理解されない話
九戸政景
理解されない話
「……はあ、今日も生きていられる。なんて幸せなんだ」
ボロボロの衣服に伸びっぱなしのひげや髪、ざらついた肌に穴だらけの靴、とその姿を見た人々が嫌悪感を抱くような格好だったが、楽にとっては幸せそのものだった。
「家にいても縛られてるような感じがして嫌だったし、この方が落ち着く。はあ……幸せってこういうものなんだろうな」
楽は微笑む。ホームレスの仲間もいて、炊き出しで食料も確保でき、寝床の段ボールもある。それが楽にとっての幸せだった。
そんなある日、河原に敷いた段ボールの上で寝転んでいた楽のところに身なりの良い男性が近づいた。
「君、そこで何をしているのかな?」
「何って……段ボールの上で昼寝ですよ。あなたは誰ですか?」
「私は……そうだね、慈善家のようなものだ」
「慈善家……ああ、僕達のような生活をしてる人を助けたいと思ってる人ですね。生憎ですが、それならよそに行った方が良いですよ。僕は今が幸せなので」
「そうだろうか。ふかふかの寝具に雨風をしのげる家、美味しい料理や帰りを待つ家族。それがある生活の方が幸せじゃないかな?」
「そう思う人は多いと思うのでそっちに行った方がいいですよ」
楽はそっけなく返す。しかし、慈善家の男性は笑みを浮かべながら楽の手を取った。
「私は君が気に入ったんだ。君ならば素晴らしい人物になれるよ」
「え?」
「さあ、行こう。君にとって素晴らしい生活が待っているよ」
「ちょ、ちょっと!」
慈善家の男性は楽を引っ張っていった。しばらく歩いてたどり着いたのは豪邸であり、メイドや執事に迎えられながら楽は応接室に通された。
「さあ、座ってくれ」
「あなた、結構強引な人なんですね」
「まあそうだね。さて、君には仕事をお願いしたいんだ」
「仕事?」
「そうだ。私の秘書として様々な雑務をこなしながら勉強をして行ってほしい。そしてゆくゆくは私が持つ会社の一つを受け持ってほしいんだよ」
「でも、どうして僕が? 僕なんて就職難であぶれた上に家族にも見放されたような存在ですよ?」
楽が首を傾げると、慈善家の男性はにこりと笑った。
「そういう若者はハングリー精神に満ちているからね。私は特にそういう若者を支援したいんだよ」
「要するにあなたにとって僕もそう見えた、と。それはちょっと見当違いなんじゃ……」
「そんな事はないさ。君もここでの生活をしていけばより良い生活を求めるようになるよ」
「はあ……まあちょっとはやってみますけど、そんなに期待しないでくださいよ?」
それから楽は慈善家の男性の秘書として生活を始めた。これまでとは違う豪勢な生活に楽は驚く事も多かったが、どうにか順応していき、任される仕事も少しずつこなしていった。
その内にやる気も出始め、慈善家の男性に仕える使用人達からも慕われるようになると、メイドの一人から告白をされた。楽にとってそれは驚く事であり、恋人など出来なくても良いという考えだったが、周囲は乗り気であり、楽もそれに押される形で婚約し、慈善家の男性が持つ会社の一つを任されるようになると同時に結婚をした。
「幸せな毎日にしましょうね、あなた」
「あ、ああ……そうだね」
幸せそうな妻に対して楽はどうにか笑みを浮かべながら答えた。そして会社の社長として仕事に励み、家ではよき夫として振る舞う内に会社の業績は上がり、二人の間には二人の子供も生まれた。
楽の生活を羨む声は多く、かつて楽を追い出した家族やホームレス時代の生活に対して陰口を叩いていた人々も楽にすりより始め、その対処にも追われる日々となった。
楽自身も幸せな事は幸せであったためにその生活を続けており、楽はいつしか成功者であるとメディアなどで取り上げられるようにもなっていた。
「……この景色、やっぱり綺麗だな」
ある日、楽は広々とした社長室の窓から外を眺めていた。上質でシワ一つないスーツに切り揃えられた髪とひげの剃り残し一つない肌、照明を反射する程に磨かれた靴にがっしりとした体格、とホームレス時代からは考えられない程に楽の格好は変わっていた。
壁際の棚にはこれまでの楽の数々の功績を讃える物品が飾られ、楽を慕う社員達が下では働き続けるという誰もが羨むような光景がそこにはあった。
「……よし、やろう。仕事を任せた秘書が戻って来ない内に」
楽は頷いた。そして窓を開けるとそのまま身を投げ出した。勢いよく落下していく楽の体はやがて地面に叩きつけられ、割れた頭からは多量の血が流れだし、落下の衝撃で体の骨は砕けていた。
落下してきた楽の遺体にその場にいた人々は悲鳴を上げたり警察や救急車を呼ぼうとしたりしており、程なくして警察と救急車が到着したが、楽は即死していた。
『次のニュースです。ホームレスから大企業の社長への転身を遂げた転石楽さんが社長室から落下し亡くなりました』
悲壮的な表情でアナウンサーが告げる楽のニュースに人々は悲しんだ。楽を連れてきた慈善家の男性や家族は何故そんな事をしたのかと嘆き、社員や秘書もその死を悼んだ。
そしてその葬式は大々的に行われ、参列者達は誰もが悲しみながら楽の会社の業績について話をし、まだ亡くなるような人間ではなかったと悲しんでいたが、笑顔を撮された遺影の楽の表情は誰よりも幸せそうな物だった。
理解されない話 九戸政景 @2012712
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます