『夏に至りて。別れは来たり』

小田舵木

『夏に至りて。別れは来たり』

 傘も差さずに梅雨時の雨に打たれて。

 僕は思うのだ、「もうすぐ夏が来る」と。

 夏が来てしまえば。君は…遠くに消えていく。

 季節外れの別れ。桜を逃した感のある別れ。

 蝉の鳴き声が響き渡る季節になれば。もう、君の声は聞こえなくなるだろう。

 

 線状降水帯がもたらした豪雨。

 僕はソイツに傘もなしに立ち向かってる。

 肩を容赦なく叩く雨。火照った体を冷やす雨。

 このままずっと、雨の季節が続けば良いのに、そう思って僕は天を仰ぐ。

 見上げた空は灰色。灰色の空から雨粒が容赦なく落ちてくる。

 

 だが。こんな豪雨も。

 僕がぼんやりしている内に止んでしまうだろう。

 ぼんやりしている場合じゃやないのだ、一時だって、君と一緒に居るべきなのだ。

 

 だけどまあ。

 僕は下層社会の住人で。君は上層社会の人間で。

 住んでいる世界が違う。もう、今の社会は階層社会だ。下層と上層はきっちり別れている。

 僕は労働に勤しむ他なく。君は大学で勉強する他なく。

 身分違いの恋なぞ、成就しないように出来ている。

 

 ああ。余計な世界を知らねば良かった…僕は返す返すそう思う。

 神ってのは残酷だ。一介のワーカークラスに過ぎない僕に君を出会わせてしまったんだから。

 ワーカークラスなんて。余計な恋なぞしない方が良い―というか、政府に推奨されていない。

 僕たちの住む世界は。人口政策に失敗してしまった地球だ。農業政策に失敗してしまった地球だ。天然資源を使い果たした地球だ。

 もう、余計な人口は欲していなくて。人口抑制のまっただ中。

 そんな地球では、子作りへと至る恋なんて、望まれない。こと、僕のような下層民は。

 

 惑星移住。

 それが人口抑制に失敗した地球が出した打開策で。

 上層の民達はそれに従事する。下層の民はそれを支える。

 

 僕は今日だって、惑星移住用の用品を生産する仕事に勤しんできた。

 そんな仕事帰りに。傘を忘れて。豪雨に打たれている。

 帰り道に君を訪ねるのだけが生きがいだ。だって、それ以外に娯楽なんてないから。

 でも、それも夏に至れば、終わってしまう。

 

 ああ。梅雨よ。終わらずにいてくれ―無理な願い。

 でももう、夏至。

 後は梅雨明けを待つばかりで。そこから夏が来る。

 

 夏になれば。

 君は惑星移住者して宇宙へ消えていく。

 それが僕と君の一生の別れになるだろう。

 君は宇宙へと消えゆき、僕は地球で朽ち果てる。

 ま、元から描かれていたシナリオではある。下層民は地球のお留守番係なのだ。

 

                  ◆

 

 昨日は酒を呑みすぎてしまった。

 あの豪雨の帰り道、君の家に上げてもらって。

 久々に合成酒ではなく、高級な蒸留酒を頂いてしまったのだ。

 僕はしこたま呑んでいしまい、途中から記憶がない。

 そして朝を向かえて、君の家から仕事に行って…またもや雨の帰り道を向かえている。

 

 天から降り注ぐ雨。

 僕は工場の玄関でそれを見守る。

 梅雨はどんどんと過ぎていっている。いつかこの鬱陶しい雨も降らなくなるだろう。

 僕は携帯端末のカレンダーを眺める。

 7月の末に丸が打ってあって。それが君が宇宙へと消えて行く日だ。

 今は6月の末。二十四節季的に夏至の周辺。一年で一番日中が長い季節。

 

 夏に至る。そう書いて夏至だ。

 僕は夏になんて至らなければ良いと思っているのだが。

 気候変動でめちゃくちゃになったこの地球でも、まだまだ四季はあるのだ。

 

 今日も今日とて。僕は傘を持っていない。なにせ、昨日傘忘れたし、今日は君の家から出勤したし。

 コンビニで傘を買うカネがもったいない。

 だから、今日も雨に打たれながら、君の家を目指す。

 

 僕の仕事場から君の家まで。

 それは現在の社会の縮図を歩いていくようなモノだ。

 街の沿岸部の工業地帯に建てられた工場から、山へと至る道。

 途中で下層民と上層民が入り交じる街を経由する道。

 そう、街はバッファ緩衝地帯なのだ。下層民と上層民の。

 下層民ってのは、海沿いの工業地帯の周辺にスラムを形成して暮らしている。

 上層民ってのは山の高級住宅街に一軒家を建てて暮らしている。

 ああ、社会ってのは簡単に割れる。意図してなくても、下層民は下層民と集まり、上層民は上層民と固まる。

 

 僕は工業地帯を歩きながら思う。

 何で、僕と君は出会ってしまったのか?

 運命のいたずら―で片付けていい話なのだろうか?

 …ま、そういう風に形容する他ないのだが。

 

 通りすがりにはスラム。

 違法建築。認可されていない住居。

 僕の家だって、違法に建築されたアパートだ。

 君の家と比べたら、うさぎの小屋みたいなモノ。

 そんな4畳半に君を招待する訳にはいかないから、僕は、君の家へと通っている。

 

 僕は君の家から帰る度にうんざりするハメになる。

 代用食料の袋や合成酒のゴミで埋め尽くされた部屋。

 君がこれを見たら、失望するに違いない。

 だから、僕は絶対に君を家には近づけない。

 僕が上層にアクセスするのは良いが―厳密は良くない―、君が下層にアクセスするのは絶対にダメだ。

 

 そんな事を考えている内に。街に着く。

 この街は。下層民と上層民が入り混じってカオスを形成している。

 とは言え。下層民に不動産を持つ力はない。上層民のモノに寄生して下層民は存在している。

 

 街のスクランブル交差点。視線を上げれば汚いネオン。

 雨の中怪しく光るネオンが僕を照らしている。

 その汚いネオンの向こうに君は住んでいる。

 

 何かお土産でも買っていこうかと僕は思い立つ。

 だが、僕のウォレットには、殆どカネがない。

 なにせ、農業政策に失敗した地球では食料が高騰しているからだ。

 代用食料を買うので、僕は手一杯。

 

 汚いネオンの街。

 そこに立ち並ぶ店。気の利いたケーキくらい買うカネがあればなあ、とか思いながら僕は店先を通り過ぎる。

 ショーウィンドウにびっくりするような価格の小洒落たケーキが並んでいる。

 チーズケーキ一つで僕が3しょく食える。

 これは―手が出ない。

 僕はうんざりする。まさか、気の利いたケーキ一つ変えないとは。

 

 街の中心を抜けて。

 僕は山の手の住宅街に忍び込む。この瞬間が一番、緊張する。

 なにせ、僕の格好は小汚い。ロクな服を買う余裕すらないからだ。

 別に山の手の住宅街にドレスコードがある訳ではないが…この格好はどうだろう?

 

 山の手の住宅街の通りは小綺麗で。

 スラムとは大違いだ。

 ちゃんとゴミ収集車とか来ているんだなあ、って思う。

 そこを通り過ぎて行って。僕は君の家へと至る。

 インターフォンを鳴らせば―

 

                  ◆

 

「やっと来た。また雨に濡れて…」君は言う。

「仕方ないだろ?君んの傘を借りるわけにもいかない。スラムの工場じゃ浮くんだよ」

「ま。今日も上がって行ってよ」

「ん。お邪魔します」

 

 僕は君の家に上がり込む。

 まずは仏間へ。君の両親はもう亡くなっていて。

 僕は彼等に挨拶を欠かさない。「どうも、今日も下層民の僕がお邪魔します」と。

 

 仏間で挨拶を終わらせると。

 君は僕にシャワーを勧めて。

 僕は遠慮しながらも、家を汚す訳にはいかないと、風呂を借りる。

 

 君の家の風呂場は広い。

 僕の家のシャワーなんてトイレ以下のサイズ感だ。バスタブの中に収まってしまうんじゃないかな。

 

 シャワーを済ませると。

 僕は君のお父さんの遺品のスウェットを借りて。

 そのスウェットでリビングへ行く。

 君は僕が風呂に入っている内に料理を始めていて。家中にいい匂いが立ち込めている。

 僕はリビングのテーブルに座る。

 君の家のリビングを見渡す度に思う、この空間に僕の家が丸々収まるな、と。

 リビングからはキッチンが見えて。料理をする君の背中が見える。

 僕は背中に向かって言う、「気の利いたケーキを土産に買おうかと思ったんだけどさ…」

「お金、ないんでしょ?」

「そ、情けない事にね」

「別に気にしてないよ、晩ごはん一緒に食べれるだけで幸せだから」

「…格好くらいつけたいんだけどなあ」

 

 僕がリビングで寛いでいる内に。

 料理が出来る。温かいポトフだ。手間のかかるモノを何時いつ用意していたと言うのか。

「今日、貴方が雨に濡れて来るのが予想出来たから、朝に仕込んでおいたの」

「そりゃナイスプレー」

 

 僕は季節外れのポトフに舌鼓をうつ。

 代用食料以外のまともな食べ物。普段なら口に出来ないまともな野菜と肉。

 そこに君は白ワインを持ち込んで。

 僕は遠慮しながらも、君と乾杯をして。

 二人で食卓をつつきながら、白ワインで酩酊する。

 

「あーあ。夏なんて来なければ良い」酔った僕は言ってしまう。

「…ね。でももう梅雨だよ?」

「夏至。夏に至る」

「一年で一番昼が長い時期…」

「ま、雨混じりでよく分かんないよな」

「だね。そして気づかぬ内に夏が来る」

「そうして君は消えていく。なあ、この家はどうするんだい?」

「ん?貴方あなたに譲ってあげたいところだけど。渡航費の足しにするために売るよ、来月には私もこの家を出る」

「と、言うことは。僕が上層に忍び込むのも今月で最後か」

「そ。だからまあ、適当に寛いでよね」

「名残惜しいな」

「名残惜しいよ。この家だけじゃなくて地球もね」

「エウロパでうまくやってくれや」

「…うまくやれるかなあ」

「四の五の言ってる場合じゃないだろ」

「貴方なしの生活が想像出来ないんだよね」

「16までは。僕なしの生活をしてたろ?」

「でも出会っちゃったから」

「それもそうだ」

 

 僕と君は、リビングのテーブルから、窓際のソファに移る。

 そして窓のカーテンを開けて。

 雨が降りしきる外を眺めながら、白ワインを傾ける。

 隣に君が居る。それは雨が降り続ける間だけ。

 雨が降らなくなって、夏が来れば。君は遠い宇宙へと消えていく。

 それを止める術はない。

 なにせ、ここ最近の大卒者は宇宙へと旅立って行くことが義務付けられているからだ。

 

「貴方を連れて行けたら良いのにな」彼女はワイングラスを傾けながら言う。

「そりゃ無理な相談だぜ」

「分かっているけどさあ」

「この手の会話は先月やりきったろ?」

「まあね。でもウダウダ言いたいじゃない?」

「無理だと分かっていても、な」

 

 雨は降り続ける。

 僕と君は止まなきゃ良いと思ってる。

 だけど、止まない雨はないのだ、残念ながら。

 だから、定められた別れは必ず来る。なにせ、もう夏至だから。

 夏に至りて。別れは来たり。

 

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『夏に至りて。別れは来たり』 小田舵木 @odakajiki

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