貴方
葬式が終わるまで、雨は降り止みませんでした。目の前がノイズに埋め尽くされて、音も断片でしか聞こえないほどに憔悴してしまいました。しかし、自業自得ですから、僕に何か言う権利などはないのです。
彼女の思いを知っていながら知らないフリをし続けて、嫌がることを知っていながらエゴで守ろうとし続けました。人のエゴというのは何と傲慢で醜いものでしょうか。彼女を守りたかっただけだなんて、本人にはいい迷惑でしかなかったというのに。
雨に当たれば、全身がバケツの水を被ったように水浸しになります。それは雨で涙を誤魔化す、あの日の彼女のようです。彼女は気丈に振る舞いました。どれだけ弱くても良いと言っても、その言葉が届くことはありませんでした。もしかしたら、僕が弱いだけなのかもしれませんが。
彼女の死んだ崖の近くに行きました。そこは警察によって通行止めにされていて近づくことは出来ませんでした。だから、近場で似ている崖を探しました。
その近くも、警察が見回っていました。どうやら事件を受けて通常時より警戒が増したようでした。だから、警察官がいなくなった隙に、その崖に近づきました。
人が死ねる程度の高さはあるその崖は、僕を怖がらせました。高所恐怖症である僕がこんな場所に来るなんて、死ぬ気もないなら辞めておくべきだったのですが、彼女の死ぬ間際に見た景色を見てみたいと思ってしまったのです。彼女を思い続けることだけが、僕に出来る唯一の贖罪だと思って。
すぐに崖から離れようとしました。雨で泥濘んだ地面と崖の相性は悪いですから。しかし、僕はそこで足を滑らせてしまいました。あ、死ぬかも。そんな言葉が脳裏に過ぎりました。
「危ない!」
知らない女性の声がしました。そして気づけば、僕は崖の上の地面に寝転がっていました。
「大丈夫ですか」
「はい、貴方は……」
女性の姿が、一瞬彼女に被って見えました。それにまだ涙が溢れてきました。そんなはずはないのです。彼女の葬式はもう終わったのですから。彼女の焼けた遺骨を見たのですから。ですが、もしかしたら魂として現世に留まっていた彼女が助けてくれたのかもしれません。
「ありがとう、ございます。もう、大丈夫です」
助けてくれた女性の手を優しく解きました。そして、何か言おうとしているのが分かったけれどその場を後にしました。もう、他人に心を開くのはごめんでした。というより本当は、知らない女性が彼女に見えてしまったことが怖かったのです。僕にとって貴女が一番大切なのに。このままでは貴女も、彼女も忘れてしまう気がしました。
雨の中家に帰ります。それは誰もいない家です。いえ、同棲などしていませんでしたし、この家に人を呼んだことは数えるほどしかありません。しかし、ここにいた人の気配は、まだ荷物を片付けていないのにもかかわらず、跡形もなく消えていました。
これが僕の話です。つまらない男のつまらない別れ話です。もし死んであの世に行ったらこれ以外の、楽しい馬鹿話をたくさん持っていって二人に聞かせます。ですからこの話で僕を見限らないでくださいね。一日一つ、思ったことを話し合う。そう約束したのは貴女ですから。
それと、もし貴女の妹に会うことがあったら言っておいてください。
ちゃんと貴方も大切でしたよ、と。
貴方 堕なの。 @danano
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