あるZの幽霊の話

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 樺太の南端に今ではコルサコフと呼ばれている地域がある。日本の統治下にあった頃は大泊と呼ばれていた土地だが、その前もロシアの土地であったから、大泊町であった頃は和風建築と西洋建築が入り乱れた独特の地域であったそうである。


 さて、このコルサコフにある教会の裏にグレイブヤード、日本語で言う墓地があるのだが、この墓地には幽霊が出るとの噂がある。あるものは日露戦争で倒れた兵士の怨霊であると言い、またあるものは激動の時代に引き裂かれた恋人への未練を抱いて死んだ少女の亡霊であると言うが、実際はそのどれでもない。そもそもこの墓地に現れるのは人の幽霊ではない、物の幽霊なのである。


 突然だが、幻燈というものをご存知だろうか。幻燈機は映写機の元になった機械で、ガラスに書かれた絵画を幕へと映し出す絡繰である。ガラスに載せられた絵の具が後ろの光源を透かして映るのだが、初期も初期の幻燈はオイルランプの光を光源に使っていたので、その揺らめく様子が映し出された絵の陰影を形作り、後年の白熱灯の幻燈よりもより怪しげで生きているかのような像を映したものだった。


 コルサコフの幽霊も仕組みは同じで、そこに棄てられた物の強く覚えている記憶を幻燈機代わりの何かが揺らめく炎で映し出し、その陰影で兵士の怨霊にも少女の亡霊にも見えるというわけである。


 それでは、コルサコフの幻灯機とは何のことだろうか。これを知るためには、先ほども例に上げた兵士と少女の記憶を持ったカメオのペンダントについて語るのが良いだろう。


 このカメオのペンダントが作られたのは 1884年、イタリアはトーレ・デル・グレコという街である。コンク貝から削り出された貴婦人の横顔のカメオを作った職人についてはこれまた複雑な話があるのだが、重要なのはこれを作った職人が特に深い思い入れを持つでもなく、むしろ秀作を量産して自分の原点を見つめ直すための途中に作られた一品であるということだ。このような一品はカメオとしては安値で取引できるもので、それは数年したロシア領でも変わらない話である。だからこそ、このカメオは、ある若者が村一番の美女へと捧げる贈り物として選ばれたのだ。


 この若者はジノヴィという名前で、村で最も美しかったアデリーナという少女と将来を誓った仲であった。先程の話から解る通りこのジノヴィは日露戦争で命を落とすのだが、それまでのアデリーナとの蜜月について話す価値はあるだろう。


 アデリーナは少し茶色のはいった黄金の髪を持ち、目はポーランド人の曽祖父から受け継いだ、深い海の色の瞳を持っていた。はっきりとした目鼻立ちは彼女の快活な性格のために良く動き回って、形の良い眉も顰められたり釣り上げられたりと大忙しである。そんな眉が一日の内で唯一安らげたのが、ジノヴィと過ごしている時間であった。彼と過ごしている間のアデリーナはいつも楽しげで、眉は常に楽しげな表情だけを作っていれば良かったのである。


 一方でジノヴィとアデリーナが共にいると休めないのが彼女の口であった。彼女の快活さは常に語る舌を休ませず、それは転じて口も休ませないことであった。その口が語らせられたことは益体もない事が多く、将来の生活であるとか輝いて胸に残る思い出であるとかそのようなことを楽しそうに話していたのである。


 一方のジノヴィは灰色の髪をした寡黙な青年であったが、彼の眉だけはやはり雄弁で機嫌の良いときは雄々しく、悲しいときは八の字に下がってその心中を代弁していた。彼らの逢い引きはもっぱらジノヴィの叔父が営む農場の片隅からはじまり、その日によって遠乗りをして青い恋心を風の中に叫び合うこともあれば、野原で寝転がって上を吹き渡る風にも愛おしみを感じるだけのこともあった。


 しかし歴史が示す通りその蜜月も終わりを告げる時が来る。日露の戦端が開かれたことで、前哨たるコルサレフの人々の中には親戚を頼って疎開するものもおり、アデリーナの父親もまたそうした人々の一人だった。一方ジノヴィは熱い情熱を秘めた若者であったから、自ら志願し兵役につくこととなった。


 こうして二人は今生の別れまでの最後の数日を過ごすこととなったのだが、それに際してジノヴィが自分を思い出せるようにとアデリーナに贈ったのが、コルサレフに行商できていた商人の売っていたグレコのカメオだったのである。ジノヴィの懐具合としては高い買い物であったのだが、そのカメオに掘られた貴婦人にどこかアデリーナの面影を見た彼は、その美しさを称えるためにアデリーナへとこれを送ったのだった。


 アデリーナは兵役につくジノヴィを案じて銀箔のロケットを送ったが、そのロケットは結局魔除けの役割を果たすことはなかった。


 ともあれ、お互いに首飾りを交換し合った二人は果たされることのなかった再会の約束をして、それぞれの道へと進んだのである。


 さて、ジノヴィがどのように死んだかということについても、日本兵との奇妙な友情と戦争の無情さをはらんだ話があるのだが、ここで重要なのはアデリーナがジノヴィの訃報を知ったのは日露戦争終結後、疎開先でのことだったという点のみだろう。


 彼の戦友だという兵士から彼の死とひしゃげたロケットを渡された彼女は、気丈にもその場で泣き崩れるようなことはなかった。しかしその日から彼女の眉は暇を持て余し、口もたまの仕事以外には鬱屈とした日々を過ごすようになったということである。


 ここまでは戦争に引き裂かれた男女の(残念ながら)ありふれた悲恋の話であるのだが、この話が幻燈機と関わるためにはもう少しだけ未来に時計を進めなくてはならない。


 ジノヴィが若い命を散らしてから数年後、コルサコフの岩場にアデリーナの姿があった。相変わらず彼女は美しいままだったがかつての快活さは鳴りを潜め、死者を悼む者特有の、墓場の匂いに似た色香を纏っている。彼女はその手にグレコで生まれたカメオを握りしめ、それを海へと返そうか迷っているように見えた。爆弾で粉微塵になり、骨の一部と僅かな装飾品しか戻ってこなかったジノヴィの数少ない形見であったカメオを彼女はその時まで捨てることができず、その時も捨てることができなかった。


 そうして街へと帰ろうとしたとき、何故なのかはアデリーナ自身にもわからなかったが、彼女はふと教会へ寄って帰ろうと思いついたのである。ジノヴィの訃報を聞いてから教会への足も遠ざかっていた彼女が礼拝堂へと入ったとき、ちょうど夕日が教会のステンドグラスから差し込み、説教台を照らし出していた。アデリーナの脳裏に、かつてジノヴィと結婚式を挙げるならどこの教会が良いかと言う話になった際の、地元のこの教会を上げた記憶が蘇る。


 見届人も新郎も聖職者もいないバージンロードをアデリーナは一人で歩き、説教台の前へと立つ。そこで手を広げてこちらを迎え入れるマリア像と見つめ合ったとき、久しぶりに目頭に熱いものを感じた。これが数年ぶりにアデリーナの流した感情の発露だったのである。


 アデリーナが叫ぶ声を聞いていたのは、ただマリア像のみであった。


 そして日も沈みかけた頃、目を赤くしたアデリーナが礼拝堂から姿を表した。その姿は堂々としており、在りし日に備えていた一種の勇ましさを取り戻している。彼女は街へと向かう前に教会の裏のグレイブヤードへと行くと、カメオを取り出す。そして少し逡巡したが、その迷いと過去への憧れをまとめてカメオごとグレイブヤードへと投げ捨てた。


 このカメオが幽霊を映し出すガラス板となったのだ。それと同時に幻燈機の灯りにもまた油が注がれたのである。その油とは迷いであり、過去への憧れであり、現在を生きるために人々が捨ててきた全てのもののことだ。これらの油が燃料となって燃えた旅愁が幽霊の姿を映し出し、そして私たちにこう問いかけるのである。


「捨てたものに値する命を生きているのか」と。


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 一言:3回は書き直しました……。

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小指の体操ジェネリック 猫煮 @neko_soup1732

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