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 つまり、小室哲哉さんの音楽作品を商業主義音楽だと言って批判する人に言いたくなる僕の言葉は、それでは、あなたが評価する音楽作品は商業的ではないのですか、というものだ。同じではないですか、と。


 僕は、商業的かどうかという軸を持ってきてはダメだと思う。


 それにしても、何故これほど商業的な成功を志向して音楽作品が制作されることに嫌悪感を覚える人が多いのであろうか。


 たぶん、それは、商業的な音楽作品は藝術的ではない(藝術性が全く無い)と思われているからではないか。

 

 藝術的ということは、つまり、或る天才によって或る美しい志向(美しい目的とそれを達成したいという純粋な創作慾求)で制作された、ということだろう。


 この文書のタイトルは「商業主義者は創作慾求を抱いているか」である。この問いの答えは、どうなるか。


 唐突かも知れないが、AIによる音楽生成サービスを想起してみる。現在、有名なWebサイトでは、言葉を入力して生成する方法(ジャンルを選択したとしても、それもまた言葉である)が一般的のようだ。ジャズとか、サクソフォンとか、入力する訳である。


 さて、これらの言葉は創作慾求と言えるであろうか。僕は、言えると思う。


 入力者の、人を愉しませられる軽快なリズムで音楽を生成させたい、というような志向が、ジャズという言葉になっていると考えられるからだ。


 それでは、ジャズやサクソフォンではなく、儲かる音楽、という言葉を入力した場合はどうであろうか。或いは、儲かるジャズ音楽、という言葉を入力した場合はどうであろうか。


 もしかしたら、AIが進化すれば、この言葉で実際にそういった音楽作品が生成されるようになるかも知れない。音楽市場調査や社会心理学を取り込んで。


 儲けたい、という言葉ではどうであろうか。この場合は、儲けたいという気持ちを表現した音楽、が生成されると思う。


 当たり前の結論を言うことになってしまうのだが、儲けたいという目的と、音楽作品を誕生させたいという慾求は別のものである。いかに商業的な成功をも志向していたとしても、音楽作品が制作された限りにおいて、そこに何かしらの創作慾求があったことは間違いないのである。儲けたいという気持ちだけで、音楽作品が誕生することはない。つまり、「商業主義者も創作慾求を抱いているのである」。


 商業主義音楽という言葉は、言葉として何かおかしいと僕には思える。


 それでも、未来は分からない。


 AIが怖いのは、儲かる音楽を生成、という命令が(上で書いたように)成立しそうなところにある。AIにおいては、儲けるためだけの音楽を生成できるようになるかも知れないと想像できてしまうのだ。

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商業主義者は創作慾求を抱いているか 森下 巻々 @kankan740

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