チェーンメールの今昔について(2022年3月発売の某オカルト記事から抜粋)

@onikiri

第1話

2022年3月発売の某オカルト記事・p41 「今月の一言コラム」から抜粋



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○チェーンメールの今昔について


古くから信じられてきた概念として、「言霊信仰」というものがある。

言葉には霊力が宿っており、口にした言葉が現実になるというものだ。内容の真偽は関係なく、言葉にした思念がそのまま本物になる。

その点から考えると、所謂「忌み言葉」も言霊の一種と捉えられる。現代でも4と9を死と苦に捉えて避ける風習があるように、それらは内容の真偽に関わらず守られ続ける集団心理となっている。

靴下を履いたまま寝るのは縁起が悪いとか、掌をしきりに眺める人は近いうちに死ぬとか、死に関する噂は科学的根拠の有無を問わず同列に語られる傾向がある。


2010年頃に流行ったチェーンメールも、その類の迷信だ。

「メールを受け取っただけで死ぬ訳がない」といいった常識とは裏腹に、受け手には「無いとは思うけど万が一があるかもしれない」という僅かなしこりが残る。それはチェーンメールを次に回してしまう人も、嘘と断じてメールを止める人も、例外なく誰もが感じる恐怖だろう。この恐怖は心のしこりとして記憶の片隅に残り、大人になった後ふとしたキッカケで呼び起こされたりする。


だが、チェーンメールを本当に迷信だと切り捨ててしまっても良いのだろうか?

もし呪いの手紙をルーツとするチェーンメールに“本物”が混じっていた場合、それはどのような意味を持つのだろうか?


言葉というものは霊力を持ち、その真偽に関わらず内容を“信じ込ませてしまう”事は先程触れた通りだ。しかし現代において、生身の言葉は昔ほど重視されなくなった。スマートフォンの普及により、人々は対面や電話ではなく文字を用いたコミュニケーションを選ぶようになった。

リアルタイムの文字は、言葉の拡散力を遥かに凌ぐ。その場に居る人間にしか届かなかった演説を、誰もが不特定多数に向けて行えるようになり、情報発信に対する敷居は凄まじい勢いで低下した。人々は朝食を食べるよりも気軽に言葉を世界へ放てるようになり、受話器を掴むよりも早く情報を仕入れる事ができるようになった。


もし呪いの手紙の目的が「不特定多数に言葉を信じ込ませる事」だとすれば、ワンタップで多数の知り合いに転送できるチェーンメールは、呪いの手紙よりも効率よく呪いを拡散可能なことになる。

そして現代ではSNSやネット記事という新たなメディアが登場し、文字の拡散力は目にも止まらぬ早さで更なる進化を遂げている。



ところで先ほど「植え付けられた恐怖はふとしたキッカケで呼び起こされる」と書いたが、具体的に恐怖が呼び起こされるキッカケとは何なのだろう?


呪いの手紙が形を変えて現代まで生き延びているとして、「不特定多数に言葉を信じ込ませる事」で何が起きるのだろうか?


「この情報を拡散しないと貴方は死にます」なんて突飛な話を広める事で、メリットを得られるのは一体誰?


人は未知や不安、そして好奇心によって恐怖をより深く偏ったものへと進化させていく。

極端な話それは「貴方は死ぬ」というメールでなくてもいいかもしれないし、死を連想させるネガティブな話題なら何でも良い可能性だってある。


貴方が日常的に読む全ての文章がチェーンメールではない確証は、果たして何処にあるのだろう?


チェーンメールは、本当に死を呼び起こさないのだろうか?




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以上がカクヨム投稿用の抜粋記事


(パターン57)




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