帰ってきたYのパイプの話
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あるアメリカの知人の家に招かれたときのことである。私は肺が弱く煙草の類は飲まないのだが、その知人は愛煙家であったので手土産として缶に入った煙草の葉を何種類か持っていった。特に国産の煙草というわけでもなくアメリカに着いてから現地で買ったものだったのだが、知人は喜んでくれてホッとしたものである。私に煙草の味はわからないのだが、知人は手当たり次第に飲み比べて一週間の滞在の間に吸い尽くしてしまったのを見るに、ニコチンが入っていて燃えれば何でも良いのかもしれない。
さて、この話はその知人が煙草の礼にとバーベキューの後で缶ビールを飲みながら話してくれた話だ。
知人はガラス張りの棚を指差すと私に言った。
「あの中、勲章の隣に飾ってあるパイプが見えるだろう」
言われてみてみれば、確かにシンプルな作りののっぺりとした白く傷一つないパイプの先が吸口を外された状態で布の上に置かれていた。
「あれに纏わる話をしてやるよ」
曰く、知人の叔父は海兵隊にいたことがあり、湾岸戦争にも行ったそうだ。
彼は知人のまるまるとしたビール腹とは違って、海兵隊らしく鍛え上げられた美丈夫だったそうだ。一方で彼は知人と同じく愛煙家だったそうで、 28で湾岸戦争に行くまでに海泡石のパイプを5つは真っ黄色に染め上げた、ヘビースモーカーだったそうである。そのため、彼は出征に際しても新しいパイプを携えていったそうだ。知人曰く、「このパイプが琥珀色になる前にケリを付けてきてやる」と豪語していったようである。
実際、年表なりを見ればわかるように湾岸戦争自体は1年で集結した。そのため、彼もまたパイプの色を変える前に帰宅したそうである。海泡石のパイプは半年も使い続ければ多少は黄ばんでくるものだが、そのパイプが真っ白だったことを知人の叔父は「正義がもたらした勝利の色だ」と言って記念にしたそうだ。そして煙草を吸うための新しいパイプを買い、戦場に持っていったパイプは飾っておいたそうである。
棚に飾ってあるパイプは、その叔父から貰ったものだ、と知人は言っていた。
私は内心、アメリカらしいヒーローストーリーだなと思いつつも、適当に相槌を打っていた。
その時の話はこれで終わりで、他に色々と駄弁っている間にパイプのことなどすっかり忘れてしまった。
それを再び思い出したのは、別のトルコ人の知人を家に招いたときのことである。彼は私より若く、日本へは勉強のために留学に来ていた。それがとある定食屋で漢字を読めず店主とやり取りしていたところに、注文を決めた私が焦れて助け舟を出したのが縁の始まりである。
彼はなかなかの美丈夫なのだが中身は好青年とはあまり言えず、徹夜で私と麻雀を打っていたことを見るにそれほど真面目な生徒でもなさそうである。しかし礼儀は流石にきっちりとしていて、招くたびに手土産を持ってきて恐縮するものだからこちらもなにか悪いような気がして、彼と会うときはもっぱら外で待ち合わせをしていた。
それを何故その日家に呼んだのかは覚えていないのだが、この時彼が手土産に持ってきたのが海泡石の細工物だったのである。曰く、彼の実家がこういった細工物を売っていて、いくつか持たされていたから帰国前の何処かで記念に渡そうと思っていた、というようなことを言っていたと思う。
その細工はウズラの卵ほどの大きさの見事な細工で、卵型の表面にひし形の穴を網目状に埋めてあり、その奥に覗く小さな卵も表面がきれいに磨き上げられていて中の卵を磨いてから網をかぶせたのかと思うぐらいだったが、その下に月桂があしらわれてある台座とは内外ともに繋がっているのである。
見事なものをもらって今度はこちらが恐縮してしまったのだが、彼は友情の記念にと言うと、取り扱い上の注意を私に話し始めた。例えば、水に濡らすと柔らかくなるので、蝋を塗ってあるがあまり水気に近づけないこと。であるとか、油もよく吸うので、手汗を掻いたときはあっまり触らないこと。といったことである。
そんなことをカタコトで説明していたのだが、その中の一つの注意が気になって私は彼に訪ねたのだった。
「メシャム(海泡石)は硬いない、だから強い衝撃は良くない。硬いものぶつけるだけで傷もつくから」
「うん?そんなに柔らかいのかい」
「試すないけど、かなり柔らかい。人の爪と同じぐらいの硬い具合だよ」
それでふと思い出したのが、アメリカの知人宅でみた傷一つないパイプの姿である。人の爪ほどの硬さのパイプを戦場に持っていって、果たして傷一つないということがあるだろうか。パイプの内側に少しのヤニが残っていたところを見るに、使われていなかったわけでもなさそうである。ケースに入れて持ち運んでいたのだろうか。
これが最もしっくり来そうであったが、よほど大切に荷物を保管できるような状況であったというのはいまいち説得力に欠ける。いきなり考えこんでしまった私に、トルコ人の青年は気分を害したと思ったのか慌てだす。
「これは柔らかいけど、友情は硬いよ。ダイヤモンドより硬い、ロンズデイライトぐらい」
その慌てっぷりに私も慌てて謝り、その後はまた会話を楽しんだり食事をしてもてなしたのだが、パイプのことがどうしても頭の片隅に引っかかっていた。それが解消されたのは食後に駄弁っていたときのことである。青年がお世話になっている研究室で、先輩の大学院生が後輩の質問に答える最中に見栄を張って知りもしないことを話していたところで教授に見咎められたという笑い話だったのだが、彼がその最中に行った一言が私の疑問に答えを与えた。
「でも先輩の気持ちも解る。目下から敬われたら、私も見栄はると思う。だからあの場では恥かかせる良くないので笑ったが、複雑な気持ちだったよ」
それを聞いて、なるほどなと合点がいった。あのパイプの持ち主はおそらく、戦地には行ったが戦場には出なかったのだろう。それでも、年下の甥に話をねだられてつい見栄を張ってしまったに違いない。だから戦地から帰ってきてもはずかしくてパイプを早々に買い替えてしまったのだろう。そう思うとひとりでに笑いがこみ上げてきた。
トルコ人の青年は突然笑い出した私に驚いた様子だったので、理由を話すために「こんな話がある」と話を始めようとしたが、少しだけ考えて止めておくことにした。
棚の上に飾った海包石の傷一つない細工が、あまりにも見事だったからである。
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一言:実は一度も海包石を触ったことがありません。
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