第9話 ユニクロは UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE の略

 名前をつけるーー


 俺と”彼女”は、飯を食い終えたため、元の部屋(俺の子供部屋)に

戻った。


 彼女は、床に散乱する学校の参考書や小説を、見事なステップで

ヒョイと交わし、


 一応彼女の生活スペースである掛け布団の上にちょこんと座った。


「ねぇ..」


 ここで、彼女は先に口を開いた。


「私の名前って..。どうする? 本当に決めるの?」


 ワクワクを抑えきれない子供のような手振りと、興奮のためか、

いつになくリズミカルな口調で彼女は言った。


「はい。一緒に何か決めましょう」

「うん!」


 晴れやかな表情で、彼女は頷いた。

胸の前に、握り拳を二つ作りながらーー


「こういうのはやっぱり、頭を硬くして考えるより、

自分の感情の赴くままに決めていきたいよね!!」

「そうですか? でも、例えば、沢山の人に愛されるようにって

願いを込めて名前に”愛”を入れたりとか、そういうのも必要じゃないですか?」


 ムゥ..と、彼女は口をとんがらせる。


「そ、そうよね..。だったら、何か私を表象するものとして

相応しい名前を、康太が決めなさいよ!」

「そ、そうですか..。でも、自分で決めた方がいいんじゃ..」


「大丈夫。康太が考えても、最終的な判断を下すのは私だし、

それに、自分でも何か良い名前を考えるから!」



〜十分後〜



「どうしよう..。全然思いつかないや..」 と俺、


「そうね..」 と、彼女も一息ついた後に言った。


「な、何だか..。薄学すぎて、どうにも君に相応しい名前の、

インスピレーションみたいなのが湧いて出てこないんだ。どうしても、

ありきたりな名前に帰着してしまう..」

「別にありきたりなのでも良いんだけど..」


 と、彼女は言う。

しかし、この時の俺はもう、なんだか”ヤケ”になっていた。


 だって、折角星の数ほどある所帯の中から、わざわざ一般家庭のウチに

来てくれたのだ。せめて、最高の名前くらいはプレゼントしたい。


 この家の中にいたのでは、これ以上のアイディアは浮かんでこない気がした。

と言うのも、低い天井、散らかった床など、

とにかく思考を阻害する要素が多すぎるから


 だから、一度外の新鮮な空気を吸って、落ち着いた景観の元で考えよう。

まずは、心にゆとりを取り戻さないといけない。美術の作品や、小説の

筋書きを決める時でも同じ事が言えるのだが、人は早く決断しようと焦っている時ほど、どんどんと混沌の沼にハマっていってしまうものだ。


 という理由も相まって、俺は彼女にこう提案した。


「今から、どこかおでかしませんか?」 と、


 すると、彼女の顔はパァッっと明るくなった。


「い、良いけど..。どうして急に??」

「あ、えっと..。とにかく、記憶喪失の時は、色んなものを見るのが良いかなって。そうすれば、何かの拍子に思い出せるかもしれないし..」


 俺は嘘をついた。名前決めで悩んでいるなどと言って、

小さい事をグズグズ気にする男だと彼女に思われるのが嫌だったからーー


 それだけじゃない。

単純に、彼女と外を出歩いてみたかったーー


 しかし、そんな俺の発言を受け、さっきまで輝いていた彼女の顔は、

ほんの少しだけ哀愁を匂わせた。


「うん、そうだね..」


 それに加え、声のトーンが妙に低い。

なにか、余計な事を言ってしまったのだろうか?

残念ながら、ラブコメの主人公に、そんな女性の感情を読み取る術はない。

全ては、成り行きなのだ。一度下げてしまったのなら、上げればいい。


 0からプラスに上げるのと、マイナスからプラスに上げるの。

難易度は高いが、達成した後により好感度を上げれるのはどちらかと聞かれれば、俺は無論、”後者”と答える。そう、あえて難しい事に挑戦するのが俺だ。


 三次元の恋愛経験はないけどな....。なんてーー


 僻んでいてもしょうがない。とにかく、目先の行動は彼女の服選びだ。


 俺のおさがりを着せる予定だが、丈の会う奴は見つかるだろうか?

流石に、今彼女が着ている、赤と緑の縞模様のパジャマで外に出たら確実に浮く。


 ゆえに、俺は立ち上がり、クローゼットの引き出しを開けた。

下の段の、更に奥の方。もう着れなくなった服の入っている棚の中に手を突っ込む。


 夏だから、半袖+半ズボンか、いや、虫刺されがあるかもしれないから..。

長袖+長ズボンでも良いかもしれない..。後は、出来るだけ無地のカジュアルな奴で..。


「これとか、どうですかね..」


 しばらく漁り続け、俺が最終的に選択したのは、

黒色の半袖のトップスと、白色のズボンという、平凡な組み合わせ。

いや、ズボンの片側のポケットに金色のチェーンがついているのは普通じゃない。


 どちらも、俺が中学生の時に着ていた服だ。


「うん..。じゃあ早速着てみるから..。後ろ向いててね..」

「はい..」


 彼女に促され、俺は背を、部屋の扉に向けて座る。

この時、『jKの生着替え』、なんて邪よこしまなワードが浮かんだが、

なんとかそんな邪念を追い払い、俺は円周率を数え始めた。


 3.14.. ここまでしか言えない。


 そういや、円周率って、記号一つで楽に置き換えられたよな..。

中二の時にやった。あれ..。どうして? 名前が急に出てこなく..。


「ねぇ..」

「π(パイ)」


 後ろを振り向くーー


 そうだ思い出した! πだ。あれを使って円と球の面積とかを求めた..


「あ..」

「あぇ..。ち、ちょっと..」


 π(パイ)ーー


 俺の頭から、ゴリッと不可解な音が鳴り、激痛が走る。


「な、なななななに振り向いてるのよ!!

まだ着替え終わったって言ってない! 服の柄が気になったから呼んだのよ!」


 π(パイ)を引き換えに、俺の脳細胞のいくつかは死滅した。


「は、ハワワー すみませんでした。わざとじゃないんです!!」


 ラブコメの主人公っぽい。わざとらしい謝罪をする。

そう、本当だ。本当に、下心があって振り向いたわけじゃない。


 しかしーー


 まさか既にブラジャーを着けていたとは..。

ノーブラなのかと淡い期待を寄せていたが、確かにブラ無しであの張り具合はないな。

だとするなら、あのブラは俺の母さんから借りたもの..


 勃ちかけていた俺の息子が、急速に萎んでいくのを感じた。


「ま、まぁでも、わざとじゃないなら良いわ..。

あと、私も反射で殴っちゃってごめん..」

「あっはは..。不可抗力なら仕方ないですよ..」


 と、気の落ちている彼女に向かって優しく話しかけてみたのだが、

”反射”? あれが、”反射”なのか? というのが本音。純粋に怖いーー

ラッキースケベ狙いで、不用意に裸体を拝もうとするのはやめようと思った。


「あ、そうだ! それで、結局なんで声をかけてきたんですか?」

「えっと....。だから服の柄が気になって..。ズボンは良いんだけど、上が..」


 俺の背中から、彼女の声が聞こえてくる。

どうやら、服の柄になにか問題があるらしい。

無地のを選んだつもりではあるが、気に入らなかったのだろうか?


「えっと..。これなんだけど..」


 そう言って、俺の膝の上に、パサりと衣服が置かれたので、

それを早速手に取り、例の柄とやらを拝見....。



「え、えっと..。凄い、奇抜..って言うのかな..。前衛的で、お洒落な、感じ..?

その、中央部の髑髏どくろが、良いかんんじの雰囲気を醸し出してて..」

「はい。フォローしなくてい良いですよー(棒読み)

すみません。違うの選びますねー」


 彼女に渡した服は、俺が中学の時に着ていた、髑髏マークのイタイ服だった。

表と裏がひっくり返った状態で手渡したから気が付かなかった。


 中心部にロゴがあり、周囲を kill だとか death だとか、そういう物騒な

ワードが円環に配置されている、上野のアメ横あたりで量産されてそうな服。


 こんなのを実際にどこで買ったかは覚えていないが、

当時はかなりいけてる服だと思っており、よく着ていた記憶がある。


 ♢


 彼女のコーディネートは、紆余曲折を経て、ようやく終わりにーー

いや、まだ終わっていない。俺の後ろでまだ着替えている最中だ。


 結局あの後も棚の中を漁り続けていた所、無地で水色の服が見つかった。

多分、親に買ってもらった奴だろうし、着た記憶もあまりないから、

とりあえずサイズ感を確かめてもらうために試着させている。


 そして俺はまた、邪よこしまな妄想に耽りそうになっていた。

思考を切り替えよう、見ただけでアレルギー反応を起こす物理の公式で中和するのだ。


 学校明けの宿題テストの電磁気の公式..。


 B(磁束密度)× S(面積) =


 あれ? なんだっけ..。思い出せない。ど忘れしてしまった..。


「康太..」

「Φ(ファイ)!!」


 俺は後ろを振り向いた。と、反射で行動し、気づいた時に後悔した。

さっきと同じ流れだ。まだ着替え終わっていなくて、紛らわしい、

別の要件で呼ばれーー


「行こっか..」

「あ..」


 俺の選んだ服装は、

彼女の元来の、感情表現が豊かで情熱的なイメージとはまた違い、

寡黙でクールな、年上のお姉さんのような印象を与えさせる。


 それにくわえ、

自分がかつて着ていた衣服を異性に纏わさせている事に対する背徳感ー

僅か半日で固定された彼女に対する認識のズレーー


 いや、俗に言うのなら、これは『ギャップ萌え』という奴だ。


 俺はまた一つ、彼女に秘められた新たな可能性の扉を

開けてしまったのかもしれない。


 ただーー


 この程度で動揺を見せてはいけない。

自分は手慣れていますし、女性のエスコートなんてお茶の子さいさいよーー

という、余裕な素振りを見せないと、すぐに”キモ童貞”の烙印をはられ


 ラブコメの主人公としての今の俺の地位は瓦解するーー


 さぁ、落ち着いて..。まずは深呼吸


 フゥ


 初めてのデート、だからなんだ? 

俺の高校でモテまくってる同クラの槍岡やりおか君にだって、

最近パパ活に手を染めた俺の従兄弟にだって、誰にだって初めてはあるーー


「えぇ..。では、行きましょうか!」

「えっへへ! 康太とデート楽しみだなー」


 ..........。


 俺の心の中の理性の壁に、ヒビの入る音がした。

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美少女が家にやって来たのだが、一週間でいなくなるらしい。 @kamokira

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