天使と悪魔の夜会

菊池昭仁

天使と悪魔の夜会

第1夜

 大天使ミカエルと、悪魔サタンは今夜も宴を開いていた。

 


 「いくら今月がサタンの館での夜会だからって、冷たい闇夜はイヤね? おまけに酷く臭いし」

 「仕方ねえだろう? ここは地獄への入口なんだからよ~。

 それは俺が悪いんじゃねえぞ、これが人間の本性ってやつさ。『七つの大罪』のお陰で、ここはいつもこの有様だ。

 教皇グレゴリウスが作った、聖書にはない、あの戒めのせいだよ。

 「傲慢」「嫉妬」「暴食」「色欲」「強欲」「憤怒」「怠惰」でいっぱいだぜ」

 「それに2008年3月にローマ法王庁が発表した、「現代の7つの大罪」が加わったしね?

 「遺伝子改造」「人体実験」「環境汚染」「社会的不公平」「貧困」「過度の裕福さ」「麻薬中毒」

 まさに今の人間界じゃないの?」

 「人間は愚かな生き物だよ、何も学んじゃいない。

 もう地獄も満員御礼状態だぜ。ひゃっひゃっひゃっ」


 サタンは紫のビートル酒をミカエルにも勧めた。


「どうだいミカエル? お前も飲むか? このカブトムシの酒。臭くて鼻がひん曲がりそうだぜ」

 「私は結構。私はこの太陽のお酒、サングリアを持参して来たから」

 「これはゲロ不味い酒だぜ? 人間の強欲を熟成させた醸造酒なんだがね? 慣れてくると結構これがクセになるんだ。人の妬みや嫉み、人をバカにしたり虐めたり、最高の美酒だぜ、このビートル酒は。ヒッヒッヒッヒッツ」

 「私のお酒はね、やさしい思いやりのある、さわやかで甘いお酒よ。

 サタンもいかが?」

 「とんでもない! そんな気色の悪い酒なんて飲めるかよ。眩しくてサングラスがいるぜ。

 それに何なんだよ、そのフローラルな香りは?

 おー、イヤだイヤだ、天界の酒は」

 「アンタだって昔は私と同じ天使だったくせに」

 「昔の話はするな。俺は天界を追放された「堕天使」だからな」

 「ところでサタン、もう決まったの? 地獄へ連れて行く人間は?」

 「ああ、コイツなんかどうかな? かなり悪い奴だぜ、コイツ」


 サタンとミカエルは水晶玉を一緒に見詰めた。

 そこには、ある中学教師が映し出されていた。



 「藤田浩二。中学校教諭、38歳。既婚。

 家庭を大切にする2児の父親だ。奥さんは小学校の先生をしている」

 「あら、どうしてこの人が地獄行きなの?」

 「コイツは自分の家族は大切にするが、教師としては最低な男だ。

 いいから見てみろよ、なかなか面白いから、うひゃひゃひゃひゃひゃ」


 サタンは赤く長い舌を見せて嬉しそうに笑った。




 そこには教室でいじめられている男の子が映し出されていた。



 「おい、飲めよ、便所の水で作った美味しいカルピスだぜ、ほら飲め! 飲めよ! 伊藤!」


 クラスでリーダー的存在の佐々木が言った。

 それを囃し立てる佐々木の取り巻きたち。


 「のーめ! のーめ! のーめ! のーめ!」


 他の同級生たちは見て見ぬふりをしていた。


 佐々木は父親が県議会議員をしており、祖父は民自党の国会議員だった。

 誰も佐々木には逆らえない。

 教師の藤田もそこにいたが、佐々木を止めることもせず、何もしないで黙ってそれを見ているだけだった。


 良心的な生徒たちは藤田が止めてくれることを期待して藤田を見詰めていた。

 だが、藤田は何もしなかった。


 ついに佐々木は業を煮やし、そのカルピスを伊藤君の口を押えて、無理矢理それを飲ませた。


 ゲホッ


 滴り落ちるカルピスが、伊藤君の制服を濡らした。

 そして無抵抗の伊藤君に佐々木が言った。


 「うわっ、汚ったねえ! こいつ便所だ便所、便所の伊藤!

 オマエ、今日から伊藤じゃなくて「便所」な?

 分かったら「はい」と返事をしろよ、伊藤便所!」


 伊藤君は蚊の鳴くような声で泣きながら「はい」と言った。

 それを見て爆笑する子供たちと、眉を顰める子供たち。



 「ハハハ、お前は便所! お前は便所! お前は便所だ! ハハハハハ」


 藤田はそのまま教室を出て行ってしまった。



 「いじめられる奴がバカなんだ」


 藤田はそう呟いた。




 「どうだ? 酷い奴だろ? この藤田って教師?

 よくこれで先生やってるよなあ? ホント笑えるよコイツ! 俺の弟子にしたいくらいだ! うひゃひゃひゃひゃ」


 そう言ってサタンはお腹を抱えて大声で笑い、椅子から転げ落ちてしまった。


 「私はこの佐々木って子の方がイヤだわ、なんて酷い子なのかしら?」

 「ああ、そいつは放っておいていいんだ。そのまま大人になって、コイツが親の跡を継いで政治家になった絶頂期に1,000倍にして償わせてやるから。

 問題はこの藤田だよ、フ、ジ、タ。これでも教師だぜ、教師!

 聖職者のコイツが生徒を守ってやらないでどうすんだよ?

 この伊藤を誰が守ってやれるんだよ?

 伊藤は3日後、いじめを苦にして自殺しちゃうんだけどさ、哀れだよなあ?

 悪魔の俺でも同情するぜ。

 だって自殺すると天国にも地獄にも行けず、浮遊霊として彷徨い続けるだろ?

 自分の子供は大事にして、自分の生徒は見殺しだぜ?

 このボンクラ佐々木に言わなくちゃ、ゲンコツの1発もくれてさ、そいつの間違えを正してやらないと。

 ミカエルだって知ってるだろう? 人間の一番の罪が何かを?」

 「それはわかっているわよ」

 「そうだ、「見て見ぬふり」だよな?

 コイツは教師のくせにそれをしたんだ。

 さっそく地獄へ引き摺り込んでやることにするよ。

 地獄門の「考える人」に電話しなきゃ。えーとえーと、考える人の携帯番号はと?」


 サタンはうれしそうに「考える人」に電話を掛けた。


 「ああ俺、サタン。

 明日そっちに藤田って奴が行くから頼んだぜ。

 うん、うんそう、そうなんだよ、じゃあよろしく。

 あー、スッキリしたあー。

 ミカエル、お前んところは誰にするんだ? 明日の天国行きは?」

 「私はこの女の子にしようかなあ」


 大天使ミカエルは背中の白い翼をばたつかせながら水晶玉を覗いていた。


 「どれどれ」


 横からサタンもそれを覗いた。


 「コイツかあ、コイツは地獄には無理だな? 鬼たちが嫌がるよ、こんなやさしい、心のキレイな奴が地獄に来たら。あーあ、ヤダヤダ」


 そう言ってサタンは深い溜息を吐いた。


第2夜

 水晶玉には病院のベッドで鶴を折っている、幼い少女が映っていた。

 少女は小さな手で、一生懸命に鶴を折っていた。


 名前は幸子、8歳。

 みんなからは「さっちゃん」と呼ばれ、とても愛されていた。


 さっちゃんは小学校の2年生だったが、小学校には行ったことがない。

 さっちゃんは心臓移植のドナーを待っていたが容態は悪化しており、周囲は殆ど諦めかけていた。


 さっちゃんの母親は頭がヘンになりそうだった。


 「何で幸ばっかりがこんな酷い目に遭わなきゃならないの! こんなに辛い思いをさせるために私はこの子を産んだというの! 出来ることなら私の心臓をこの子にあげたい!」


 さっちゃんの母親はいつも泣いていた。




 看護師の平塚がやって来た。


 「さっちゃん、また鶴を折っていたの? たくさん出来たね?」

 「うん、たくさん出来たよ平塚さん。ほら見て、こんなにたくさん」


 さっちゃんはお菓子の箱に一杯になった折鶴を平塚に見せた。

 

 「すごいね、さっちゃん! お姉ちゃんが糸に通してあげるね?」

 「平塚さん、これで私の病気も良くなるよね? こんなにたくさん鶴サンを作ったんだから」

 「きっとよくなるわよ、さっちゃん」

 「平塚さん、鶴さんって1,000羽になったら願いが叶うんでしょう?」

 「そうよ、だから大丈夫! さっちゃんは絶対に元気になるから・・・」

 

 ナースの平塚は、迂闊にも泣いてしまった。


 「平塚さん、どうして泣いているの?」

 「泣いてなんかいないわよ、コンタクトが痛かっただけ。

 点滴が終わりそうだから、交換しにまた来るわね?」

 「うん」


 平塚はナースステーションの陰で声を上げて泣いていた。

 そこに主任の多江がやって来た。


 「ここは小児科病棟なのよ、そんなことでいちいち泣いていたら、あの子たちはどう思う?

 私たちの仕事は悲しい現実から目を背けずに、あの子たちの辛さ、苦しさに寄り添うことなの。

 泣くなら病院の外で泣きなさい」


 先輩ナースの多江も泣いていた。


 さっちゃんは、本当は自分のために鶴を折っているのではなかった。

 さっちゃんは自分が死んでもパパとママが悲しまないようにと、1,000羽鶴を折っていたのだ。

 それは医師やナースたちも良く分かっていた。


 「だってまだ8年しか生きてないんですよ! そんなの不公平じゃないですか!

 学校に行ってたくさん勉強して、いっぱい友だちとおしゃべりして、走って運動して、そして、そして素敵な彼が出来て・・・」

 「平塚、それはさっちゃんだけじゃないのよ、それを忘れちゃダメ。

 私たちがあの子たちを支えてあげるの、最期の最後まで」


 多江は平塚ナースの肩にやさしく手を置いた。




 それを見ていたサタンが言った。


 「こいつらみんな天国行きだな? 地獄になんか連れていけねえよ。

 地獄が明るくなっちまう。

 人間のやさしさは光だからな?

 ミカエルよ、お前の管轄だな?」

 「人間はその寿命の中で成長する生き物でしょう? この女の子はまだ8歳だけど、すでに考えは大人なのよ。

 この子には人を思いやる気持ちがあるもの」

 「このままこの子は病院で生活するのか? 治らねえのか? 何とかならねえのか?」

 「それが私たちには出来ないことは、サタンもよく知っているでしょう?

 それは死神の仕事よ」

 「それで死神は何だって?」

 「一週間後に迎えに行くそうよ。だから私も幸子ちゃんを天国へ連れて行くわ。7人の天使たちといっしょに」

 「でもなあ、幸子って名前なのにこの子、いいことねえな? せっかく人間に生まれて来たのによ」

 「死が悪いわけじゃないでしょう? 辛いことばかりで生きている人間なんて沢山いるし、殆どの人間は地獄に行くでしょう?

 寧ろ幸子ちゃんは幸せよ、「選ばれし民」なんだから。

 そして幸子ちゃんはみんなに色々な「気づき」を与えてくれた。

 それによりこのナースたちも成長し、両親も精神的、肉体的苦痛からも解放され、もっとやさしい親になれる。

 幸子ちゃんが産まれたことは決して無駄ではなかったわ」

 「この女の子、前世ではかなりの徳を積んだのか?」

 「そうよ、前世ではサナトリウムでたくさんの患者さんのために、結婚もせずに献身的に働いてたナースだったの。だから生まれる前から天国行きは確定だったんだけどね」

 「そうだったのか? でも親はたいへんだな、辛い魂の修業で」

 「でも大丈夫、この子はこのママとパパを選んで生まれて来たんだから。

 このやさしいパパとママのところにね?」

 「なら良かったな?

 あれれ、俺、悪魔のくせに天使みてえなこと言っちまったぜ、何やってんだ俺?

 俺の今度の地獄行きはコイツだな。

 どうだ? 中々の奴だろう? この社長。

 地獄でも大喜びだぜ。ヒッヒッヒッツ」


 サタンは水晶玉を見詰め、真赤な口を開けて笑った。



第3夜

 社長の川村は幹部会議で檄を飛ばしていた。


 「佐々木支店長! お前はアホか? 今月の目標、まだ2億足りないやないか!

 あと10日しかねえんやぞ! どないするつもりや! 死ぬ気で達成しろ! ええな!

 もし出来なければ死ね! 死んでワシに詫びろ! 誰のお陰で支店長にしてもろうた思うとるんじゃボケ!

 お前の代わりなどいくらでもおるんやからな!」


 佐々木支店長は疲れ切って、完全に鬱になっていた。

 彼は蚊の鳴くような声で絞り出すように言った。


 「がんばります・・・」

 「声が小さい! みんなによう聞こえるように言わんかい!」

 「がんばります!」

 「頑張る? 何をや?」

 「契約2億、必ず達成します!」

 「必ずやれ! もし出来なければお前に明日はない思え!」



 川村は住宅会社を経営していた。

 運のいい男である。そしてハッタリの効く男でもあった。

 実質的な会社経営は息子の彰久に任せ、自分は儲けたカネで投資や不動産の購入で私腹を肥やしていた。

 川村のカネに対する執着は凄まじいものだった。


 

 そして月末の営業の締め日、佐々木支店長は目標額の半分の1億しか達成出来ず、展示場で首を吊った。


    

     社長 申し訳ありませんでした



 のメモ紙だけを残して。




 「ホンマに最後まで迷惑なやっちゃなあ。もうあの展示場は噂が広まってもうてアカン。

 南町の展示場に移転や」


 川村社長は息子の彰久にそう指示をした。


 「わかりました。すぐに展示場を解体撤去します」

 「撤去やと? 建具や住設機器、照明やカーテン、家具は分譲地の建売に使うんじゃボケ」

 「・・・わかりました。それから社員の給与制度の見直しの件ですが、うちの会社の給与水準は同業他社と比べて2割以上低くなっています。給与の引き上げをしたいのですが」

 「アホ! それで働いているんやからそれでええんやないかい!

 優秀なヤツが言うて来たら考えればええ。個別対応や。

 いらんヤツや普通以下のヤツは勝手に辞めたらええ話や。

 ウチはな? 大手ハウスメーカーやないで。

 三流大学を出た、他では使いもんにならんヤツばっかりや。そんな奴に高い給料払うアホがおるかいな?

 給料は今のままでええ。むしろ下げたいくらいじゃ」

 「でもそれではいい人材が集まりません」

 「いい人材などおらんでもええがな。ウチにスーパーセールスマンは要らんのじゃ。

 年間10棟も20棟も契約する社員やのうて、年間で2棟を確実に契約出来る社員がおればそれでええんじゃ。

 そうすれば1棟分の利益でその営業マンと会社の経費を賄い、残りの1棟分の利益はワシの利益になるやないかい!

 ウチの会社にドーベルマンは要らん。よく飼い主の言うことを聞く、#雑種__・__#で十分じゃ。

 所詮、中途採用ゆうんは、敗者の集まりやからな?

 給料は今のままでええ。わかったな?」

 「はい、お父さん」

 「お父さんやない、社長と呼ばんかい!」

 「わかりました。社長」

 「それから矢部を呼べ」




 矢部がやって来た。


 「お前、60万円が未収金のままやないかい! 勝手に値引きしおってからに!」

 「それにつきましては私が歩合の中から月々5万円ずつ返済いたします」

 「当たり前じゃボケ! お前の今月と来月の給料はなしや。ええな!」

 「それは困ります! 大学生の娘に仕送りが出来なくなってしまいます!」

 「だったら大学、辞めさせるか? キャバクラでバイトでもさせたらええやろ? そんなの知らんわい!」


 矢部は社長の川村を睨みつけた。

 矢部は年間20棟以上の契約を上げるトップセールスマンだった。



 「わかりました。では今月いっぱいでここを辞めさせていただきます」

 「別にかまわんけどな? 今お前が担当しているお客はすべて田村支店長に引継げ。ええな?

 もしふざけたマネをするようやったら、愛媛の知り合いの組長に頼んで、腕の1本もへし折ってやるさかいな!」


 矢部は会社を辞めた。




 矢部が会社を辞めて2ヶ月が過ぎた頃だった。



 「川村社長、警察です。脅迫および傷害未遂容疑で9時12分、逮捕します」


 刑事たちは逮捕状と捜査令状を示し、川村に手錠を掛けた。

 矢部は川村の言動をボイスレコーダーに録音していたのである。



 川村は懲役1年、執行猶予3年の判決を受けたが、別に気にも留めてはいなかった。




 サタンは言った。


 「こういう爺さん、大好きだぜ。

 地獄では大喜びさ。まあもうすぐ地獄が始まるんだけどな?

 メシも流動食しか食えなくなり、排泄も自分では出来なくなる。そして声も出せなくなるんだ。

 いい気味だぜ。うへへへへ」

 

 ミカエルは溜息を吐いた。


 「そんなにお金が大事なのかしら?」

 「人間社会の評価はカネがすべてだ。アイツらは本当のしあわせが何なのかを知れねえんだよ」

 「本当のしあわせは「幸福を感じる心を持つこと」なのにね?」


 サタンはカブトムシ・ジュースを旨そうに飲んだ。

 


第4夜

 「人間はどうしてこんなに生きることに無頓着なのかしら?」

 「それはアイツらがものを知らねえからだよ。「人は必ず死ぬ」っていう絶対真理をな?

 だから人間は命を粗末にし、時間を無駄にするのさ」

 「そして死んで裁きがあることも知らないしね?

 天国と地獄があって、99.9%の人間は地獄に落ちるということも」

 「せっかく人間に生まれたのにだぜ? たかが男に振られたくらいで簡単に命を絶とうとする。あの心理が俺には理解できねえ。

 だって男も女もたくさんいるんだぜ? 何も死ぬことはねえだろう、死ぬことは?

 そして死んで初めて気付くのさ、「こんな男のために私は死んだの?」ってな?

 自殺するということは神のご意思への冒涜だ。せっかく人間にして生かしてもらったのにだ。無間地獄を味わうことも知らねえで」

 「そうね? 自殺をさせるために神はこの世に生を与えたのではないものね?

 人殺しもそう。そんなの運命でも宿命でもない。ただの自分のエゴイズムよ。

 神が人間にお与えになった宝物は、「自由意志」なのに。

 「我思う、故に我あり」でしょう?

 本来の寿命が85歳だった人が16歳で自らの命を絶てば、残りの69年間をあの冷たくて、臭くて、暗黒の闇の中でひとりぼっちで過ごすということも知らずに。

 だから絶対に自殺だけはダメ。それは神のご意思を穢すことになる」

 「下劣で醜悪なテレビでも言っているだろう? ただの人気取りの連中が。有名人が死ぬと、「どうか天国で安らかに眠って下さい、ご冥福をお祈りしています」ってあの決まり切ったセリフ。

 あんなに笑えるコントはねえよ。本当はソイツが死んで何とも感じていないくせに。イヒヒヒヒッ

 死んだ奴に対する哀悼の意ではなく、そんな自分に酔っているだけだからな?

 気にしているのはカメラアングルや、いかに悲しみを演じることが出来るかしか考えちゃいねえ。

 「私は右からの顔よりも左の方がキレイだから、左側を撮ってよね」とかな?」

 「罪の意識なんてないしね?

 平気で人を妬み、恨み、いじめ、蹴落とすことばかり。良心が苦しくないのかしら?

 この前のドラマ、観た? 「やられたらやり返す、倍返しだ!」っていうアレ。私、ゾッとしちゃったわよ。

 だってそうでしょう? 憎しみからは憎しみしか生まれやしない、憎しみの「負のスパイラル」が続くだけだもの。

 そしてみんな感動しているわ。正義と信念の主人公になり切って泣いているのよ? 信じられる? 

 自分があのいやらしい幹事長とか悪徳弁護士なのによ?

 でも、恐ろしいのはそれを無意識のうちにしていること。

 つまり、悪い事をしているという罪の意識がない」

 「ホント、うれしくなるぜ。人間なんて悪魔以下さ。自分の事しか考えちゃいねえ。

 人間の本当の悪は、「他人への無関心」だからな?

 俺はあの選挙演説がたまらなく好きだ。

 よくもあんなにたくさんの嘘がつけるよな? 国民のことなんかこれっぽっちも考えちゃいねえのに、「国民のみなさん、どうか私を国会に送り出して下さい! 国民のしあわせと豊かな未来のために!」

 まあ、それを信じて投票している奴もバカだけどな?

 特に馬鹿げているのは、この候補者に政治家になって欲しいのではなく、この人間が議員になれば自分にとって都合がいいからとか、他の候補者に投票したいヤツがいないからという、消去法的な理由で投票をする人間だよ。        

 この日本が良くなるわけがねえ」

 「日本人の場合、厄介なのが「みんなと同じじゃないと不安」という習性があるからよね?

 友だちが結婚すると自分もしたいと考え、会社の同僚がクルマを買うと自分も欲しくなる。

 そして仲間外れにされるのが怖くて、一緒になってママ友をイジメているママ友たち。

 でもまだそれならかわいいものよ。問題なのは「みんなもやっているから」っていう考え。

 今回の悪魔のウイルスのせいでマスクが買えなくなると、ストックしておいたマスクを法外な値段でメルカリで売り捌いたり、給付金を騙し取ったり・・・。

 そして彼らは自分の正当性を主張する。「みんなやってるじゃないの!」って平気な顔をしている。

 そんな人間を見ていると悲しくなるわ」

 「この前、死神が面白いこと言ってたよ。人間はガンとかで医者から余命宣告をされると、最初は絶望と恐怖に打ちのめされてしまうが、そのうち、残された命をいかに大切に、有意義に過ごすかを考え始めるそうだ。

 今までいかに多くの人に支えられ、励まされ、愛されていたかに気付くらしい。

 生きていること、そして普通に生活できていることすべてが「奇跡」だということを悟り、静かに死を受け入れるようになるってな?

 バカだよな? 普通に生きているウチはそんなことに全然気づかずにダラダラと生きているのに、死ぬとわかると感謝をするんだからな?

 まあ生きてる間にそれをやられちゃ、地獄では商売上がったりだけどな?」

 「私はそれでいいと思う。人にしてもらった恩を知ってから死ぬのと、知らないまま死ぬのとでは大違いだもの。

 死ぬ前にそれに気付いて良かったんじゃないかしら」

 「それを失って初めて、それを知るんだから人間は実に愚かだよ」

 「死んだら終わりじゃないのにね?

 死んだら殆どの人間が地獄行きになってしまうのに」

 「ミカエルのところは今週はもういねえのか? 天国行のプラチナ・チケットを持った奴は?」

 「うーん、今、どうしようか迷っている人間は、いるにはいるんだけど・・・。

 そうだサタン。あなたも一緒に見てよ、そしてあなたの意見も聞かせて欲しい」

 「どんな野郎だ?」

 「男性じゃないわ、素敵な女性よ。でもねー、ちょっとねー」

 「じれってえなあ。いいから見せてみろよ、俺が決めてやるよ、地獄にふさわしい女かどうか」


 そして天使と悪魔は仲良く水晶を覗き込んだ。

 そこにはママ友たちにいじめられている、聖子ママの姿が映し出されていた。

 サタンは唸った。


 「なるほど。こいつは悩むわな?」

 「ねっ? そうでしょう? どうしようかしらね? このママさん?」


 天使と悪魔は悩んでいた。



第5夜

 「犠牲的な生き方かあ?」

 「そうなのよ、この子は自分を犠牲にして必死に生きているの。

 これは神のご意思に反すること。神はすべての人間のしあわせを願っていらっしゃる。何人たりとも自分の人生をないがしろにしてはいけない。

 人間はしあわせになるために生まれて来たのだから」

 「犠牲になって人間を救済出来るのは、神の使者たる者たちだけだからな?

 キリストやマザー・テレサのような」

 「サタン、どうしたらいいと思う?」

 「とにかくもう少し詳しく見せてみろよ」

 

 サタンとミカエルは再び水晶玉を覗き込んだ。




 その女は木村真由美、35才。既婚の保育士だった。


 「ほら健太くん、あとブロッコリーだけだよ。がんばって食べようね?」

 「真由美先生、ボク、ブロッコリーきらい」

 「そうなんだ? でもね? 健太くんのママは健太くんが元気で大きくなるようにと、ブロッコリーをお弁当に入れてくれたんだよ」


 そこへ先輩保育士の早苗がやって来た。


 「真由美先生。健太くんに無理に食べさせちゃ駄目よ。嫌なものを無理に食べさせて、後で何かあったらどうするの? 少しは考えなさいよ。アンタ何年保育士をしているのよ!

 そういう安易な指導でこの幼稚園全体が迷惑をこうむることにもなりかねないんだからね!」

 「すみませんでした。じゃあ健太くん、今日はこれでごちそうさまをしようか?」

 「うん。ごちそうさまでした」

 「はい、よく出来ました」




 家に帰ると夫がまた酒を飲んでいた。

 会社をリストラされ、それ以来働きもせずに、この夫は酒ばかり飲んでいた。


 「ただいまあー。今すぐご飯の支度するわね?」

 「遅えよ真由美! お前、今まで何をやってんだコノヤロウ! おふくろのオムツ、早く交換してやれ!」

 「えっ? 取り換えてあげなかっ・・・」

 「そんなの嫁の仕事だろ! 何で旦那の俺がやらなきゃならねえんだよ!」

 「ごめんなさい」


 ボコッ


 夫は真由美を拳で殴りつけ、足を蹴った。


 バシッ


 「お願いだからやめて!」

 「俺に命令なんかするんじゃねえ!」



 真由美は蹴られた足を引き摺りながら、痴呆になった義母のオムツ換えを始めた。


 「くせえ! 窓を開けてやれ!」

 「はい・・・」

 

 いつもの事だった。

 夫の登は昔はやさしいひとだったが、職場を解雇されてからはすっかり人が変わってしまった。

 


 (私が支えてあげなければ、この人もお母さんも駄目になってしまう)



 真由美は耐えた。

 




 翌日、健太くんママが真由美に激しく文句を言った。


 「ちょっと真由美先生! どうしてウチの健太にブロッコリーを食べなくていいなんて言ったのよ!

 あのブロッコリーはね? 懇意にしている農家さんから高いお金を出して買っている、特別な有機野菜なのよ! せっかくキレイにお弁当に入れて上げたのに! 食べさせないなんてどういうことよ!」

 「どうもすみませんでした。健太くんがキライだと言うので、無理して食べなくてもいいと言ってしまいました」

 「じゃあ何? ブロッコリーをお弁当に入れた私が悪いって言うの!」

 「いいえ、けっしてそんなつもりでは・・・」

 

 そこに横から早苗が口を挟んだ。


 「だから言ったじゃないの、時間を掛けてでもいいからちゃんと食べさせなさいって。

 健太くんママのお弁当はとってもカワイイ、素敵なキャラ弁なんだから。

 健太くんママのインスタ、いつも楽しみに拝見しています」

 「あらそう? さすがに早苗先生はベテラン保育士ね?

 これからは気を付けてよね! 真由美先生」

 「はい」



 真由美は早苗に反論しなかった。波風を立てる必要はないと思ったからだ。



 

 「なるほど、コイツは自分が犠牲になっていることに気付いてもいねえ。自分が我慢すればそれでいいと思っていやがる」

 「簡単なことなのにね? DV夫は真由美にただ甘えているだけなのよ、子供みたいに。

 この男は真由美のありがたさを当たり前だと思っている。

 それに夫には姉も妹もいるのに、仕事をしながら義母の介護までさせている。

 離婚すればいいのよ、そして仕事だって他の幼稚園に移るか、別の仕事に転職すればいいだけの話でしょう?」

 「コイツは美人で性格も良く、やさしい女なんだから、ミカエルのところのキューピットにいい男と愛を結びつけてやればいいじゃねえか?」

 「それも考えたんだけど、今までの無理がたたって、もう・・・」

 「死神のリストに入っているのか?」

 

 ミカエルは無言で頷いた。


 「じゃあコイツは天国行きだ。なぜならこの女は何も見返りを求めちゃいねえ。ただ困っているヤツを放ってはおけねえだけなんだからな?」

 「そうね? じゃあ真由美は天国に連れて行くことにするわ」

 「奉仕の心とは、何も見返りを求めないということだからな?」

 「そうね?」


 サタンとミカエルは満足げに頷いた。



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