第8話 朝ご飯は大事

「うん..。こちらこそ、宜しくお願いします..」


 そう言って、彼女は正座して、深々と、俺に向かって頭を下げる。

こういう所は、とても律儀で礼儀正しいのだなと感心しつつ、


 俺も再度、「お願いします」との言葉を繰り返し、

彼女のいる方に向かって頭を下げる。


 すると、二人の頭頂部はガツンと当たった。


ー「イタ!」 と、こういう状況における社交辞令的な反応をした二人


 しかし、そのタイミングがあまりにも同じだったから、二人は

顔を見合わせ、「ふふ」と仄かに笑った。


「はぁ..。ところで、今着ているその服は..」

「そう..。康太が昔着ていた奴のおさがり..。私の制服、

消えてなくなっちゃったみたいだから..」


 彼女は俺よりも一回り身長が小さい。

二人で並んで立ったら彼女のてっぺんはちょうど、俺の鼻くらいに位置するだろう。


 今の俺は高校二年の現時点で176cmだから、彼女の身長は恐らく170cm台前半


 日本人の女性にしては、大分背の高い方だと思う。

それに加え、胸は大きくウエストはシャープといった、グラマラスな体型と来たものだ。クラスの中では、確実に1、2番手をはる容貌。


 これが、美少女ーー

そして多分、本人もそれを自覚している節がある。


「どう..。似合ってるかな..?」


 ほらな。この破壊力抜群の上目遣いーー

俺の下半身の棒は、生命の雄大さを感じさせるが如くに反り返り、えらい事になっている。


「に、似合ってますね!!」

「本当? 良かったぁ..」


 彼女はほっと胸を撫で下ろす。俺はスッと横を向き、

もっこりと膨らんだズボンの上で手を組む。


「さて、ご飯食べに行きますか..」

「そ、そうね..」


 話題を変えると、彼女は少し遠慮がちに答えた。

まぁ、無理もない話だ。

自分は、この家に迷惑をかけると思っているのだろう。

全然そんな事ないのに。俺は、彼女と同じ空気を吸えるだけで構わない。


 ジャア


 俺は飯を食べる前に、用を足すためにトイレにいった。

さっきの朝活のせいで俺の竿はすっかり反り返っており、

手で下げるのが大変..。おっと、汚い話はここまでにしよう。


 ♢


「いただきます..」


 母、俺、彼女の三人が今、同じ食卓を囲み、両手を合わせ、

ぺこりと頭を下げた。


 俺はテーブルの上に並べられた品を把握する。


 鮭の切り身、米、味噌汁ーー


 まずは、米をつまみ口に入れる。モグモグと数回咀嚼した後に、

今度は鮭を口に入れる。口内で、米の質感と鮭の塩味がいい感じに混ざり合い、

何とも言えぬ至福のひと時を味わう。


 しかし、肝心の彼女はどこか上の空といった感じで、

並べられた料理をじっと見つめてはいるのだが、なかなか箸は進んでいない。

そして時折、室内をキョロキョロと見回しては、あっと驚いたような反応をするのだ。


 もう食べ始めてからずっとこんな感じで、会話はない。


 と、ここに来て、食事中の母が初めて口を開いた。


「えっと..。自分の名前も、分からないのよね..」

「はい、全部..。今日、お話させて頂いた通りなんです..」


 怯えるような顔を取り繕い、彼女は不自然な表情で応じる。


「そう..。一日休んで、何か思い出したりした事は..?」


 穏やかな口調で、

敵意がない事を示しつつ、若干の懐疑心も含ませた顔で、母は尋ねた。


 しかしーー


「ごめんなさい..」 と、彼女は首を横に振る。


 と、ここまでは昨日と同じだったのだが、その瞬間、

『あっ』と細い声で叫んだ。


「あ..。そういえば、ここに来てからその..、”寒い”んです。

部屋の中と外で、温度が違うというか..。外はあんなに蒸し暑いのに、

ここはひんやりとしているから..。それで思い出したような気がするのが..、

私はここよりもっと、暖かい場所にいたような..」


 暖かい場所ーーしかし、これでは抽象的すぎる。

この部屋は冷房を効かせているから涼しいのは当たり前だ。


 母も同じ受け止め方をしたらしい。一瞬、目を丸く見開いた。

しかし、母は彼女の発言を真摯に受け止め、こう返した。


「えっと..、それはつまり、部屋の外と同じような気温の場所って事?」


 コクリーーと、彼女は頷いた。


「でも、それじゃあ特定のしようがないわ..。夏だもの。それに今は温暖化で、

どこの気温も似たり寄ったりじゃない..」


 確かに。と、これには俺も納得したーー

しかし、ここで母は一つの仮説を立てた。


「あ..。もしかして..。熱中症の後遺症で記憶障害を引き起こしてるなんて事は..?

だからつまり、『暖かい場所』っていうのは、熱中症で倒れる前の、どこか

熱かった場所を、脳が鮮明に記憶していて....」


 この考察には、俺も思わず舌を巻いた。

確かに、熱中症で記憶障害になってしまうという話は、たびたび聞く。


 しかし、彼女はこれに納得していなさげだった。

首を傾げ、思案を巡らせているようだが、新たな手がかりは浮上しない。


 と、ここで母は独り言のように呟いた。


「でも、いきなり康太の部屋に現れたなんて..、おかしな話よねぇ..。

青い猫型ロボットじゃあるまいし..。それに、写真にも映らないなんて、

軽いホラーよね。足はあるから、幽霊って事はないと思うけど..」

「....」


 昨日、母と彼女が、

二人でどのくらいまで会話を交わしたのかは知らないが、

なるほど、例の都市伝説に関するある程度の情報も、既に把握しているようだし..。


 もう、あの記事を直接見せてしまった方が早いと思った。

あれにはまだ言及していないが、重要そうな事が沢山書いてあった。


 そしてその中でも、俺が特に気になっているのは、

来た美少女は皆、『7日間で消える』という情報ーー

あれは本当なのだろうか..? 消えるって、、どういう事だ??


 俺はもう、今の彼女の記憶喪失に関しては、そういう現実的な想像を

超えるものだと思っているし、あの記事通りなら、『戸籍がない』というのは、

文字通りの意味だと捉えている。


 しかし、俺の母はあくまで、これらの超常的な現象を聞き入れながらも、

現実的な路線で議論を進めていきたいようだった。


 だから、食事も終盤に差し掛かる頃に、母はこう付け加えた。


「康太..。あなた昨日、この子に養子縁組の提案をしたようだけど。

それはひとまず保留よ。だって、この子の本当の親が、警察に捜索届を

出している可能性だってあるのよ。だってこの子は、”忘れているだけ”だから」


 ー忘れているだけ


 母は、彼女の記憶喪失を最重要論点として捉えているようだ。


「だから、この子の本当の親が見つかる、それか、この子の記憶が戻るまで、

彼女はウチで保護する。その方針でいきましょう」


 家族の一員として迎え入れるのではなく、あくまで一時的な保護対象。

母の発言には、『一時的に受け入れてあげる。ただ、厄介事は嫌だから、

手の内に引き入れる事はしたくない』という、保守的な彼女なりの思想が

見え隠れしていた。


 しかし、父が単身赴任でいない我が家においては、家計を回している

母が大黒柱だ。あくまで、保護者と子供という関係上、俺に拒否権はない。



 だから、困惑する彼女を尻目に、俺は


「はい..」 と、頷く事しか出来なかった。


 そして、自分の提案を、

”聞き分けのいい”息子に受け入れて貰えた事が余程嬉しかったのだろう。


 母はいつもよりほんの少しだけ語調を上げて言った。


「よし! じゃあ、我が家はその方針でいきます! 分かったかな..?」


 と、母は彼女に視線を送る。

これでは、納得”して貰う”というより、納得”させる”というニュアンスを帯びているのに、この人は気づかないのだろうか? 


 そして案の定、彼女はまだ平静を取り戻さぬままに、


「分かりました..。ありがとうございます..。これから、お世話になります..」


 と、消え入るような声で答えた。


「はい!!」


 すっかり会話の主導権を手中に収めた母は、ここでポンと、一つ手を叩く


「じゃあね..。”記憶が戻る”まで、我が家が預かるという形になったのだけれど..。これから貴方(彼女を見つめながら)を呼ぶ時の、一時的な名前を決めておかない?」


 今まで、ずっと黙り込んでいた俺ではあるが、母のこの意見には賛成だった。


 というのも、やはりいつまでも『君』とか『貴方』で呼ぶと、

日常生活の軽いトークで、どうしても面倒な場面が出てきそうだったからーー


「名前..」


 そして、彼女もここにきて、初めて笑顔を見せた。

俺の顔を一瞥し、クスリと笑う。そんな光景を目の当たりにしたからか、母は言った。


「康太。名前は貴方が決めて良いわよ」


 母は、こういう、自分にとってどーでもいい内容の時だけは、

保護対象である俺の選択を支持する。


「分かりました。じゃあ、俺と彼女の二人で、名前は決めます。

ごちそうさまでした..」


 そう言い、席を立つと同時に、俺は彼女に目線を送る。


「ご、ごちそうさまでした。料理..、とても美味しかったです..」


 意図を察してくれたのか、彼女もすぐに席を立った。


 

 さて、名前か..。どんなのが良いかな..。


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