リリスティアは、とりあえずは彼女をこの手で斬らずに済んだことを、不謹慎ながらも安堵した。

 そして、降ろした刀を持つ手がドクリと脈打つのを感じ、ハッとした。それは、斬らずに済んだ事に安堵した次の瞬間、"斬れなかった残念さ"が、自分の意志とは無関係にこみ上げてきたからだった。

 今また何故このタイミングでその感覚が甦ったのか。理由がわからないまま、リリスティアはそれを必死で消し去ろうと首を振った。



 * * *



 その頃、そう離れていない場所でも二人の剣士が激しく衝突していた。

 片や、双剣を自在に操り、同時に魔法を繰り出す天才魔法剣士ジークフリード。片や、熟練された技を次々と繰り出し、圧倒的な力を持つ歩兵部隊隊長レイム。二人の男の戦いは激しさを増し、その影響から大地のあちこちは抉られ、大きな傷を負っている。剣が壊れそうなくらいの激しい斬り合いにも関わらず、二人の体には未だ傷がついていなかった。


「細い体してるくせに体力はあるみたいッスね」


「馬鹿にしないでよ。お前こそ、竜族なら竜変化したほうが戦りやすいんじゃない?」


 ジークフリードは双剣をぷらぷらと振り回し、レイムを挑発した。


「その手には乗らないッスよ。あんた、ノーブルの人間ッスね? 魔導大国ノーブルの」


「なんで分かるのさ」


「金の瞳と銀の髪を併せ持つのは、ノーブル皇家だけと習ったッス!」


「で、──だったら何なわけ?」


「竜化したら不利になるのは俺のほうってことッスよ。あんたはアレを知ってるから竜化を薦めるんだ」


 レイムの瞳孔がいつにも増して、爬虫類のように鋭く変化する。


「やだな、なんのことだか分かんないよ。あ、もしかして竜化できないの? たまにいるんだよね戻れないやつって」


「とにかく俺はこのままやらせてもらうッスよ」


「勝手にすれば? どっちにしろ、勝つのは僕だよ」


 いつもの無邪気さのかけらもない冷たい口調。

 ジークフリードは遊ばせていた双剣を構え直した。


「いくよ」


 そして、再びレイムに向かって斬りかかろうとぐっと体に力を入れた時だった。


「――おやおや……。随分手こずっているようですねぇ」


 どこからともなく聞こえてきた声に、ジークフリードの体にぞくりと悪寒が走った。


「何スか?」


 その声はレイムには聞こえていなかったのか、彼は急に動きを止めたジークフリードを不思議そうに見つめる。


「手こずってなんかいないよ! 次でしとめる!」


 ジークフリードは、必死になって声を上げている。

 レイムから見れば独り言を言っているようにしか見えなかった。彼の周りには、剣を交える両軍の兵士の姿しかない。


「一体誰と喋ってるんスか?」


 拍子抜けしているレイムをよそに、ジークフリードはまだ何かと喋っていた。


「僕一人でやれるよ! クーの力なんか無くても、僕だけで!」


「そうは見えませんよ。だから、私がここに来たのです」


 ジークフリードと会話をする何かは、優しい口調ながらもどこか威圧的に喋る。

 彼はそれに逆らえないのか、言葉を返すだけで必死といった様子だった。


「今……!!」


 待ちくたびれたレイムが、怒り心頭で声を上げた。その声で、ジークフリードはレイムに視線を移した。

 すると、彼の横の空間が陽炎のように歪みだした。透明な空気が泥のように蠢きながら、人の形を型を作る。そして、まるで初めからそこにいたかのように、その「何か」は静かに姿を現した。


「竜一匹、始末出来ないのではノーブルの精霊の血が泣きますよ、ジーク」


 現れたのは、落ち着いた雰囲気を持つ成人男性だった。

 その長くひきずるような銀の髪、瞳は深い金色に輝いていた。顔立ちも端正で、色が白い所為か、どこか儚げに見える。睫が長く、女性のようにも見える男だ。

 その男はレイムに静かに向き直ると、何かを探るように見つめた。


「竜化した竜でなければ、竜玉の位置も見抜けないなんて、まだまだ勉強が足りませんね」


 竜玉と言われ、レイムの肩がびくりと跳ねた。竜玉とは、竜族の唯一にして最大の弱点。

 天空を駆け、炎を吐き、大地をうねらせる最強と呼ばれる竜族だが、そこを突かれると致命的だった。つまり、"竜族は魔導術に弱い"ではなく、正しくは竜玉への魔導術攻撃に弱いのだ。

 しかしその場所を探り当てることは困難で、彼らも普段はその身に深く埋めている。見破られる人物は、この世に僅かしかいない。


「私は神鉄の魔導師、クルヴェイグ。なるほど、あなたの竜玉はそこですか」


 男が手を前にかざすと、レイムは呼応するかのように体の中の竜玉が疼くのを感じた。

 血液がどくどくといつもより早く体をかけ巡り、全身全霊で恐怖を訴える。


「あんたは……まさかノーブル皇族の!」


 男の手に急速に力が集まり始める。それはまばゆい光となり、次第にその体積を増していく。

 傍らで、ジークフリードが複雑な表情で俯いていた。


「運が悪かったですねぇ。ふふふふ……!」


 光は巨大さをさらに増し、周囲の空気を震え上がらせた。あまりの眩しさからレイムは顔を手で庇う。

 そして男が今から何をするつもりなのか、気づいた時にはすでに遅かった。光を片手で留めたまま、男は何かを唱え始めた。


「……悠久の闇、永久の光。汝我と契約を結びし古来よりの盟友。其の名に於いて今ここに命に応え給え」


「後退しろ! 部隊を下げるんだ!」


 その追いつめられたようなレイムの叫びに、周りの兵士は一気に後退を始めた。

 だがレイムはその場で剣を体の前に構えたたまま留まっている。


「来るなら来い! 神鉄の魔導師なんて怖がってたら、リリスティア陛下を守れないッス!」


「私が神鉄の魔導師と分かっていて尚その態度、竜族にしては勇敢。ですが………」


 男の手の光が、あたりを飲み込むような勢いで肥大した。


「竜族にしては賢くない選択ですねえ!」


「神鉄の魔導師はカイムさんの宿敵!! 弟である俺が負けるわけにはいかねぇッス」


「カイムの弟!?」


 ジークフリードがぎょっとしてレイムを見る。

 そしてある事に気がつくと、その事実を認めざるを得なかった。彼の胸に、黒い竜の紋様がくっきりと浮かび上がっていたのだ。レイムの剣から黒い炎が燃え上がる。彼はそれを片手に、男に向かって斬りかかった。だが、刃は届かなかった。


「来たれ、精霊王アステリカ!!」


 刹那、クルヴェイグの放った白い光が大爆発を引き起こした。

 轟音が広い平原に鳴り響き、空が揺れた。轟々と地響きを伴い膨らむ光は留まることを知らず、次々に兵士を飲み込んでいく。

 緑の草に覆われていた大地は一瞬にしてその肌を露見させ、大地が砕けていく。

 軍勢は敵味方関係なく、一瞬にして光の中に消えた。


 その凄まじい爆風はリリスティア達の場所にも影響を与えた。目映い光と突風が側面からリリスティア達を襲った。

 一体、何が起きたのか。リリスティア達の位置からすると、丁度右方向。

 凄まじい白い光の爆発が起こった。今分かるのはそれだけだった。

 ヒルは瞬時にリリスティアの前に立ち、突風から庇うようにマントで彼女を覆い隠す。


「精霊の光……神鉄の魔導師か!」


 ヒルは爆発が起きた方角を見つめ、仲間の安否を憂いた。リリスティアは駆ける馬上、マントの陰からその凄まじい光の爆発を凝視する。今まで見たことのない光景に、瞳が揺れた。


「……風が削れていくっ……なんて魔導術の威力なの!」


 ベリーは突風と、伝わってくるその魔力に圧されそうになりながらも必死に足を踏ん張る。

 側にいたライザーが忌々しく舌を打つ。


「精霊王……ノーブル皇族でこんなとこまでくるもの好きは一人しかいねえ」


「神鉄の魔導師!」


 ベリーとライザーは顔を見合わせると、互いに頷いた。


「あの方角にはジークフリードの師団がまだいた筈……まさか巻き込むなんて!」


 後退していたアメリの部隊も、爆風に煽られてその場にしゃがみこんでいた。

 アメリは信じられないといった顔で、爆発を見ていた。彼女の副官達も、その容赦ないやり方に恐怖し、愕然とした。


「最初から……最初からわたくしたちがどう戦っていても関係がないといった作戦……。なんですのこれは!」


「アメリ様……」


「退くのです。とにかく、後退を!」


「は、はい!」


 一連の様子を、妖しい笑みを浮かべ見つめる者がいた。その者は皺の深い口元に手を当て、滑稽だと言わんばかりに高笑う。


「これはノーブルの関税を少しゆるめなければなりませんなあ」


 年老いた男、バロン国議院議長は冗談交じりに言う。その傍にいたマティスは、驚きに目を見張っていた。


「こんなことができるのですが。人が」


「素晴らしいじゃろう? これが神鉄の魔導師の精霊王の召喚じゃ」


 彼らは、聖王国の城にて、魔導機械という遠方を映す鏡を用い、戦いの様子を確認していた。


「しかしこの魔導機械でここまで鮮明に映し出されるとは」


 まるで自分もその場にいるかのような轟音と光の発現に、マティスは目を細めた。


「これが広く普及すれば、戦いはもっと容易になるだろうな」


「そうですね……」


 リリー、君は今この戦場にいるのだろうか。

 マティスはまだ強く心に残るリリスティアの顔を思い出す。あの無感情で強い眼差しを。

 きっと、うまくいってるならばリリスティアは彼らの王として居るはず。あの男が…そうさせるだろう。

 頭に浮かんでいたリリスティアの顔がゆらめいて消え、あの紅い髪の男が現れた。憎たらしさから自然と眉間に皺が寄る。


「例えヒルシュフェルトといえど、情報を掴まれては元も子もないだろう」


 まるで昔からよく知っているかのような口振りに、マティスは興味を引かれた。


「失礼ですが、あの悪魔とはお知り合いだったのですか?」


「話してはおらんかったか。知り合いなどではない。ただ特殊すぎるとう点で、研究者の間では名が知れておる」


「研究……悪魔のですか?」


 バロンは何も言わずただ笑って応えた。過去を思い出しているのか、重いため息をついた。


「あれは厄介な男だ。なんせ剏竜だ」


「ヴァイスを守る竜がいるというのは、単なる伝承かと思っていましたが」


 マティスはバロン同じく表情を曇らせた。


「ヴァイスの強みはその一点にある。あの竜がヴァイス王家と誓約を交わした時、その代によって異なる力を発動するからな」


 バロンがリリスティアを捕らえ、殺そうとしたのにはその目的もあった。

 とにかくヴァイスの民を根絶やしにすること、そして剏竜と誓約することのできる可能性が一番高いリリスティアを抹殺することが何より先決だった。


「生かしておけば人質としても使えると思ったが、まあそこは陛下の誤算だろうな」


「しかし、ヴァイス王家に連なる者はリリーだけではないですよね。それが他の剏竜と誓約すれな戦力は倍々に膨れ上がるのでは」


 マティスが進言をすると、バロンは首を横に振った。


「その心配はない。詳しくは判明しておらぬが、奴らは子を一匹ずつしか残せぬらしいからな」


「そうなのですか?」


「マティスよ、剏竜の名の意味を知っておるか?」


 マティスはいいえ、と返事をする。


「あれの始祖は、「はじまり」の神竜だからじゃよ」


 そう言って、バロンは再び映像に目を向けた。先ほどまで画面にいっぱいだったあの爆発の光は消え、煙がもうもうと空へ立ち上っていた。



 * * *



「――まさかここまで強くなっているなんてねえ」


 レオンは苦虫を噛み潰したような顔で、言葉を吐き捨てた。

 神鉄の魔導師の一撃は凄まじく、その場にいたレイムや他二部隊の安否が分からない。だがただひとつ分かるのは、そこには平原の青い草の代わりに、大量の屍が転がっている。それだけだ。


「ノーブルの魔導師……やっぱり受け継ぐ度に強くなるんです、ね」


 一緒にそれを見ていたシャジャが、その光景に恐怖したのか目をそらす。

 サウザンスドラゴンであるはずの彼女だが、その性格は幼い少女のままだった。


「そのようデスね、彼は貴方達とモメた時より確実に強い」


「この人、人型の私たちの竜玉の場所も分かっちゃうから。カイムさん、こんな時にどこへ……」


「大丈夫デスよ、煌竜王も馬鹿じゃありません。何か考えがあって一人消えたんデショ」


 するとシャジャは、羽根をへたりとしおらせ、レオンに向かって悲しそうに言葉を返した。


「カイムさんに限って、策なんか無い、です軍師」


「え?」


「ただ単に、居ても立ってもいられなかったから居なくなったんだと思います」


「……それ一番困りマス」


 その長年彼を見てきた者だけが知り得るカイムの本質を語られ、レオンは呆れて何も言い返すことが出来なかった。

 そして軽く咳払いすると、また部隊へ指令を出すために思索にふけった。



 * * *



「やっとやんだか」


 爆発の光が消えたのを確認したヒルは、腕の中からリリスティアを解放した。そして近くにいた部下に荒々しく声をかけた。


「敵魔導師に広範囲の消滅魔法を使う者がいる! 先の攻撃で敵も巻き込まれ陣形が崩れた! ドラフェシルトはこのまま敵歩兵部隊を攻撃! だが深追いはするな! 退却を促せ!」


 消滅、と聞きリリスティアの胸はドクンと疼いた。確かあそこにはレイム達が居た筈。そして、ジークフリードも。

 だがそれを憂うことなくすぐさま指示を出したヒルに、リリスティアは請うような目を向けた。


「ヒル! レイムたちは!」


「今は、目の前の奴の部隊を倒すことが先決だ」


 リリスティアは反論しなかった。

 この戦場という舞台で、経験のない自分の意見が正しいとは思えない。

 今出来ることをしなければ、負ける。ヒルの判断を冷たいとは思わない。戦場では一瞬の判断の誤りが命取りになることもある。

 リリスティアは刀を握りしめ、再び構えた。心では、まだ彼らを憂いながらも。



   * * *



「神鉄の魔導師もドジったな。味方まで巻き込んだんなら、戦況的にこっちが有利になっただけだ」


 ライザーは勝利を確信し始めたのか、嘲笑うかのように口端をつり上げると、手に魔力を込め始めた。


「ねえ!」


 ベリーが突然ライザーに声をかけた。妙に焦った様子の彼女の手が、少し震えていた。


「あんだよ?」


「これで終わりじゃないよ! もう一度くる!」


「馬鹿、んなことしたらあのアメリっつー女の部隊も食らうだろが。あの規模の魔導術を連続で使ったらいくら精霊魔導術でも……」


「でも来るんだってば!!」


 ベリーは尚も食い下がる。絶対的な確信があるのか、その言葉の調子はいつもと違い真剣だ。何かに気づいたように必死に訴え続ける。


「精霊がざわついてるの! 空気が鳴いてるの!」


「なんでんなこと分かるんだよ?」


 ベリーは言葉に詰まり、答えない。ライザーはふんと鼻を鳴らすと、彼女から視線を外した。


「いいけどな。ただお前が益々信用ならねえ奴だってことは分かった」


「そんな言い方!」


 ベリーは続きを言いかけて、それ以上は言えなかった。

 ――言えない。私の名前。ベリー・ハウエルの、真実の名は、まだ。



 * * *



 煙が晴れ、先程まで激しい戦闘が行われていた筈のそこは、今や見る影もなく。ただ青年と少年が立ち尽くすのみだった。

 そしてその眼下には焼け焦げた屍が煙を上げ、醜態を晒している。重なり合うように倒れている彼らに目を向けることもなく、神鉄の魔導師クルヴェイグは、自分達を守っていた半透明の防御壁を、右手で弾いた。魔導術の防御壁は、彼に従うように霧散した。

 傍にいたジークフリードが、青ざめた顔でクルヴェイグを見上げる。


「な……なんで」


 問いかけに、クルヴェイグは首を傾げた。


「何故、とは?」


 とぼけたように答えを返され、ジークフリードは声を上げた。


「なんで皆まで殺したんだよクー!」


「何をそんなに怒っているのですか」


「怒るよ! クーの大魔法のせいで、僕の師団の魔導兵まで……ッ」


 クルヴェイグの大魔法は、レイム達だけではなくジークフリードの師団も巻き込んだ。

 広範囲に広がった大爆発から逃れる術を持つ者はおらず、数人の魔導師や魔法の心得がある者だけが、とっさに防御壁を張りなんとか命を留めていた。それでも傷は深く、最早戦える状態ではない。

 必死に服の裾を掴むジークフリードに、クルヴェイグは溜息をついてみせた。


「貴方はあのまま戦っていても、あの竜の男を倒せましたか?」


「倒せたさ!」


「なら彼の竜玉の場所は?」


「……それは……」


 答えられない。理由は単純で、分からなかったから。

 竜はその唯一の弱点を巧みに隠している。竜玉の形や特徴は個々で違う。だからこそ、それを何時如何なる時でも見抜けるようになる為には、相応の修行や経験、そして強い魔導力が必要となるのだ。

 反論ができないジークフリードは、手探りで言葉を返そうとする。


「けど味方まで巻き込むなんて……もっと他にやりようが」


「敵の歩兵部隊を一掃出来たのですから良いでしょう。それに貴方の指示していた師団の半分は「混ざりもの」の聖騎士でしょう」


「でもノーブルの魔導師もいた!」


「微々たる犠牲です。魔導師など、私一人いればいい」


 その言葉には感情など無く、冷たい氷が突き刺さるかのようにジークフリードの胸に響いた。


「そんなこと許されない!」


 ジークフリードは下を向き剣を握る拳にさらに強く力を入れる。足下に広がる血溜まりが気持ち悪かった。

 すると、クルヴェイグは流れるような動きでジークフリードから離れ、遠くに見えるリリスティア達の部隊を見つめながらこう言った。


「あそこに美しい女性がいますね。どこか、遠い昔に見たことがあるような」


 微かな笑みを浮かべそう言うクルヴェイグには、彼方のリリスティアの顔立ちがはっきりと見えているようだった。


「……リリー」


「リリーというのですか?」


 すると、ジークフリードは彼の変化に気がついた。まがりなりにもノーブル王家の血を持つジークフリードが、その恐ろしい魔力の存在に気づかない筈がない。


「何をする気なの、クー」


「本隊もまだ動く気が無いようですし、さっさと終わらせてしまおうかと」


 彼は、楽しそうに微笑んだ。



 * * *



「──っあ!」


 後方で、ベリーが突如頭を押さえながら膝をついた。


「お、おいどうした?」


 いきなりの事にライザーは手を貸すことも出来ず、ただ目を丸くした。


「ッ……痛……」


 ベリーは髪がくしゃくしゃになるほど強く頭を抱えている。先程の様子といい、普通じゃない。


「ダメ………あいつまた!」


「おい、何だってんださっきから」


 するとベリーは苦しそうに眉をしかめ、杖を支えに立ち上がる。

 粉塵の舞う彼方に、神鉄の魔導師の存在を感じる。それを睨みつけると、杖を構え手に魔力を込め始めた。


「やらせない……あんなこと二度と起こさせない……!」


「……おや……?」


 クルヴェイグもベリーを認識したのか、僅かに眉を寄せた。魔力の高ぶりは徐々にその力を増し、彼の足下に空気の渦が広がり始めていた。


「クー止めてよ! あそこにはアメリが居るんだ!」


「アメリ? ああ、グルージスの聖騎士の名ですか。しかしこのままでは戦に負けますよ」


「負けないよ! 僕がいる!」


 するとクルヴェイグは、冷たい瞳をジークフリードに向けた。ぞっとするような、冷たい瞳。彼は無感情に言い放つ。


「だから、貴方は王には向いていないのですよ。皇帝陛下も、そう言っていたでしょう。身の程を知りなさい」


 憎しみさえ感じられる口調に、ジークフリードは喉が渇き、反論の言葉が浮かばなかった。


「……勘違いしないでください。私は貴方を死なせたくないのですよ。あなたは大切な、弟ですからね」


 クルヴェイグは微笑んでみせたが、ジークフリードの目にはそう写らなかった。


 まるで、弟で無ければ見捨てていたと言われたようだった。


「それに、先程のように全滅をさせることは出来ないかもしれませんよ」


「え……」


 クルヴェイグはそう言いながらも、余裕に満ちた表情だった。そして左手を前にかざし、狙いを定めつつ詠唱の準備に入った。


「懐かしい力を感じます。少しは楽しめそうですね」


 そして、クルヴェイグの魔導術がまた膨れ上り光を放ち始めた。光がさらに質量を増したかと思うと、天空に向け一直線に立ち昇る。それは詠唱が完了したことを指し、惨劇の予兆でもあった。

 クルヴェイグが手を天空にかざすと、彼の頭上に複雑な模様の魔法陣が出現し、銀の光を放っている。 先ほどの比ではない。大平原全てを覆うほどの巨大な魔方陣だ。漆黒の精霊王がその姿を黒い風となって顕現し、おぞましい鳴き声を上げた。


「……悪魔はよく頑張りました。ですが」


 魔法陣がさらにその模様を広げるように肥大する。


「私という魔導師がいたこと、それが致命的でした」


 クルヴェイグの手が、ゆっくりと振り下ろされる。そして、彼らを葬る為の断罪の一撃が静かに放たれた。

 時が止まったかのような静寂の後、それは轟音とともに彼らを襲った。


「絶て! 荒れ狂う精霊の魂風! 『テネブレード・ラディウス』!!」


 魔法陣から放たれた凄まじい白い竜巻は、二つにも三つにも別れ、最終的には数え切れない程の数になった。


「魔導障壁だ! 王を守れ!!」


 大地を抉りながら竜頭のように向かってくるそれを防ぐべく、ライザーは魔力を込め続ける。

 だが、力を計れぬライザーでは無かった。根本的に魔導術の本質が違う。防いだとして、衝撃で無事ではいられないだろう。自分の不安を抱えたまま、その大魔法を受け止めようと唇を噛みしめた。


 その時だった。


 ――できるかな。やれるよね。

 だってそのために来たんだから。

 ありったけの媒体と魔導術の術具。制御の宝玉なんて買い占めてきた。

 何もかもなくなって、もうリリーとお茶をするお金もなくなっちゃった。

 けど。


「私はそのために、此処に来たの」


 先ほどまで味方を覆っていた魔導障壁が砕け散ったかと思うと、それらを上回る更に巨大な淡い桜色の半球体が現れた。

 間を置かずして球体の周りには星の数ほどの魔導言語が浮かび上がり、光の帯となって周囲をめぐり始めた。それは地中に光の楔を打ち込み、二重、三重と障壁の数を増やしていく。


「これは……!?」


「リリスティア!」


 ヒルがリリスティアを庇う。目も開けていられないほどの光量で、両軍の兵たちは動けなくなってしまった。


「なんだ……これ……」


 ライザーの足元に、砕け散った装飾具が幾つも転がっている。だがそれは「彼女」を中心としてどんどん数を増やしていた。


「何やってんだお前!」


「根源たる古代の星々よ、汝纏いし其の光、我に纏いて盾と成れ」


「おい、ベリー!!」


「『イニティアム・アストラ』!!」


 その球体はリリスティア達は勿論、アメリの師団をもその腹に納める。突然のそれの出現に戸惑いを見せる兵達だが、目の前に迫った大魔法に再び恐怖した。

 だが、クルヴェイグの放った竜巻はその障壁にぶつかるや否や、轟音を鳴り響かせながらも次々にその威力を弱まらせていく。


「軍師! これは!」


 それを見守っていたシャジャが、耐えきれず声を上げた。

 レオンは何も答えず、膨らむ光を見つめている。そして静かに眼鏡を外し、ポケットから出した布で汚れを取り、疲れ目を労るように指で眉間を押した。


「シャティアさん、多分大丈夫デスよ」


「大丈夫……ですか?」


「ええ」


 レオンは再び眼鏡をつける。そして立体映像に向かって腕を組み、偉そうに見下げるような目を向けた。


「……どうやら俺達は、とんでもない方を仲間にしていたようデス」


 そして、あれほど凄まじかった竜巻が、ろうそくの火が消されるように儚く霧散していった。後には、軽い爽やかな風がすうっと横切る。静かになった平原に、春のような温かい風が通り過ぎた。


「最高位魔法障壁「イニティアム・アストラ」……ふふっ、ふふふ! やはりそこにいるのは貴方でしたか!」


 クルヴェイグは歓喜に満ちた声を上げた。そして、視線の先に居る彼女を見て、沸き上がる感情を抑えずにはいられないとばかりに腹を抱えた。


「おい……」


 ライザーが声をかけた。兵士も皆、彼女を驚いた様子で口を開けて見ている。


「なんだよその格好は」


 彼女は答えない。俯いたまま、手にした杖が壊れていくのを見ながら、一粒の涙を流した。


「答えろベリー!!」


 そこにいるベリーは、あのベリーではなかった。真っ白で、肌を隠すように裾が長く作られた法衣。顔を隠すよう深く頭に被られた同じく真白のフード。

 目は少し吊り上がっており、形が変わっている。その表情にいつもの笑みは無く、何かに悔いるように、落胆の色に染まっていた。


「ベリーじゃない……」


 彼女はこぼれ落ちる涙を拭おうともせず、言葉を紡ぐ。


「どういうことだ」


 ライザーが問いつめる。


「なんだあの巨大魔法障壁は。どんだけ優秀だったとしても、人間が単身で展開出来るもんじゃねえ。それに、あれは元素魔法だけじゃなく別の魔導術も――」


 そこまで言って、ライザーは何かに気づきハッと目を見開いた。


「まさか……」


「あたしが考えたの。大魔法を単体でもできるように研究してたから。もうずっと昔に封印したものだったし、使えるかどうか心配だった」


 彼女は顔を上げ、涙まみれの顔でライザーを見た。


「神鉄の魔導師の術を防ぐには、それしか無かったから」


「……てめぇ、何者だ」


「あたし……あたしは──」


 二人の様子を遠くから見ていたリリスティアも、彼女の変貌ぶりに驚きを隠せないでいた。

 あんな彼女は知らない。あのよく変わる、愛らしい表情の彼女はどこにいったのだろうか。

 それとも、元々そうではなく、今あそこにいるベリーこそが真実なのだろうか。

 振るえる手で自身のマントを掴むリリスティアに、ヒルが問いかける。


「リリスティア、ベリーはどうしたんだ」


「知らない……」


「え?」


「あの子は、魔導師で監査官だったの。……それ以外は、何も」


 白い百合が咲くお店で紅茶を一緒に飲んだ。それが友としての彼女。

 今あそこにいる、巨大な魔導力の塊がかろうじて人の姿を保っているような、あれは。

 あれはいったい、誰。


「――お話中、申し訳ございません」


 聞いたことがない声がした。その声の主はいつの間にか魔導障壁の中に入り込んでおり、リリスティアたちのすぐ背後に立っていた。銀色の長い髪の間からのぞく金の瞳が妙に妖しさを帯びている。

 異変に気づいたベリーとライザーが、反射的に体の向きを変え駆けつける。周りの兵士も、王の背後に立ちその身を脅かす男に次々と剣と杖を向けていった。


「貴方がヴァイスの女王陛下ですか」


 リリスティアの背後に立ったのは、クルヴェイグだった。杖をリリスティアの背中にぴたりと付けている。


「誰だお前は」


「おや、これはこれは……美しいですね。まだ幼いのだと聞いていましたがそんなことはない。十分に大人の女性ですよ」


 杖で背中をなぞられ、リリスティアは眉根を寄せる。

 妙に馴れ馴れしいその所作に、違和感を覚える。


「お前は、神鉄の魔導師だな」


 間を空けず剣を構えたヒルが、目を細め低く唸る。


「あなたは……噂の剏竜ですか。その通りです。私は神鉄の魔導師クルヴェイグ。女王陛下のご尊顔を拝することが叶って嬉しい限りですよ」


 益々殺気立つ彼を見て、クルヴェイグは楽しんでいた。しかし、ふいにクルヴェイグは何かに気づいたのかその金の瞳を歪ませる。その目を見開き、ヒルの一点を見つめた。


「おやおや! 念願叶って王と誓約を結べたようで何より。どうですか剏竜。王の特別になれたご感想は。貴方だけですよ。特別なのは。どうですか!! ねえ!!」


 クルヴェイグがそう言うや否や、ヒルは剣を思い切り振りかぶり横一文字にクルヴェイグに斬りつけた。

 いきなりの攻撃に驚いたクルヴェイグは身を後ろにのけぞらせ事なきを得た。ヒルは腰を低くし、大剣を構える。


「ヒル……」


 リリスティアがヒルを見る。だが、そこにいる彼はいつもの穏やかな彼では無かった。

 紅い瞳から光が消え、常闇を思わせる黒い光が灯っている。リリスティアを支えながらも、全身から沸き立つ殺気が全てクルヴェイグに向けられていた。


「おやおや剏竜。怒ることはないでしょう。お祝いしているんですよ」


 二人の会話の意味が分からず、周りでそれを聞いているだけの仲間達は顔を見合わせ首を傾げた。ただひとつ分かるのは、ヒルが異常に反応を示したことだ。

 いつも穏やかな彼らしからぬ態度に、違和感を覚える。


「挨拶が済んだなら帰るんだな」


 ヒルは依然彼の頭蓋を剣で捉えたままだったが、クルヴェイグはそれを怖じるどころかあざ笑うように指を差した。


「いえいえ。もう一人ご挨拶をしたい人物がいましてね。これでも礼儀は大事にしているほうでしてね。どうか邪魔しないで頂きたい」


「リリーから離れなさい、神鉄の魔導師!!」


「ふふ……変わりませんねえ」


 そう言ってクルヴェイグが振り返ったのは、ベリーだった。彼女の杖の先端の宝玉は光り続け、言霊ひとつで魔導術が発動することを示唆している。

 クルヴェイグは長い袖で口元を隠し、ああやはりと言って杖を取り出した。何の前触れもなく、衝撃波がベリーにぶつけられる。それはよく見ると風を孕む刃で、傍目には詠唱なく突然現れたようにも見えた。

 だがベリーはそれを難なく消し去ってしまった。彼女もまた短く早く詠唱を行い、同時に術式を確立させていたのだ。


「その複数の術式、そして発動前の状態での固定。貴方の真似をしようとして何人の若い魔導師が絶望して道を断たれたか。ねえ、ベリー・ハウエル。……いえ、偉大なるサウザンスロード」


「サウザンスロード……?」


 リリスティアがそう言った時、ベリーは深く心を痛めて、俯いた。


「ヒル、サウザンスロードって」


「ああ……」


 アーリアに於いて、その名に「千」を冠する者は少ない。

 その「千」という名には、様々な意味が含まれている。千の力を操る者。千年を生きし者。とにかく、他を遙かに超越した者だけが名乗ることを許される、この世界で最も崇高な称号。

 サウザンスロードはその名に千を持つ者の一人であり、記録にだけその存在が残る伝説的な魔導師と言い伝えられていた。


「ベリー」


 戸惑いながらもリリスティアは名を呼んだ。 ベリーは顔を上げリリスティアの方に視線をやった。リリスティアはいつものように無表情だったが、どこかその瞳が悲しそうだった。


「ふざけんじゃねえぞ!」


 ライザーが声を上げた。


「サウザンスロードだと!!」


 その声は明らかに怒りをはらみ、ベリーに対しての不信感を募らせたものだった。

 ベリーの顔がきつく悲しみに染まる。そんな彼女にライザーは火がついたように追撃の言葉を浴びせる。


「サウザンスロードは、俺らの国に大魔法を放った張本人じゃねえか!!」


 リリスティアは言葉を失った。ヒルを見ると、彼はゆっくりと目を伏せる。


「いいか! 俺たちの国は、そいつが放った大魔法で永久凍土になったんだ! そうだよなあ! てめえらの国では英雄譚として話されてるみたいだけどな!」


「違う! 私が使った魔導術は……!」


「なんとでも言えるだろうが!」


「やめろライザー!」


 怒りのあまり興奮しきったライザーを抑えるべく、ヒルが横から口を挟んだ。


「今は仲間内で言い合う時じゃない」


「仲間……!? まだんなこと……」


「敵は今そこにいる神鉄の魔導師だ」


 ヒルは慌てるでもなく至って冷静に話す。

 ライザーは舌打ちをすると、もうベリーの方を見ようとはしなかった。まるで、視界にすら入れたくないように。その一連の行動が、ベリーの心を抉ったのは言うまでもない。

 ヒルはライザーから視線をベリーに移すと、変わらぬ態度で命令を告げた。


「ベリー。お前が何者であれ、奴の魔法を防げる魔力を持つのは今この場ではお前だけであり、また俺たちを守ってくれたのも事実だ。だが、この戦いが終わったら全て話してもらう」


 淡々と喋るヒル。感情に流されないその姿を見ながら、ベリーはただ黙って頷いた。

 叱咤されても、不干渉でも、どちらにしろベリーの胸は痛んだ。

 それは名を隠していたことに対してよりも、過去に、彼女がしてしまった"ある事"へのうしろめたさからだったのだが。

 リリスティアは、何も言えなかった。目の前で友が涙を流しているのに、気の利いた台詞が浮かばない自分にひどく嫌悪した。


「お話はまとまりましたか?」


 クルヴェイグがクスリと笑いながら言う。

 ベリーは白いフードの下から思い切りをクルヴェイグを睨みつけた。


「以前の神鉄の魔導師は貴方みたいに下品ではなかったわ」


「そうですか? まあ年月は人を変えますからねえ」


 神経を逆撫でるかのような口調は彼の独特の癖なのだろう。流し目に人を見遣り、肩をすくめる。


「そしてその年月は、私が力をつけるに十分すぎるほど長いものでした」


 クルヴェイグが両手を上げ首を振る。次の瞬間、彼の周りに竜巻上に風が舞い上がった。それは彼の体を包み込むと、徐々に強さを増していく。

 彼が狙いを定めるのは、ただ一点だった。


「女王陛下、お名前をお伺いしても?」


「……リリスティアだ」


 刀を構えるリリスティアに、クルヴェイグは嬉しそうに微笑んだ。

 瞬時に、クルヴェイグはその場で転移を行った。それはヒルがやってのけたものと同じくらいの素早さで、リリスティアの鼻先に飛び込んできた。

 ヒルがすぐに反応し、剣を振りかぶる。だがまるで時が止まったかのように、クルヴェイグとリリスティアは邂逅し、あるはずのない光が、彼らの間に生まれた。

 金色の瞳に、リリスティアの顔が映る。だが不思議なことに、リリスティアは恐怖や怒りといった感情を持たなかった。鼻先が交わり、唇が触れそうになったその時、クルヴェイグは囁いた。


「貴方の孤独を埋めることができるのは、竜ではない」


 その言葉と同時に、地面が大きく隆起した。岩が爆発したかのように膨れ上がり、放射線状に地割れが起こる。

 そしてその隙間から四つ足の巨大な竜が複数現れ、クルヴェイグに襲い掛かった。


「リリスティア!」


 ヒルが急ぎリリスティアを横抱きにする。岩を蹴り、安全な場所へと飛びのける。


「地竜!」


 クルヴェイグは杖を振るうが、竜の牙が彼を捉える方が早かった。

 大口を開けた地竜の牙があっという間に彼を飲み込んでいく。大地を掘るようにして竜たちが次々と現れては、クルヴェイグを穴倉に押し込むように食い荒らす。

 だが、竜たちが食らっているのは土くればかりだった。気付くとその上空で、クルヴェイグが浮かび上がり髪を整えていた。


「全てハイ・テルスの地竜……。いささか私を過大評価しすぎていませんかねえ煌竜王!」


 クルヴェイグは瞬時に転移をし、竜たちの怒号から逃れる。上空には翼の生えた竜たちが集まり始めていた。


「風竜、炎竜……これはこれは。人間の軍には荷が重すぎますねえ」


 クルヴェイグは空を仰ぐ。その足元から、魔導術の気配が立ち上った。


「短距離の転移を一人で繰り返すなんて……」


 ベリーは詠唱を始めるが、間に合いそうもない。


「逃げんのか神鉄の魔導師!」


 ライザーが魔法で素早く重力の塊を作りだし放つ。だがそれは風の壁に阻まれ、巻き込まれるようにして消える。


「挨拶だけ、といったはずですよ。そろそろ戻らないと指令官様に怒られますので」


「クルヴェイグ!!」


 リリスティアが叫んだ時には、彼の体は半分以上風に包まれ消えかかっていた。


「美しき女王陛下、竜にはくれぐれもお気をつけて。彼らの思想は我々が理解できるようなものではないのですよ」


「逃がすな!!」


 ヒルが兵士に命令し攻撃を仕掛けたが、刃はただ空を斬り裂くだけに終わった。


「……レイムッ」


 クルヴェイグが消えた後を見ながら、ライザーが悔しそうに拳を痛いほど握りしめていた。


「キンパツ……」


 ベリーは何か言葉をかけようとしたが、自分の姿を思い直し、それは出来なかった。少し離れたところから、辛そうな彼の横顔を見つめていた。


「ねえ」


 リリスティアはおそるおそるヒルに声をかけた。

 彼の目はしばらくの間黒く光っていたが、リリスティアの声を聞くとそれはすうっと無くなり、いつもの輝きを取り戻した。


「――なんだ?」


 こちらを向いた時には、すっかりいつものヒルだった。それを見て安堵したリリスティアは、ふうっと小さく溜息を漏らし目をそらした。


「いや……あの、ごめん。なんでもない」


「なんだ、おかしな奴だな」


 聞きたくとも聞けず、リリスティアはそれ以上何も言わなかった。


「隊長! 敵が後退していきます!」


 ドラフェシルトの一人が、後退していくアメリの師団に指を差して叫んだ。

 土煙を足に巻きながら、本隊へ向けて下がっていく。


「とりあえず防いだか」


 ヒルは、そう言いながら手に持っていた大剣を鞘に納めた。

 傍らで少し不安げにしているリリスティアを伺う。


「大丈夫か?」


「うん。なんともない」


「なら良かった」


 リリスティアが真横からヒルを見上げると、その表情のすべては分からない。

 背が高すぎるせいで、盗み見ることもできないのだ。

 あの時、「特別」という言葉に彼は怒り立ったように思える。彼にとってそれがどういった意味を持つものか、今のリリスティアにはまだ想像することはできなかった。



 * * *



 ――敗北。

 アメリの頭にはその文字ばかり浮かんでいた。波のように押し寄せる悔しさと焦燥感が喉元を焼く。

 リリスティアと手合わせした時に感じた父の影と、実力の差。数で負けたのではない。将の器と実力差で負けたのだ。

 傷を負った体を引きずり、本陣に敗走してきた兵達に向けて、マリアベルがかけた言葉はあまりにも無情なものだった。


「それでおめおめと逃げ返ってきたのか」


 マリアベルが腕を組み、眼下に膝をつくアメリと数名の兵士をきつく睨みつけていた。


「アメリ、お前は聖騎士階級第二位ではないのか? アストレイアの後を継ぐ聖騎士、故郷ではそう崇められていただろう」


 それが皮肉だということは、誰が聞いても明らかだった。アメリは血の付いた薙刀を傍らに見ながら、ふるふると拳を震わせた。そして唇をきつく結ぶと、マリアベルを見上げた。


「恐れながら……」


「なんだ」


「敵の部隊に未知の魔導術を使う魔導師がおります。一人は人間、一人は若い男性。故に……神鉄の魔導師により討ち果てたジークフリードの師団の援護なく、我らだけであの戦いに勝……」


「――誰が勝てと言った?」


 一瞬、どういう意味だか分からなかったアメリは、目を見開いた。こちらを見るマリアベルの瞳は冷たく、少女のような外見とは全く釣り合わないものだった。


「どういう……」


「始めから貴様らなどに期待はしていない」


 兵士達はざわついた。互いに顔を見合わせ、今のマリアベルの言葉に小声で疑問を唱える。

 マリアベルの傍らで、なにも言わず黙っていたシュナイダーでさえ、彼女の言葉に冷や汗を流す。


「それはどういう意味なのですか……」


 アメリが瞳を揺らしながら問う。


「分からぬか。神鉄の魔導師の力を見たのであろう。奴が一人いさえすれば、千の兵士を瞬時に焼き殺せる」


「マリアベル閣下……それは」


「お前は黙っていろシュナイダー大佐」


「で、では……、では我らが出陣した意味は……?」


 すると、マリアベルは口端をつり上げ、妖艶に笑った。成熟した女性のそれのように、妖しく、深く。


「貴様等はただの足止めだ。生きて返ることなど私は期待していない。聖騎士と言う名の傭兵をうまく活躍させてやろうとして下さった、慈悲深い陛下に感謝するのだな」


 アメリは、まるで足下の地面の底が抜けたような酷い喪失感を感じた。

 マリアベルは彼女に対してねぎらう言葉も無ければ、生還したことを喜ぶ節も見受けられない。


「当初の作戦は変更だ。貴様等が逃げ帰ったことにより仕方なく、だ」


 そう最後に吐き捨てると、アメリに背を向け、指令官の為に用意されたテントに向かって歩いていった。

 誰も彼女の言葉に逆らえず、口をつぐんでいたが、アメリを熱心に支えていた聖騎士の一人が声を上げた。


「恐れ多くも……マリアベル閣下! それはあまりに酷すぎます!」


「何?」


 マリアベルが足を止め瞳だけをこちらに向ける。


「我らは精一杯の働きをしました! 何故援軍を送っては下さらなかったのです!」


「おやめなさい!」


 アメリが彼女を止めたが、その言葉は益々激しさを増していく。


「貴女は安全な場所で指示さえ出していればよろしいでしょうが、我々は常に命がけで戦地を駆けているのです!」


「……ほう」


 マリアベルは冷めた表情で黙ってそれを聞いていたが、ついに眉間に皺をきつく寄せ、口を開いた。


「貴様、吐いた唾は飲み込めぬということを承知の上の発言か?」


 女性聖騎士は体をびくりと震わせる。先程までの威勢はどこに行ったのか、突然打って変わったように後ずさりを始めた。


「わ、私はただアメリ様の功績を讃え……」


「功績? 与えられた任務を果たせなかったアメリに、何の功績があるというのだ」


「ですが!」


 さらに食い下がる聖騎士に、マリアベルは煩わしくなったのか、話を断ち切るように言った。


「どちらにしろ、貴様がさっき私に向かって吐いた言葉は軍の規則に違反している。シュナイダー。始末しろ」


 シュナイダーの目が大きく見開かれた。


「マリアベル大佐、重大な規律違反でもない場合は𠮟るべき会議にかけ降格や懲罰を……」


「聞こえなかったか? 始末しろと言ったのだ」


「不適切でありましたが、それでは軍が定める規律から大きく逸脱し……」


「ここは軍隊だ。従えぬものを捨て置けば、後に続く者が必ず現れる」


「しかし……」


 ちらりと女性聖騎士を見ると、こちらに目を向けたまま恐怖に青ざめていた。シュナイダーは反射的に視線をそらす。


「……っ気に入らなかったら消すのですか!」


 女性聖騎士は恐怖に震えながらも、反論する。


「まだ反論するだけの威勢があったか」


「マリアベル大佐、この者は戦いの恐怖で混乱しております! 罰ならわたくしが受けますわ!」


 アメリが庇うように言葉を被せた。すると、マリアベルは何を思ったか口角を上げにこりと微笑んだ。


「アメリよ、いいことを教えてやろう」


 するとマリアベルはアメリに向き直り、表面だけの微笑みを見せた。

 マリアベルの瞳が、アメリの体を金縛りにも似た恐怖で縛り付けた。殺気を感じ、アメリは一筋の汗を額に流した。


「私に忠誠を誓う必要などない。陛下のお心にかなえさえすればいいのだ。それに異を唱える者を私は決して許さない」


 間を置かず、アメリの黒髪がふわりと風になびき浮き上がった。それは風が巡ったからではなく、傍らの女性聖騎士の体が、何者かの力により音も無く中から破裂したからだ。

 風の後に飛んできたまだ暖かい鮮血が、アメリの漆黒の髪と陶器のような肌を汚した。先程まで女性聖騎士が居た筈の場所には、もう血と肉の塊しかなく。腰に下げられていただろう剣だけが、その血溜まりの中に形を残していた。


「ひっ、うわあああ!!」


「ぐ……うげっ」


 血は周りにいた兵士達にも降り懸かり、勿論、近くにいたマリアベルの体も真っ赤に染めていた。


「おやおや、汚してしまいましたか。申し訳ありませんマリアベル閣下」


 何食わぬ顔で、群衆の中から現れたのはクルヴェイグだった。

 いつからそこに居たのか、まるで気づいていなかった兵士達は自然と彼から距離を置く。


「神鉄の魔導師。貴様しくじったな」


「いいえ大佐。成功ですよ」


 アメリは呆然としたまま動けなかったが、やがて徐々に現実に目覚め始めると、傍らでもう人の形を成してはいないかつての部下に視線を落とした。

 一滴、透明な涙が血溜まりに落ちて消えた。


「アメリ!!」


 クルヴェイグの陰から、一人の少年が飛び出した。足下に広がる血を気にもせず、アメリに駆け寄るとその顔をのぞき込む。


「その子供、助けたのか」


 少し驚いたようにマリアベルがクルヴェイグに問う。


「ええもちろん。ジークフリードは大事な弟ですから」


「アメリ立って。ほら」


「……ジーク」


 アメリは目の前の少年の顔を見て、何か言いたそうに唇を震わせたが、それはかなわず、がくりとうなだれた。


「……生きてて良かったよ」


 ジークフリードは大して体格も変わらない彼女の肩を、姉に甘える弟のような仕草で抱きしめた。抱きしめられながらも、アメリの瞳からは涙がぽつりぽつりと流れ続けていた。


「情け、労り合い、そんなもので戦いに勝てるならば苦労はしない」


「深い慈悲や優しさ、情愛などというものは彼ら特有の性質ですよね大佐?」


 クルヴェイグが妙な言い回しをすると、マリアベルは鋭く彼を睨みつけた。


「おや? 違いましたか?」


「そうだ。甘さと勘違いがやつらの特徴だ」


 マリアベルは背を向けテントに向かって歩み、今度こそその中へと姿を消した。


 ――いくらなんでも、非情すぎる。

 シュナイダーは彼女に言いしれぬ闇を感じていた。

 そして不安になった時には決まって、いつもあの女性の顔が脳裏にゆらめく。まるで何かを伝えたいかのように。悲しそうなあの女性の顔が。

 何が言いたいんだセイレ。俺は、君を殺した悪魔を倒す為にここにいる。なのに。


 なのに、何故君はいつもそんな瞳で俺を見る。




 ――誰か、誰かこの絡まった鎖を解いてくれ。断ち切ってくれ。

 悔しい。動けないんだ。


 何もかも見えているのに、分かっているのに。

 皮肉な絆に縛られた彼女を救ってやってくれ。

 もう、私にはできないかもしれないから―――

 必死に叫ぶ女性の声が、誰かの耳に届くことはなかった。




「よくやったねマリアベル」


「いえ陛下、作戦は失敗です」


 テントの中で、マリアベルは通信魔導機械に写るアルフレッドと向かい合っていた。機械に写るアルフレッドは至って穏やかな笑みを浮かべていたが、マリアベルは落ち込んだ顔でうつむいている。それはまるで失敗を恥じる子供のような顔だった。


「そんなことはない、目標は果たせなかったけど、目的は果たせたからいいんだよ」


「と言いますと?」


 するとアルフレッドは手元にある何枚かの紙を眺め、その一枚をマリアベルに見せた。


「部隊配置図……ですか」


「そうだよ。アメリとジークフリードに指揮させた師団のね」


 その部隊表には、聖騎士や兵士、魔導師の名前、出身地、年齢などが書かれていた。

 それを何気なく見ていたマリアベルだが、あることに気づくと魔導機械の画面に顔を近づけた。


「これは……まさか」


 部隊表には、前記の情報以外にもう一つ…種族という欄があった。


「そう、ここに書かれているのは全て人間と多種族の間に生まれた、もしくは祖父母に他の種族を持つ者達だ」


「それでは」


「意味が分かったかい?」


「はい!」


 満面の笑みでマリアベルは答える。


「頭の良い子だ」


 アルフレッドは慈愛に満ちた微笑みを見せると、手に持っていた紙を机に置いた。


「さて、じゃあ軍を引き上げてもかまわないよ。目的は果たせたから。これ以上そこで神鉄の魔導師と一緒に居ると、いらぬ被害を出しそうだから」


「御意!」


「ははは。君の帰りを待っているよ、可愛いマリアベル」


 ぷつん、と通信が切れ画面が真っ暗になる。マリアベルは満足げに暗くなった画面を見ながら、頬を赤く染めていた。


「……早く帰ってくるんだよ、可哀相なマリアベル」


 アルフレッドは、画面を指でなぞりながら無感情に呟いた。



 * * *



 そして、屍が無数に転がる大地の上に、一人の男が立っていた。

 男は何かを探しているのか、しきりに辺りを見回している。屍を蹴り、その下を探る。そんな行動を何回か繰り返している内に、目的の物を発見したのか、深く溜息をつきそれの側に屈んだ。


「おい」


 男はそれに向かって声をかける。

 しかし返事はない。


「起きろ。竜玉は少ししか傷ついていない」


 男は赤い髪を邪魔そうにかきあげながら、それの頭を片手で掴み持ち上げた。


「おい、勝手にくたばるな」


 血で汚れきった体、振り絞るように声を出したそれは、先刻神鉄の魔導師の攻撃をまともに喰らい消し飛んだ筈のレイムだった。


「……カ……イムさ……」


 カイムはぼろぼろに傷ついたレイムを無造作に掴んだまま、その顔をよく見る。


「目を開けろ」


 そう言われレイムが微かに瞳を開ける。橙色の瞳に硝子につく細かい傷のような模様がついている。


「だから竜玉の場所は頭部以外にしろと言ったんだ」


「……へへ……でも、助かったッス……」


 カイムは何も答えない。レイムは頭を掴むカイムの手から逃れると、よろつきながら彼の体にもたれ掛かった。


「………達が、飛び込んで………きて」


 彼らの足下には、不自然なくらいに固まって屍が転がっていた。カイムはその折り重なった屍の下からレイムを引きずり出したのだ。

 おそらく、魔法が発動した瞬間に飛び込んできたのだろう。その状況から、爆風に吹き飛ばされながらも、レイムにしがみつき自らを盾にしていたのが分かる。


「………っ………くそぉぉお!!!」


 レイムが声を張り上げる。だが、カイムはなんら動じず、彼の背中に静かに片手を回した。


「奴らは竜族ではなかっただろう」


「でも俺の大事な仲間だったッス!」


「お前は、俺の弟でありながらヴァイスの民に仕えた。こんなことが起きるのは分かっていただろう」


 彼の悲しみに拍車をかけるように、平原に冷たく無情な風が吹く。

 涙が雨のように流れ、彼の頬を伝った。


「……俺は……やっぱり弱い竜なんスよね……。いつまで経っても竜化できなくて、仲間を危険に晒して……だから……捨てられ……っ……」


「………わかったから、傷を癒せ」


 カイムは空を見上げながら、滅多には見せないであろう優しさを以て呟いた。

 レイムはそのまま声を押し殺し肩を震わせていたが、安心したのか、落ち着きを取り戻すとそのまますうっと気を失った。カイムは倒れそうになる弟を抱えると、変わり果てた大地の風景を冷めた目で見つめていた。


「神鉄の魔導師、やはりあいつを倒せるのは俺しかいないようだ」


 ふん、と鼻を鳴らす。

 そして、空に銀色に輝く竜が一匹舞い上がったのを、撤退する王国軍の中でジークフリードだけがそれに気づいた。


「カイム……」


 ジークフリードは聞こえることはないと分かりつつも名を呼んだ。

 すると、その蛇のように長い体を持つ銀の竜は、上空でくるりくるりと舞うように飛んだ後、急に動きを止めた。

 その動きが何なのか、気づいた時にはもう遅かった。竜のいる方角から無数の氷の刃が撤退する軍隊に向けて、隕石のごとく降り注いだ。

 輝きを放ちながら、宝石のような氷が軍隊に次々と降り注ぐ。だが、それは誰にも当たることはなく、まるで力を誇示するかのように巨大な体を次々と地に突き刺していく。


「うわああ!」


 悲鳴を上げ身構える兵士の中で、忌々しそうにクルヴェイグが呟いた。


「挨拶、ですか煌竜王」


「挨拶になったか神鉄の魔導師?」


 まるで実際に聞こえているかのように、彼らははっきりと互いの意志を分かり合っていた。


 カイムは銀色に輝く美しい竜の体を空中で彼らに見せつけるようにうねらせると、目的を果たしたのかその場からどこかへと消えていった。


 そして、撤退する王国軍に、ヴァイス軍は追撃をすることは無かった。

 追撃するほどの戦力が無かったのもそうだが、それより傷ついた仲間を癒すことと、倒れた仲間を葬ることを優先させた。遺体は原型を留めていないものがほとんどだったが、それでも彼らはそれらを残らず丁重に葬った。

 程なくして、リリスティア達の陣営も引き上げを開始した。皆、勝ったとは思っていない。とりあえず、この一波を防いだだけ。

 それに、彼らの中にも不信を募らせている者がいる。

 問題は前より増えた気がした。リリスティアは城に戻る道中、居づらそうにしているベリーをふと見やる。

 ベリーはこちらを見て微笑んだが、以前とは違う笑顔だった。ヒルも、何か違う。ライザーに至っては、言うまでもなく。

 彼らの中に様々な疑念を残し、人間とヴァイスの民による大平原の戦いは、一旦幕を閉じた。

 全てアルフレッドの、思惑通りに、事は進んでいた。


 第6話・終


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神創系譜 いまり @imar_irosa

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