TENT

千原良継

TENT

「……焦げてる」


「キャンプで食べるご飯はおこげがあるのが醍醐味なんです。知らないんですか?」


「うん、真っ黒に炭化したご飯が半分を占めるのを『おこげ』って呼ぶのは知らなかった」


「うるせえです。新体験は脳細胞に刺激を与えますから、私のおこげ部分を分けてあげます」


「わー俺のメスティンが闇に溢れる」


「闇って言うな」


 不貞腐れた後輩のメスティンからドバドバと闇の塊が俺のメスティンを浸食するのを、俺は溜息をつきながら眺める。


 夜のキャンプ場。食事時の今は、周りに焚き火の明かりがあちこちにあって、いつも通りのにぎやかさだ。


 数年前からのキャンプブームで、訪れる人は溢れかえるほどだ。


 中学生の頃から一人でキャンプをしていた身としては、あまりの変化に未だに戸惑いを感じずにはいられない。


 特に。


 目の前にいるぱっと見アウトドアに興味を持つとは思えない女性と、キャンプに来ることになろうとは。


「……何ですか、人の顔見て複雑そうな顔して。言っておきますが、この純白のお米は渡しませんよ?」


「俺の白米が黒米載せになったのは、後輩のせいなんだが」


「カレーみたいじゃないですか。黒米ルー」


「イカ墨カレーみたいに言うな」


 じゅうじゅうと暴力的な音を奏でる肉を食べながら、後輩と語らう。


「いやー、やっと夢が叶いました! アニメで見て一回キャンプってやってみたかったんですよね!」


「女子高生がキャンプするやつか」


「そうですそうです。女子高生とかわざわざ強調する先輩は事案ですね」


「そういう事言うヤツの肉なんかこうだ」


「あー私のカルビ!」


 噛むと溢れる肉の旨味と脂の旨味。そこへ流し込む冷たいビールのなんと気持ちがいい事か。


 思わず喉を鳴らしながら飲んでいると、強烈な視線を感じた。


「……なんだよ、その目は」


「いや美味しそうな顔で飲むなあと思いまして」


 そう言いつつも後輩の視線は俺の顔ではなく、右手に掴んだアルミ缶に注がれている。


「わた」


「飲ませんぞ」


「はっや! 私、単語の一つも言ってませんよ!」


「私飲みたい、と顔に油性マジックで書かれてるじゃねーか」


 一口で残りを流し込む。「えー」という残念そうな声が聞こえるが気にしない。


「二十歳未満が酒に興味持つな。というか、他人が酒飲んでる姿なんてバイト先でさんざん見かけてるだろうが」


「来週で二十になるんで秒読み段階じゃないですか。誤差です。それに仕事中にそんなの気にしてませんよ」


 俺と彼女の関係を一言で言えば、居酒屋のバイトの先輩と後輩だ。大学の先輩と後輩でもある。さらに言えば、クラブの先輩と後輩でもあった。先輩と後輩が重複しまくっているが、まあそういう関係である。それ以上でもそれ以下でもない。


「後輩の憧れていたキャンプって女子高生が主人公のアニメだろ? 酒はイメージに合わないだろうが」


「何言ってるんですか、むしろお酒飲んでへべれけになるのが当たり前ですよ」


「どういうことなの」


 女子高生がお酒飲むのか? いいのかそれ?


「よーし、じゃあ寝る前に私のスマホで一緒に見ましょうか! アマプラ入ってるので全話マラソンでもいけますよ!」


 そう言って後輩が後ろを振り返る。そこにあったのは、一張のテントだった。俺が大学一年の時にバイトの初任給で購入したテントだ。二人用のテントで、荷物と自分が余裕で入る大きさが欲しかったので、吟味に吟味を重ねた代物だった。二人用だが今まで一度もその用途で使ったことはない。


「……なあ、後輩」


「なんですか先輩」


「今更何だが本当にこのテントで寝るの? 大丈夫か?」


「はあ? 何言ってるんですか、他にテント無いじゃないですか」


「いや、だってさ」


「先輩と男女のあれこれなんて想像するだけ時間の無駄です。あり得ないです。冗談は先輩が生まれた事だけにしてください」


「存在を否定された」


「今更、私達にそんな事ありえないですって。そんな展開あるんだったら、とっくになってますよ」


「確かに……それはそうか」


 もうお前ら付き合っちゃえよ、と言われるほど何かと一緒にいることが多い俺達だが、本当に気が合うだけの関係で恋愛関係のあれやこれやは無縁であった。


「それに大丈夫! 信じてます、私! ヘタレの先輩を! 魔法使い予備軍の先輩を! 安心安全! 草食系バンザイ!」


「殴りたいその笑顔」


 とりあえず後輩が大事に大事に育てていた分厚いカルビをかすめ取ってやった。おまけに、プシュッと気持ちのいい音を響かせたビールを、ゆっくりと目の前で味わってやった。ムシャムシャしてやった。反省はしていない。草食系だけに。


「あー! あー!」


 と悲痛な声を上げる後輩の顔は、良いつまみになったと言っておこう。


 その後、テントの中でそれぞれの寝袋に入ったまま、後輩お勧めのアニメ鑑賞となった。


 面白かった。へべれけだった。


 そして、眠たくなった俺達は、そのまま眠りにつく。


 いつも通り。


 何事もなく。






「……ん、……さん」


 誰かに呼ばれているような気がする。それに肩をゆさゆさと揺さぶられている気がする。


 俺はゆっくりと目を開ける。


 テントの入口から日が差している。いつのまにか朝が来たようだ。ぐっすりと眠っていたらしい。


「おーきーてー!」


 俺の身体を揺さぶっているのは、小さな女の子だった。ぼんやりとしながら上半身を起こす。


「おとーさん、おきるのおそーい!」


「おとーさん……?」


 寝ぐせを直しながら呟く。隣を見る。後輩の姿は寝袋に無かった。あれ? 後輩の使ってた寝袋ってこんな色だったっけ?


「はーやーく、おーきーてー!」


 首を傾げていると、小さな女子が俺の腕を掴んで起こそうとしてきた。


「ちょ、ちょっと勘違いしてないか? 俺は、お父さんなんて呼ばれる年齢じゃないんだが」


「んー?」


 女の子がいぶかしげに俺の顔を見つめる。思わずじっと見つめあってしまう。


 ……どこかで見たような面影と謎の親近感を覚えてしまうのはなぜだろう。


「あの、君は」


「おかーさーん! おとーさんがへんなこといってるー!」


 言いかけた言葉は、女の子がテントの外に出て行ったことで中断されてしまった。


 なんなんだ、これは。他人のテントに入ってくるなんて、最近の親はどういう躾けしてるんだ?


 一言文句言ってやろうかと、寝袋から抜け出す。俺の化繊のペラペラな寝袋が、なんだかダウンが入ってるような気がするほどフカフカだが、そんな事気にしてる暇はない。


 テントから出て身を起こす。振り返って確認すれば、やはりそこにあるのは俺のテントだ。いつものテント。……ちょっと色落ちしてるような気もするが、こんなもんだったろう。


「ねーねー、おとーさんがへんなんだよー?」


「はいはい、お父さんが変なのはいつもの事でしょー?」


「いつもだったー!」


 近くで明るい声がした。振り返る。


 そこにいたのは後輩だった。木製のテーブルの前で、あの小さな女の子と椅子に座りながら話している。


「……後輩、だよな?」


 ただし、雰囲気が違う。肩よりも短めの髪の毛が、それよりも長くなっている。来ている服が違うのは、朝だから当然であるが……しかし、あんな落ち着いた服を着ているのは見たことが無い。


 雰囲気が違う。いや、というよりも年齢が違うというべきか。少なくとも五歳以上は違いそうな感じだった。


「後輩、とは懐かしい呼び方ね、お父さん」


「お父さん……」


 頭がうまく働かない。まだ酔っているのであろうか。それとも、これは夢なのだろうか。


「あなたが変なのはいつもの事だとしても、今朝はいつもより変な感じね……」


 目の前の後輩なのに他人のような後輩が、んーと指を唇に当てる。その仕草さえも違和感を感じる。


「んー? 確かこんな感じのあなたが以前も……あれは確かここのキャンプ場で……あー。あー! あー!」


 しばらく考え込んでいた女性が、何かに気づいたような視線を俺に向ける。


「あー、ほー、へえ……ふうん?」


 何かにやにやと得体のしれない笑みを浮かべている。


 女の子の方も女性と俺に交互に顔を向けながら「ふうんふうん」と真似をしている。


「成程成程。これはあれだ。あの時のあなたへのアピールタイムってわけだ」


「アピールタイム?」


「あぴいたいう?」


「惜しい。ちょっと残念」


 女の子の頭をなでなでしながら、女性がもう片方の手で俺を手招きする。


「ともかく、こっちに座りなさいな。お腹空いたでしょ。朝ご飯食べましょう」


「朝ご飯……いいのか、俺が食べても?」


「食べてくれなきゃ困るかな。ほら座って」


「いや、しかし……」


「おとーさん、ごはんたべないの?」


 女の子が俺の手を握りながら話しかけてくる。


「あのな、俺は君のお父さんじゃ」


「はいはーい、いいから大人しく椅子に座ってー」


 肩を掴まれて女性に無理やり椅子に座らされた。


「痛っ」


「あら、ごめんなさい。お詫びに朝ご飯はどうかしら?」


「……いただきます」


 いささか強引な彼女に招待に、しぶしぶと頭を下げる。不思議な空間だった。ここはいったいどこなのか。見える範囲は普通のキャンプ場だった。椅子に座りながら、周りを見渡す俺を見て、後輩に似た女性が苦笑する。


「そんなに見渡しても変化はないわよ」


「変化?」


「それはいいとして。はい、出来ました。朝ご飯!」


「あさごはんー!」


 よっぽど頭が混乱しているのだろう。気が付かないうちに、テーブルの上には食事が並んでいた。


 炊きたての白米が盛られたメスティンに、昨夜作ったものなのか柔らかい牛肉が入ったビーフシチュー。黄金色に輝く目玉焼きとソーセージが、熱々のスキレットの上でじゅうじゅうと美味そうな音を立てている。


「簡単なメニューだけど、キャンプの朝には一番でしょ?」


「……ビーフシチューをキャンプで食べるのなんて初めてなんだが」


「朝は温めるだけだから簡単なんです」


「おかーさん、おいしー!」


「ふふふ、もっと褒めていいよ。お母さん、喜んじゃう」


「てんさーい!」


「いえーい」


 目の前でパチンと手を合わせる二人を見ながら、白米を頬張る。噛む。噛む。……ごくりと飲み込んだ。


「……うまい……」


 思わず声が漏れる。


「おいしーね、おとーさん!」


「……ああ、そうだな」


 訂正するのも忘れて、頷く。女の子は嬉しそうな表情で、スプーンでビーフシチューを口に入れていく。


「ほら、こぼしそうだよ」


「んー」


 女の子の口元を拭きながら、女性が俺を見つめる。


 そして楽しそうな目で言ってくる。


「料理美味しいでしょ?」


「……ああ」


「後輩さんはね、『あの時』はじめて炊いたご飯だったのよ? 誰かにけなされて内心滅茶苦茶ムカついてたらしいわ」


「……」


「闇とか。黒米とか。随分とひどい事を言う男もいたものよね」


「……それは申し訳なく」


「まあ、復讐心に燃えた後輩さんはそれからメラメラと上達するんだからいい機会になったんじゃないかしら」


 そこで女性は、目の前の料理を手で示した。


「もう一度食べて見て? 感想を聞かせてくれる?」


 ゆっくりと味わう。テーブルに並べられた全てを食べ終え、手を合わせた。


「……ご馳走様でした。本当に美味かった」


「また食べてみたい?」


「そうだな、何度でも食べたい味だった」


「じゃあ、これが一つ目のアピールね」


 女性が指を一本立てて笑う。一つ目とは、と聞こうとした瞬間、小さな風が飛び込んできた。


「おとーさん、あそぼー!」


 すでに食べ終えて、周りをかけていた女の子が戻ってきて俺の太ももに飛び乗ってきた。


「え、あの」


「遊んであげてやって。この子、あなたと遊ぶの大好きなんだから」


「はーやーく! ブランコあったからいこー!」


「お、おい」


「いってらっしゃーい」


 手を振る女性に見送られながら、その後数時間元気な女の子を相手することになった。








「つ、疲れた……」


「すう……すう……」


「お疲れ様。よく眠ってるわね」


 背中におぶった女の子を女性に返したのは、そろそろお昼になろうかという頃だった。


「んー、お昼は無理かな。起こすの無理そう。テントの中に寝かせてもらえる?」


「……了解」


 背中から一度おろして、抱っこしながら、テントの中の寝袋に入れてやる。なんとなく、俺の寝袋にした。なんだかそうするのが自然なような気がした。


 汗に濡れて額に張り付いた髪の毛を整えてやると、無意識なのか俺の指を掴んできた。安心したような寝息が聞こえてくる。


 そっと指を離すと、俺は静かにテントを出た。


 女性は木製のテーブルに座りながら、俺を見ていた。


「可愛いでしょ?」


 何が、とは聞き返さなかった。


 ただ声もなく頷いた。


「それが二つ目。たった二つだけど、なかなかのアピールだと思っているわ」


 それからまたテーブルについて、彼女と話をした。色々な、でもどうでもいいような事を沢山。そして、すこし時間が経った頃、話題の切れ目に沈黙が降りた。


「……あの、ね」


 女性は少し緊張したような、でも確信しているような声で言った。


「あなたにとっては、もしかしたらこれは一つの可能性なのかもしれない。ありえるだろう沢山の道の、ありふれた一つなのかもしれない。でも、私はきっとあなたは『ここ』を選んでくれると思っている」


「……」


「お願いね、また帰ってきてちょうだい。そして、また私達と会いましょう」


 眠気が襲ってくる。


 女の子と遊んだ疲れが、今になって効いてきたようだ。


「眠そうな表情ね」


「少し寝てくる……」


「そうね、起きたらおやつにしましょう。あの子が好きなホットケーキにしましょうか」


 そんな声を背中に聞きながら、テントに近づく。


「おやすみなさい」


 そんな小さな声が聞こえたのは気のせいか。


 女の子が寝息を立てる寝袋に入るのは邪魔をしそうだ。俺はその隣に横たわると、目をつぶった。






 睡魔は静かにやってきた。






「……い。………ぱい?」


 誰かに呼ばれているような気がする。それに肩をゆさゆさと揺さぶられている気がする。


「めんどくさいな、起きてくださいよ」


 ドスっと音がした。


「ぐおおおおおおおっ!」


 鳩尾に深いダメージを受けた俺は、飛び起きた。ペラペラの化繊の寝袋が俺を包んでいた。


「……は?」


 周りを見渡す。「やっと起きた」とため息をつく後輩がいる。思わず髪の毛を見る。


「髪の毛が短い」


「へ? 何ですか、いきなり怖い事を。私が寝ている間に髪の毛が伸びて縮んでとかどういうホラーですか」


 不審そうな後輩を無視して、キョロキョロ周りを探す。


「何探してるんですか? スマホですか?」


「いや、ほらいたじゃないか、小さな女の子が」


「……小さな女の子」


「俺をお父さんと呼んで懐いてくる可愛い子で、そんで……」


「……先輩」


 ポンと後輩が肩に手を置いた。


「ん? なんだよ、俺はあの子を探して」


「事案です。警察行きましょう」


「なんでそうなるんだよ!!」






 テントから出ると、そこには女性も女の子もいなかった。


 昨晩のままの椅子やテーブル、焚火台がそこにあった。


「夢だったのか」


 小さく呟くと右手を見つめる。指を掴んでいた小さな力が、まだそこに残っているような気がした。


「ちょっとそこの小さな女の子に興味津々で正直付き合い方を考えて行こうかなーと感じている先輩さん」


「うるせーわ! そういう言い方止めてくれないかな!」


 振り返る。


「……!」


「どうしたんですか?」


 テーブルに座った後輩の姿が、夢で出会った女性と重なったような気がした。


「なんでもない」


「そうですか」


 言いながら、後輩がメスティンを手に持つ。


「とにかく朝ご飯にしましょう! ご飯炊きましょう! 今度こそ成功する気がするんですよね!」


「いやだから、まずは水をしっかり量ろうよ。なんで目分量なんだよ、玄人肌の素人ほど危険なものはないんだよ」


「大丈夫です、心配しなくてもおこげの美味しい所は譲りますので!」


「それ絶対黒……いや、すまん」


「?」


 慌てて口を塞ぐ。きょとんとした後輩に、俺は笑いかけた。


「そうだな、期待してる。成功するのを俺も祈ってるよ」


 俺の言葉に、後輩の頬が緩む。テントを背景に後輩が言った。


「まかせてください! 美味しいの食べてもらいますよ!!」






 ◆◆◆◆◆◆






「……そうだな、まずは3年くらいゆっくり待つとするかな……」


「何言ってるんですか先輩、頭大丈夫ですか?」

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TENT 千原良継 @chihara

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