ヴァンピュール
接木なじむ
001
四月二十八日
春爛漫。
陰鬱な気分になる暇すらないほどに澄み切った青空から、
そんな日。とある日曜日だ。
世間は、やれ十連休だとかどうとかで騒いでいるが、私には、そんな黄金に光り輝く大型連休などは存在しない。学校が休みなら、こうして仕事があるだけで、私の貴重な青春を、社会のために費やしている。
そう。
花の女子高生が! 公共の利益のために! 身を
「はあ…………」
まったく、ため息の出る話だ。
いや、ボランティアではないだけ、まだましなのかもしれないが、それでも半ば強制的にこの仕事に就かされているのが事実だ。こればっかりは運が悪いと諦めるしか、この現実を受け入れる方法はないし、それが大人というものなのかもしれないが、まだまだ、運命とかいうやつに期待していたい思春期真っ盛りの私には、それを受け入れることは決して容易ではない。
これまでの悲運もこのための伏線だったのだ!
と。
そう思えるほどの運命的な再会。そんなものが、この私を待ち受けているのなら、ゴールデンウィークだろうが、夏休みだろうが、正月だって、喜んで社会のために働こう。社会全体の幸福のために、この身を捧げよう。
だがしかし、現実はそう甘くない。私の勤めるこの職場は、乙女が思い描くような、ドラマチックでロマンチックなラブロマンスとは一切無縁だ。
そこにあるのは、運命の出会いではない。
私を待ち受けているのは――、
怪物との出会いだ。
そんなわけで、休日であるはずの日曜日の昼間から、やりがいも胸のときめきもないこんな仕事に精が出るわけもなく、巡視しているふりをしながら、適当に時間を潰しているのだが……
暑い! とにかく暑い!
この頭に血が上るような感覚は、休日に働かされていることへの激しい怒りからだと思っていたが、どうもこれは、暑さでのぼせているだけのようだった。
このままでは、私の生命が危ない。
そう悟った私は、過激な陽射しを避けるように街路樹の影へと入り、ペットボトルの水を勢いよく呷る。そして、長袖の制服の袖を捲りながら、一息吐いた。
つつと、汗が背中を伝った。
そのじれったい感触に、夏の湿っぽい空気感を錯覚してしまう。
本当に、今にも蝉の声が聞こえてきそうな暑さだが、頭上を見上げれば、まだ真新しい
「…………いや――」
新緑は夏の季語だったな。
「もう春じゃないのか……」
突如、天啓のようにして舞い降りた事実に、理由もわからない曖昧な焦りを感じながら、それらを流し込むように、もう一口、水を飲んだ。
そして、十分に潤った脳で、ふと思う。
こんなに暑い日には、吸血鬼も外に出ないのではないだろうか……
私を追い越していった二人組の女性、反対側の歩道を急ぎ足で歩くスーツ姿の女性、コンビニから出てきた大学生風の若い女性……
街行く女性たちを手当たり次第にじろじろと観察してみるが、決して怪しい人物はいない。
本当に……
本当に吸血鬼はいるのだろうか――。
吸血鬼の存在が初めて明らかになったのは、今から十五年前、イギリスでのことだった。とある田舎町で、吸血鬼を生きたまま捕らえたというニュースが飛び出したのだ。
伝説の怪物が実在していたというだけで、世界を驚かすには十分な大ニュースだったが、それだけではなかった。
その捕らえられた吸血鬼を写した映像がどこからか出回り、その映像の中で吸血鬼はこう言った。
『我々は世界中にいる』
その一言は、世界を、震撼させた。
これは後から聞いた話だが、当時の日本は、実に悲惨な状況だったらしい。
吸血鬼であると言いがかりをつけられた人が迫害される、いわゆる「吸血鬼いじめ」問題や、それに関連したと思われる自殺者の急増化、さらには、私的制裁を行う自警団が吸血鬼と疑わしき人物を公開処刑する集団ヒステリーが相次いで発生するなど、社会は混乱、混迷を極めていたという。
当時、まだ幼かった私には、その惨劇を理解することはできなかった。その頃の記憶は酷く曖昧だし、不鮮明で不確かである。
だが、それでも、できることなら思い出したくはない、苦しい記憶だ。
それから、世界各地で点々と吸血鬼が見つかり、捕らえられた。その総数は、現在までで九件と数が少なく、ここ日本では、未だ捕獲した例はない。
捕らえられた吸血鬼は、各国の研究機関で調べられ、以下のことが判明している。
一、人間の血を吸う。
二、人間の血を飲むかぎり、老いることも、死ぬこともない。
三、人間の女性の姿をしている。
四、得体の知れない力で男性を魅了する。
以上が、吸血鬼の主な特徴だが、それ以外にも、生殖機能は有していないこと、高い再生力を持つこと、また、紫外線に弱く、長時間晒されていると皮膚が炎症を起こすことが特徴として挙げられている。
逆に言えば、上記に挙げた特徴を除けば、人間の女性のそれと何ら変わらず、これまで創作の世界で語られていたような、怪力や変身する能力などは有していない。それ故に、武装組織や、もっと言えば、吸血鬼ハンターのような対吸血鬼を専門とする部隊は必要ないとされ、既存の警察組織だけで十分対処できるとされた。
だが、ひとつだけ問題があった。
それは、先に挙げた、得体の知れない力で男性を魅了するという能力だ。
その能力について簡単に説明すると『目が合った男性を恋に落とす』という能力である。つまり、人間の男性は、吸血鬼と目が合うと恋に落ちてしまう、というなんとも可笑しな能力だが、実際に、この力にあてられた研究員が、吸血鬼の逃亡の手助けをしたり、警察官が、検挙した吸血鬼を見逃した事件が実例としてあり、悪用しようとすれば、いくらでも悪用できる能力であろうことが考えられ、決して笑えるようなものではないことは確かだ。
この能力は『魔性の力』と呼ばれ、その仕組みについては何ひとつ解明されていない。しかし、男性を魅了するという説明からもわかる通り、女性にはその効果を発揮しない。
そこで用意されたのが、私たちだ。
自主防犯組織ローレル。
街に潜む吸血鬼を摘発するための組織で、私と同じく、うら若き女子高生たちが働いている。
その活動の主目的は、先に言った通り、吸血鬼を見つけ出し、警察に引き渡すことなのだが、これまで吸血鬼を検挙した例が一件もない現在においては、防犯パトロールをしながら、街中で困っている人の手助けや、傷病者の救命活動などが活動の中心になっているのが実情だ。
とは言え、女子高生にできることなどたかが知れていて、十全にできることと言えば道案内ぐらいなものだ。応急処置技能等、一通り教育は受けているが、発生した問題はその道の専門家に任せるのが一番である。応急的な対応をした後、然るべき機関にいち早く連絡するよう指導されている。
それなら女子高生なんぞにやらせなければいいという意見もあるし、ごもっともではあるのだが、その女子高生にしかできないことがあるのだから仕方ない。
「そう、仕方ないのさ」
いつの間にか、空になってしまったペットボトルを見つめながら、ため息代わりにそう呟く。
今日みたいな暑さの厳しい日には、熱中症の傷病者が多く発生する。そのことを予見して、応急手当て用にペットボトルの水を何本か用意していたのだが、その水は、今しがた飲み干してしまった。
仕方ない。そこのコンビニで、補充するか。
「はあ、仕方ない、仕方ない」
自分に言い聞かせながら、コンビニに入ろうとした、そのときだった。
視界の端で『影』を捉えた――。
影。
夏の上澄みのような空気感とはまるで対照的な、暗く濁った色に身を包んだ、細い影。
それは、角を曲がって、こちらの方へふらふらと歩いてくる。
つばの広い帽子を目深に被り、季節外れのケープコートとロングスカートで全身をくま無く覆い隠した――『影』という表現がこの上なくぴったりな――その姿を見て、私は直感的に思った。
――不審者だ。
見るからに怪しい風貌。
こんなにもわかりやすい不審者がいてもいいのだろうかと、不安になってしまうほど、あからさまに不審者だった。
そして、感じた。
そこに確かな根拠はなく、言うなれば勘で、直感で、第六感で――そんな私の曖昧で、しかし、確かな何かが告げていた。
あれは、私たちの探している怪物だ――
と。
私は即座に応援を求める無線を飛ばした。
「こちら、
『了解』
応答が返ってきたのを確認して、私はその不審人物の元へと足早に向かう。
急速に距離が縮まっていき、残り十数メートルになったときだった。そいつがこちらを視認して、一瞬たじろいだ。
――間違いない。黒だ。
私は駆け足で近づいて、声をかける。
「こんにちは。わたくし、こういうものです」
社名が書かれた腕章と、首から提げた社員証を見せて、問いかける。
「少々、お時間よろしいでしょうか」
「…………はい」
そいつは、か細い声で応えた。
「ありがとうございます。最近、この街で吸血鬼と疑われる人物がうろついているとの通報がありまして、警戒を強化しているところなんです……検査にご協力お願いできますか?」
などと適当な理由をつけて、私は検査用の紫外線ライトを取り出し、そいつに示す。
「………………」
そいつは、少しの間を空けて、何も言わないまま、こくりと頷いた。
呆れにも、諦めにも取れる、微妙な間だった。
私は「ありがとうございます。では、失礼しますね」と言って、早速そいつの細い手首を取って、袖を捲り、肘の内側に紫外線ライトを当てる。
病的なまでに白い肌。
一見、そこまで歳をとっているようには見えないが、肌に張りがない。
「お姉さん、華奢ですね。羨ましいです」
「………………」
「お名前を伺ってもいいですか?」
「……
「浅井さん。こんな日に、そこまで厚着して暑くはないですか?」
「………………」
「くれぐれも、熱中症には気を付けてくださいね」
「…………はい」
「倒れられてしまったら、私たちの仕事が増えてしまうので」
と、皮肉めいた冗談を口にすると、そいつは意外な反応を示した。
「ふふっ……そうですわね」
その予想外に上品な仕草に、思わず顔を見上げたとき――
そいつと、目が合った。
「――――!」
綺麗な瞳だった。
まるで、月の見えない夜のような、透明感のある深い青。そんな瞳が、切れ長な目の輪郭に囲まれ、
そこに自分が映っていると思うと、何故か
熱い。
顔が、身体が、熱い。
額に汗が浮かび、夏が頬を伝う。
途端に、前髪は崩れていないだろうかとか、汗臭くないだろうかなどと、自分の体裁が気になって、彼女の前にいるのが恥ずかしくなってくる。
「……どうかしましたか?」
「えっ、あ、いえ! こ、これからどこかに向かう途中だったのですか?」
何故か、しどろもどろになりながら、そう尋ねると、彼女は「ええ、少しそこまで」と静かに答える。
それに対して、私は「そ、そうでしたか! 宜しければ、そこまで送りますよ!」などと、まるでナンパしているような台詞を口走る。
「いえ、結構ですわ」
彼女はあっさりと断る。
すると、私はどうしてか、酷く気を落としてしまって「すみません、迷惑でしたか……?」などと、妙なことを吐かしてしまう。
「迷惑もなにも、あなたが私を検査するために声をかけられたのではありませんか。それとも、あなたは、本当にナンパをするために声をかけたのですか?」
そう言って、彼女は、ふふと笑う。
その仕草は、妖艶――と言っていい笑い方だった。
私は、もう、恥ずかしさで、顔が燃え上がるように熱くなってしまって、まさに汗顔の至り。自分でもわかるほど真っ赤になってしまっていた。そんな顔を、彼女に見せられるわけがなくて、とにかく恥ずかしくて、深く俯きながら、途中だった質問を繰り出す。
「お、お住まいは、この辺なのですか?」
これは、吸血鬼の多くは定住地を持たないと言われていることから、声かけの際によくされている質問事項であって、決して、個人的に彼女の住まいが気になったわけではない。
彼女は、淡々と答える。
「はい。ここから、歩いて五分ほどです」
私は、また質問する。
「御家族はいらっしゃいますか?」
これも、吸血鬼は生殖機能を持たないことから、よくされる質問事項で、決して個人的に彼女の身辺が気になったわけではない。
今度も彼女は、淡々と答える。
「いえ。今はもう独りです」
「じゃ、じゃあ――」
私は言った。
「恋人はいますか?」
「えっ?」
彼女は呆気に取られた表情をする。
「え、あれっ? 私、今、なにを…………」
自分の口から飛び出した、思いがけない質問に自分でも驚きながら、私はこうも思った。
やっぱり、まだ春だったかもしれない。
ヴァンピュール 接木なじむ @komotishishamo
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