第23話 ルールシェイドが踏んでいた(6)

 朝食の間、少女たちに取り囲まれていた。


 フィオは湯浴みの準備のために出て行っており、ユキとルナの二人。俺は黙々とパンを千切り、口の中に放り込む。一通りの給仕を終えた少女二人は、息を殺した野生の獣みたいに、俺のそばで待機している。一挙手一投足をジッと観察されており、非常に落ち着かない。


「二人も、いっしょに食べないか?」


 無駄口を叩いてみる。


「ご、ご冗談を、そんな恐れ多いことは……」


「私たちの食事は、殿下が終えられた後になりますので」


 まあ、予想通りの答えが返って来る。


 ちなみに、食事は美味しかった。


 ご飯の時間だから、食卓に移動する――そんな当たり前は公爵家の人間には関係ないらしく、ソファーに座っていた俺の前に、わざわざローテーブルが運ばれてきて、色々な料理が並べられた。ホテルのバイキングみたいである。子ども一人には多過ぎるけれど、余ったものが使用人の食事になるので、無駄にはならない。


 起き抜けで機嫌の悪いルールシェイドならば、ジュースだけ飲んで、「もういらない」と、テーブルを蹴っ飛ばすことも珍しくなかったようだ。


 当然ながら、料理は床に散らばり、全部ダメになる。足元に転がるリンゴを踏み潰しながら、「おい、部屋が汚れたぞ。ボーっとするな、早く掃除しろよ」と、女官たちを怒鳴りつけ……ああ、ダメだ。ルールシェイドの記憶を辿っていると、所々でイライラさせられる。不必要には思い出さない方が、俺のメンタルのためには良さそうだ。


「二人は、好きな食べ物は?」


 沈黙が息苦しくて、俺は雑談を振ってしまう。


 返事は、なかなかやって来ない。


 振り向くと、ユキとルナは顔を見合わせている。


 俺の視線に気付くと、青ざめ、怖々という様子で口を開く。


「私は、タマゴ料理ならば、なんでも……」


「……アップルパイです」


 二人は絶望的な表情を浮かべながら、砂糖や塩、ソースなどの調味料が入った小瓶の準備をはじめる。俺の手元あたりに、震える手で並べていく。


「どうぞ」


「……え?」


「え?」


 俺が戸惑うと、二人も首を傾げた。


「あの、申しわけございません。違いましたか? 私たちの好きなものを訊かれましたので……。タマゴ料理に砂糖や塩を振り撒いたり、アップルパイをソースの海に沈めたり――そんな風に遊ばれた後で、私たちに食べろと仰られるのかと思いまして……」


「おおぅ」


 返事の代わりに、うめき声が漏れた。


 すごい。


 真逆の意味で、ルールシェイドに対する信用の深さ。


 性根が腐っていることへの理解度が高すぎる。


 自己紹介してもらったので正確に判明したけれど、彼女たちは、今年で14歳である。現代で云えば、中学二年生。上流階級の人間として、家を背負っている自負などあるのかも知れないけれど、ルールシェイドに仕えて半年以上、よく耐えてきたものだ。


 ルールシェイドの悪役貴族らしさを理解しているということは――。


 それだけ、理解させられるような目に遭ってきたわけで。


 思わず、涙がこぼれそう。


「お、お待たせしました!」


 湯浴みの準備に出ていたフィオが、元気よく戻ってきた。


 さて。


 ユキ、フィオ、ルナの三人娘。ルールシェイド付きの女官ということで、ひとくくりの扱いをしているけれど、実はそれぞれキャラクターが立っている。良くも悪くも、最初からわかりやすかったのが、フィオである。赤毛のひとつ結びで、三人の中では一番小さい。ルールシェイドにビクビクしているのは三人とも変わらないものの、フィオは持ち前の元気さ、明るさが、時々、わかりやすく表面に出ていた。


 ここで、俺は、彼女をさらに理解する。


 彼女はどうやら、大雑把な方らしい。


 属性で云うならば、ドジっ娘というヤツである。


「あっ……」


 湯を張った桶を抱えていたフィオ。


 部屋に入ってきたところで、タイミングよく転ぶ。


 吹っ飛んだ湯桶。


 見上げる暇もなく――。


 見事に、俺の頭上から降りかかった。


 一瞬で、ずぶ濡れ。


 オチとして、からっぽの桶までパコンと頭に落ちてきた。


 痛くはないけれど、コントみたいなテンポ感に理解が追い付かない。


 しばらく、ポカンと呆ける。


「ル、ルールシェイド殿下!」


 三人が悲鳴を上げる。


 まあ、相手がルールシェイドでなくとも、ここは悲鳴を上げて当然だろう。


 目上の人間に対して、結構なやらかしである。


 ちなみに、俺は笑ってしまった。


 我慢しようと思ったけれど、笑い声がだんだん漏れる。


 シンプルに、バカバカしい状況だし――。


 直属の部下である女官にお湯をぶっかけられるルールシェイドという構図は、なかなか面白いじゃないか。ざまあみろ、みたいな気持ちになる。まあ、現在のルールシェイドは俺以外の何者でもないため、濡れた髪からポタポタと雫を落としながら、ゲラゲラ笑っている姿は、彼女たちには異様に見えたかも知れない。


 死刑宣告でもされたかのような顔で、三人が集まってくる。


「あ、あの……その、殿下……」


 腰かけているソファーまで、びっしょり濡れている。


 俺の足元に、フィオだけでなく、連帯責任ということなのか、ユキとルナもひざまずく。


「お、お許しください」


 ほぼ、土下座。


「いいから。顔を上げて」


 俺は、軽い調子で声をかけるものの――。


 誰一人として、顔を上げようとはしなかった。


「……ん?」


 三人とも、何かを待っている様子だった。


 俺は理解が及ばず、しばらく膠着した状態になってしまう。


「……あ、あの。発言を、よろしいでしょうか?」


 ユキが、かすれた声で訴えはじめる。


「いつものように、罰をお願いいたします。それで、どうかお許しを……」


「罰?」


「はい。どうぞ、踏んでください」


「……うん?」


 ピコン、と。


 なにやら、閃きのようなものが生じる。


 残念ながら。


 嫌な予感だったけれど。


「ちょっと待って」


 頭を下げたままの三人には申しわけないと思いつつ、俺は大急ぎで、考えを巡らせていく。ルールシェイドの記憶を探ってみれば、じわじわと胸糞悪い光景が浮かんでくる。女官たちにミスがあったときは、ここぞとばかりに責め立てていたルールシェイド。罰という建前を振り回して、これまで様々な嫌がらせを行っていた。


 最近のお気に入りだったのは、まさにこれである。


 女官たちを踏む。


 罰とは云えども、ケガをさせるのはマズいという認識はあったらしい。手を振り上げたことは、一度もなかった。問題にならないラインを狙っているあたりが、小賢しく、余計に性格の悪さを際立たせている。


 ニヤニヤと笑いながら、女子の顔を足蹴にするルールシェイド。


 苦痛ではなく、屈辱を与えて、それを罰などと呼び――。


「あー!」


 俺は思わず、納得の叫び声を上げてしまう。


 大声に、びっくり仰天。三人娘も、何事かと顔を上げる。


「……あ、いや、なんでもない。気にするな。別に、お前たちのことを怒ったわけじゃないから……だから、気にしないでください、本当に」


 ヒメカミは、俺を踏んだ。


 なんで……と、思わされた出来事だったけれど。


 ヒメカミは、俺の記憶は読み取れず、ルールシェイドの記憶だけ見ていたわけで――当然ながら、ルールシェイドが女官たちを踏んづけて、嘲笑あざわらっていた様子も知っていたことになる。普段から他人を足蹴にしている人間が、突如として、逆に、強者から踏まれる立場に……それはまあ、これ以上ない屈辱かも知れない。


 ヒメカミの思考が、遅れて理解できた。


 やったね……という気分にはなれず、俺は頭を抱える。


「なんて、くだらないオチなんだ」


「で、殿下? もしかして、体調が悪いのでは……?」


 ヒドいことを行わないルールシェイドというのは、これまで苦労しながら接してきた彼女たちからすれば、違和感の塊だろう。ルールシェイドには恨みや憎しみを抱くぐらいでちょうど良いと思うけれど、しっかり心配してくれる。この献身には報いなければいけないだろうなと、俺は頭を抱えたままで考えていた。

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悪役が最強をめざしてなにが悪い? ~理想の仲間を集めてジョブチェンジ、レベル1の悪役貴族からはじめる成長譚~ クロノペンギン @Black_Penguin

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