二 魔法の杖(マジック・ワンド)
「だから、ほんとに見たこと無い女の子で、クローラープログラムなんですって!」
翌日、昼休みの職員室でそう力説する優等生に、担当教師は困り果てた様子で頭を掻いた。
「クローラー……プログラムぅ?」
「ああもう、だから、それは今さっき説明しました。クローラーっていうのは、Ω‐NET内を自動的に巡回して情報収集するプログラムで……」
「ほうほう」
間抜けな顔で問い返す教師に、ウィリアムは苛立ちを隠せない様子だ。
「とにかく、学校のSiNEルームでそんなプログラムが動いてるなんて、何か、変なんですって!」
少年は必死に説明するが、教師は彼の説明を理解しているとはいえないようだ。いや、理解しているいないに係わらず、教師の返答は変わりようがないということかもしれない。
「だからだね、レリック君。さっき説明したように、SiNEルームのメンテナンスには先技研の指示を仰がないといけないことになっていて、不具合の出た場合のみと……」
「だったらすぐに先技研に連絡してくださいよ!」
「動作自体は正常なのだろう? それはちょっと……」
昨日のSiNEクローラーについて、詳細を調べてもらおうと思ったのだが、国立先端技術研究所、
「先生……」
「ま、まぁ、とにかくだね」
コホンとわざとらしくせき払いをして、教師は机の奥から何やら分厚い資料を引っ張り出す。ドサリと机に置いて、トントンと指で叩いて目配せした。
「SiNEルームについては、ハイスクールで預かっている資料がここにあるから。君の方で一度じっくり確認して、どうしても分からないことがあればまた来なさい、ね」
面倒なことを言ってくれるな、と、気弱そうな目が雄弁に語っていた。
昨日見た、女の子の姿をしたSiNEアプリケーション。今まで散々あの部屋には通ってきたけれど、初めて見た。うちの学校のコンピュータ・ルームに、元からあのような機能があったのか、それとも……
手にはずっしりと重い紙の束。いかにも今まで誰も中を見ていないというような、開いた跡の無い資料だった。パラパラ見ると、専門的なことはさほど書かれていないようだが、部屋で利用できる機能の一通りについての解説は載っているようだ。
(でも、やっぱり、クローラーなんて……)
まとまらない気持ちと鞄を抱えて廊下を渡る。放課後になったらもう一度一人で確認しよう、とは思っていたのだが、情けないことに今ひとつ勇気が出なかった。
(気が重いなぁ……)
《サーチライト》と、そう、あの少女は名乗った。
昨日、あの後はただただ驚いてしまって、殆ど何の操作もしないまま彼女を終了させてしまったのだ。
(今日、もう一度見に行くべきかな……)
もちろん、ものすごく興味はある。
……けれど、なぜか、強い不安も感じていたのだった。
放課後。
あれから午後いっぱい悩んでみたけれど、今日はどうにも踏ん切りがつかない。生徒会の仕事もあるし、確認へ行くのは明日以降にしよう、と、弱気なことを考えながら歩いている時だった。
「あら、今日は生徒会室に顔出すんだ、ウィル」
少年を呼び止める、涼しい声。
「あ……」
突然真後ろから声をかけられてドキッとしたが、よく知る声だったのですぐに知り合いであることに気付き、立ち止まる。振り返った先には、年上らしい少女が立っていた。
「……先輩」
すらりと手足が長く、肩のあたりでピシリと切りそろえられた真っ直ぐの黒髪に、縁無し眼鏡の奥の、凛として黒目がちな瞳がとても印象的だ。少し気の強そうな表情はいかにも自信家という感じで堂々としていたが、ウィリアムに話しかける調子は優しげで、面倒見の良さそうなタイプにも見える。
「……もちろん、行きますよ。サナエ先輩。仕事残ってるし」
「うふふ、真面目な書記が居てくれて嬉しいわ」
サナエは冗談めかしてそう言ってから、少し意地悪そうに目を細めて続ける。
「でも、女の子の格好をしたプログラムが突然目の前に現れて、なーんて話には、あなたのファンの女の子達が幻滅するかもよ?」
唐突にそう切り出されて、並んで歩きはじめていた少年は、思わず足を止める。
「……知ってるんですか。先輩」
頭を抱えたくなる気持ちを抑えながら言うと、
「ふふふふ、生徒会長の情報網を甘く見ないで欲しいわね」
サナエは黒目がちな目に悪戯っぽい光を宿し、不敵な笑みを浮かべて後輩を見つめ返した。ウィリアムは深いため息をついて、気を取り直して再び歩きだす。
「情報網って、スパイでも潜伏させてるんですか?」
「嘘よ。昼休み、私も用事で職員室に居たから」
クスクス笑って訂正する、サナエ・A・ノースランドは、今年度のハイスクール生徒会長を務める才媛であった。
中庭に面した渡り廊下には、柔らかい西日が差している。開いた窓からは金色に色付いた銀杏の葉が舞い込んで、かすかに暖かさが引っかかったような秋風にくるくると舞っていた。
「それにしても」
サナエは生徒会室の鍵を開けながら口を開く。
「女の子って、どんな子だったの?」
からかうような声色に、ウィリアムは怪訝そうにサナエの顔を見て、仕方なしに答える。
「……髪の長い、可愛い子でしたよ。そんなこと聞いて、どうせ僕の言うことを信じてないんでしょう?」
「別に、信じないとは言ってないわよ?」
サナエはますます面白そうにニヤニヤと笑みを浮かべる。
「可愛かったんだ、髪の長い……へええ……」
「……先輩」
ウィリアムが睨んでも、サナエは少しも怯まない。
「一目惚れ?」
「ノースランド先輩!」
ウィリアムはあからさまに不機嫌そうに目を細め、声を荒げる。一見クールなこの優等生が、実はちょっとつつくとすぐムキになる性質を持ち合わせているということを知る者は少ない。ウィリアムは生徒会室の彼の指定席であるテーブルトップ・コンピュータの前に座り、乱暴に書類の束を積み上げて電源を入れ、サナエからすると異常な速度でそれの入力を始める。後輩が可愛いらしい生徒会長は、キラキラした興味を込めた目でそれを見つめるが、少年はからかわれてよっぽど憤慨したのか、サナエの方をチラリとも見ようとしなかった。
今回のことだけではなく、彼女はことあるごとにウィリアムをからかって喜ぶようなところがあった。そして、社交的センスに長けた少女は、この少年を怒らせても嫌われないツボをよく心得ている。
随分しばらく放っておいても、少年の機嫌は良くなるどころか悪化の一途をたどりそうだったので、サナエはあっさりと意地悪を引っ込めた。
「怒らないでよ、ウィル。君がそういう話を持ち出すなんて、随分と珍しいなぁって思っただけ。ごめんね」
生徒会長が素直にそう言うと、ウィリアムはちょっと困ったようにため息をついて手を止める。謝られると弱いのだ。
「一応、SiNEサービス内でのことですから、人の姿をしたアプリケーションがあること自体は、おかしい話では無いはず……なんですけど……」
「なんだけど?」
サナエはへそを曲げた後輩の機嫌を伺うようにちょっと首をかしげ、ちゃっかりと優しい先輩風の笑顔を作る。
「……やっぱり、あれだけ通って見たことのないインターフェイスに突然登場されると、驚きます」
言葉を選ぶように瞳を揺らして、ウィリアムは言った。
「君みたいなタイプなら、喜びそうな話なんじゃない?」
「そうなんですけどね。やっぱり、SiNEにしても……それから、Ω‐NET自体にしても、今となってはブラックボックスが多いですから。慎重にもなりますよ」
「ふぅん……ま、とにかくもう一度会いに行ってみたら?」
「会いに……」
「そうそう。可愛い子だったんでしょ」
サナエの物言いはどことなく軽薄だったが、ウィリアムは気分を害した様子は無かった。ただ黙って、数少ない理解者のひとりである少女の黒い髪が、その言葉に合わせてツヤツヤ揺れるのを眺めていた。
――ウィリアムには、どうしても気になることがあった。
教師から渡された資料には、彼女についての記述は無かった。当然だ。
ただのライブラリに《クローラー》がインストールされているのはおかしいのだ。
蔵書の検索エンジンならば、もっとシンプルなものが備え付けてある。同じように情報のインデックスを生成するプログラムとして、何となく似通ったイメージを持ちかねない両者であるが、クローラーというのは、根本的に別物なのだ。
検索ではなく、積極的に情報を《収集》するためのシステムなのだから。そしてそれは、普通に考えれば、図書室に必要な機能ではない。
あのSiNEルームは、今も、閉鎖されたΩ‐NETに接続されている。
だとしたら……――
灰色の床に静かに光が走り、SiNEサービスが目を覚ます。
翌日の放課後、ウィリアムは意を決して再びその部屋に足を運んでいた。
サナエの言葉を真に受けたわけではないけれど、やはり、改めてきちんと確認しておかなければならない。
あれが、一体なんなのかを。
図書室はいつもどおり、穏やかな昼下がりの風景と共に、ひっそりと少年を待っていた。吸い込まれるような静寂が耳に痛い。僅かな機械臭を含んだぬるい空気。ウィリアムはそれをすうとひとつ吸い込んで、声を発した。
「サーチライト」
何が起こるかと身構えていたのだが、意外にも、それは書架の影からひょっこり顔を出した。
「お待ちしていました」
鈴が鳴るがごとき可憐な声音が耳を打つ。紛れも無く一昨日の少女であった。
「君……」
まるで人間のような所作で、嬉しそうにウィリアムに駆け寄る少女。けれど、ウィリアムは厳しい声で言った。
「君は……誰?」
「Ω‐NET自動巡回システム対話インターフェースユニット、コードネーム『サーチライト』です」
「SiNEクローラーってことだよね?」
「イエス」
にこやかに少女は答える。ウィリアムは少し落ち着きを取り戻した様子で、少女の様子を改めて観察してみた。
じっくり見てもやはり完璧に、可憐な少女である。
光のグラデーションを描く長い髪は、色こそ人間離れしているものの、いかにも柔らかそうに背を流れていて、ハイスクールの制服もとてもよく似合う。自分が命令を出すのを待っているのだろうか、パッチリした大きな目は、まさに期待のまなざし、という感じで自分を見つめていた。
静かに上下する胸元にしても、うっすら高潮した頬にしても、見れば見るほど生きている人間にしか見えないものだ。SiNEとは、ここまでリアルに人の姿を投影できるのかと、改めて感心してしまう。
警戒して接しないと、と、思ってはいるのだが、とてもソフトウェアを前にしているような気はしないので調子が狂う。
「ええと……君、話せる?」
我ながら良く分からない質問をしてしまったとウィリアムは思った。けれど、少女はにっこり笑って頷いた。
「オフコース。マーキュリー型対話AIを搭載しています」
今一つわけの分からない返答であるが、彼女がそう答えてくれたこと自体が、会話ができることの証になっていた。
「マーキュリー型……って?」
何だろう、聞いたことが無い。
「マーキュリー型AIについての情報は、国立先端技術研究所SiNEデータバンク内に保管されています。閲覧を希望しますか?」
「えっ!?」
思わず耳を疑った。今、彼女は何と……
「先技研のサーバにある情報だって……? 君、それを今ここで閲覧できるの?」
「イエス、オフコース」
可愛らしい笑顔で答える少女に、ウィリアムは背筋が寒くなるような心地になった。何だそれは。
このライブラリにクローラーがインストールされているわけがないと思った時から、何となく予想はしていた。
彼女は、外から来たのだ。
つまり、Ω‐NETのどこかから。
確実に機密情報に該当するであろう、先技研のデータバンクにアクセス出来るということは、政府関係のシステムの一部だろうか。クローラーは各サーバを巡回して情報を集める、《旅する》システムであるから、何かの拍子にこのライブラリに来ていたとしても不思議は無い。
(だったらこれ、使わない方が良いんじゃないか……)
もしも彼女が政府の関連システムだとしたら、自分が勝手に使ったらたぶん……不正アクセスになる。
「………………」
どうしよう。
これはやっぱり、速やかに先技研に通報すべきだろうか。
「ウィリアム、どうかしましたか?」
難しい顔で俯いてしまったウィリアムに、少女は心配そうに声をかける。少年はパッと顔をあげた。
「えっ? 名前……」
「学籍番号2900182、ウィリアム・レリック、間違いありません」
「あー……そうか、そうだったね」
優しく告げられた絶望的な事実に脱力してしまう。どうしようもなにも、自分はもう、使用者名を自分にして彼女を起動してしまっている。何と言うか、まぁ、すでに不正アクセス確定済みなのだ。
「……だったら」
気を取り直したように眼鏡のフレームに指をやる。試してやろうじゃないか。
「じゃあ、マーキュリー型AIについての概要を見せて」
ウィリアムの言葉を聞いて、少女の瑠璃色の目がキラッと光った気がした。柔らかい微笑を崩すことなく、たおやかな手がひらりと円を描くと──間髪入れずひとつのファイルが出現する。
「シークレットレベルA+、3重認証が施されているデータです」
「あ……」
ファイルには、確かに「国立先端技術研究所 情報処理第三分室 部外秘」とある。あまりにスケールが飛躍しすぎていて、からかわれているんじゃないかという気分になる。公園で砂遊びをしていたつもりが、遺跡でも発見してしまったような。
「これ……ホントに……」
かすれた声で情けなく呟くウィリアムに、少女は笑顔でもう一枚、小さなメモのようなものを差し出す。
「認証情報はこちらです」
「……本物!?」
「イエス」
「これ……僕、見てもいいのかな」
「ウィリアムが希望したデータです。間違いありません」
「う、うん……」
たぶん、後悔はもう遅い。そっとファイルに手を触れる。厳重な封印が施されたそれは、しかし渡されたアクセスキーを入力するとスルスルと解けていく。
図書館として再生されているため、手にしたデータファイルは本の形で認識されていた。緊張した指で表紙をめくる。そこに書かれてあったのは……
「ウィル~ むっかえに来たわよ~」
「っ!?」
エリカの声だった。
「シャットダウン!」
言葉と同時に少女とファイルが部屋から消え去る。何が起きたか分かっていない様子のエリカが、ドアの前できょとんとしてこちらを見ていた。
「エ、エリカ……どうした……の?」
上ずった声でそう投げかける。
「そっちこそ、何慌ててんの?」
「えっ? あ、いや、その……」
肝心のファイルは、中身を読む前に閉じてしまった。ああもう、あんなに意を決して開いたのに……
「変なの。っていうか、先輩に言われて来てあげたのよ。ホントは先輩と二人が良かったんだけど、みんな居ないと駄目だっていうから……」
エリカが睨む。幸い、サーチライトの姿が書架に隠れていたせいで、エリカには彼
女のことは気付かれなかったようだ。
「サナエ先輩、何て?」
どうにかこうにか平静を取り戻しつつ、体勢を立て直して部屋を出る。心臓はまだドキドキしっぱなしだけど、続きはまた邪魔の入らない時にだ。
「そろそろ、学園祭に向けての話し合いを始めましょ、だって。大通りのカフェで」
「なるほど」
「……珍しいわねぇ」
「え?」
「邪魔されて文句言わないなんて」
「あー……あはははは……」
「ま、いいわ。先輩待ってるから、早く帰りましょ!」
エリカが細かいことを気にしない性質でよかった。これがサナエだったら、たぶん気付かれていたことだろう。
「来たわね、二人とも」
正門の近くで待っていたサナエが、ウィリアム達に気付いて手を振った。
「せんぱぁ~いっ!」
エリカは目をキラキラさせて、一目散にサナエの元へ駆けて行く。力いっぱい喜ぶ飼い犬のようだ、なんて、頭の隅で考えながら、後に続いた。
この時期、生徒たちは皆試験勉強で忙しいのだが、生徒会では、それに加え、平行して学園祭の企画も進めなければならないのだ。
「悪いわね、ウィル、彼女には会えた?」
サナエの言葉にギクリとしながらも、少年は平然を装って首を振った。
「……構いませんよ。それより、副会長は?」
生徒会の最後の一人、サナエと同じ三年の副会長、リュシアン・エンジェルの姿が見えない。
「リュリュならあっち。女の子達の相手をしてるわよ」
サナエが怖い顔でテニスコートの方を指差したので、状況を理解する。
「なるほど」
くりくりした柔らかい巻き毛と、スタイルの良い後ろ姿が目に入る。テニス部でも無いくせにコートサイドで女の子に囲まれて、まぁ多分いつも通り無駄に愛想を振りまいているのだろう。ウィリアムは正直女の子に絡まれるのは面倒で迷惑なので、彼が全部持っていってくれるのは助かるのだが……
「おおっ、ウィーールっ!」
ウィリアムに気付いたらしいリュシアンが長い手をぶんぶん振ってこっちに来いと合図した。彼はいつもこうなのだ。持っていってもくれるけど、巻き込みもする。サナエに助けを求めようと振り向いてみたが、あっちはあっちでエリカがピッタリ寄り添っていて、手が放せないようだ。
「はぁ……」
後輩という立場もある。仕方なくウィリアムはコートの方へ歩いていった。
「ほーら、言っただろう? 俺が呼んだら、ちゃーんと来るんだよ、ウィルは」
明るい金髪をわざとらしくかきあげつつリュシアンがそう言うと、女の子達は何かよく分からない黄色い声を発しながらウィリアムを囲む。
「………………」
顔も愛想も良いリュシアンが人気者なのはともかく、どうして自分まで。
本人にすれば全く意味がわからないのだが……どういう訳か、ウィリアムは二年三年の女生徒から、妙に人気があった。成績が良いからだろうか、とか、生徒会の役員を務めているからだろうか、などと自分で分析してみないでもないけれど、実際のところ、理由はよく分からない。無視を決め込んでも勝手に騒いでいてくれるので、まぁ、やりやすいといえばやりやすいのだけれど……彼女らの心理はどうにも理解不能だ。
「……エンジェル先輩。もうみんな集まったから、行きますよ?」
「わかってるわかってる、ほらほら、ウィルもこっちおいで」
逃げようとした所で、がしっと肩を捕まれる。全く分かっている様子は無い。全方位的にサービス過多なこの人を放っておいたら、ここの女子達を引き連れて遊びに行ってしまいそうだ。
どうしたものかなと思っている途中で、リュシアンの通信機が鳴った。
「サ、サナエっ!?」
リュシアンの声がピリッと緊張する。
「え?」
全ての女子に平等に愛を注ぐ彼が、なぜかサナエのことだけは恐怖の対象としているのであるが……
「でも、先輩なら、そこに」
サナエは相変わらずエリカと話している。
「あれ……?」
騒いでいた女の子達も口をつぐみ、ウィリアムとリュシアンは、鳴り続ける通信機を持ったまま、不思議そうに顔を見合わせた。
「ほんっと、多いですよね、間違い電話!」
特大パフェに遠慮無くスプーンを突き刺しながら、エリカがアヒルみたいな口で言う。彼らは放課後に集まる時は、生徒会室ではなくて街に出てカフェに陣取ることも多い。
「ええ、そうね。最近、私のところにもちょくちょくあるわ」
サナエは運ばれてきたケーキを眺めつつ、ポットから紅茶を注ぐ。
「……俺は寿命が縮んだよ、ねぇ、ウィル~」
「くっつかないで下さい。エンジェル先輩」
「何だよ、リュリュって呼ぼうよぉ」
「嫌ですね、エンジェル先輩」
「つれないなぁ、このこのっ」
リュシアンは、このメンバーで居る時はウィリアムにやたらと絡んでくる。サナエが恐ろしいので、結果的にそうなるらしい。エリカには振り回されっぱなしだし、自分が一番貧乏くじを引いているような気がしてならない。
ともかく、生徒会メンバーが全員集まると全く騒々しいのだ。サナエ先輩と二人なら平和なのにな、と、思いながら……ウィリアムも先刻の電話のことに思いを巡らせていた。
やはり、ああいう間違い電話が頻発するというのはおかしい。大昔のように自分で通信先を入力する方式ならば、間違って見知らぬ相手に繋がることもあるだろうけど……通信に混乱でも起きているとしか思えない。
SiNEルームで見つけた《サーチライト》といい、最近Ω‐NETの様子が何となくおかしいような気がする。
家に帰って少し調べてみよう。と、ウィリアムは、運ばれてきたコーヒーカップに手を伸ばした。
3時間近くもお喋り、もとい、会議に費やした後に店を出て、家までは歩いて三十分あまり。普段はバスを利用するのだが、その日はあいにく時間が合わなくて、徒歩で帰った。
日が暮れた後の風は少し冷たい。そろそろ薄手のコートが欲しいところだ。家々から漏れる暖かそうな光を横目に、速足に歩く。
少年の家は静かな住宅地の一角にある。彼は一人息子であり、両親との三人暮らし。ごくごく平均的なネオポリスの中流家庭だ。
「お帰りなさい、ウィル、遅かったわねぇ」
凍えて家に戻ってきた息子を、母エリーゼは玄関口で優しく迎え入れる。
「ただいま母さん、父さんは?」
「もう帰ってるわよ、だから、お夕飯、先に頂いちゃったけど……」
「僕の分、まだある?」
わざと意地悪そうに言う息子に、エリーゼはふふふと笑って頷く。
「あるわよ、ちゃんと」
「じゃあ今から食べるよ。今日は何?」
「クリームシチューだけど……それで良かった?」
「寒かったから丁度いいね」
和やかにそんな会話を交わしながら、階段を駆け上がって自分の部屋に入る。無造作に鞄を放り出して、上着を脱ぎながらテーブルトップコンピュータの電源を入れた。
「ええと……」
明かりもつけずにΩ‐NETにアクセスする。あまり一般的には利用されなくなったけれど、現在も一応、メール・電話以外のΩ‐NETサービスもある。それらも原理的にはSiNEを利用した情報サービスで、学校のもののように大規模ではないけれど、特別な知識が無い人間にも簡単に利用できるという意味では同種のものだ。ただし、ごく限られた、しかし生活に必要充分なオンラインサービスのみであり、ウィリアムにとってあまり面白いといえるものではない。
けれど、一箇所だけ例外があった。『
(あ、売れてる売れてる)
この間彼が修復して売りに出していた電子書籍も、もう八割方世界の誰かが買っていったようだ。ここは、ウィリアムにとっては実益を兼ねた遊び場のようなものである。そして、ここで得た売上は、いつもあっという間にコンピュータの部品代に消えていた。
「さて、と。今日のところはこっちじゃなくて……」
不可思議な間違い電話について、何か原因が分かるような情報が流れていないか、調べてみようと思っていたのだ。
(同じようなケースの情報、あるかな……)
手際よくキーワードで検索をかける。
結果はすぐに表示された。
『最近、発信元を偽った間違い電話が頻発するんですが……』
『ネオポリスでの不可解な間違い電話は夕方以降に頻繁の模様』
『今回の通信混乱はおかしい』
『間違い電話が多すぎるんだけど、クイーンシステムって今もちゃんとメンテナンスしてるの?』
リストに並ぶ記事タイトルを見ただけで、間違い電話が自分の周りだけの現象で無いことがわかる。とりあえず片っ端から読んでみようと思っているところに、エリーゼが彼のための夕飯を準備する、美味しそうな香りが漂ってきた。
「ウィルー、そろそろ出来るわよ」
「あ、はぁい、すぐ行く」
呼ばれてすぐに降りてやらないと母が拗ねるので、ウィリアムは気になりつつも立ち上がってそう答えた。
――翌日、午後の授業をウィリアムは欠席した。
サボりなんてどうかしてる、と、自分のことながら思ったけれど、誰にも邪魔されずにSiNEルームに篭もるには、こうするしかないと思ったのだ。サーチライトを使っているところを、誰にも見られてはいけないと思った。
昨夜、コミュニティの書き込みを隅から隅まで目を通してみたけれど、結局、通信混乱の原因は分からずじまいであった。彼が感じているのと同じように、Ω‐NETのゲートウェイに何かが起きているんじゃないか、ということを指摘する者は多いのだが……何が、何故起きているのかなど、肝心の情報については皆無だったのだ。
(仕方ないかな、所詮はただのユーザーの集まりなんだし)
Ω‐NETのゲートウェイは南極にある。閉鎖法の施行により通信トラフィックが激減した今は、設備の半分しか起動していないといわれるが――実に四百年以上も稼働を続けている。
過去の技術の粋を集めて作られた、鉄壁の四つ子システムだった。
(あの子なら、何か……)
そそくさと部屋に入る。西館がいつも殆ど無人なのは、こんな時にはとてもありがたい。尤も、今は授業中なので、無人なのは当たり前なのだけれど。
「ウィリアム!」
呼ぶとどこからともなく現れて、待ちわびたように駆け寄ってくる。彼女を目にするのも三度目だ。さすがにもう驚きはしない。それに、覚悟だってできている。
少年は賢いが幼かった。興味とリスクを天秤にかけて、興味の方を選ぶくらいには。
「お待ちしていました」
それにしても良くできたインターフェイスだ。その辺に座って本でも読んでいたら、生徒がこの部屋を使っているようにしか見えないではないか。
「えーと……」
この間と同じ、期待に満ちた目で見つめられると、何だか妙にドキドキしてしまう。たかがインターフェイスと自分でも思うのだけれど、仮想現実の中で出会う少女は、あまりに人間らしくみえた。
「……僕のことは、ウィルでいいよ」
何となく言葉に困ってそう投げかけてみると、少女は嬉しそうに頷いた。
「わかりました、ウィル」
丁寧な言葉と自然な笑顔に、思わず見とれる。少女はそんなウィリアムを不思議そうに覗き込んだ。
「何か、不都合がありましたか?」
「えっ? あ、いや、そんなことは……」
少年は、全く彼らしくない焦った声を上げ、少し目を伏せて言った。
「じゃあ、君は?」
「私?」
「名前。なんて呼べばいい?」
少女は少し考えて、得意げな笑顔で口を開く。
「私はΩ‐NET自動巡回システム対話インターフェースユニット、コードネーム
『サーチライト』……」
「……さすがにそれはちょっと」
拍子抜けして苦笑する。少女は少し困ったような顔で、「不都合がありましたか?」と首をかしげた。ぎこちないけれど一応会話は成立している。とはいえ、少女の声と容姿があまりに自然なので、どうにもちぐはぐな印象を受けた。それに、言葉は拙いのに黙っているとだんだん不安そうになる表情なんかは、見れば見るほど可愛い。本当にもう、困ってしまう。普段、他の女の子に対してはこんなことは全然思わないのに。
「すみません……」
しょんぼりする少女に、ウィリアムは慌てて違うと付け加えた。彼の言葉の意図をつかみきれないらしい彼女に、少年はちょっと笑って、それから、SiNEの光が見せる、図書室の高い天井を仰ぐ。
「……じゃあ、『サーチ』」
「え?」
意味が分からないらしい少女に、少年はくすくすと笑った。
「だから、君の名前」
少女は再び大きな目を見開いて驚き、そして、パッと花がひらいたような笑顔で、ありがとうと言った。
「前回の資料の閲覧を続けますか? ウィル」
「いや、それも気にはなってるけど、今日は別のこと」
「イエス、了解しました」
名前をもらったことを喜んでいるのか、少女はウキウキしているようにも思える調
子で言った。
「サーチ、南極のクイーンシステムに関する情報とかって、分かる?」
気を取り直して訊ねてみると、彼女は軽く頷く。
「イエス、オフコース」
「ここしばらく、通信混乱が起きているんじゃないかと思うんだけど、その原因が知りたいんだ」
「通信混乱……では、総務省SPICデータバンクより、QUEENーSYSTEMの通信ログを取得します」
「う、うん……」
感情すらにじみ出るような自然な対話AIといい、認証情報付きでどこからでも情報を引っ張り出してくる出鱈目な機能といい、彼女は本当に、一体何者なんだろう。
「直近二十四時間分で良いですか? それ以上はこの部屋の一時メモリに乗りません」
「えええっ!?」
良くない。そんなには読み切れない。
「ちょ、ちょっと待って。できれば……パケットの流れに途中で変更があった個所だけとか、抜き出せる?」
「イエス」
可憐な笑顔にドキンと胸が弾む。少女がたおやかな腕を天へと広げる様を、ウィリアムはただ呆然と見つめていた。少女の腕いっぱいに光が集まり、一瞬後には視界一杯にホログラフィモニタが展開される。無数の光の窓に囲まれて、少女はにっこりと笑顔を見せた。
「完了しました。情報を抽出するにあたり、認証は全て解除しています」
通信ログなので、SiNE用のインターフェイスが無かったのだろう。それらはモニタに表示されたログデータで、ここにある他の資料のように、本やファイルの形態はしていなかった。
「………………」
それにしてもすごい。
世界の通信全ての玄関口である、
やはり、この少女は魔法の杖だ。
「サーチ、ちょっとここの前後0.1秒分の全データを見せてくれる?」
「イエス」
お気に入りのソファに腰掛けて、ウィリアムは必死でログを読んだ。こんなものを読み解くのは初めてのことだけど、サーチのおかげで資料がいくらでも出てくるので何とかなりそうだ。古本データの修復のために光子構造体エディタの使い方をだいたいマスターしていたことも役に立った。
独学で得た知識がこんな風に通用すると、ちょっとどころでなく気分が良い。機密データに手を触れることに対する恐怖心も、もはや殆ど消え去っていた。
それにしても、全世界分となると、0.1秒分のメールと電話だけでも、恐ろしい量がある。
「でも……何となく分かってきたかも……」
今は昨日の、リュシアンの元にサナエの名前で電話がかかってきたところを中心に調べている。時間もハッキリ覚えていたし、二人ともその場に居て、ウィリアムも現場を見ていた。あの不可解な現象の裏で、通信がどんな風になっていたのかが分かれば、たぶん、他の通信混乱についても説明ができるはずだ。
「でも、これ……って……」
音声通信の記録を表す、光子の羅列。
そこに少年は、小さな傷跡のような、干渉の痕跡を見たのだった。
「ねぇ、サーチ、これって何だろう」
「A3ブロックの53567行目ですか?」
「うん。外部干渉があるみたいに見えるんだけど」
「クイーンからの認証を受けた直後にパケットの流れが変わっています。何らかの干渉があると考えて間違いありません」
「うん……僕もそう思う。でも、これ、おかしい気がする」
「何がですか?」
「干渉が不安定っていうか、全く不規則だから。例えば君みたいなソフトウェアが何か悪さをするとしたら、ログにこういうのは残らないよね?」
ウィリアムの指差した先には、干渉があった後、再び手が入って、パケットの流れが正常に戻った記録がある。何となく、間違って干渉したデータを、慌てて元に戻したかのような痕跡だ。
「これじゃまるで、人が直接パケットを触っているみたいに見える」
けれど、口にしてから有り得ないことだと改めて思う。なぜならこれは、人間が操作できるSiNEインターフェイス上での現象ではなくて、もっと下のレイヤーの……Ω‐NETの《内側》での出来事なのだから。
「うーん、おかしいなぁ……」
自らの思考の穴を探すように少年は唸るが、サーチは軽やかに首を振った。
「ノー。おかしくありません、ウィル」
「えっ?」
少女は微笑みを浮かべたまま、ストンと少年の隣に腰掛けて、彼が見ていたログにスッと指を添える。
「ここは、一般ユーザーによるパケット操作が行われています」
「……えっ!?」
「だから、ウィルの推測は間違っていません」
「や……でもっ、それは、おかしいよ!!」
サーチはウンウンと感心したように頷いてくれるけれど、ウィリアムは思わず悲鳴のような声を上げて立ち上がった。
Ω‐NETの内部に人間が直接手を下すなんて、聞いたことがない。
閉鎖法以降、広大なネット世界、SiNEサービスの下のデータ領域は、ほぼ当時のまま残っているといわれている。SiNEという、データサーバから情報を引き出す手段が消え去っただけで、そこには未だ、四世紀分の膨大な情報が眠っているのだ。
SiNEを介さずデータに手を触れられるのであれば、それは……Ω‐NETが再び目を覚ますということと、同義ではないか。
「そんな……そんな技術が……存在するの?」
「イエス。一般ユーザーからのアクセスは『
「1ビットモード?」
「はい。《1‐bit》通信方式です」
サーチは彼女らしいおっとりとした笑みを浮かべたまま、そう答えた。
「それ……それに関する、詳しい資料はある!?」
思わず、少女の両肩を思いきり掴んで詰め寄っていた。そんな方式があるならば、ウィリアムにだってΩ‐NETのデータ領域に直接触れることができるということになるではないか。
大きな緑色の目が間近でパチリと瞬きする。吐息がかかりそうな近い距離にハッとして体を離そうとする……が、少女の手がウィリアムのそれに重なって、引きとどめた。
そしてそのまま、サーチは立ち上がり、澄んだ声で静かに告げる。
「閲覧可能な資料は、存在しません」
「え……」
意外な答えだった。
先端技術研究所の部外秘データも、クイーンシステムの通信ログすら、難なく引っ張り出してくるような彼女なのに。
「でも、じゃあ、その技術は……」
「1‐bitモードに関する詳細は……――」
《命令の割り込みを承認》
「っ!?」
《認証されました》
一瞬、何かのメッセージが流れたかと思うと、言いかけた少女の言葉が途切れた。見開いた目の光がスッと消えて、少女の体から力がガクンと抜ける。
《強制リターン》
《実行開始》
「ちょ……どうしたっ!?」
崩れ落ちようとする体を慌てて抱き留める。一瞬、女の子らしい柔らかな重みが腕に伝わったが、すぐにそれは消え――――
「サーチっ!!」
少年の叫びが空しく響く。
揺らぐバーチャルの日差しの下、ウィリアムの腕の中で、少女の身体は、光る砂粒のように霧散してしまった。
――その、同じ瞬間。別の場所で。
「……っと、ようやくコマンド通ったぞ、ジョージ」
浮遊する意識。声帯を使わずに、男は言った。
《お前さんにしては珍しいミスだったな》
音声通信は、電気信号として直接脳に響く。
「うるせぇな、あんなところでSiNEサーバが稼働してるなんて、普通気付かねぇよ」
そこに手は無い。足も。身体も。
けれど男はその長い腕を伸ばして、まもなく暗闇に浮かび上がる、少女の華奢な腰を引き寄せた。
「浮気はよくないぜ、サーチライト」
「ノー、私の名前は、『サーチ』です」
「……ったく、俺の見てない間に妙な調教されやがって」
そこは真っ暗で、広大で、その男と少女の他には誰も居ない場所だった。
床も、天井も、壁も無い。
「つかお前、ちょっとログ見せろ」
「っ!」
苛立たしげにそう言って、男は膝に抱いた少女が驚くような表情を見せるのに構わず、その腹にズブリと指を差し込んだ。随分な仕打ちのように見える動作だったが、もちろん血なんて一滴もではしない。少女の中から何か、光の塊のようなものが取り出され、男がそれを宙に投げると、一気に大きく広がってホログラフィウインドウの体を成した。
「あ……」
少女は困ったように声を上げる。男はそれをムッとした顔で眺めて、やがて、不機嫌そうに目を細め、少女の方を見た。
「国立ネオポリス・アカデミー付属ハイスクール一年、ウィリアム・レリック……何だよ、俺よりこのガキんちょが良いっていうのか? なぁ、《サーチ》よ」
叱るような、からかうような調子に、男の真意を測りかねたのだろう。少女は困ったように口ごもった。
《おい、遊んでないで、回収できたならさっさと上がってこい》
「……はいはい、わーってるよ」
男は面倒くさそうにログのウインドウをたたんで、少女の体に戻す。
「じゃ、また後でな、サーチ」
皮肉っぽく言った言葉が終わらないうちに、男の姿は細かな光の粒子に分解され、暗闇の中溶けるように消えていった。
ビットシフト3rd person ~マクスウェルアベニューの魔術師~ 二月ほづみ @fsp
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