エピローグ 〜女帝になっても愛が重すぎる件〜

「はぁ〜、疲れたっ」


 盛大にため息をつくと、寝間着に着替えたエリシャは、宮殿の自室のベッドに勢いよくダイブした。

 彼女がベッドの上でぐったりするのを眺めつつ、俺は苦笑して言った。


「お疲れ様、エリシャ。……いや、皇帝陛下ってお呼びしたほうがいいかな?」

「…………二人きりの時にそんな呼び方したら、しばらく口をいてあげないからね?」


 エリシャはベッドから顔を上げると、ジト目で俺をにらんできた。


 ――ヴァルドのクーデター未遂から二月ふたつきが経っていた。

 ヴァルドの所業は世に知らしめられ、ヴァルドに連帯していたアルフレッド、なんとか火の海から生き延びた次兄のメレトは司法によって正式に処刑が実行された。

 メレトは死ぬ間際まで見苦しく騒いでいたが、アルフレッドは立派にヴァルドの腹心としての役目をまっとうしていった。


 皇帝は俺の強さに相当ビビったらしく、約束通りエリシャに皇帝の座を継承することを正式に布告した。

 エリシャの皇位継承については、皇家の他の連中から反発があったらしい。

 だがヴァルドのクーデター阻止に加え、二大名家の支配を終わらせたことで民衆のエリシャへの支持は大きく、流れを止めることはできなかったようだ。

 加えて――エリシャのそばには、今回の働きで近衛騎士にじょせられた俺が常に控えている。

 実力行使に出て、俺を敵に回すような愚は犯せないようだった。


 そして――今日、ついに戴冠たいかん式を終え、エリシャは正式に皇帝となった。

 ここ数週間は戴冠式の準備やら、新しい宰相の任命などにバタバタしていたため、エリシャもやっと肩の力が抜けたのだろう。

 ちなみに余談だが、皇帝と騎士になったため、俺とエリシャは士官学校を中退する運びとなった。

 まぁ皇帝に学校に通っている時間などあろうはずもないので、こればかりは仕方あるまい。


 俺が物思いにふけっていると、エリシャがベッドの上から枕を投げつけてきた。


「おっと。いきなり何するんだよ、エリシャ」


 俺はとっさに枕をキャッチしてから、エリシャに尋ねた。


「せっかく二人きりになれたのに、随分と上の空じゃない? そんなに私といるのは退屈かしら?」

「そんなわけないだろ」


 すねたように唇を尖らせるエリシャに、俺は再度苦笑した。


 ――皇帝になっても、エリシャはエリシャのままだな。なぜだか俺はそのことがむしょうに嬉しかった。


 俺がにやにやしていると――突然部屋のドアが開いて、室内に見慣れた少女が入ってきた。


「エリシャさん、カイルさん、お疲れ様です〜……って、はっ!? 男女が二人きりで、女性が無防備にベッドに寝転がっている……これはいわゆる、ベッドシーンが始まる直前の流れなのでは!?」

「……………………お前も本当に相変わらずだな、クラリス」


 俺は頭痛をこらえるように額を押さえて、部屋に入ってきたクラリスに目をやった。

 彼女は白地のゆったりとしたローブを身にまとい、当たり前のように部屋の中を突っ切ってベッドのそばに腰を下ろした。


「エリシャさん、戴冠たいかん式お疲れ様でした! すっごくカッコよかったですよ!」

「ありがとう、クラリス。でも、ここからが本番よ」

「ついに新しい体制の統治が始まるんですよね! 私、すごくワクワクしてます!」


 クラリスは明るい声でエリシャに話しかけながら、ベッドで寝転がるエリシャに魔法をかける。

 毎日の日課として、エリシャの健康状態を検査しつつ、疲労した筋肉の治癒などを行っているのだ。


 クラリスはエリシャからのたっての頼みで、エリシャの専属治療師に任命された。

 まだ政敵の多いエリシャにとって、信頼に足る治療師の存在は絶対に不可欠な存在だ。

 俺の護衛があったとしても、食事に毒を盛られたり、病気で体調を崩したりといった危険は十分にありうる。

 専属治療師になってくれと頼まれた時、クラリスは一も二もなく頼みに応じてくれた。

 今はなきモルダード王家の末裔まつえいとしても、新たな皇帝であるエリシャがどんな政治をするのか間近で見ておきたい……というのもあるのだろう。


「やっほー。お疲れ、カイルっち」


 クラリスの後から室内に入ってきたカミラが、俺に向かって片手を上げてきた。


「そっちこそお疲れさん。クラリスの護衛、ありがとな」

「ま、ひとりでダンジョンに引きこもっててもしょうがないしね。やることがあったほうがあーしも楽しいよ」


 カミラはエリシャとなにやら取引したらしく、クラリスの護衛についてくれていた。

 皇帝の専属治療師という立場もあって、エリシャ自身を除けば、クラリスは真っ先にエリシャの政敵に狙われる可能性がある。

 そのため、クラリスに護衛は絶対に必須なのだが、エリシャとクラリスが常に行動をともにするわけではないのもあり、俺ひとりでエリシャとクラリスを守るのは至難の業だった。

 そこで、カミラに白羽の矢が立ったわけだ。


 エリシャが一体どんな取引を持ちかけたのかは知らないが、カミラにとってもかなりメリットのある取引だったらしい。

 カミラは特に文句を言うこともなく、クラリスの護衛を務めていた。

 それだけでなく、クラリスが士官学校をやめて正式に専属治療師になるまでの間、彼女と一緒にダンジョンにもぐってレベリングにも付き合ってくれていたようだ。


 と、部屋のドアがノックされ、ドアの向こうからメリエルの声が響いた。


「エリシャ様、来月から始める政治施策について、何点か細かい部分を確認したいのですが……」

「入っていいわよ」

「失礼します」


 言って、メリエルはドアを開けて部屋に入ってきた。

 室内にやたら人が多いのを見ても驚いた様子もなく、いつものことかと苦笑しながらベッド脇まで移動し、エリシャと打ち合わせを始める。


 メリエルは士官学校を続けながら、放課後の時間を使ってエリシャの秘書として政治面をサポートしてくれていた。

 本当は学校をやめてフルタイムで働きたいようだが、生徒会長代行を引き継げる相手がおらず、仕方なく二足のわらじを続けているようだ。

 将来的にシャフレワル王家を継ぐ際にも、エリシャとの親交や秘書の経験は役に立つだろう。


 ベッドに腰掛けたエリシャと、彼女の側に集まった仲間達の姿を見て、俺はなんとなく頼もしい気分になっていた。

 ――まだまだ政敵は多いし、不満分子もいるっちゃいるが……まぁ、なんとかなるか。


 そんなことを漠然と考えていると、エリシャが俺にジト目で視線を送ってきた。


「カイル。そんなところにいないで、あなたもこっちに来て話を聞きなさい」

「えっ? いや、俺は政治のことはさっぱりわからんし……」

「バカ言わないで。あなたは最終的に皇帝になる予定なんだから、今のうちから政治のことも理解しておかないと困るわよ?」

「いや、だから……………………って、は? 今なんて言った?」


 俺が間抜けヅラで問い返すと、エリシャは大真面目な顔で繰り返してくる。


「だから、あなたは最終的に皇帝になるんだから、政治のことも理解したほうがいいって」

「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってくれ! なんで俺が皇帝になることになってんだ! ありえないだろ、そんなことっ!」

「ありえないわけないでしょう」


 エリシャは呆れたように嘆息してから、続ける。


「あなたは私の剣なんだから、私はあなたを手放すつもりは絶対にないわ。つまり、あなたは私と結婚することになる。すでに婚約の手続きも進めているわ」

「え? は? いや、そんな話、全然聞いてないんだが……」

「言ってなかったもの、当然でしょ?」

「いや、教えてくれよ! ってか、勝手に結婚の話を進めるなって!」

「…………もしかして、カイルは私と結婚するの、いやだった?」


 エリシャは急にしおらしい顔をすると、目をうるませながら上目づかいで見つめてくる。

 うっ……め、めちゃくちゃかわいい…………


「い、いや……嫌ってことはないし、むしろ嬉しいけど……」

「そうよね。知ってるわ」


 俺が答えると、エリシャは涙目と上目づかいをやめて、急にサバサバとした態度に戻って続ける。


「それに、私達の結婚は政治の面でも非常に重要なの。クーデターを阻止して禅譲ぜんじょうを受けた皇女と、二大名家の支配を終わらせた英雄が結婚する……市民の支持は絶大になるし、他の皇家はますます私達に手を出せなくなるわ」

「そ、それはわかったが……なんで俺が皇帝になるって話に?」

「今の帝国が、微妙なバランスで成り立ってるのはわかるでしょう? 帝国の貴族は二大名家の恩恵や抑圧から解放されて、自分たちの身の振り方を考え直してる真っ最中。モルダード王国やエルロード王国を始めとした帝国から独立したい人達は、いつか来る反乱のチャンスに向けて準備を進めてるはず」

「あ、あぁ」

「私とあなたの婚約と結婚で、数年は大規模な反乱は抑え込めるでしょう。国民から絶大な支持を受けた皇帝に反旗をひるがえすなんて、味方を減らすようなものだもの。でも、数年経って私達の実際の評価が定まれば、話は変わってくる」

「つまり……国民が熱狂から冷めて、冷静になったところで大規模な反乱が起きると?」

「そう。そうなった時のためにも、第二の手を打っておく必要があるのよ」

「ちょっと待ってくれ。それが、俺が皇帝になるって話とどうつながるんだ?」


 俺が疑問をぶつけると、エリシャはなぜか頬を染めているクラリスを指差してから、続ける。


「だから、反乱分子を抑え込むためにクラリスの素性をバラして、彼女をのよ」

「……………………すまん。なんか今めちゃくちゃなこと言ってなかったか? 誰と誰が結婚するって?」

「あなたとクラリスよ」

「ちょっ、ちょっと待て! どうしたらそうなるんだ!? 俺はエリシャと結婚するんだろうが!?」

「そうよ。でも、あなたには私ともクラリスとも結婚してもらわなくちゃならない。つまり?」

「……俺が皇帝になって、クラリスを側室に迎えるってことか」


 俺が答えると、エリシャは「よくできました」と言いたげに大きくうなずいた。


「いや、そもそも俺を皇帝にするなんて、皇家のやつらが黙ってないだろ」

「そうかしら? あの連中が恐れているのは、私じゃなくてあなたのほうよ? もちろん反対はするでしょうけど、国民に反対されないだけの政治的な実績をあなたが持っていれば、皇家も何も言えないと思うわ」

「いや、でも、他にも方法はあるんじゃないか? クラリスを出世させるとか、モルダード領の領主に据えて徐々に独立させていくとか……」

「それでもいいんだけど……クラリス、あなたはどうしたい?」

「わ、私は……っ!」


 クラリスは耳まで真っ赤になりながら、熱に浮かされたように俺を見つめながら、たどたどしく口を開く。


「私も、カイルさんと結婚したいですっ! モルダード領の独立もちゃんと目指したいですけど……そのために、カイルさんを諦めるなんてしたくありませんっ!」

「お、おう……」


 俺が答えに困っていると、エリシャがひじで俺をつついて返事をしろと促してくる。

 頭を抱えたい衝動を抑えながら、俺はなんとか答えをひねりだす。


「え、えーっと……気持ちはめちゃくちゃ嬉しいんだが……お前は側室でいいのか? お前くらい美人なら、引く手あまただと思うが……」

「カイルさん以外と結婚なんて考えられませんっ! っていうか、私のファーストキスを捧げたのに、責任を取らないつもりですかっ!?」

「うっ…………わ、わかったよ!」


 俺が言うと、クラリスは極度の緊張から解放されたように、その場に腰からへたり込んだ。

 彼女のそばに寄り添いながら、エリシャは俺に向けてぐっと親指を立てて見せる。


 と、横から服のそでを引っ張られ、俺は反射的にカミラのほうを見た。

 彼女は俺を見上げながら、にししとイタズラ好きの子どものような笑みを浮かべた。


「カイルっち。悪いけど、あーしもエリーと取引してんだよね。クラリスを守る代わりに、って」

「は、はぁっ!?」


 俺が驚いて、エリシャとカミラを交互に見やる。

 エリシャは「取引したけど、何か?」みたいな澄ました顔で俺を見返してきて、カミラはませた女児のように両手を後ろに組んでもじもじとしている。

 俺は両手で頭を抱えながら、二人に尋ねた。


「…………ちょっと待ってくれ。色々混乱してる。どうしてそうなったのか、一から説明してくれないか?」

「カイルっち、あーしを殺せたのに殺してくれなかったじゃん? あれ、あーし的に結構困ってるのよ。確かに友達はできたけど、生きる目的もなく一生生き続けるのは、やっぱしんどいじゃん? だからカイルっちには責任取って、あーしのを作ってもらおうかなって」

「つまり、それが子ども……ってことか。てか、そもそも人間と魔族の間に子どもって作れるのか?」

「んー。あーしとカイルっちなら、なんとかなるんじゃない? ほら、カイルっちも半分魔族みたいなもんだし」


 そう言われるとそうなのかもしれんが……まさかエリシャがそんな取引をしていたとは、正直想像の斜め上を行っていた。


 ……ちょっと待てよ。この一連の問題、全部政治絡みの話じゃないか?

 俺とクラリスが結婚することで反帝国勢力を抑え込み、カミラを引き入れたことでクラリスの身の安全を確保した。

 これほど重要な作戦を、秘書のメリエルが知らないわけないよな……?


 俺がメリエルに視線を向けると、彼女は申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「黙っててごめんなさい、カイルくん……エリシャ様から、戴冠たいかん式が終わるまで口止めされてたのよ……」

「いや、それはもういいんだが……」

「あっ! も、もしかして、私からも結婚を迫られると思ってる!? わ、私的にはなしじゃないっていうか、結構ありなんだけど、今はまだそういうこと考えられる時期じゃないというか、もうちょっとお互いを知り合ってから……」

「いや、君はそのままでいてくれ、頼むから……」


 これ以上、人間関係がややこしくなってはかなわん。


 俺は盛大にため息をもらしてから、エリシャに視線を戻した。


「……それにしても、いくらなんでもちょっと強引すぎないか?」

「そうかしら? でも……そうね」


 答える前に、エリシャは少しだけ自嘲するように笑った。


「あなたが天涯てんがい孤独だなんて言うから、普通の家族よりずっとにぎやかで、温かい家族を作ってあげたくなったのよ」

「……そんなことまで考えてくれてたのか」

「まぁね。それに……私も、家族にはあまり恵まれなかったから」


 そう言って苦笑するエリシャを、クラリスが瞳をうるませながら横から抱きしめた。


「うぅ……エリシャさん! エリシャさんは私が絶対に幸せにしてみせますからねっ!」

「あ、ありがとう、クラリス。私も、帝国があなたから奪ってしまったものを、少しでも返せるように頑張るわ」

「そんなこと気にしないでくださいっ! みんなで幸せになりましょう! …………はっ!? これは別に、多人数でナニをしようとか、そういうことを言ってるわけではありませんからねっ!? でも『プレイがマンネリ化したな』という時には、私もやぶさかでは……」

「お前は綺麗に話を締められんのかっ!」


 俺は全力でクラリスにツッコミを入れてから、思わず吹き出す。


 ――確かに、バカバカしいくらいにぎやかで、温かくて、楽しい家族だな。

 他のみんなが笑顔になるのを見て、俺は胸いっぱいに幸せを噛み締めていた。

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ラスボス一家の六男に転生してしまったので、無双しないと生き残れない……! 森野一葉 @bookmountain

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