傷痍軍人と光る文字盤
加賀倉 創作
傷痍軍人と光る文字盤
漆喰の天井には、切れかけの、ちっぽけな豆電球がひとつ。
狭く薄暗い部屋の端に、細い鉄パイプのベッドがひとつ。
そこに独り、横たわる私。
私のベッドのそばに、太い四本脚の、木製の丸椅子。
ベッドの向かい、天井と同じ材質の壁際に、埃の被って
戸棚の内包物は、古時計とラヂオ。
古時計は、文字盤が緑に光っているので、薄明かりの中でもはっきりと見える。
二十三時四十五分。
ラヂオからは、聞きたくもない情報が垂れ流されている。
——今日未明、ルースキー連邦政府は、新大陸連邦と目と鼻の先にある西インド諸島沖、及びブリタニア王国沖への、原子力潜水艦派遣を完了したと発表。その数も、積載の兵器の詳細も不明だが——
私は、そのラヂオの停止ボタンを押したい思いにかられ、つい癖で肩を動かすのだが、手は届かない。いや、そもそも私には、戸棚に手を伸ばして、指先を器用に動かしてラヂオのボタンに触れることすら不可能である。理由は簡単だ。私は両腕を欠いている。肩から先は、存在しないのだ。おまけに、両足も、膝上までしかない。つまりは、四肢が無いに等しい。いつまで経っても
——混沌としているのは、アトランティック世界に限った話ではない。オリエント世界情勢の見通しもつかない。ハシブヨン帝国は先月、核保有宣言をしたばかり。新大陸連邦の諜報機関Mibによると、ハシブヨン帝国は、ルースキー連邦から核弾頭の供与を受けているものと見られる——
明るい話ではない。ラヂオから私の耳へと届いて鼓膜を振るわせる音波も、さして体に良いものではないようだ。意識を再び遥か昔へと飛ばす。深夜、意識を失った私を乗せた偵察機は、黒菱半島南部の森林に墜落した。炎上した機体は、山火事になる程でもない所詮
——え……速報です。今、私の手元には二種類の原稿があります。一方は私が独自に作成したもの。もう一方は新大陸連邦放送局上層部作成のもの。私は今から、前者を読み上げます。これは、朗報ではありません…………悪い知らせです。ルースキー連邦は、わが同胞ピチュゴリニク帝国による黒菱半島沿岸への爆撃の報復措置として、核兵器を使用すると見られていましたが……ルースキー連邦は、ついに核兵器を、使い…………ませんでした。そしてたった今、新大陸連邦、ブリタニア王国、ピチュゴリニク帝国、シオン共和国の四国では、反政府組織による同時多発クーデターが起こり、各国首脳は拘束されました。これが私なりの抵抗です。どうか皆さんお幸せに、それではさようなら…………おっと、誰か来たようです——
ラヂオのスピーカーの向こうで、
「貴様! なぜこっちを読み上げなかった!? 後悔するんだな!」
と、別の男が怒鳴る。
そこで、バン、バン、バンと銃声。
ラヂオキャスターの声は二度と聞こえなかった。
私は最期にほんの少し報われたと感じた。最期の最期に、世界の転換を確認できたのだから。ここでちょうど、五粒目の薬が聞いてきたようだ。心臓がおかしい。芋虫のような私は、声を上げることも胸を抑えることもできないが、いずれ闇は暴かれる。正しき光によって。できればそれは、この薄暗い部屋に昼夜怪しく緑に光る、ラジウムの蛍光塗料のような、紛い物の光によって、ではないのが望ましい。横目で見る緑色の光は、二十三時五十九分を私に教えてくれる。私の命は終わり、私の目には二十四時零分は映らない。時計は止まっても、世界は終わらない。進み続ける。
私は常闇へと誘われ、目を閉じた。
傷痍軍人と光る文字盤 加賀倉 創作 @sousakukagakura
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