私のかみさまへ

水辺ほとり

私のかみさまへ

 激しい雨の夜、裏口の扉をノックする音がする。珍しいことではない。家なき人は雨の日に国母の聖堂で屋根を借り、祈りと奉仕を捧げて、晴れると去っていくのだ。

「こんばんは、迷える子よ。国母の聖堂はあなたを歓迎します」

 修道女がお決まりの言葉とともに扉を開けると、そこにはずぶ濡れになった女がいた。紅く豪奢な薄布を纏っているその姿は、紛れもなく娼婦であった。娼館でひどい目にでも合って、逃れてきたのだろうか。修道女が目を見開いていると、入るよ、とぶっきらぼうに言って、娼婦はずんずんと中へ入ってきた。

「あなたのような人には、戻る場所があるのでは……?」

「国母の聖堂は誰でも等しく迎え入れる場ではなかったのかしら」

 きゅっと修道女は唇を引き結び、頷いた。どんなにこの人が卑しく見えたとしても、迷える子として聖堂にきてくださったのだ。歓待し、奉仕をいただき、国母の話を聞いてもらい、同志になってもらう、そのための場が聖堂なのだ。

 修道女は、暖炉に火をつけ、あたたかい風呂を用意した。

「ありがとう」と少し無愛想に言った娼婦は少し気が緩んだようだった。

 ポタポタと髪から水気の滴る娼婦の顔を暖炉が明るく照らしている。改めて見れば、鋭利で美しい顔であった。紅い薄布はその豊満な肉体に張り付き、いやらしい姿かたちを強調していた。

「……何?」

「い、いえ、タオルをどうぞ。お風呂と寝所に案内いたします。清潔な寝間着もお貸ししますので」

 修道女は思わず目をそらした。若い彼女の短い人生の中、今まで関わったどの女性よりも豊かで美しい肉体であった。

 湯から上がった娼婦は、白い修道院の寝間着に着替えていた。湿った体を薄布が包んでいる。

「客人用の寝所はこちらです。朝ごはんは8時からです。おやすみなさい」

 そそくさと修道女は立ち去った。


+++


 8時になっても娼婦は起きてこなかった。10時に寝ぼけて起きてきた娼婦は、食卓に用意された粗末な豆のスープに目をむいた。

「あんた、いつもこんなもの食べているの?」

「何が不思議なのですか?国母の聖堂として、御国からいただいた貴重なお食事です。豆は畑のタンパク質と呼ばれているのですよ」

「こんな貧相なもの食べてるからこんな体なんだよ」

 ふん、と鼻を鳴らして娼婦は笑った。

「構いません。貴女のような人に認めてもらえなくても。我々は御国のために生きているのですから」

 男のために生きている身体ではないと暗に示す。

「言ったわね!今に見ていなさい!」

そう言うと、娼婦は足を鳴らして出ていった。


+++


 午後、礼拝を終えて、昼ごはんを作るか、と腰を上げると、娼婦がのしのしと大荷物を抱えて帰ってきた。

「なんですか、その大荷物は」

「なんですかじゃないわ、食材よ!あんな貧相なご飯じゃ我慢できないわ。台所を借りるわよ」

 断りもなく娼婦は台所へと踏み込んでいく。

「な、何をするんですか!?」

「何って昼食作りに決まってるじゃない。作ってあげるから座ってなさい?」

 にっこりと凄まれて、きれいな顔に修道女は何も言えなくなってしまった。 

 ガタゴトと音がして不安になり覗いてみると、意外にも手際よく調理している。

 しばらくすると肉のこうばしい匂いとパンの優しい香りが漂ってきた。


「はい、たんと召し上がれ」

 食卓に出された3皿を前に、修道女は唇を震わせた。口に入れるのも大変なほど大ぶりな香草ソーセージ、ホカホカと湯気を立てるキャベツと厚切りベーコンのスープ、温められた柔らかいロールパン。

「だ、だめです。こんな御馳走……私、食べたことがありません」

 聖堂の運営する修道院で育ち、聖堂に就いた修道女にとって、このような贅沢は生まれてはじめてだった。修道女にとって、肉とはスープの出汁を取るための薄く硬い欠片でしかなかった。

「あら?いらないならあたしがいただくわ」

 娼婦にそう言われると癪で、ナイフとフォークを手に取り、ソーセージを一口になんとか切り分け、頬張る。

「美味しい、です」と言ってから、ハッとして修道女は恥ずかしくなり頬を染めた。娼婦と出会ってから、思ったことを口にしてばかりいる、はしたない、と自分をたしなめた。

「よかった。これね、あたしを匿ってくれている間は食べさせてあげるわ」

「匿う……?なにかに追われてるんですか?」

「娼館に決まってるじゃない。逃げ出したから追われているのよ。まさか聖堂にいるなんて思わないでしょ?あたしってば頭が切れるわね」とウィンクして、娼婦は大きなソーセージにかぶりついた。

 修道女は、仕方ない、これも国母様の思し召しです、頼れる者がいない女性を守って国母様が怒るはずはありません、と心のなかで言い訳をした。


+++


 娼婦は、思いの外、よく働いた。畑仕事を一緒にしたあと、修道女は庭に自生するハーブを摘んで、聖堂で一緒にフレッシュティーを飲んだ。そうやって日々をともに過ごした。

 聖堂でのティータイムで、娼婦はよく喋った。元々は寒村の出で、口減らしとして娼婦になった。だからたくさん稼いで、たくさん食べれるのが嬉しいんだよ、と娼婦はにっこり笑った。どうして娼館から逃げてきたのかは、どうしても話してくれなかった。

 修道女は彼女の笑顔を美しいと思った。

 聖堂の奥には、白い慈悲の像がステンドグラスを透かした柔らかい光を浴びている。穏やかな国母の胸を刃が貫き、涙をこぼす同志がそれを抱きとめている像だ。何かが胸を咎めて、見慣れた像から修道女は目を逸らした。


+++


 修道女は、いつものように、湯上がりの彼女に朝ごはんの時間を告げると、目を逸し、そそくさと出ていこうとした。彼女は

「ありがとう」と微笑んで、修道女の頬に口付けを落とした。

「ひゃ!な、な、な、何をするのですか……!」

 修道女が猫ならば全身の毛を逆立てているだろう。

「あはは、ウブね。こんなの、あたしたちにとっては挨拶のようなものよ」

「そ、そうなのですか……。他にも私の知らない挨拶があるのですか?」はて、と首を傾げた。

「あら、何も知らないのね。いいわよ、教えてあげるわ。湯浴みが終わったら寝所にいらっしゃい」と娼婦はウィンクした。


 修道女は物知らずだったので、湯浴みが終わると、寝間着のローブに着替えて、素直に娼婦の前に現れた。娼婦は、あたしに転んだわね、と思ってほくそ笑んだ。

「まずは手を握るの」

「手ですか……」修道女はじっと自分の手を見た。農作業をして、奉仕活動に勤しむ修道女の手は日焼けしており、節くれだっていた。一方、娼婦の手は白くふくよかで女性的だった。

「私、貴女のような美しい白い手ではないので恥ずかしいです」

「いいじゃない、あたしは好きよ。それにあなたの声、さえずりみたいで奇麗。この手も、その声も、まるで小鳥ね」

 ふふふ、と笑う彼女に、修道女は困ったように微笑んだ。

「貴女の手、暖かくて、柔らかいです……これからどうすればいいのですか?」

「急がないで。ここからが大事なのよ」

 娼婦は、妖艶に微笑んだ。月明かりが華奢な修道女の鎖骨を照らしている。娼婦の手はゆっくりと修道女の腰に回された。


+++


「どうだった?」

「えっ、あっ。世の人は、こんなにすごいことをしているのだと思いました……。こんな法悦、祈りを通しても得たことはありません。あと、貴女は柔らかいなぁと」

 修道女は桃色の頬で口早に言った。薄い胸が未だに上下している。

 娼婦は修道女の薄い胸を見て可愛らしいと思った。未熟なまま、育ってしまった薄い胸をあたしが徐々に育てたい、と娼婦は不意に思った。寒村で棒切れのようだった自分の手足を思い出し、無性に切なくなった。

「ねえ、こういうことをしたあとは、寝物語を語るのが普通なのよ。何か話してよ」

 明るい口調で娼婦が尋ねると、修道女は困った顔をした。

「うーん、そうなのですか。国母様の逸話でよろしければお聞かせします」

 娼婦はゆっくり頷いた。


+++


 国母様は戦争を勝利へと導き、初代の王としてこの国を治めました。

 国母様と同志様は、聖堂の元になる、民のための小さな学びの館を各所に作り、農業や料理や簡単な薬学を伝えて、民草を潤しました。

 あらゆる仕組みを整え、文字通り、国母様は国の母となってくださったのです。

 しかし、国母様には、戦争で得た病が巣食っていました。

 国母様は、隣国への憎しみが徐々に和らいできているのに、戦争の爪痕で苦しむ姿を国民に見せるわけにはいかない、と決意しました。

 国母様は、信頼する同志様にお願いをして、胸を貫かせました。柄に手を重ね、その刃を更に受け入れて、命を絶ったのです。

 同志様は、国母様を胸に抱いて、涙に暮れました。

 その後、国母様のことを忘れないようにと祈った同志様は、国母様の作った学びの館に国母様の像を作り、配しました。


 そして、国母様の物語が語り継がれるように、と語り部として我々修道女が置かれるようになりました。これが国母の聖堂の始まりなのでした。


+++


 月明かりの中、娼婦はすやすやと眠っている。娼婦の穏やかな寝顔を眺め、像の国母様に似ている、と修道女は思った。

 あのような悦びを修道女である私に教えてくれたのだから、きっとこの人は私の国母なのだ、と稲妻のような確信がはしった。それは、修道女の中で徐々に強まっていった。


+++


 翌朝、なんとなく離れがたくて、修道女はぴったり彼女にくっついてみたり、後ろをとぼとぼと追ったりしていた。

「まるで生まれたてのヒナだね」と娼婦は笑った。



 娼婦と修道女は、この奇妙な生活に慣れてしまった。二人は、一緒に町着に着替えて、市場で食材を買い込み、二人で台所に並んで料理をした。

 修道女は覚えが良く、すっかり娼婦の作るメニューの作り方を覚えてしまった。

「貴女のせいで太ってしまいました」と修道女がむくれると、

「いいことよ、抱き心地が良くなるわ」と娼婦が言って、修道女をたびたび真っ赤にさせていた。


 ある日の夜、気分を変えましょう、と修道女から言われて、娼婦は聖堂にいた。

「いいわね、背徳感があるわ」とにやにや笑う娼婦に、修道女がにっこりと笑った。

「貴女にプレゼントがあるんです」

 ずぶ、と音がして、見れば娼婦の豊満な胸元に包丁が突き立てられ、血が吹き出した。

「な、何を……」

 震えだす娼婦を眺め、修道女は恍惚としていた。

「どうか、どうかお許しください。あなたには国母様と同じ、いえ、国母様を超える魅力があります。ですから、国母様と同じように、同志の手によって殺されなければ完成しないのです。私は、貴女が死してなお、貴女を信仰し続けたいのです。どうか、どうか、私の国母様になってくださいまし」

 修道女は、瞬く間に、剃刀を娼婦の首へ一閃、滑らせた。美しい白い肌から、赤い一筋が迸り、娼婦は崩れ落ちた。

 赤く染まった自分の神となる人を胸に抱いて、修道女は慈愛に満ちた笑顔になった。奇しくもその姿は、背後の絶命した国母を抱く同志の像と同じであった。


+++


 この法悦を他の同士にも伝えたい、と修道女は思った。

 はやる気持ちで返り血を浴びた服を脱いだ。

 初めて会った晩に娼婦が着ていた、紅い薄物を纏い、隣町の国母の聖堂へ走り出した。

 肉付きの良くなった肉体は、バネのようにどこまでも走れる気がした。

 息を切らせながら、聖堂の扉を叩いた。

「こんばんは、迷える子よ。国母の聖堂はあなたを歓迎します」

 隣町の修道士が湯浴みを勧めてくれた。

会ったことがあるのに、薄物に包まれて、くっきりと浮き出す柔らかな女体の線に目を奪われて、顔に気が向かないのだろう。

 

 湯浴みを終えたあと、寝所に修道士を引き込み、彼女は女を教えた。


 翌朝、用意してあった客人用の服を纏い、聖堂に彼女が現れると、修道士は刃を向け、彼女の胸を貫いた。

「どうか、どうか、私の国母様になってください……」

 彼女はこの法悦をもう他の人間に伝えることはできないのだと絶望した。

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